漂流物

九時木

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漂流者

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 彼は死んだと、目の前の女性は言った。
 「そこから落ちて死んだのだ」と、彼女はベランダを指さしながら、呟いた。
 近づくと、窓の鍵は閉められており、幾つもの指紋が見えた。
 背後から、咽び泣く声がした。振り返ると、彼女は崩れ落ち、両手で目を覆っていた。

 「わからない。あたしにはわからない」
 彼女は彼が死んだ理由を探しているようだった。
 何か声を掛けるべきかと思ったが、私はそのまま、その場で立っていることにした。
 「よく会って話していたんだろう」と、その人はふと顔から両手を離し、私に問いかけた。
 「あんたなら、知っているんじゃないのかい。知っているだろう。教えておくれよ」

 私は、確かに彼とはよく会い、話もしていたことを伝えた。
 しかし、これ以上何を話すべきか、私にはわからなかったので、それ以上のことは何も言わなかった。


 彼はよく話し、よく笑う人だった。
 はじめて彼と話した時、彼は居酒屋を動き回っていた。
 私が注文したビールを目の前に置いた後、彼はここで働いているのだと、ふと私に告げた。
 それを聞いた私は、何故ここで働いているのかと尋ねた。その時は、彼が実際よりも一回り若く見えていたのだ。

 「飲み屋で働けば、毎日飲んだくれの法螺話ほらばなしが聞けますからね」

 彼はそう言いながら、微笑した。それは確か二年前の、カウンター席でのやり取りだった。
 「君の方も、どうしてまたこんな所に?」と、彼も私に問うたので、私は「あなたと同じような理由かもしない」と答えた。
 彼が首を傾げたので、私は「ヒューマニストに会えるからだ」と付け足した。
 それを聞いた彼は、目を見開いた後、大笑いした。私は、何故彼が腹を抱えて笑い出したのか、よくわからずにいた。
 「大袈裟だな」と、彼は笑いを抑えながら、しかしどうにも我慢できない様子で、いつまでも笑っていた。


 目の前の女性が、私の方をじっと見つめている。
 しばらく答えを待っているようだったが、とうとう痺れを切らしたのか、声を張り上げ、怒りをあらわにした。
 「黙っていないで、知っていることを教えなさい」
 私は首を振り、俯いた。しかし、彼女は諦めず、床を這うようにして私に近づき、私の足元を勢いよく掴んだ。
 彼女の言葉が、部屋中に響いていた。

 「返せ。私の息子を返せ」
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