NATE

31. 過去

　「俺は数年前まで、不動産の営業で働いていたんだ。お客さんに物件を紹介したり、貸主と話をしたりね」

　メンバーのいなくなった部屋で、レオの静かな声が響き渡る。
　私は椅子に座りながら、彼の話にじっと耳を傾けていた。

　「成績はまずまずだった。だけど、俺は一人の上司から恨みを買ったんだ。

　『お前の成績が良いのは、俺が間に入って調整しているからだ』『実際のお前には何の能もない』ってね。
　しまいには、酔っ払った勢いで上司に殴られたもんさ」

　「ひどい話ですね」私は彼の悲しげな目を見ながら、そう相槌を打った。

　「ああ、全くだ。だが、俺にはどうすることもできなかった。
　これが問題なのはわかっていた。それでも、俺はやつに殴られるがままだった。

　俺は元々大人しい方でね。特に、上司に逆らうことなんてできなかったんだ。
　『仕事を失ったらどうなる？』俺はそんなことばかり考えていたよ」


　レオがペットボトルの蓋を開け、水をごくりと飲む。
　彼は蓋をゆっくり閉めながら、話を再開した。

　「そんな時に、バーの仕事で休憩に来たゴスが、上司が俺を殴っている様子を目にして、止めてくれたんだ。

　あいつは強かった。俺の上司に掴みかかって、『絶対に許さないよ』と言ってそいつを殴りつけた。

　ゴスは俺を支え、『大丈夫かい？』と声をかけてくれた。
　俺はあんまりにも殴られたもんだから、上手く答えられなかった。だけど、あいつは俺をバーの中に連れて、手当てしてくれたんだ」

　レオがその時を思い出したかのように、そっと微笑する。
　私は胸の辺りが少し苦しくなるのを感じながら、彼の目を見つめた。


　「あいつは、気に食わないことがあるとすぐに殴りかかっちまうが」レオが私を見返す。

　「本当は良いやつなんだ。俺みたいに、世の中の悪事を黙って見過ごしたりはしない。あいつにはちゃんと正義感がある。
　だから、少しだけでいい。あいつのことを理解してやってくれないか」

　私はレオの前で深く頷く。レオはほっと息をつき、信頼のこもった笑みを浮かべた。

　「君がうちのメンバーで良かったよ」


　数分後、ドアがカチリと開き、ゴスが入室した。
　ゴスは舌打ちをし、私たちに悪態をついてみせた。

　「なんだ、こっちはもう終わっちまったのかい。せっかく度胸のあるやつを連れてやろうと思ったのにさ」

　「残念だったな。NATESは23時で閉めだ」レオがゴスに向かって、勝ち誇ったような表情を見せる。

　「活動は21時からなんだろう。2時間じゃどう考えても足りないね」

　ゴスが椅子にどっと座り、足を組む。

　「それにしても、シケた空気だね。こんな場所に2人残って、一体何を話していたんだい？」

　「何でもないさ」レオは私に目配せをしながら、大きく伸びをした。

　「ちょっとした昔話だ。なあ、エマ」