NATE

九時木

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29. 心理

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 目の前で、ウィルが執筆を続けている。
 新品の原稿用紙が、印刷機にかけられたかのように次々と文字で埋もれていく。

 ウィルは尋常でない速さで文章を書いていた。私は彼の忙しないペンを眺めながら、そっと話しかけた。

 「あなたの話を聞いて、少し気になったことがあるのですが、ここでお尋ねしても良いでしょうか?」

 ウィルはちらと私の方を見て、「構わないよ」と、にっこり微笑んだ。
 私は少し間を置いてから、彼に話した。 


 「あなたは先程、無意識の攻撃についてお話しました。
 自己正当化が進むと、無意識に他人の意見を否定し、攻撃するようになると」

 「そうだね」ウィルが優しく相槌を打つ。
 私はじっと考えながら、続きを言った。

 「それでは、無意識の攻撃があるということは、意識的な攻撃もあるということでしょうか?」

 「それは悪意のことかな」ウィルは顔を上げ、私をじっと見る。

 「それとは少し違うんです」私は言葉を選びながら、話を続けた。


 「例えば、こんなグループがあるとします。
 そのグループでは、互いの主張をぶつけ合う。相手の考えに異議があれば、殴り合いで解決する。

 殴り合いは、互いの了承のもとで行われます。ですが、勝ち負けはあるようでない。そこではただ、自身の信念をぶつけること自体が目的化している」

 スポーツとは違う何か。意識的に行われる攻撃。ウィルは、このグループにはどんな意味があると思いますか?」

 「そうだな」ウィルは考えるようにして、視線を斜め上に向ける。

 「まず、君は信念をぶつけることが目的と言ったけれど、それは単なる信念のぶつけ合いではないかもしれないね」

 ウィルがそっと微笑みながら、私に言う。

 「どういうことでしょうか?」私は首を傾げる。
 彼はペンを置き、静かに答えた。

 「まず信念がぶつかり合うのは、それぞれの信念の性質が異なるからに他ならない。

 意見が違うからこそ、衝突する。だけど、彼らはそれを知っていて戦っている。
 でも、相手と自分がどう違うのかはわからない。だから、戦ってもっと知りたいんじゃないかな」

 「それならば、話し合いの方が余程ためになるのではないですか?」私はますます首を傾げながら、ウィルに問う。

 「そう思いたいところだけれどね。互いについて知る方法は、何も言語だけではないはずだよ」

 ウィルは話を続ける。

 「相手にパンチを食らわせる時を想像してみるといいさ。
 その時は、ただがむしゃらに腕を振るのではなく、相手の目や動きを読み取って、確実に相手に当たるように調整するだろう。

 いわゆる非言語コミュニケーションだ。殴り合いにはリスクがあるから、自分の身を守りながら相手を攻撃する。

 そこには、言葉では表しきれない心理戦がある。少なくとも真剣な戦いならば、相手の心理を細かく読み取って、相手を理解する過程が生まれるはずだよ」

 「そこに勝敗がないということは」ウィルは再びペンを取り、原稿用紙にペン先を付けた。

 「その過程を重視する、ということだろうね」


 ウィルはさらさらと執筆を再開する。私は彼の言葉に耳を傾けながら、内容を日記にメモしていた。

 「その本は?」ウィルは不思議そうに私の日記を見る。

 「日記です。あなたの言葉を書き留めているんです」

 私の返答に、ウィルは笑う。彼は原稿用紙をぺらぺらとめくりながら、私に言った。

 「君は真面目なんだな」
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