診察券二十二号

九時木

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唾棄すべき運命、朽ちる秩序

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 名刺カードのように薄く、病院名が大きく印刷された診察券。
 手に持つだけで、いつも現実世界から逃れたような気分になっていた。

 『薬漬け』患者としての生活は決して終わることがない。医師は苦虫を噛み潰したような顔で、僕に告げる。

 「君は何でも過剰に取り組む所がある」

 僕は自分が傲慢であることを自覚したい。ろくに社会を知らない青二才がこのようなことを言うのは、愚かにも程があることを、前もって認識しておきたい。

 「まあ、発達の特性なのだろうけれど」

 医師は呆れたように笑う。
 僕がどんな弁明をしたって、それは幼稚な諧謔かいぎゃく戯言たわごとでしかないのだが、敢えて言うとするならば、僕は只のピエロだ。

 過剰に取り組む先人がいない限り、僕は過剰に何かを行うということはない。それは空想上の存在であっても構わない。
 とにかく、僕は決して僕という純粋な存在によって成立しているのではない。誰かが発達の特性と言えば、それはきっと模倣の産物なのだ。


 僕は僕らしからぬ生き方に満足してきた。
 真意に興味など無く、字義通り受け取ることをほとんど礼儀作法として受容し、再現することに並々ならぬ快楽を覚えた。
 人にはよく誤解された。ひどく真面目な人間だとか、あるいは全くその逆だとか、様々な言いようで、僕は周囲に認識された。
 しかし、人々の見解は概ね一致していた。人々によると、僕は聡明かつ愚かであるとのことだった。

 僕が客観的で、行動的で、人情深く、謙虚で、かつ親切であることはありえない。
 僕には頭を使ってみせるか、反抗的であるかくらいの態度しか備わっていない。
 どれほど人間らしく感傷的に、慈悲深く、常識的に振舞ってみたって、恐らく周囲には空振りにしか映らないだろう。

 「ひどく真面目」な人となりを感じさせるためには、必ずしも常識的に振る舞う必要はない。
 不必要な物事を過剰に取り組んだとしても、ひどく真面目に見える場合がある。
 仰々しすぎると言ってもいいくらいに仰々しく、また堅苦しい言葉を並べることは、いつだって僕をひどく真面目な人間にさせてくれた。
 結局のところ、字義通りの会話をする人間や何でも過剰に取り組む人間は、誤解される。清々しいまでに、人々は誤解してくれるのだ。

 
 人間の理解不能な行動を説明する際には、誤解がつきものだ。
 かの偉大な精神分析の父フロイトでさえ、本能に準拠しすぎるあまり、潜在的な患者を見落とした。

 彼は純粋で飾り気のない心を欺くことを反動形成と呼び、不安や苦痛から身を守るための無意識の行動、つまり防衛機制として定義した。
 他者を欺くことであり、自己欺瞞でもあるそれを、消極的な感情のみによって説明したのだが、それはガス灯に怯えた過去を持つフロイト自身の心理を解明する以外に大した意味をもたらさなかった。

 一方で、防衛規制は保守的で警戒心の強い患者を治療対象とすることに一役買い、治療者が患者を理解するための基本的な解剖法となった。
 冗談半分で患者のふりをするピエロについても、お手の物ということになってしまった。


 しかし、防衛機制には明白すぎると言ってもいい抜け道がある。
 フロイトは扁桃体の鈍った患者を扱っていない。彼は不安や恐怖にひどく苛まれている患者を前提としているが、それらの感情の機能不全に自覚的で、意図的に感情を喚起しない限りそれが再起動しないことにも自覚的で、向こう見ずでいる他に選択肢がない患者については、治療の対象としていない。
 暇で暇で仕方ないという理由で、誇張しすぎていると言ってもいいほどに馬鹿の振りをし、明らかに不利益をもたらすことが周知の事実であるものに対しても、喜んで受け入れるような、そんな愚かな人間の存在を全くといって言いほど度外視している。
 あるいはその逆で、忙殺のせいで鬱憤が溜まりに溜まり、それを行えばたちまち気分が爽快になるようなものを常に求めているような、そんな人間の行動そのものについても考察を深めていない。
 悲しいことに、彼は「昇華」というまた別の防衛機制によって、芸術や教育を礼賛し、行動の成果を礼賛してしまった。


 はっきり言って、神経症患者がきまって強い不安や恐怖に取り巻かれていると見なすのは最早時代遅れで、現代の人々はむしろその逆と言っても過言でない。
 彼と同じく19世紀を生きた社会学者エミール・デュルケームは、社会の無規制状態を「アノミー」と定義している。
 現代は近代ほど凝り固まった合理的な世界ではない。もし爆発的な人口を駆使し、労働者を働かせれば働かせるほど金を得られるのだと言うのならば、これほど嘲笑的な謳い文句となるものはないだろう。
 反対に今最も重視されているのは、いかに効率的に社会を機能させるかということで、主にテクノロジーの導入によってその実現が望まれている。実際、大抵の現代的な人々は、労働が唯一の価値ではないことを知り始めており、無駄に働くことを嫌いつつある。

 とはいえ、情報化社会は成熟しておらず、過渡期の真っ只中ある。現代の人々は椅子に長時間座り、パソコン画面を凝視し続けることにまだ慣れていない。一方、眼疲労と睡眠不足に苛まれることには、ずいぶん慣れている。
 インターネットの世界には際限がない。いつでも何処でも必要な情報にアクセスできるせいで、人間は常に働けるようになってしまった。
 インターネットを規制する動向は、あったとしても、従来の宗教による規制よりは柔軟で、ずっと可変的だろう。あまりにも実用的で便利なためかもしれない。思想よりもずっと厄介だ。

 秩序は解体されつつある。かつての患者は、不確かなものに対して恐怖を抱いていたのかもしれない。
 だが、現代では、無秩序による注意力の散漫によって、虚脱感に襲われていると言った方が、まだそれらしいような気がする。
 恐れなどという感情よりも、疲労の方が勝っている。身体的で物理的な疲労だ。主に脳と目の。

 この点において、フロイトの精神分析学は最早古典の類と言ってもいいだろう。
 現代人の脳は感情的でない。恐らく、より簡略化され、従来よりも計算を重んじ、コンピュータ化しているのだ。
 少なくとも、僕の場合は、だが。


 「薬をなくしました」

 僕は医師に伝える。鞄にしまっておいたのだが、いつの間にか何処かへ消えてしまった。
 一錠も手に付けることがなかった処方箋は、今頃、湿気ることなく元気にしているだろうか。

 「仕方ないことだ。新しく処方しておくよ」

 医師は間髪入れず返し、忙しなくパソコン画面をスクロールする。

 もう自立支援医療制度が適応されたのだろうか。医師の態度は何処か素っ気なく、早く診察を済ませてしまおうという気配さえ伺えた。
 大金を注がない患者には、大した思い入れを抱かない主義なのかもしれない。しかし、全てが僕の思い込みであれば、それが最も愉快なことだ。
 診察前に提出した診察券が脳裏をよぎる。病院名も診察番号も、すっかりかすれてしまって、所々見えなくなっていた。

 何もかも消えてしまえばいい。疲れきった頭が、目の前の人間と向き合うことを段々と諦め始めていた。
 多分、僕は最後まで疲れているだろう。僕が本当に患者であるかどうかなど、心底どうでもよくなるくらいに。近代の合理主義も現代の情報化社会も、いずれ脳内から消え去っていく。
 そうだ。最後には、何もかもがどうでもよくなっている。
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