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断薬の構造、上昇と下降の層
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病院へ向かう途中、人混みに紛れて道を歩く。足取りは乗り気でない。歩行速度は安定せず、何処かもたつき、足の着地点も定まらない。
背後から迫り来る人々は、器用に患者を避け、忙しなく通り過ぎていく。
前からすれ違う人々もまた、患者と一定の距離を保ちながら、滑らかに後ろへ流れていく。
自分がひどく慎重なためか。あるいは、人々がひどく活発なためなのか。噛み合わない歯車が道端に落ちているような、滑稽な有様を眺めているようだ。
あまりにも滑稽なすれ違い。そんな言葉を繰り返し、のろのろと足を引きずっているだけでも、いつかは病院へたどり着いてしまう。
歩行速度をどれだけ緩めても、医師の顔を見なければならないという宿命論的な思考は止むことがない。
「こんにちは。調子はどうですか」
意識が現実に戻った頃には、僕はもう診察室の椅子に座っていた。待ち時間の記憶が曖昧だ。僕は眠っていたのだろうか。
「まあ、以前の診察から1週間しか経っていないから、あまり変わったことはないかもしれないけれど」
僕が独りで記憶を思い出そうとしている間に、医師は一言を付け加える。
実際、ここ1週間は特に変化がなかったかもしれないし、あったかもしれない。
「薬の方はどうでしたか」
医師が僕に質問する。僕は薬について考える。
以前のように症状を用紙に書き留めていないので、上手く思い出せなかったが、ふと初日の出来事が思い浮かんだ。
「副作用が出ました」
「ほう。どのような症状でしたか?」
医師が少し前のめりになり、興味深そうに尋ねる。僕は質疑応答に集中する。
「日中の眠気と…悪夢ですかね」
1週間前、僕は処方された薬を試しに飲んだ。
副作用の症状は初日から出始めた。それは眠気というより、意識が段々と希釈されていくような、あるいは全身の糸が断ち切られていくような、妙な気分だった。
とにかく、薬による症状は、日中に活動し夜に自ずと感じられるような、そのような類の眠気ではなかったことは確かのようだった。
副作用は眠気だけでなく、悪夢としても現れた。
自我の制御機能が解除され、無意識の世界が遊泳するその時間は、現実には見られないような惨状を映した。
奇妙な夢だった。僕の身長の半分にも満たない、二つくくりの少女が、等身大の鎌を振り回して出会い頭に人々の首をはねていた。
口角の一つも上がらない、機械的な表情をしたその少女は、心中では何人の首をはねたのかを競っているらしく、またいかに素早くそれを断ち切るかということに専念しているようだった。
人々と言ってみたが、厳密には顔見知りであり、その顔は僕の親戚であった。
僕は決して親戚に恨みがあるわけではなかった。むしろ、昔よく世話になったという理由から、それなりの信頼と敬意を抱いていたはずなのだが、夢の中ではその通りに思い描くわけにもいかないらしい。
リビングのカーテンが、半透明になって揺れている。鎌を持つ手を止めず、親戚の家をすっかり静寂にした少女が、誰もいなくなった部屋の窓を開けて換気をしているようだ。
ふと目が覚め、幻の記憶が蘇る。
振り回しすぎた鎌は折れてしまったが、少女は何か他のものを手にし、人々の頭に向かって振り下ろしていた。
身体が傾くほどに重かったそれが何であったかは、思い出せない。床に転がっていたものに触れた感覚だけが、偽の触覚として残っていた。
『酷い夢ばかり見せてくれましたよ』
夢にうなされた僕は、そんな言葉を医師に向かって口にしてみたかった。
しかし、自分が見た夢について、面と向かって他人に語るのはどうも気が乗らない。
何となくだが、恥のような感情が湧いてくる。何にせよ、医師の知ったことではないのだ。
「悪夢を繰り返して見ると、それはそれで落ち着かないというか」
僕は茶を濁すための代わりの言葉を呟く。心の中で安全な道に逃げたって、誰も咎めやしない。
「うーん、そうか。難しい問題だなあ…」
思うに、医師ほど話しやすい人間は存在しないのではないだろうか。
医師は患者の言葉が表すものを、医学的な症状として合理的に判断してくれる。僕の言葉を聞いて、どうせ断薬するための口実だろうという風には非難しない。
少なくとも、表に出すことはない。患者に対する一歩引いた対応は、倫理的にも配慮されているのかもしれない。
僕は薬よりもこの対話方式に効果を感じているのだが、医師の方はどう考えているのだろうか。
例えば、僕がここで医師の本心を擁護したとして、医師が患者の勢いに乗ずるということが、あったりするのだろうか。
「服用を続けていれば、多少は副作用も和らぐんですかね。患者の僕はよく知りませんが…」
「そういうこともあるね」
医師が真っ直ぐな目でこちらを見つめる。
待ち構えていたかのような、大袈裟に言ってしまえば、期待通りの流れに進んだことに安堵しているかのような、そんな光を帯びた目が向けられている。
とどめを刺すなら早く刺してくれと、僕は心の中で呟く。
「まあ、今の所、吐き気や気分の悪さといった深刻な症状はないようだから、もう少し続けてみてもいいかもしれないな」
わかりやすい医師だ。裏の構造があけすけな現状に反吐が出る。
実のところ、医師に対して敵意があるわけではない。最早変わりようのない現実に対して、嫌気がさしているのだ。医師は続ける。
「薬は服用し続けて、ゆっくりと効果が出るものだからね。対話をすることはもちろんだが、やはり薬を飲んだ方が治りは早いよ」
『治りが早い』。他人の病を擦り傷のように扱うものだ。
消毒液でもかければ数日や数週間で治るものだと思っているのだろうか。
わからない。僕は病を拠り所としすぎているのかもしれない。依存しているのだろう。だから、こうして怒りを顕にしているのだろう。
しかし、穏やかでない兆候だ。この場における何もかもが、今夜の夢に現れてしまいそうだ。
薬局では、一日や二日で中断した薬が再び追加される。
家に帰れば、未開封のまま消化されていない薬が、棚にしまい込まれている。
薬の量ばかりが増えていき、家のそれが薬棚のように仕立て上げられる。
限られた時間に、変わりようのない現実。僕は何時だったかの時と同じように、数年間薬を放置して期限切れになるのを待つだけなのだろう。
逆上から成る収集癖とでも呼べば良いのだろうか。自発的に集めずとも着々と溜まっていく錠剤に対して、その現象そのものに対して、僕は何と名付ければ良いのだろう。
背後から迫り来る人々は、器用に患者を避け、忙しなく通り過ぎていく。
前からすれ違う人々もまた、患者と一定の距離を保ちながら、滑らかに後ろへ流れていく。
自分がひどく慎重なためか。あるいは、人々がひどく活発なためなのか。噛み合わない歯車が道端に落ちているような、滑稽な有様を眺めているようだ。
あまりにも滑稽なすれ違い。そんな言葉を繰り返し、のろのろと足を引きずっているだけでも、いつかは病院へたどり着いてしまう。
歩行速度をどれだけ緩めても、医師の顔を見なければならないという宿命論的な思考は止むことがない。
「こんにちは。調子はどうですか」
意識が現実に戻った頃には、僕はもう診察室の椅子に座っていた。待ち時間の記憶が曖昧だ。僕は眠っていたのだろうか。
「まあ、以前の診察から1週間しか経っていないから、あまり変わったことはないかもしれないけれど」
僕が独りで記憶を思い出そうとしている間に、医師は一言を付け加える。
実際、ここ1週間は特に変化がなかったかもしれないし、あったかもしれない。
「薬の方はどうでしたか」
医師が僕に質問する。僕は薬について考える。
以前のように症状を用紙に書き留めていないので、上手く思い出せなかったが、ふと初日の出来事が思い浮かんだ。
「副作用が出ました」
「ほう。どのような症状でしたか?」
医師が少し前のめりになり、興味深そうに尋ねる。僕は質疑応答に集中する。
「日中の眠気と…悪夢ですかね」
1週間前、僕は処方された薬を試しに飲んだ。
副作用の症状は初日から出始めた。それは眠気というより、意識が段々と希釈されていくような、あるいは全身の糸が断ち切られていくような、妙な気分だった。
とにかく、薬による症状は、日中に活動し夜に自ずと感じられるような、そのような類の眠気ではなかったことは確かのようだった。
副作用は眠気だけでなく、悪夢としても現れた。
自我の制御機能が解除され、無意識の世界が遊泳するその時間は、現実には見られないような惨状を映した。
奇妙な夢だった。僕の身長の半分にも満たない、二つくくりの少女が、等身大の鎌を振り回して出会い頭に人々の首をはねていた。
口角の一つも上がらない、機械的な表情をしたその少女は、心中では何人の首をはねたのかを競っているらしく、またいかに素早くそれを断ち切るかということに専念しているようだった。
人々と言ってみたが、厳密には顔見知りであり、その顔は僕の親戚であった。
僕は決して親戚に恨みがあるわけではなかった。むしろ、昔よく世話になったという理由から、それなりの信頼と敬意を抱いていたはずなのだが、夢の中ではその通りに思い描くわけにもいかないらしい。
リビングのカーテンが、半透明になって揺れている。鎌を持つ手を止めず、親戚の家をすっかり静寂にした少女が、誰もいなくなった部屋の窓を開けて換気をしているようだ。
ふと目が覚め、幻の記憶が蘇る。
振り回しすぎた鎌は折れてしまったが、少女は何か他のものを手にし、人々の頭に向かって振り下ろしていた。
身体が傾くほどに重かったそれが何であったかは、思い出せない。床に転がっていたものに触れた感覚だけが、偽の触覚として残っていた。
『酷い夢ばかり見せてくれましたよ』
夢にうなされた僕は、そんな言葉を医師に向かって口にしてみたかった。
しかし、自分が見た夢について、面と向かって他人に語るのはどうも気が乗らない。
何となくだが、恥のような感情が湧いてくる。何にせよ、医師の知ったことではないのだ。
「悪夢を繰り返して見ると、それはそれで落ち着かないというか」
僕は茶を濁すための代わりの言葉を呟く。心の中で安全な道に逃げたって、誰も咎めやしない。
「うーん、そうか。難しい問題だなあ…」
思うに、医師ほど話しやすい人間は存在しないのではないだろうか。
医師は患者の言葉が表すものを、医学的な症状として合理的に判断してくれる。僕の言葉を聞いて、どうせ断薬するための口実だろうという風には非難しない。
少なくとも、表に出すことはない。患者に対する一歩引いた対応は、倫理的にも配慮されているのかもしれない。
僕は薬よりもこの対話方式に効果を感じているのだが、医師の方はどう考えているのだろうか。
例えば、僕がここで医師の本心を擁護したとして、医師が患者の勢いに乗ずるということが、あったりするのだろうか。
「服用を続けていれば、多少は副作用も和らぐんですかね。患者の僕はよく知りませんが…」
「そういうこともあるね」
医師が真っ直ぐな目でこちらを見つめる。
待ち構えていたかのような、大袈裟に言ってしまえば、期待通りの流れに進んだことに安堵しているかのような、そんな光を帯びた目が向けられている。
とどめを刺すなら早く刺してくれと、僕は心の中で呟く。
「まあ、今の所、吐き気や気分の悪さといった深刻な症状はないようだから、もう少し続けてみてもいいかもしれないな」
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