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7章: 離隔
65. 崖先2
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高さ50メートルの崖上で、強風を顔面から受けている。
眼前には海が広がり、はるか彼方に水平線が浮かび上がっている。
「ついにここまで来たわね」
海をぼんやりと眺めていると、隣にいた女が僕に言った。
僕は女の足元を見た。女の裸足は、所々皮がめくれ上がっており、長く歩いたせいで全体が腫れていた。
「足は大丈夫かい」
「平気よ」女が髪を押さえながら、にっこりと笑う。
僕は女から目を逸らし、足元を見る。
数十センチメートル先は、崖下だ。崖下を覗くと、巨大な黒い岩があちこちに顔を出しており、荒波に激しく打たれていた。
「落ちたら一溜まりもないな」僕は波音が大きく響く中、声を張り上げて女に言う。
「そうね」女が僕を見返しながら、声を大きくする。
「間違いなく死が待っているわ」
僕らは崖先に立ち、しばらく景色を眺めていた。
海は広大だった。何処までも続き、水平線で白い空と交わっているのが見える。
海に目を留めていると、女が隣で僕に言った。
「あなたが今考えていることを当ててみましょうか」
僕はゆっくりと女の方を向く。女の黒い目が数珠のように光り始める。
「ここから真っ逆さまに落ちてしまいたい。違うかしら」
女が真剣な顔つきで僕を見る。僕は海に視線を移し、遠くを見る。
「どうかな」僕は苦笑いし、女に答える。
「もしそうすれば、君は僕を止めるのかい」
「きっとね」女は僕から目を離さず、一秒一秒を見守るようにして目を開いている。
「知っているよ」僕は崖先に座り、足を地面から浮かせた。
「以前、同じような夢を見たんだ」
僕らは並んで、崖先に座っている。
すぐ下では海がかき混ぜられ、白い泡を浮かせていた。
「思い出したのね」隣にいた女が、僕の肩に手を置き、僕に話しかけた。
「ああ。僕は何度もここへ来ている。そうなんだろう」僕は女の方へ振り向き、確かめるように相手を見る。
「そして何度も君に救われた。そうなんだな」
僕の言葉に、女はそっと頷く。
「あなたの両親がいなくなった時から」女は海を眺めながら、話を続ける。
「あなたはよくここに来るようになった。無力感に襲われ、自分に価値を見出だせなくなって、ここで身を投げようとした」
「だけど、そうさせるわけにはいかなかったの」女が僕の肩をぎゅっと握り、声を振り絞るようにして答えた。
「あなたは、これから自分自身で人生に意味を見出ださなくちゃならない。そうでしょう?」
「随分と手厳しいんだな」僕は頭を掻き、少しため息をつく。
「無意味な世界なんてないのよ」女は念を押すようにして、僕に言う。
僕は手元にあった小石に触れ、それをそっと掴む。そして、腕を大きく振り、小石を海の遥か彼方へ投げる。
「君は意思が強いからな」僕は小石が飛んでいくのを見届けながら、女に言った。
「父さんと母さんは、何処か壊れていた。父さんは飲んだくれて僕を脅しつけ、母さんは僕に勉強させるために猫を捨てた。
僕は2人に色々な感情を抱いた。散々に怖がり、憎み、そして愛した。
誰も知らないような、ごく小さな世界だった。だけど、それが僕にとっては全てだった」
「だけど、ある日僕はその全てを失ったんだ」僕は海を眺め、水平線が揺らぐのをじっと見る。
「父さんとトランプゲームをしたリビング。母さんに見守られながら、毎日向き合った勉強机。
2人を失ってから、見慣れた家はまっさらに片付けられて、僕は親戚に引き取られた」
「馴染めるはずもなかったよ」僕は口元を歪め、女に向かって笑った。
「酒の臭いのしないリビング。落書き一つない、あまりにも綺麗な勉強机。もう面影は何処にもなかった」
「僕が僕である必要は、何処にもなかったんだ」僕はそっと立ち上がり、また遠くを眺める。
「自分を捨てるのは、そう遅くなっかった」
小学校から高校時代まで忘れ去られた、僕の記憶。
その間に何をしていたのか、今では思い出すことすらできない。
「捨ててしまったものは」女がゆっくりと立ち、僕の肩を何度か叩く。
「もう一度見つければいいの」
「果たして叶うかな」僕は肩をすくめる。
「あなたなら、きっとできるわ」
女の顔に、日光が当たる。女の肌が艶めき、僕はその柔らかな色に目を留める。
「きっとね」
女は僕の前を歩き、崖先で足を止める。
そうしてこちらを向き、両手を大きく広げる。
「これで最後よ」
女は踊るようにして片足を浮かせ、海の方へもたれる。
僕は素早く手を伸ばし、女の腕を掴みかける。しかし、女はそれを振り払い、にこりと笑う。
「大丈夫。今のあなたなら、私がいなくてもきっと上手くいくわ」
眼前には海が広がり、はるか彼方に水平線が浮かび上がっている。
「ついにここまで来たわね」
海をぼんやりと眺めていると、隣にいた女が僕に言った。
僕は女の足元を見た。女の裸足は、所々皮がめくれ上がっており、長く歩いたせいで全体が腫れていた。
「足は大丈夫かい」
「平気よ」女が髪を押さえながら、にっこりと笑う。
僕は女から目を逸らし、足元を見る。
数十センチメートル先は、崖下だ。崖下を覗くと、巨大な黒い岩があちこちに顔を出しており、荒波に激しく打たれていた。
「落ちたら一溜まりもないな」僕は波音が大きく響く中、声を張り上げて女に言う。
「そうね」女が僕を見返しながら、声を大きくする。
「間違いなく死が待っているわ」
僕らは崖先に立ち、しばらく景色を眺めていた。
海は広大だった。何処までも続き、水平線で白い空と交わっているのが見える。
海に目を留めていると、女が隣で僕に言った。
「あなたが今考えていることを当ててみましょうか」
僕はゆっくりと女の方を向く。女の黒い目が数珠のように光り始める。
「ここから真っ逆さまに落ちてしまいたい。違うかしら」
女が真剣な顔つきで僕を見る。僕は海に視線を移し、遠くを見る。
「どうかな」僕は苦笑いし、女に答える。
「もしそうすれば、君は僕を止めるのかい」
「きっとね」女は僕から目を離さず、一秒一秒を見守るようにして目を開いている。
「知っているよ」僕は崖先に座り、足を地面から浮かせた。
「以前、同じような夢を見たんだ」
僕らは並んで、崖先に座っている。
すぐ下では海がかき混ぜられ、白い泡を浮かせていた。
「思い出したのね」隣にいた女が、僕の肩に手を置き、僕に話しかけた。
「ああ。僕は何度もここへ来ている。そうなんだろう」僕は女の方へ振り向き、確かめるように相手を見る。
「そして何度も君に救われた。そうなんだな」
僕の言葉に、女はそっと頷く。
「あなたの両親がいなくなった時から」女は海を眺めながら、話を続ける。
「あなたはよくここに来るようになった。無力感に襲われ、自分に価値を見出だせなくなって、ここで身を投げようとした」
「だけど、そうさせるわけにはいかなかったの」女が僕の肩をぎゅっと握り、声を振り絞るようにして答えた。
「あなたは、これから自分自身で人生に意味を見出ださなくちゃならない。そうでしょう?」
「随分と手厳しいんだな」僕は頭を掻き、少しため息をつく。
「無意味な世界なんてないのよ」女は念を押すようにして、僕に言う。
僕は手元にあった小石に触れ、それをそっと掴む。そして、腕を大きく振り、小石を海の遥か彼方へ投げる。
「君は意思が強いからな」僕は小石が飛んでいくのを見届けながら、女に言った。
「父さんと母さんは、何処か壊れていた。父さんは飲んだくれて僕を脅しつけ、母さんは僕に勉強させるために猫を捨てた。
僕は2人に色々な感情を抱いた。散々に怖がり、憎み、そして愛した。
誰も知らないような、ごく小さな世界だった。だけど、それが僕にとっては全てだった」
「だけど、ある日僕はその全てを失ったんだ」僕は海を眺め、水平線が揺らぐのをじっと見る。
「父さんとトランプゲームをしたリビング。母さんに見守られながら、毎日向き合った勉強机。
2人を失ってから、見慣れた家はまっさらに片付けられて、僕は親戚に引き取られた」
「馴染めるはずもなかったよ」僕は口元を歪め、女に向かって笑った。
「酒の臭いのしないリビング。落書き一つない、あまりにも綺麗な勉強机。もう面影は何処にもなかった」
「僕が僕である必要は、何処にもなかったんだ」僕はそっと立ち上がり、また遠くを眺める。
「自分を捨てるのは、そう遅くなっかった」
小学校から高校時代まで忘れ去られた、僕の記憶。
その間に何をしていたのか、今では思い出すことすらできない。
「捨ててしまったものは」女がゆっくりと立ち、僕の肩を何度か叩く。
「もう一度見つければいいの」
「果たして叶うかな」僕は肩をすくめる。
「あなたなら、きっとできるわ」
女の顔に、日光が当たる。女の肌が艶めき、僕はその柔らかな色に目を留める。
「きっとね」
女は僕の前を歩き、崖先で足を止める。
そうしてこちらを向き、両手を大きく広げる。
「これで最後よ」
女は踊るようにして片足を浮かせ、海の方へもたれる。
僕は素早く手を伸ばし、女の腕を掴みかける。しかし、女はそれを振り払い、にこりと笑う。
「大丈夫。今のあなたなら、私がいなくてもきっと上手くいくわ」
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