崖先の住人

九時木

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7章: 離隔

60. 施錠

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 午後10時を回った部屋で、勉強机の明かりだけが付いている。
 辺りは静まり返っている。少年は相変わらず机の前でうとうとし、勉強を続けていた。 


 「そろそろ寝る時間なんじゃないか」

 僕は床に座り込んだまま、少年に告げる。しかし、僕の声は届かない。
 少年は半分閉じた目で、教科書のページをめくる。ペラペラとした音が部屋に響く。

 少年があくびをし、ついに目を閉じる。そのまま机に顔を伏せ、眠りにつく。
 僕は大きくため息をつき、少年の顔を覗き込んだ。どうやら限界点に達したようだ。

 少年はすやすやと眠っている。「ベッドで寝ろよ」と言ってみたが、聞こえるはずもなかった。


 ふと、ドアを開ける音がする。母親の気配を感じ、僕は急いで物陰に隠れた。
 案の定、部屋に入ってきたのは母親だった。母親はそのまま少年のもとへ歩み、眠っている様子を見た。

 母親は何をすることもないまま、その場で突っ立っている。僕は母親を伺うようにして、少し物陰から顔を出した。

 「ここで寝ないのよ」母親は少年の肩を揺すり、起こそうとする。
 少年はなかなか起きない。腕に顔を埋めたまま、何やらぶつぶつと寝言を言っていた。

 「母さんは」少年が眠ったまま、ぽつりと呟く。

 「いつも寂しそうだ」

 「父さんがいなくなってから」少年がそう言った瞬間、母親は手の動きを止めた。

 「母さんは、ほとんど話さなくなってしまった」

 「僕はどうすればいいんだ?」少年は目を閉じたまま、悩ましげな声で独り言を言う。
 少年の言葉に、僕は身を固める。


 父親の死。偶然にも、それは僕の境遇と一致する。
 僕は部屋を見渡す。辺りには見覚えのある本棚、タンス、そしてベッドがある。
 色褪せた僕の家具。数十年前の、僕の部屋。

 僕は顔を上げる。少年のそばに立つ母親の顔が、机の照明に照らされ、あらわになる。

 長い黒髪をした、僕の母さん。落窪んだ目の下に、疲れきった眼差し。
 母さんが僕をぼんやりと眺めている。母さんは何も言わず、そのまま部屋を後にする。


 ドアをカチャリと閉める音が、短く鳴る。僕はその場に座り込み、口元を抑える。
 僕は吐き気を催し、地面に頭を付ける。何度か呻き声を上げ、胃の不快感を吐き出そうとその場でもがく。

 吐き気を感じながら、僕は立ち上がり、床を這うようにしてドア前に移動する。
 そうして、ドアノブに手をかけ、施錠を試みる。しかし、手がドアノブをすり抜け、何度試しても触れられない。

 「かかれよ」僕はほとんど焦燥感を隠さず、ドア前で手を忙しなく動かす。

 「鍵がかからないと、駄目なんだ」


 その記憶は、まるでその時を待っていたかのようにフラッシュバックする。
 僕はその記憶に鍵をかける。だが、いくら試しても鍵はかからない。
 記憶はこじ開けられ、川のようになだれ込む。無意識の力は自力ではコントロールできない。

 少年は何も知らないまま、机で寝息を立てている。僕は少年の方を振り返り、「二度と起きるな」と言う。

 「二度と起きるな。悪夢が待ってる」 
 
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