崖先の住人

九時木

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6章: 回想

50. エス残し

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 「なかなか出来た面をしているじゃないか」

 エスが僕の顔をじっと覗き込みながら言う。
 鼻血が顎を伝い、地面に滴り落ちる。僕は血液から目を離し、エスを見返した。

 「手枷を解いてくれないか。手がちぎれそうなんだ」

 僕の言葉に、エスが目を光らせる。何か企んでいるような目つきだ。

 「そう焦るなよ」エスは呑気な様子で、僕に返す。

 「お前はここが夢の中だとわかっている。そうだろう?」

 エスは地下室の隅から椅子を引き、背もたれを表にして僕の目の前に座った。


 「お前は既に自由の身だ」エスは両手を拘束された僕を眺めながら、静かに言う。

 「俺が解く必要は何処にもない」

 「言動がまるで一致しないな」僕は拘束の事実を突きつけるようにして、両手の鎖を揺らす。

 エスはくつくつと愉快げに笑う。僕はエスからトド頭に視線を移し、相手を睨んだ。
 トド頭は忙しなく拳に息を吹きかけ、僕の血を乾かしている。僕はため息をつき、エスに尋ねた。


 「また僕の目を抉るつもりか」

 「そうしてほしけりゃ、してやるさ」エスはトド頭を一瞥し、合図を送る。
 トド頭は地下室から退出した。一分後、トド頭ら酒缶を抱えて戻り、そのうちの一つをエスに渡した。

 エスが缶のタブを開け、くいと酒を呷る。トド頭も続いて一気に飲み、甘ったるいにおいが地下室に漂う。

 「だが、単に抉るのはつまらない。わかるだろう」エスは酒缶を片手に、僕に言う。

 「迷路は単純なものよりも、複雑な方が愉快だ。俺はその中で何時間もうろつくような、滑稽な野郎が見たい。
 前に言っただろう。一瞬で夢が叶うような出来事は退屈だって」


 エスはゆっくりと立ち上がり、辺りをふらつく。
 そうしてまた酒を呷ったかと思うと、ふいに言葉を発した。

 「人生にはゲームが必要だ。スリルを味わうためのゲームさ。どうだ、ここで一度『エス残し』をしようじゃないか」

 エスが空になった酒缶を地面に置き、勢いよく蹴飛ばす。
 酒缶が激しく音を立てて隅へと転がり、トド頭の足元で止まった。

 「お前は今、大事なことを思い出せない。そう、トド頭の正体を知らないんだ。
 だが、もし『エス残し』で俺たちに勝てば、お前にトド頭の正体を教えてやる。もし負ければ……」

 「負ければ?」僕は恐る恐る続きを尋ねる。

 「トド頭に全てを任せる。俺としては、血反吐を吐いて、薬作りの奴隷になることが望ましいが。お前の方はどうかな?」

 エスがトド頭の方を振り向き、意見を伺う。
 トド頭はこくりと頷き、同意を示す。

 エスの言葉に、僕はぞっとする。
 要は、『血の錠剤』を作るために、僕から永久に原料の血を搾取するというわけだ。
 悪夢の中の悪夢。僕は唾を飲み、頭に浮かんだ疑問を口にする。

 「拒否権は?」

 「ない。ある方が不自由だ」

 滅茶苦茶なことを言ってくれるものだ。僕は黙りながら、エスを睨みつける。

 「言っただろう。生半可なやり方じゃ、何一つ確かな答えは見出だせないって」僕の視線に気がついたエスが、諭すような口調で返す。


 僕らが顔を向き合っている間に、トド頭がテーブルを僕の前に移動させた。
 テーブルの上には、トランプカードと数個のクリップスタンドが置かれている。

 エスがトランプカードを手にし、素早くシャッフルする。
 そうして、シャッフルしたカードを3人に配り、僕の分は2人に見えないようにクリップスタンドに挟んだ。

 「どれを引くかは、言葉で説明するといい」エスは両手を拘束されたままの僕に向かって言う。
 どうやら、僕は両腕が解かれないままゲームをするらしい。僕は大きくため息をつき、自分のカードを見た。
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