崖先の住人

九時木

文字の大きさ
上 下
35 / 72
4章: 追走

35. 頂上

しおりを挟む
 「いい景色だろう」

 男がその場でしゃがみ、都会のビルを見下ろす。
 僕は男の足元でぴたりと止まった目玉を眺めながら、男に尋ねた。

 「この場所は何なんだ?」

 男は無言のまま、こちらをじっと見つめる。
 冷たい夜風が吹きつけ、僕は身震いする。

 しばらくの沈黙の後、男がふと口を開いた。

 「お察しのはずだぜ。錠剤を降らせるための配管だ」

 「空にこんなものを作るなんて、信じられない」

 「それが叶うのが、この場所なのさ」

 男がゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをする。
 まるで強風をものともしていないようだ。男は下を見下ろしたまま、僕に訊いた。


 「お前はこの世界を気に入ったか?」

 「血を弄ぶなんて、悪趣味だ。気に入るはずがないだろう」僕は咎めるようにして男に言う。

 「どうやら、構造は理解したみたいだな」

 男がにやりと笑い、片足を軽く浮かせる。
 男の片足が配管から離れ、宙に浮く。僕は鼓動が速まるのを感じながら、その様子を見ていた。


 「ピエロが言っていた。君は、僕を『解放』しようとしているらしいじゃないか。
 だけど、そんなのは大きなお世話だ。僕は君に主導権を譲るつもりはない」

 僕は男に向かって主張する。男は黙ったまま、足を左右にふらつかせていた。
 僕が咎めるような視線を向けると、男が声を出して笑った。

 「自由を楽しめよ」

 男が足を元に戻し、目玉をつま先でつつく。
 「止めろ」僕は震え声で男に言う。

 「良い論文ものを書きたいなら」男が目玉を弄びながら、続きを話した。

 「もっとスリルが必要だ」


 「一つ、ゲームをしようじゃないか」男が目玉に足を乗せながら、声を張り上げた。

 「俺は今から目玉を落とす。お前はそれを拾う。無事拾うことができれば、お前は現実世界に戻れる。
 だが、捕まえなければ、お前は永遠に夢の中だ。血の巡るこの世界で、下界の獣どもと同じように薬の奴隷になる」

 「まさか」僕の額から、汗が滲み出る。

 「目玉は地上450メートルから、真っ逆さまに落ちる。見逃すなよ。下に落ちれば落ちるほど、速度は速くなるぜ」

 「待てよ」僕はほとんど懇願するようにして言う。

 「お前の論文は」男が景色を一望し、僕に言った。

 「心に深く根付いたものを探ろうとしている。生半可なやり方じゃ、何一つ確かな答えは見出だせない」

 「だからと言って、こんな滅茶苦茶なやり方はないじゃないか」

 「世の中で一番つまらないものは」男がビルを見下ろしがら、話を続ける。

 「一瞬で夢が叶っちまうような出来事だ。近頃のお前は薬漬けの生活に浸っているが、それにはまるで創造性がない。

 麻酔を打たれた豚になりたきゃ、そうすればいい。だが、豚になった所でできることと言えば、毎日同じ紙くずを食い散らすことくらいだ」

 男が目玉を軽く蹴る。目玉は配管のすれすれまで転がり、落ちる寸前でふらつく。
 「止めてくれ」。僕は配管に両手をつき、必死に目玉に手を伸ばす。

 「止めてほしければ」男は僕の目の前でしゃがみ込み、僕をじっと見下ろした。

 「目玉を追ってみろ。そいつはお前よりも、ずっと正直で愉快だぜ」

 これは夢だ。僕は地面に頭を付け、目をつむる。
 夢だとわかっていても、恐怖心が拭えない。
 目を開け、ビルに目を落としてみるが、その景色は現実世界のそれと何ら変わりがない。


 「楽しませてくれよ」男が僕の肩に手を置き、にやりと笑う。
 男が立ち上がり、目玉にかかとを当てる。次の瞬間、男は真下に向かって目玉を蹴飛ばした。

 僕は顔を背け、その場でうずくまった。
 だが直後、体に蹴られたような衝撃が走った。

 次に目を覚ますと、僕はもう配管の上にはいなかった。
 すぐそばでは、目玉が急降下している。つまるところ、僕に選択肢など与えられていなかったのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

(完結)私の夫は死にました(全3話)

青空一夏
恋愛
夫が新しく始める事業の資金を借りに出かけた直後に行方不明となり、市井の治安が悪い裏通りで夫が乗っていた馬車が発見される。おびただしい血痕があり、盗賊に襲われたのだろうと判断された。1年後に失踪宣告がなされ死んだものと見なされたが、多数の債権者が押し寄せる。 私は莫大な借金を背負い、給料が高いガラス工房の仕事についた。それでも返し切れず夜中は定食屋で調理補助の仕事まで始める。半年後過労で倒れた私に従兄弟が手を差し伸べてくれた。 ところがある日、夫とそっくりな男を見かけてしまい・・・・・・ R15ざまぁ。因果応報。ゆるふわ設定ご都合主義です。全3話。お話しの長さに偏りがあるかもしれません。

パワハラ女上司からのラッキースケベが止まらない

セカイ
ライト文芸
新入社員の『俺』草野新一は入社して半年以上の間、上司である椿原麗香からの執拗なパワハラに苦しめられていた。 しかしそんな屈辱的な時間の中で毎回発生するラッキースケベな展開が、パワハラによる苦しみを相殺させている。 高身長でスタイルのいい超美人。おまけにすごく巨乳。性格以外は最高に魅力的な美人上司が、パワハラ中に引き起こす無自覚ラッキースケベの数々。 パワハラはしんどくて嫌だけれど、ムフフが美味しすぎて堪らない。そんな彼の日常の中のとある日の物語。 ※他サイト(小説家になろう・カクヨム・ノベルアッププラス)でも掲載。

処理中です...