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3章: 奔走
23. 議論
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暗闇の中で、目玉が先へ先へと転がっていく。僕は目玉を追いかけている。
あの男の仕業だ。また、やつが僕の目を抉ったのだ。
「もし目を覚ましたいなら、自分の目を取り戻すことだな」
男はそう言って、まもなく暗闇の中へと消えた。
僕は血塗れの片目を手で押さえながら、目玉のもとへ駆けつける。
しかし、目玉は止まってはくれない。球体のそれはころころと軽やかに転がり、下り坂があるわけでもないのに前進する。
僕は息を喘がせながら、ひたすら目玉を追いかけた。
目玉は血を引きずるようにして、地面に跡を残す。最悪、見失っても居場所はわかるかもしれない。
だが、僕は無我夢中で目玉を追った。早く目を覚ましたかった。
しばらく走り続けていると、目の前にアーチが現れた。
見上げると、アーチにはネオンサインでこう書かれていた。
『心理学市エス区1番地』
目玉がアーチをくぐり抜けたので、僕も急いで後を追った。
アーチを通過すると、景色が一変した。
まるで夜の繁華街のようだ。左右にはビルが立ち並び、無数の看板が煌めいている。
通りは人混みで溢れ返り、肩に通行人がぶつかる。
ちらと見てみたが、通行人には顔がない。黒いスーツを着たまま、忙しなく去っていく。
僕が呆然と立ち尽くしている間に、目玉は人々の足元を素早くすり抜ける。
地面には血痕が残っていたが、通行人にかき消され、目玉の姿が見当たらなくなってしまった。
僕は慌てて通行人を避け、人の少ないスポットに脱出したが、すっかり目玉を見失ってしまった。
『長居しすぎていると、ここが夢の世界か現実の世界か、わからなくなってしまうのよ』
ふと、誰かが言った言葉が脳裏をよぎる。
僕の顔から、一粒の汗が垂れ落ちる。
早く目玉を見つけなければならない。
自力で探すのは困難だ。周辺の人々から、目玉の目撃者を探すしかないだろう。
「すみません」
僕は近くにいた、2人の男に話しかけた。
「この辺りで、目玉を見かけませんでしたか?」
どうやら聞こえなかったらしい。もう一度話しかけてみるが、2人の男は議論に夢中になっているようだった。
男たちは、「エスは上だ」、「いや下だ」と何やらわけのわからない話をしている。
耳を澄ませてみると、こんな声が聞こえた。
「俺は知ってるぞ。エスはイデア界にいる。
俺たちは、バーで酒を飲むエスの姿をいつも見かけるが、それは仮の姿に過ぎない。本当のエスは、俺たちには認識できないんだ」
「君、それは間違いだよ。バーで酒を飲むエスこそ、真なるエスの姿だ。君は彼の本質をイデアと呼ぶが、それは形相の他ならない」
長髭をたくわえた男たちは、黒いTシャツ姿で、エスについて話していた。
短身の男は人差し指で上を指し、長身の男は手のひらを下に向けている。
僕は「お尋ねしたいのですが」と何度も声を掛けたが、徒労だった。
2人は議論に熱中しており、こちらの声が全く聞こえていないようだった。
僕は諦め、2人の後を去ろうとしたが、その時、短身の男に声をかけられた。
「エスはイデア界にいる。お前さんはそう思うよな?」
「どうでしょう」、と苛立たしげな僕。
「お前さんは、こんな例えを知っているな。
ある人間が、洞窟に閉じ込められる。洞窟には光が差し込み、その人の影が映る。本人は、その影こそ本当の自分の姿だと思い込む」
「『洞窟の比喩』ですか」
「知っているじゃないか。俺が話しているのは、正にそれなんだ。
バーで酒を飲むエスは、一見本物のように見える。だが本当はそうじゃない。わかるだろう。俺たちはいつも、彼の幻影を見ているんだよ」
短身の男は、長身の男の方にくるりと向きを変えながら、相手を説得した。
すると、「君は何もわかってはいないな」と、話を受けた長身の男がため息をついた。
「バーで酒を飲むエスは、幻影などではない。彼の肉体は、形相を形作るための質料だ。
酒を飲むことが目的だとすれば、酒を飲むことを実現するのが質料だ。その2つが合成体された結果、バーで酒を飲む彼が現れるというわけだ」
「いい加減にしてくれませんか」
僕は2人に向かって、声を張り上げた。
「僕は目玉を探しているんです。お2人に声をかけたのは、そのためです。議論に付き合っている暇なんかない。だから、答えてください」
「目玉を見かけませんでしたか?」と、僕は言い、2人の男をじっと睨んだ。
2人の男は髭をいじりながら、一分も考え込んだが、ようやく答えを言った。
「目玉なら、あのバーに駆け込むのを見たよ」
僕はその言葉を最後まで聞き届けないまま、バーに向かって走った。とんだ足止めを食らったものだ。
あの男の仕業だ。また、やつが僕の目を抉ったのだ。
「もし目を覚ましたいなら、自分の目を取り戻すことだな」
男はそう言って、まもなく暗闇の中へと消えた。
僕は血塗れの片目を手で押さえながら、目玉のもとへ駆けつける。
しかし、目玉は止まってはくれない。球体のそれはころころと軽やかに転がり、下り坂があるわけでもないのに前進する。
僕は息を喘がせながら、ひたすら目玉を追いかけた。
目玉は血を引きずるようにして、地面に跡を残す。最悪、見失っても居場所はわかるかもしれない。
だが、僕は無我夢中で目玉を追った。早く目を覚ましたかった。
しばらく走り続けていると、目の前にアーチが現れた。
見上げると、アーチにはネオンサインでこう書かれていた。
『心理学市エス区1番地』
目玉がアーチをくぐり抜けたので、僕も急いで後を追った。
アーチを通過すると、景色が一変した。
まるで夜の繁華街のようだ。左右にはビルが立ち並び、無数の看板が煌めいている。
通りは人混みで溢れ返り、肩に通行人がぶつかる。
ちらと見てみたが、通行人には顔がない。黒いスーツを着たまま、忙しなく去っていく。
僕が呆然と立ち尽くしている間に、目玉は人々の足元を素早くすり抜ける。
地面には血痕が残っていたが、通行人にかき消され、目玉の姿が見当たらなくなってしまった。
僕は慌てて通行人を避け、人の少ないスポットに脱出したが、すっかり目玉を見失ってしまった。
『長居しすぎていると、ここが夢の世界か現実の世界か、わからなくなってしまうのよ』
ふと、誰かが言った言葉が脳裏をよぎる。
僕の顔から、一粒の汗が垂れ落ちる。
早く目玉を見つけなければならない。
自力で探すのは困難だ。周辺の人々から、目玉の目撃者を探すしかないだろう。
「すみません」
僕は近くにいた、2人の男に話しかけた。
「この辺りで、目玉を見かけませんでしたか?」
どうやら聞こえなかったらしい。もう一度話しかけてみるが、2人の男は議論に夢中になっているようだった。
男たちは、「エスは上だ」、「いや下だ」と何やらわけのわからない話をしている。
耳を澄ませてみると、こんな声が聞こえた。
「俺は知ってるぞ。エスはイデア界にいる。
俺たちは、バーで酒を飲むエスの姿をいつも見かけるが、それは仮の姿に過ぎない。本当のエスは、俺たちには認識できないんだ」
「君、それは間違いだよ。バーで酒を飲むエスこそ、真なるエスの姿だ。君は彼の本質をイデアと呼ぶが、それは形相の他ならない」
長髭をたくわえた男たちは、黒いTシャツ姿で、エスについて話していた。
短身の男は人差し指で上を指し、長身の男は手のひらを下に向けている。
僕は「お尋ねしたいのですが」と何度も声を掛けたが、徒労だった。
2人は議論に熱中しており、こちらの声が全く聞こえていないようだった。
僕は諦め、2人の後を去ろうとしたが、その時、短身の男に声をかけられた。
「エスはイデア界にいる。お前さんはそう思うよな?」
「どうでしょう」、と苛立たしげな僕。
「お前さんは、こんな例えを知っているな。
ある人間が、洞窟に閉じ込められる。洞窟には光が差し込み、その人の影が映る。本人は、その影こそ本当の自分の姿だと思い込む」
「『洞窟の比喩』ですか」
「知っているじゃないか。俺が話しているのは、正にそれなんだ。
バーで酒を飲むエスは、一見本物のように見える。だが本当はそうじゃない。わかるだろう。俺たちはいつも、彼の幻影を見ているんだよ」
短身の男は、長身の男の方にくるりと向きを変えながら、相手を説得した。
すると、「君は何もわかってはいないな」と、話を受けた長身の男がため息をついた。
「バーで酒を飲むエスは、幻影などではない。彼の肉体は、形相を形作るための質料だ。
酒を飲むことが目的だとすれば、酒を飲むことを実現するのが質料だ。その2つが合成体された結果、バーで酒を飲む彼が現れるというわけだ」
「いい加減にしてくれませんか」
僕は2人に向かって、声を張り上げた。
「僕は目玉を探しているんです。お2人に声をかけたのは、そのためです。議論に付き合っている暇なんかない。だから、答えてください」
「目玉を見かけませんでしたか?」と、僕は言い、2人の男をじっと睨んだ。
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「目玉なら、あのバーに駆け込むのを見たよ」
僕はその言葉を最後まで聞き届けないまま、バーに向かって走った。とんだ足止めを食らったものだ。
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