崖先の住人

九時木

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2章: 没入

15. 人影

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 水槽の中で、ちぎれたヒレが漂っている。
 男と僕は、血まみれになった2匹の魚を眺めながら、酒を呷っていた。

 「いい勝負だ」

 男は椅子の背にもたれかかり、魚がつつき合う様子を観察している。
 赤い海水は、魚の血でさらに赤く染まり、まるで顔料を混ぜ込んだかのように濃くなっていた。

 「どっちが勝つかな」

 水槽の前で酒のドミノを作りながら、僕は男に尋ねた。
 一体、何杯酒を飲んだかわからなかった。その酒は、何度確かめてみても「アルコール分9パーセント」だったが、酔いを伝えなかった。
 その酒は水のように飲めた。「いい飲みっぷりだ」と男に言われたので、僕はますます気分が良くなっていた。


 僕が水槽を眺めていると、男が立ち上がり、海の水面をちらと見た。

 「今更魚を替えたって遅いよ」

 僕は小さく笑いながら、男に言った。
 しかし、男は水面下の魚をひたすら目で追っていた。
 
 「旋回しているな」

 男は独り言のように呟いた。僕は男の方を振り向き、「何だって?」と返した。

 「カラスウオは、海の異変によく気づく魚だ。こうやって旋回する時は、何かが起こる前触れなのさ」

 男はそう言い終えると、灯台の中に入っていった。
 しばらく待つと、男は肩に武器を背負ってやって来た。


 男はスナイパーライフルを手にしていた。
 肩から銃を下ろすと、水槽のすぐそばに座り込み、スコープを覗き込んだ。

 「物騒だな」

 僕は平気な振りをしながらも、スナイパーライフルに身を引いた。
 男は片目をつむったまま、「一応監視員だからな」と、ごく冷静に返した。

 僕はごくりと唾を飲み、スナイパーライフルを見た。
 異様に長いバレルは、海の遥か彼方に向かっていた。

 「敵でも来るのかい」

 「かもな。人影が見える。ありゃ女の影だ」

 男の言葉に、僕は思わず目を見開いた。

 「それって、本当に敵なのかな」

 「拳銃を手にしてる。馬鹿め。この距離で届くわけがない」

 何故だか、僕の脈がひどく速くなった。
 僕は前のめりになり、「見せてくれ」と男に言った。
 男はしかめ面をしながらも、僕にスナイパーライフルを寄越した。


 「まさか、お前の知り合いか?」

 「わからない。何処かで見たことがある気がする。でも、はっきりとは覚えていないよ」

 海に、一艘いっそうの舟が浮かんでいた。
 舟には、1人の女が座ったまま、こちらを見ている。
 女は拳銃を手にし、銃口をこちらに向けていた。


 僕は長い間、スコープを覗き込んでいた。
 男は何となく居心地が悪かったのか、突如僕から銃をもぎ取った。

 「忘れるなよ。俺の銃だ」

 「ごめん。人影が気になって」

 「引き金を引くかは、俺が決める」

 僕は男の言葉にヒヤリとした。
 「流石に撃たないよな」と、僕は口元を歪めながら笑ったが、男の目は真剣そのものだった。


 「待ってくれ。彼女は僕の知り合いかもしれないんだ」

 その言葉は真偽に関わらず、ほとんど反射的に出たものだった。
 男が、こちらに突き刺すような視線を向けた。

 「あいつは敵だ」

 「どうしてわかるのさ」

 「俺はあいつをよく知っている」

 僕は男を見た。男の目はこれまでにないほど鋭く光っており、僕の肌がひりついた。

 「撃っちゃだめだ。僕は話がしたい」

 「生ぬるい考えはとっとと捨てろ」

 「頼むよ」

 僕はスナイパーライフルの前に立ち、男をじっと見た。
 男は一瞬口を歪ませたが、銃は構えたままだった。

 水槽の中で、2匹の魚が忙しなく泳ぎ回っていた。
 男と僕が睨み合っているうちに、女の舟は灯台に近づいていた。
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