崖先の住人

九時木

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2章: 没入

13. 熱帯魚

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 男と僕は螺旋階段を降り、1階に戻った。
 階段を何周もしたせいで、僕は目が回っていた。
 僕が膝をつき呼吸を整えている間、男は隅の道具箱を手に取り、扉を開けた。

 「その道具箱は?」

 僕が尋ねると、男はにやりと笑った。

 「釣竿と餌が入ってる。これから使うんだ」

 「釣りをするのかい」

 「そうだな」

 男は「早く来いよ」と言い、扉を足で止めた。
 僕は体を起こし、ドアノブを掴んだ。
 男が足を離し、ドアが閉ざされていく。僕は外の臭いに顔をしかめながら、男に話しかけた。

 「この海でも、釣れる魚が?」

 「まあ、見てみろよ」

 男は合図として、足元の海に目をやった。僕はその視線の先を追い、海を確かめた。

 真っ赤な水面の近くで、小さな魚影がゆらゆらと揺れていた。
 目を凝らしてみると、魚は全体が真っ黒で、胸びれが羽のように伸びていた。


 「『カラスウオ』。俺は勝手にそう呼んでいる」

 男は道具箱から釣竿を2本取り出しながら、魚の説明をした。
 僕は海の方に前のめりになり、見た事のないその魚に釘付けになっていた。

 「気性が荒い魚でね。同種を見つけると、つついたりヒレをちぎったりして、相手をボロボロにしちまうんだよ」

 「闘争心が強いんだな」と、男は付け足した後、釣竿を僕の方へ放り投げた。
 僕は慌てて釣竿を掴み取り、男の方を見た。

 「この魚を釣るのか?」

 「そうだ。観賞用にすれば、結構見物だぜ」

 男は小さく笑いながら、釣り針に餌を付けた。
 僕は見よう見まねで、同じく団子のような餌を付け、糸を海の中に放り込んだ。


 「長く住んでいると」

 男が灯台下の堤防に座りながら、僕に話しかけた。

 「海を眺めているだけじゃ、暇になる。だから、釣った魚を水槽で戦わせて、見て楽しむんだ」

 男は釣竿を固定し、道具箱を開けた。
 道具箱からは、40センチの水槽が出てきた。男はその水槽を掴み、堤防で屈むと、一気に海水をすくい取った。

 「闘魚のようなものかな」

 「まあ、そんなところだな」

 僕は水面を観察しながら、男と話をしていた。
 水面には、カラスウオが次々と集まっていた。
 その魚は長い胸びれを羽のようにはためかせ、忙しなく餌の周りを回っていた。

 「食いつくまで、しばらく待っていろよ。竿先が深く入り込んだら、一気に引き上げるんだ」

 男は椅子にもたれかかりながら、僕に助言した。
 僕は揺れる竿先をじっと見ながら、時機を待った。


 「今だ」

 男の掛け声とともに、僕は釣竿に飛びつき、一気に引き上げた。
 カラスウオは重かった。水中まで深く潜り込み、無限大の記号を描くようにして暴れ回った。
 「早く引け」と男が促したので、僕は急いで竿を引き上げた。

 カラスウオが水中から飛び上がった。糸が宙を浮き、血飛沫のような水滴があちこちに飛び散った。

 「やるね」

 男は愉快そうに笑いながら、立ち上がった。
 そうしてカラスウオの口から針を取り、水槽の中に放り込んだ。
 カラスウオは楕円の平皿のような形をしており、ひらひらと胸びれを動かしながら水槽を泳ぎ回った。

 僕は顔をほころばせた。魚が釣れたことが、とても誇らしく思えた。

 「俺の魚とどっちが強いか、勝負しようか」

 見てみると、男の釣竿も先程と同じように揺れ動いていた。
 僕は胸が躍るのを感じながら、もう1匹の魚が釣れるのを待った。
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