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1章: 健忘
8. 看護師
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目が覚めると、僕はベッドの上にいた。
辺りを確かめようと首元を動かすと、激痛が走った。
手で首元に触れてみると、べっとりとした感触が伝わった。
血なまぐさい匂いが手から漂う。血は指を伝い、シャツへ一滴また一滴と落ちている。
これは夢なのだろうか。何だか意識が曖昧だ。
「目が覚めたようね」
真っ赤に染まった手をぼんやりと眺めていると、女の声が耳に入った。
何処か聞き覚えのある声だった。僕は女の姿を確かめようと、首を真横に動かそうとした。
しかし、その瞬間に女が命令するように言った。
「首を動かさないで」
僕は固まり、女の言葉に従った。
女の足音が近づいてくる。僕は自分の脈が乱れるのを感じながら、女に言った。
「君の仕業か」
「私じゃないわ」
女はきっばりとそう言い返すと、僕の顔を上から覗き込んだ。
女の長い黒髪が垂れ下がり、僕の頬に流れるようにして落ちた。髪の冷たい温度が肌に伝わった。
「息をしているのが奇跡なくらいね」
女の視線は僕の首元に向かっていた。僕は女の真っ黒な瞳を見ながら、女に尋ねた。
「僕の首は、今どうなっている?」
女は僕と目を合わせたが、何も言わなかった。
「首に触れた手に、血がついたんだ」
僕は段々と不安になり、女に再び話しかけた。
女はしばらく僕を黙って見ていたが、一分後にようやく口を開いた。
「動かすと、きっと死ぬわよ」
女がベッドに座り、布団にしわを作っている。
女は僕の首元に触れ、巻かれていた包帯を取った。
僕は自分の血が染み込んだ包帯を眺めながら、見知らぬ女に尋ねていた。
「ここが何処なのか、君は誰なのか、訊いてもいいかな」
女は新しい包帯をポケットから取り出し、僕の首元に巻き付けながら答えた。
「ここはあなたのかかりつけの病院。私はナース。以前、電話であなたと話をしたわ」
「あなたによると、薬を大量摂取したそうね」と付け加えた直後、女は包帯の余った部分をハサミで切り取った。
僕は女の持つ真っ赤な包帯に目を留めながら、女に返した。
「だけど、記憶がないんだ」
「過剰摂取の?」
「そう。気がついたら、僕はベッドの上にいた」
「今みたいにね」と僕が言い終えると、女はベッドから立ち上がり、包帯をゴミ箱に捨てた。
「ずいぶんうなされているようだったわ」
女は僕が眠っている間の様子を知っているらしかった。
僕は天井に目を移し、話を続けた。
「暴れていたかい」
「ええ。押さえるのに苦労したわ」
「しょうがない。悪夢を見たんだ」
「一体どんな夢かしら」と女が尋ねたので、僕は答えた。
「知らない男に襲われる夢だ」
僕がそう言うと、女は椅子に座り、そっと足を組んだ。
そうして「妙な夢ね」静かに返した後、窓に目をやった。
「煙草を吸ってもいいかしら」
女は窓を眺めながら、僕に訊いた。
僕は少し怯みながらも、「別に気にしないよ」と返した。
女はポケットから煙草とライターを取り出し、煙草に火をつけた。
見たところ、女のポケットからは何でも出てくるようだった。
「びっくりしたでしょう。ナースが病室で煙草を吸うなんて」
女は抑揚もなく、淡々と僕に話しかけた。
僕は何も答えず、天井を漂う煙を目で追っていた。
「でも、このことは誰も知らない。そう、あなた以外には」
女は煙草をくゆらし続けていた。煙草は香ばしくも刺激的で、息を吸う度に鼻がつんとした。
「ここは本当に病室なのかな」
僕は首を動かさないように気をつけながら、女に言った。
女は椅子に座ったまま、煙を長く吐いた。
しばらく待ったが、女は何も話さなかった。僕の方は釈然とせず、ただ無数の穴が開いた天井を眺めるばかりだった。
「はっきりさせてくれ。君は善い人なのか、それとも悪い人なのか?」
「わかるでしょう。それは愚問よ」
女は間髪入れず僕の問いに答えた。僕は首を横に振りたかったが、そうすることはできなかった。
「これ以上混乱させるのはよしてくれないか。僕には何が何だかさっぱりなんだ」
僕はついに堪えきれず、女に向かって嘆いた。
これは夢なのだろうか。それとも現実なのだろうか。
意識が判断を遅らせている。僕の頭はますます混沌の渦へと呑まれていくようだった。
「考え過ぎてはいけないわ。具体的な想像は、今のあなたには毒にしかならない」
女はそう言うと、椅子から立ち上がり、僕の元へと再び歩み寄った。
女はベッドに座ると、僕の目を手で覆い、視界を真っ暗にさせた。
「ただ待つのよ」
女の声とともに、視界はますます暗くなっていった。僕は段々と自分の脈が早くなるのを感じた。
「ほとぼりが冷めるのを待つの」
女はまるで歌を歌うような口調で、僕に語りかけた。
僕は「君は何だかナースじゃないみたいだ」と言った。すると、女は悲しげな声で僕に返した。
「私はあなたの受け持ちなのよ」
辺りを確かめようと首元を動かすと、激痛が走った。
手で首元に触れてみると、べっとりとした感触が伝わった。
血なまぐさい匂いが手から漂う。血は指を伝い、シャツへ一滴また一滴と落ちている。
これは夢なのだろうか。何だか意識が曖昧だ。
「目が覚めたようね」
真っ赤に染まった手をぼんやりと眺めていると、女の声が耳に入った。
何処か聞き覚えのある声だった。僕は女の姿を確かめようと、首を真横に動かそうとした。
しかし、その瞬間に女が命令するように言った。
「首を動かさないで」
僕は固まり、女の言葉に従った。
女の足音が近づいてくる。僕は自分の脈が乱れるのを感じながら、女に言った。
「君の仕業か」
「私じゃないわ」
女はきっばりとそう言い返すと、僕の顔を上から覗き込んだ。
女の長い黒髪が垂れ下がり、僕の頬に流れるようにして落ちた。髪の冷たい温度が肌に伝わった。
「息をしているのが奇跡なくらいね」
女の視線は僕の首元に向かっていた。僕は女の真っ黒な瞳を見ながら、女に尋ねた。
「僕の首は、今どうなっている?」
女は僕と目を合わせたが、何も言わなかった。
「首に触れた手に、血がついたんだ」
僕は段々と不安になり、女に再び話しかけた。
女はしばらく僕を黙って見ていたが、一分後にようやく口を開いた。
「動かすと、きっと死ぬわよ」
女がベッドに座り、布団にしわを作っている。
女は僕の首元に触れ、巻かれていた包帯を取った。
僕は自分の血が染み込んだ包帯を眺めながら、見知らぬ女に尋ねていた。
「ここが何処なのか、君は誰なのか、訊いてもいいかな」
女は新しい包帯をポケットから取り出し、僕の首元に巻き付けながら答えた。
「ここはあなたのかかりつけの病院。私はナース。以前、電話であなたと話をしたわ」
「あなたによると、薬を大量摂取したそうね」と付け加えた直後、女は包帯の余った部分をハサミで切り取った。
僕は女の持つ真っ赤な包帯に目を留めながら、女に返した。
「だけど、記憶がないんだ」
「過剰摂取の?」
「そう。気がついたら、僕はベッドの上にいた」
「今みたいにね」と僕が言い終えると、女はベッドから立ち上がり、包帯をゴミ箱に捨てた。
「ずいぶんうなされているようだったわ」
女は僕が眠っている間の様子を知っているらしかった。
僕は天井に目を移し、話を続けた。
「暴れていたかい」
「ええ。押さえるのに苦労したわ」
「しょうがない。悪夢を見たんだ」
「一体どんな夢かしら」と女が尋ねたので、僕は答えた。
「知らない男に襲われる夢だ」
僕がそう言うと、女は椅子に座り、そっと足を組んだ。
そうして「妙な夢ね」静かに返した後、窓に目をやった。
「煙草を吸ってもいいかしら」
女は窓を眺めながら、僕に訊いた。
僕は少し怯みながらも、「別に気にしないよ」と返した。
女はポケットから煙草とライターを取り出し、煙草に火をつけた。
見たところ、女のポケットからは何でも出てくるようだった。
「びっくりしたでしょう。ナースが病室で煙草を吸うなんて」
女は抑揚もなく、淡々と僕に話しかけた。
僕は何も答えず、天井を漂う煙を目で追っていた。
「でも、このことは誰も知らない。そう、あなた以外には」
女は煙草をくゆらし続けていた。煙草は香ばしくも刺激的で、息を吸う度に鼻がつんとした。
「ここは本当に病室なのかな」
僕は首を動かさないように気をつけながら、女に言った。
女は椅子に座ったまま、煙を長く吐いた。
しばらく待ったが、女は何も話さなかった。僕の方は釈然とせず、ただ無数の穴が開いた天井を眺めるばかりだった。
「はっきりさせてくれ。君は善い人なのか、それとも悪い人なのか?」
「わかるでしょう。それは愚問よ」
女は間髪入れず僕の問いに答えた。僕は首を横に振りたかったが、そうすることはできなかった。
「これ以上混乱させるのはよしてくれないか。僕には何が何だかさっぱりなんだ」
僕はついに堪えきれず、女に向かって嘆いた。
これは夢なのだろうか。それとも現実なのだろうか。
意識が判断を遅らせている。僕の頭はますます混沌の渦へと呑まれていくようだった。
「考え過ぎてはいけないわ。具体的な想像は、今のあなたには毒にしかならない」
女はそう言うと、椅子から立ち上がり、僕の元へと再び歩み寄った。
女はベッドに座ると、僕の目を手で覆い、視界を真っ暗にさせた。
「ただ待つのよ」
女の声とともに、視界はますます暗くなっていった。僕は段々と自分の脈が早くなるのを感じた。
「ほとぼりが冷めるのを待つの」
女はまるで歌を歌うような口調で、僕に語りかけた。
僕は「君は何だかナースじゃないみたいだ」と言った。すると、女は悲しげな声で僕に返した。
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