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プロローグ 不思議な空間(2)
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足をケガしないよう、今度はすり足でゆっくりと進み、あすなろの木にたどりついた。
間近で見るあすなろの木は、思った以上に大きく、たくましい。
でも……。
「太い幹にくらべて、枝は細くて、やわそうだな。こんな木、のぼれるかな……」
「ねえ! ケンヂくん、いまどこお?!」
「いま、木をのぼってるとこ!」
いまさら、あきらめて帰るなんて、かっこ悪くてできない。
おれはあすなろの木の幹にしがみついて、上を見上げた。
「とりあえず、あの一番下の枝まで、ざっと三メートル。あそこより上は枝がたくさん生えているから……」
太い幹を両腕と両足でしっかりとかかえこみ、地面から足をはなした。
「よし。この木肌、ざらざらしているから、すべり落ちずに、なんとかのぼれそうだぞ」
手と足、交互に力をこめながら、上へ上へとむかう。
ようやく最初の枝に手をかけると、鉄棒でけんすいをするように、いっきに体を引っぱり上げて、枝の上に腰をおろした。
ふう……。
と、一息ついて見上げれば、次の枝は、もう手をのばしたさきにある。
ここまでくれば、あとはジャングルジムみたいなものだ。
おれは得意になって、すいすいとあすなろの木をのぼった。
しばらくすると、竹林のてっぺんから、とつぜん頭が抜けだした。
ぐんと視界がひろくなる。
「へえ。けっこう見晴らしいいじゃん、ここ」
目のまえに広がる、竹の葉の草原。
その草原をすべるように吹く風が、汗ばんだ顔をひんやりとなでる。
あすなろの木を見上げれば、幹はまだ上へ上へとのびている。しかし、このさきはのぼらないほうがいいだろう。幹から生えた枝が、もうずいぶんと細くなっているのだ。
おれは幹にしがみつきながら、ぎしぎしと音をたててしなる枝の上で、慎重に立ち上がった。
「うわあ……」
竹林は、この一本のあすなろの木をさかいに終わりをみせ、そこからさきは、急な山肌をくだる斜面に杉林がつづいている。
そして眼下には、宝石箱をひっくりかえしたような街の光が、一面に広がっていたのだ。
満月は西の空の低いところにあるから、あと数時間で夜が明けるはず。
それでも週末ということもあってか、手前にある住宅街の灯りは、いまだぽつぽつと輝き、線路のむこうには、きらびやかな街の灯りが広がっている。
まるで打ちよせる波のように、光りの群れが、この山のふもとに迫ってくるように見えた。
「ケンヂくん!」
サトミの声に、おれは我に返った。
「いっけね。あんまり景色がいいもんだから、目的を忘れるところだった」
サトミのいる屋敷のほうへふり返ると、懐中電灯のまぶしい光が目に飛びこんできた。
おれは大きく手をふり、その手で自分の右側を指をさした。
懐中電灯の光を反射する、不思議な空間があるところ。
まぶしかった光が、ついっと移動する。
そのときだった。
とつぜん光が、なにもないはずの空間で反射したのだ。
思わず息をのんだのも、無理はない。
その『透明な物体』は、おれのすぐ目のまえにあったのだから。
ガラスのように透きとおる巨大な物体の一部が、懐中電灯の光に照らされ、ゆるやかなカーブを描く輪郭《りんかく》を、ぼんやりと暗闇に浮かび上がらせている。
手をのばせば、さわれそうなその物体に、おれの顔がうつっていた。
「なんだよ……これ」
そっとのばした指先が、透明な物体にふれる。
まるで水にでもふれたかのように、物体の表面に波紋が広がった。
うつしだされたおれの顔が、ゆらりゆらりとゆれている。
気のせいだろうか?
にやりと笑ったように見えたその口もとが、かすかに動いて見えたのは――。
のぞきこむように、その口もとを見つめていたとき、おれはたしかに聞いたんだ。
(オマエコソ、ダアレ……?)
「…………!」
驚きと恐怖で、全身に稲妻のような衝撃が走る。
おれは枝から足をふみはずし、うしろへ倒れるようにあすなろの木から落下してしまった。
まっさかさまに落ちながら、頭のなかでは、ただただ、物体にうつしだされた自分の顔と、その口から発せられた不可解な言葉が、壊れたレコーダーのように、くりかえし、くりかえし、再生されていた。
(オマエコソ、ダアレ……?)
(オマエコソ、ダアレ……?)
(オマエコソ、ダアレ……?)
なんだよ、いまの……。
でも、あの声、どこかで聞いたような……。
ふっと目のまえが暗くなる。
深い深い闇のなかへ、意識が落ちていく。
おれ、ここで死ぬのかな……。
なんで、こんなところにいるんだっけ……。
そうだ。サトミに泊まりに来るようにさそわれて……。
そして……。
間近で見るあすなろの木は、思った以上に大きく、たくましい。
でも……。
「太い幹にくらべて、枝は細くて、やわそうだな。こんな木、のぼれるかな……」
「ねえ! ケンヂくん、いまどこお?!」
「いま、木をのぼってるとこ!」
いまさら、あきらめて帰るなんて、かっこ悪くてできない。
おれはあすなろの木の幹にしがみついて、上を見上げた。
「とりあえず、あの一番下の枝まで、ざっと三メートル。あそこより上は枝がたくさん生えているから……」
太い幹を両腕と両足でしっかりとかかえこみ、地面から足をはなした。
「よし。この木肌、ざらざらしているから、すべり落ちずに、なんとかのぼれそうだぞ」
手と足、交互に力をこめながら、上へ上へとむかう。
ようやく最初の枝に手をかけると、鉄棒でけんすいをするように、いっきに体を引っぱり上げて、枝の上に腰をおろした。
ふう……。
と、一息ついて見上げれば、次の枝は、もう手をのばしたさきにある。
ここまでくれば、あとはジャングルジムみたいなものだ。
おれは得意になって、すいすいとあすなろの木をのぼった。
しばらくすると、竹林のてっぺんから、とつぜん頭が抜けだした。
ぐんと視界がひろくなる。
「へえ。けっこう見晴らしいいじゃん、ここ」
目のまえに広がる、竹の葉の草原。
その草原をすべるように吹く風が、汗ばんだ顔をひんやりとなでる。
あすなろの木を見上げれば、幹はまだ上へ上へとのびている。しかし、このさきはのぼらないほうがいいだろう。幹から生えた枝が、もうずいぶんと細くなっているのだ。
おれは幹にしがみつきながら、ぎしぎしと音をたててしなる枝の上で、慎重に立ち上がった。
「うわあ……」
竹林は、この一本のあすなろの木をさかいに終わりをみせ、そこからさきは、急な山肌をくだる斜面に杉林がつづいている。
そして眼下には、宝石箱をひっくりかえしたような街の光が、一面に広がっていたのだ。
満月は西の空の低いところにあるから、あと数時間で夜が明けるはず。
それでも週末ということもあってか、手前にある住宅街の灯りは、いまだぽつぽつと輝き、線路のむこうには、きらびやかな街の灯りが広がっている。
まるで打ちよせる波のように、光りの群れが、この山のふもとに迫ってくるように見えた。
「ケンヂくん!」
サトミの声に、おれは我に返った。
「いっけね。あんまり景色がいいもんだから、目的を忘れるところだった」
サトミのいる屋敷のほうへふり返ると、懐中電灯のまぶしい光が目に飛びこんできた。
おれは大きく手をふり、その手で自分の右側を指をさした。
懐中電灯の光を反射する、不思議な空間があるところ。
まぶしかった光が、ついっと移動する。
そのときだった。
とつぜん光が、なにもないはずの空間で反射したのだ。
思わず息をのんだのも、無理はない。
その『透明な物体』は、おれのすぐ目のまえにあったのだから。
ガラスのように透きとおる巨大な物体の一部が、懐中電灯の光に照らされ、ゆるやかなカーブを描く輪郭《りんかく》を、ぼんやりと暗闇に浮かび上がらせている。
手をのばせば、さわれそうなその物体に、おれの顔がうつっていた。
「なんだよ……これ」
そっとのばした指先が、透明な物体にふれる。
まるで水にでもふれたかのように、物体の表面に波紋が広がった。
うつしだされたおれの顔が、ゆらりゆらりとゆれている。
気のせいだろうか?
にやりと笑ったように見えたその口もとが、かすかに動いて見えたのは――。
のぞきこむように、その口もとを見つめていたとき、おれはたしかに聞いたんだ。
(オマエコソ、ダアレ……?)
「…………!」
驚きと恐怖で、全身に稲妻のような衝撃が走る。
おれは枝から足をふみはずし、うしろへ倒れるようにあすなろの木から落下してしまった。
まっさかさまに落ちながら、頭のなかでは、ただただ、物体にうつしだされた自分の顔と、その口から発せられた不可解な言葉が、壊れたレコーダーのように、くりかえし、くりかえし、再生されていた。
(オマエコソ、ダアレ……?)
(オマエコソ、ダアレ……?)
(オマエコソ、ダアレ……?)
なんだよ、いまの……。
でも、あの声、どこかで聞いたような……。
ふっと目のまえが暗くなる。
深い深い闇のなかへ、意識が落ちていく。
おれ、ここで死ぬのかな……。
なんで、こんなところにいるんだっけ……。
そうだ。サトミに泊まりに来るようにさそわれて……。
そして……。
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