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第2話 初めてのデート(1)
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両親が留守のあいだの食事は冷蔵庫に用意されていたけれど、おれは棚からカップラーメンを取りだして、ポットのお湯をそそいだ。
三分も待ちきれず、急いで腹のなかに流しこむ。もたもたしていたら、野次馬のヒロミたちに取りかこまれてしまう。
あせりながらも、なぜかいつもよりしっかり歯磨きを済ませて玄関をとび出すと、階段をかけ下り、団地の駐輪場にとめてある自転車にまたがった。
駅前の商店街を風のように走り抜ける。
この街は大きいとはいえないけれど、駅前にはそれなりにビルもあり、いろいろな店が軒を連ねている。しかし、いったん踏切を渡れば、線路をさかいに、最近、整地されたばかりの住宅用地が広がっていた。
まだ、ぽつぽつとしか建っていない、新築の家々のまえを通り過ぎると、わずかばかりに残された田園地帯が見えてくる。
ここまでくれば、もう街の喧噪は聞こえてこない。
踏切からまっすぐにのびる、この一本道は、つい先日、アスファルトで舗装されたばかりで、以前は砂利がしかれた農道だった。
杉林でおおわれた小高い月神山の中腹にある、月神山神社につづいている。
奈良時代からあるという古い歴史のある神社だけど、いまは小さなお社がぽつんとあるだけ。そのふもとには、山から湧き出た水が流れこむ、ひょうたん型の池をたたえた月神山親水公園がある。
子どもたちからは、ひょうたん池公園と呼ばれて親しまれていた。
梅雨あけの刺すような日差しが、まだ真新しい、黒々としたアスファルトの道に降りそそぎ、ゆらゆらとした熱気が立ちのぼる。
おれは自転車をこぎながらハンドルから両手をはなし、大きく深呼吸した。
見上げれば、きのうまでぐずついていた空がうそのように、青く澄みわたっている。
あせっていた気持ちが、すっと落ちついてきた。
「頼みたいことがあるって言ってただけじゃん。ちょっとおれ、自意識過剰かも」
ぽつりとひとり、つぶやいた。
そうだ。
ヒロミたちが騒ぎ立てるから、なんか勘違いしちゃったのだ。
べつにたいしたことじゃない。ただクラスメイトの頼みを聞くだけなのだから――。
そう思うと、なんだか楽しい気分になってきた。
自転車のペダルも、いつになく軽い。
「竹内サトミか……。なんとなく上品で、ヒロミたちとは全然、雰囲気ちがうよな」
六年生になるときにクラス替えをしてから、そろそろ四ヶ月。
べつにさけていたわけではないけれど、クラスで唯一、話したことがない女子だった。
頼みってなんだろう。きっと、お上品なお願いなんだろうな……。
いつのまにか鼻歌がとび出すほど、おれは上機嫌になっていた。
しかし竹内サトミの頼みは、そんなおれが想像もしなかった、いやクラスの女子たちですら想像できないほどに、大胆なものだった。
*
「ケンヂくん! こっちこっち!」
約束の時間より三十分も早く着いたのに、すでにサトミは公園にいた。
まっ白なワンピースに、青いリボンのついた、つばのひろい麦わら帽子をかぶって、ひらひらと手をふっている。
初夏の日差しが、公園を流れる小川にきらきらと反射して、麦わら帽子のなかのサトミの笑顔を照らした。
思わず笑顔で手をふり返したおれは、はっと我に返り、まじめな顔で手を引っ込めた。
勘違いするな! デートの待ち合わなんかじゃないのだから……。
「もう来てたんだ。まだ三十分もまえなのにさ」
ぼそりと、そっけなく、いたって冷静にーー。
「わたしからお願いがあるのに、待たせるわけにはいかないもの。ケンヂくんこそ、こんなに早く来てくれてありがとう」
「そりゃあ、そうだよ……」
おれは、あたりを見まわした。ヒロミたちは、まだ来てないらしい。邪魔が入らないうちに、さっさと話を済ませてしまおう。
ひょうたん池のふちにあるベンチにふたりですわると、さっそくおれから切りだした。
「で、頼みってなに?」
「うん、あのね……。ケンヂくん、きょうひとりで、お留守番なんでしょう?」
「ああ、やっぱり聞いてたんだ。タカシとの話」
「聞きたくなくたって、聞こえるよ。阿部くん、あんなに大きな声で話すんだもの。怖くないの? あんな怪談、聞かされてさ」
「平気平気、あんなの作り話だもの」
「そうなの!?」
「そうだよ。あいつ、みんなが注目するような話を、毎日あきもせず考えてくるんだ。将来、児童書作家にでもなればいいんじゃないかな。まあ、結局だれにも注目されないと思うけど……。それで、頼みっていうのは?」
「うん。ええとね、そのう……」
それからサトミは、麦わら帽子のつばに顔をかくしたまま、ずいぶん長いこと、もじもじとうつむいたままだった。
月神山が鳴いているのかと思うほど、やかましいセミの声があたりを包みこむ。
池のほとりに咲いている鳳仙花のまわりでは、二匹のモンシロチョウが、じゃれあいながら飛んでいた。
なんか、本当にデートしているみたいだな……。
そう思ったとたん、顔がぽおっと熱くなった。
ちらっと横目で見ると、いつのまにかサトミは、まっすぐおれを見つめていた。
あまりにもじっと見つめるものだから、おれは顔が赤くなっているのがバレたんじゃないかと、思わず両手でほおをかくした。
「な、なに?」
サトミはおれをじっと見つめたまま、思い切ったように言った。
「今夜、泊りにこない? わたしの家」
三分も待ちきれず、急いで腹のなかに流しこむ。もたもたしていたら、野次馬のヒロミたちに取りかこまれてしまう。
あせりながらも、なぜかいつもよりしっかり歯磨きを済ませて玄関をとび出すと、階段をかけ下り、団地の駐輪場にとめてある自転車にまたがった。
駅前の商店街を風のように走り抜ける。
この街は大きいとはいえないけれど、駅前にはそれなりにビルもあり、いろいろな店が軒を連ねている。しかし、いったん踏切を渡れば、線路をさかいに、最近、整地されたばかりの住宅用地が広がっていた。
まだ、ぽつぽつとしか建っていない、新築の家々のまえを通り過ぎると、わずかばかりに残された田園地帯が見えてくる。
ここまでくれば、もう街の喧噪は聞こえてこない。
踏切からまっすぐにのびる、この一本道は、つい先日、アスファルトで舗装されたばかりで、以前は砂利がしかれた農道だった。
杉林でおおわれた小高い月神山の中腹にある、月神山神社につづいている。
奈良時代からあるという古い歴史のある神社だけど、いまは小さなお社がぽつんとあるだけ。そのふもとには、山から湧き出た水が流れこむ、ひょうたん型の池をたたえた月神山親水公園がある。
子どもたちからは、ひょうたん池公園と呼ばれて親しまれていた。
梅雨あけの刺すような日差しが、まだ真新しい、黒々としたアスファルトの道に降りそそぎ、ゆらゆらとした熱気が立ちのぼる。
おれは自転車をこぎながらハンドルから両手をはなし、大きく深呼吸した。
見上げれば、きのうまでぐずついていた空がうそのように、青く澄みわたっている。
あせっていた気持ちが、すっと落ちついてきた。
「頼みたいことがあるって言ってただけじゃん。ちょっとおれ、自意識過剰かも」
ぽつりとひとり、つぶやいた。
そうだ。
ヒロミたちが騒ぎ立てるから、なんか勘違いしちゃったのだ。
べつにたいしたことじゃない。ただクラスメイトの頼みを聞くだけなのだから――。
そう思うと、なんだか楽しい気分になってきた。
自転車のペダルも、いつになく軽い。
「竹内サトミか……。なんとなく上品で、ヒロミたちとは全然、雰囲気ちがうよな」
六年生になるときにクラス替えをしてから、そろそろ四ヶ月。
べつにさけていたわけではないけれど、クラスで唯一、話したことがない女子だった。
頼みってなんだろう。きっと、お上品なお願いなんだろうな……。
いつのまにか鼻歌がとび出すほど、おれは上機嫌になっていた。
しかし竹内サトミの頼みは、そんなおれが想像もしなかった、いやクラスの女子たちですら想像できないほどに、大胆なものだった。
*
「ケンヂくん! こっちこっち!」
約束の時間より三十分も早く着いたのに、すでにサトミは公園にいた。
まっ白なワンピースに、青いリボンのついた、つばのひろい麦わら帽子をかぶって、ひらひらと手をふっている。
初夏の日差しが、公園を流れる小川にきらきらと反射して、麦わら帽子のなかのサトミの笑顔を照らした。
思わず笑顔で手をふり返したおれは、はっと我に返り、まじめな顔で手を引っ込めた。
勘違いするな! デートの待ち合わなんかじゃないのだから……。
「もう来てたんだ。まだ三十分もまえなのにさ」
ぼそりと、そっけなく、いたって冷静にーー。
「わたしからお願いがあるのに、待たせるわけにはいかないもの。ケンヂくんこそ、こんなに早く来てくれてありがとう」
「そりゃあ、そうだよ……」
おれは、あたりを見まわした。ヒロミたちは、まだ来てないらしい。邪魔が入らないうちに、さっさと話を済ませてしまおう。
ひょうたん池のふちにあるベンチにふたりですわると、さっそくおれから切りだした。
「で、頼みってなに?」
「うん、あのね……。ケンヂくん、きょうひとりで、お留守番なんでしょう?」
「ああ、やっぱり聞いてたんだ。タカシとの話」
「聞きたくなくたって、聞こえるよ。阿部くん、あんなに大きな声で話すんだもの。怖くないの? あんな怪談、聞かされてさ」
「平気平気、あんなの作り話だもの」
「そうなの!?」
「そうだよ。あいつ、みんなが注目するような話を、毎日あきもせず考えてくるんだ。将来、児童書作家にでもなればいいんじゃないかな。まあ、結局だれにも注目されないと思うけど……。それで、頼みっていうのは?」
「うん。ええとね、そのう……」
それからサトミは、麦わら帽子のつばに顔をかくしたまま、ずいぶん長いこと、もじもじとうつむいたままだった。
月神山が鳴いているのかと思うほど、やかましいセミの声があたりを包みこむ。
池のほとりに咲いている鳳仙花のまわりでは、二匹のモンシロチョウが、じゃれあいながら飛んでいた。
なんか、本当にデートしているみたいだな……。
そう思ったとたん、顔がぽおっと熱くなった。
ちらっと横目で見ると、いつのまにかサトミは、まっすぐおれを見つめていた。
あまりにもじっと見つめるものだから、おれは顔が赤くなっているのがバレたんじゃないかと、思わず両手でほおをかくした。
「な、なに?」
サトミはおれをじっと見つめたまま、思い切ったように言った。
「今夜、泊りにこない? わたしの家」
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