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第1章 萌の部屋にいたものは

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「おれは……、おれには、もえだけが誇れる宝物なんだ! もえはおれの存在価値そのものなんだ! おれが大人の男として、唯一認められるあかしが、たった一人の娘、もえなんだ!」

 しかし、美玲みれいちゃんはまったくづくことなく、もえちゃんの父親の目をまっすぐに見つめ返して言った。

「そんな自分勝手な価値観、もえに押し付けないで。
 誇れるものは自分一人で作り上げてください。
 いつかそれをもえや、もえのお母さんに見せつけて、父親としての立ち場を取り戻してください。
 ……もえのためにも!」

 美玲みれいちゃんの言葉に顔をゆがめ、その場に泣き崩れるもえちゃんの父親。
 その肩に、美玲みれいちゃんは、そっとやさしく手を置いた。

「あなたならできます。だってもう、その一歩踏み出しているんだから……。
 あなた自身が、もえの誇れる宝物になれるよう、努力してください」

 そのとき、金色に輝く夕日がドアから差し込んだ。
 薄暗かった部屋に、まぶしいほどの光がりそそぐ。

 ぼくはまぶしさに目を細めながらだけど、そのときのふたりの姿は、目に焼き付いて忘れられない。

 逆光を背にしながら、もえちゃんの父親に手を差しのべる美玲みれいちゃん。


 その姿はまるで、天使みたいだったんだ。




もえちゃんのパパさんが、あのお化けの正体だったんだね。薄い気配って言ってたのは、本物のお化けじゃなかったからなの?」

 もえちゃんの父親のアパートからの帰り道。
 すでに藍色に染まった空には、一番星が輝いていた。

「そう。りょうといって、本人も気が付かないうちに、強い感情が相手のもとに現れてしまう現象なの。
 もえのお父さんの場合、もえのお母さんには苦手で会いたくない。でももえには会いたくて仕方がない。心配で見守っていたいし、でも本当は、自分が一人前の大人としての証である一人娘のもえを、誰にも奪われたくない……。
 そんな自分勝手でゆがんだ感情が生み出した、お化けモドキね」

「お、お化けモドキであんなに強いなら、本物のお化けって、たいそう強いんだろうね……」

 美玲みれいちゃんの頭の上でぶるっと震えながら、ぼくはたずねた。
 もちろん武者震い。怖くて震えたわけじゃないよ!

「そりゃあ、死んでもなお、強い思いが残っているから、お化けになるわけだからね。怒りだったり、悲しみだったり、悔しいって感情がけっこう多いかな……。
 不思議なのはあんたよ。まるで強い感情が感じられないのよね。ま、そこがかわいいんだけど」

 かわいいなんて、さらっと言われて、ぼくは言葉を失ってしまった。
 顔じゅう毛だらけの猫でよかったよ。

 人間だったら、ゆでダコのように真っ赤に染まった顔がバレちゃうからね。




 数日後、もえちゃんのお母さんが出版している雑誌に、センター見開きで大きく天使のイラストが掲載された。それは真っ黒な天使のシルエットだけど、体中から金色の光を発しながら人間に手を差しのべている、とても不思議で美しいイラストだった。

「この天使ステキね。なんとなく心に影を宿した悲しそうな天使だけど、なぜかとっても温かみを感じるわ」

 ベッドに寝転びながら雑誌のイラストを眺めている美玲みれいちゃん。
 その天使のモデルが、自分のことだと知ってか知らずか、そんなことをつぶやいて、そのままうたた寝してしまった。

 ぼくは、ベッドの上に開かれた雑誌のイラストをのぞきこんで思う。
 この天使のかたわらにいる小さな影は、もしかしてぼくだろうか?


 猫の形ではなく、人の形をしている、この影は……。 


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