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第13章 麦わら帽子
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しおりを挟む「とっても簡単だわ!」
すでにメグルは『魔捕瓶』を構えていた。
「この世に不法に存在する罪深き者よ。十層界の法を犯す者よ……」
呪文を唱え始めたとたん、突如ガラスを引き裂くような音が理科室中に響き渡り、メグルの目の前で『魔捕瓶』が砕け散った。
飛び散るガラス片に目をつぶり、再びまぶたを開けたその刹那。サヤカの姿が消えたことに気付いたメグルは、とっさにマントをひるがえした。
瞬間、突き刺さるように、メグルの居た場所にサヤカが降ってきた。
落雷のような激しい衝撃音とともに、旧校舎が大きく揺れる。
サヤカの背後、理科室の一番うしろに瞬間移動していたメグルは、自身に降りかかったであろう光景を目にして息をのむ。
屈み込むサヤカの腕が床に突き刺さり、その腕を中心に、床一面に広がる放射状の亀裂。
一瞬たりとも目が離せない――。
メグルは瞬きさえも堪えて、サヤカを凝視した。
窓の外のわずかな暮色に浮かぶ、ゆっくりと立ちあがるサヤカの後ろ姿。
その背中からは、黒い霧が噴き出していた。
それはざわざわとうごめきながら、サヤカの全身を這うように包み込み、真っ白だったワンピースを漆黒に染め上げる。
「わたしね、幼い頃から大事にしていた帽子があるの」
背中を向けたままのサヤカが、静かに口を開いた。
だらりと垂らした腕の先に、鋭く尖った爪が光る。
「青いリボンの付いた、かわいい麦わら帽子……。夏の暑い日に外に飛び出そうとするわたしを呼び止めて、いつもお母さんが被せてくれた。そのときのお母さんの眼差しはとてもやさしくて、わたしは愛されてるって実感した。だからお父さんと離婚して、お母さんからあの眼差しが失われても、あの麦わら帽子さえあれば、わたしはお母さんを信じていられた……。もう古くなったからって、何度もゴミ袋に捨てられたけど、その度にこっそり持ち出して、大事にしまってたんだ。わたしがお母さんに愛されてたっていう、証拠だから……」
血の気の失せた肌に不釣り合いなほど鮮やかな色の血が、腕時計をはめたサヤカの左手首から流れ落ちる。
その血は鋭く尖った爪の先を伝って、点々と床に紅い華を咲かせた。
「力づくでドアを壊せば、外に出られたかもしれない。でもわたしは信じてた。わたしが良い子になれば、お母さんはわたしを愛してくれる。お母さんがあんなにも怒っているのは、きっとわたしのせいだから……。でも思うように体が動かなくなったわたしが、声にならない声でお母さんを求めたとき、お母さんはわたしの目を確かに見たわ。わたしの目を見ながら部屋のドアを閉めたの。暗闇に沈んだ部屋で、ようやくわたしは理解した。『あの人』はわたしを必要としていない。わたしも『あの人』を頼っちゃだめ……。
最後の力をふり絞ってわたしがしたことは、この地獄から逃れること。手首から流れる血を見ながら、わたしはこれで楽になれると思った。でもそのとき、わたしの心に話しかけてくる声が聞こえたの。怒れ! 恨め! 憎しめ! その声がわたしに生きる力を与えてくれた。だからわたしは、その声のままに、生きることにしたわ」
まるで羽化したばかりの蝶が、縮こまった羽を広げるように、サヤカの背中から黒い霧が噴き出し続けている。
「その声の主は、きみを助けたんじゃない。きみの傷付いた心と体を利用しているんだ。その声の主を心から追い出すんだサヤカ。そいつは魔鬼だ!」
サヤカがふり返る。
乱れた髪のあいだから、深紅に染まった瞳がメグルを見つめた。
「助けて欲しいんじゃない。愛して欲しかった……」
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