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第8章 前世の妻
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しおりを挟む「おい待て、メグル!」
いきなり走り出したメグルの背中に向かって、モグラが怒鳴った。
「お前さん、自分の家がどこだか覚えてねぇだろ」
図星を突かれたメグルは、ぎゅっと拳を握りしめ、立ち尽くす。
「まったく、しょうがねぇなあ……。待ってな。個人情報なんざ、おいらにかかれば、ちょちょいのホイだからよ」
モグラがピアニストのごとき流れる手さばきでキーボードを叩きだした。
「ホイ見っけ! いま地図をプリントしてやるからよ」
部屋の奥に積まれた機材の山から、カタカタと音を立てて一台のプリンタが目を覚ました。普段使うことがないのか、かなり旧式のインクジェットプリンタだ。
部屋の奥に駆け込み、じっとプリンタを睨みつけているメグルに、モグラは少しでも冷静さを取り戻させようと静かに声をかけた。
「なあメグル、少しは落ち着けって……。お前さんの気持ちもわからないでもないが、トモルが前世での息子だからといって特別扱いはまずいんじゃねぇのかな? ましてや奥さんにまで会いにいくなんて御法度だ。たしか管理人の服務規程にも……」
しかしメグルはモグラの言葉など聞く耳を持たず、のろのろとプリンタから出てくる紙を待ち切れずに引きちぎると、アジトから飛び出していった。
会社帰りのサラリーマンで混雑した駅前を走る。
沈みかけた夕日は、通り過ぎる人々の顔を温かく彩っていた。
妻の声。妻の笑顔――。
立ち籠める霧の奥に、ぼんやりとした人影のみが浮かぶ。
(この人波のなかに妻がいても、ぼくは気付かず走りすぎるのでは……)
苛立つ気持ちをふり払うように、メグルは走り続けた。
小高い丘の上にある閑静な住宅街に着いたとき、辺りはもう夕闇に包まれていた。
握りしめた紙にこの先の地図は印刷されていない。メグルがプリンタからむりやり引きちぎったからだ。
しかしメグルの足は止まることを知らず、どこへともなく走り続けている。
ある一軒の家の前で、メグルの足が止まった。
表札が取り去られ、灯りもなく闇に包まれた玄関まわりには雑草が茂り、その中を酒瓶が転がっている。なかには投げ込まれたと思われるゴミも散乱し、周囲に異臭を放っていた。
閑静な住宅街に似合わない、荒れ果てた家――。
(ここがトモルの家? そして前世での、ぼくの家?)
玄関の前でメグルは立ちすくんだ。
(たとえこのドアから妻が出てきたとしても、ぼくはその人を妻だと認識できるのか? もしわかったとしても、もう他人となってしまったぼくは、妻に何を聞けるというのか……?)
インターホンにのばしかけた、メグルの指が止まる。
(……いや違う。伝えるんだ。トモルが苦しんでるって。ぼくたちが救うんだって!)
意を決して、インターホンのボタンを押した。
瞬間、強烈な閃光がメグルの脳内を駆け巡った。
玄関に明かりが灯り、散乱したゴミと雑草が姿を消していく。
取り去られた表札が現れ、『原』の文字が浮かび上がる。
ドアが開き、温かな明かりを背に飛び出してきたのはトモル。
はち切れんばかりの笑顔だ。
そのうしろからエプロンをつけた女性が出てきた。
「お帰りなさい、あなた……」
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