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第4章 トモル

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 「気にすることないわ」

 保健室へ行く道すがら、サヤカはメグルにやさしく話しかけた。

 「実はわたしも夏休み明けに転校してきたばかりなの。最初は誰でも緊張するけど、すぐに慣れちゃうよ」

 緊張なんかで気分が悪くなったんじゃない!

 とメグルはうったえたかった。
 けれどまさかその理由が、前世の記憶が消えちゃったからなどと言える訳もなく、メグルはとても歯がゆい気分だった。


 保健室に着くと、老齢ろうれいの女性が窓際に置かれた椅子に深く座り、天井を仰ぎながらイビキをかいていた。

 「保健室の深川先生よ。いつもあんな感じなの。とりあえず横になるといいわ」

 サヤカにうながされて、メグルは窓際の空いているベッドに突っ伏すように倒れ込んだ。
 まだ夏の雰囲気が漂う尖った日差しが、真っ白なカーテンにされて角を落とし、ふんわりとやわらかくなってシーツにこぼれ落ちてくる。
 メグルは目をつぶり深く溜め息をついた。

 「なんてことだ。あんなに充実していた人生を忘れてしまうなんて……」

 もちろん、前世の記憶を思い出した訳ではなかったが、人間界をただの一度で卒業した自分の人生が充実していない訳がない――。そう推察しての言葉だった。

 仰向けに寝返りをうつと、となりのベッドに腰を掛けて本を読んでいる男の子が目に入った。


 「あれ、トモくん、今日も保健室でおさぼり?」

 サヤカが男の子に声をかける。
 こくりとうなづいた男の子は小柄だったが、メグルやサヤカと同学年らしかった。体が小さいので膝の上に置いて読んでいる分厚い本が、とても大きく見える。

 「その本、面白いでしょ? トモくんはそういうの好きだと思ったんだ」

 サヤカは男の子にとてもやさしく接していた。

 (この少女は誰にでもやさしいんだな。さすが残る試練星が一個だけのことはある)

 感心しながらサヤカを見つめているとき、メグルは頬の辺りにちくりと刺すような視線を感じた。ふり向くと、男の子がとっさに本の中に視線を落とすのが見えた。

 どこか寂しそうで、悲しそうなその表情を見たとき、メグルは妙な胸騒ぎを感じた。

 起き上がり、食い入るように男の子の顔をのぞき込む。すると男の子はおびえるように本で顔を隠してしまった。


 「やめてよメグルくんまで! どうしてみんな、トモくんをそんな目で見るの!」

 サヤカにとがめられてメグルは我に返った。真剣にのぞき込むメグルの目つきは、確かに睨みつけているように見えたかも知れない。

 「ああそっか、初対面だものね……。紹介するね。わたしたちと同じクラスの、はら ともるくん」

 (ハラ トモル……)

 メグルは深い霧に沈んだ記憶の森を、必死に走り回っていた。

 (この子とはどこかで会っているはず。あと少しで思い出せるのに……)


 「トモくん、クラスのみんなに仲間外れにされているの。かわいそうよ。最近、お父さんを亡くされたばかりだっていうのに……」

 そのとき、しびれるほどの強烈な電流が、メグルの脳内を一瞬にして駆け巡った。

 (間違いない!)
 メグルは確信した。

 (ぼくは前世でこの子の父親だった! 死ぬ間際、真っ白な天井を見つめていたあのとき、視界の端で必死に声をかけていた、ぼくの息子だ!)

 メグルの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
 再会できた喜びの涙というよりも、前世での息子を目の前にして、なかなか思い出すことができなかった自分が許せなかったのだ。

 トモルが涙に驚いている。メグルはあわてて濡れた頬をぬぐった。 

 「ぼくの名前は六道リクドウメグル、よろしくね。さっきはじっと見つめちゃってごめん。きみがぼくの、そのう……、親友にそっくりだったから!」

 「親友……?」

 「うん。お父さん残念だったね。よかったら、ぼくと友だちになってよ」

 トモルの頬がぽうっと赤くなり、表情が少し和らいだ。
 閉じきったトモルの心に、メグルはなんとしても入り込もうとしていた。幼い息子ともっと一緒に過ごしたかったという前世での強い想いが、そうさせたのかも知れない。
 いまは少しでも、息子と繋がりを持っていたかった。


 「じゃあわたし、もう行くね」

 仲間外れのトモルに友だちができる――。

 しかしサヤカは興味がないのか、いつのまにかふたりに背を向け、教室に戻ろうとしていた。

 が、ふと立ち止まり、メグルのところに駆け寄ると、そっと耳打ちする。


 「あんまりトモくんと関わらない方がいいよ」


 驚いて目を見張るメグルにサヤカは不可解な微笑を残して、保健室をあとにした。

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