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序章 輪廻(メグル)と土竜(モグラ)

01

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「ずいぶん派手にやっていますねぇ」

 突然かけられた言葉に、男はぎょっとしてふり返った。
 闇夜に向かって蒸し暑い息を吐き出す空調の室外機、巨大な頭をか細い足で支える給水タンク、この場所に唯一通じる階段をふところに潜ませた塔屋とうや――。
 繁華街の外れにある、この小さなビルの屋上に、隠れる場所はそれほどない。

 「気のせいか……」

 額から流れる汗をぬぐいつつ、男が抱えた少女の頬にナイフをぴたりと当てながら、再びビルの真下で騒ぐ群衆に視線を戻したとき。

 「こんな真夜中だってのに、野次馬があんなに沢山集まって……。あ、パトカーまでやって来ましたよ。もう大騒ぎだ」

 まさに灯台下暗し。
 その声は、男の足もとから聞こえてきた。

 驚き飛び退く男。
 見れば、そこには小学生くらいの少年がちょこんと座り、手すりのあいだに顔をうずめて、こちらを見上げて騒いでいる群衆を面白そうに眺めていた。

 男は少年にナイフを向けつつも、すばやく塔屋とうやを確認した。ドアはぴたりと閉じられ、ドアノブにはしっかりとくさりが巻かれている。

 「誰だ、お前!」
 少年に向き直りながら、男がゆっくりと後退あとずさりながら叫ぶ。
 「どっからここへ、やって来た?」

 オリーブグリーンのジャケットに半ズボン、橙色をしたベルベット製のマントを羽織あとずさり、身の丈に合わない大きな革の肩掛けカバンをげた、栗色のくせっ毛頭の少年は、にやりと笑みを浮かべて立ち上がった。

 「あなたこそ、どこから来たんです、この人間界に?」

 少年の言葉に男が凍りつく。その顔からは、すでに血の気が引いていた。

 「お前、管理人か……!」

 待ってましたとばかりに少年は胸ポケットから名刺を一枚ぬき取り、男に差し出した。

 「申し送れましてすみません。先日配属されました、人間界管理局日本支部担当 六道リクドウ 輪廻メグルです。どうぞよろしく」
 すっかり練習していたように、すらりと一息で言い切ると、にやりと笑ってこう続けた。

 「わかりやすくて助かりますよ、やることが派手だから。……あなた方、おのぼりさんは」

 呆然ぼうぜんと口を開け立ちつくす男。
 しかし言葉の意味が理解できたのか、青ざめていた男のこめかみに血管が浮き立つ。

 抱えていた少女を投げ出し両手でナイフを握りしめると、男は人間とは思えぬ甲高い叫び声を上げながら、メグル目がけて突進した。

 即座にメグルは羽織はおっていたマントをひるがえす。
 瞬間、メグルの姿が消えた。

 勢いあまって転げた男は慌てて辺りを見まわした。その目は怒りで充血し、肌はみるみるうちに赤黒く変色していく。

 「思った通り。『修羅しゅら界』からの越界者えっかいしゃですね」

 メグルは男の背後、ひしめく空調の室外機の上にいた。足もとから吹き出す蒸し暑い風が、前髪をかきあげマントをなびかせる。

 「諂曲てんごくなるは修羅しゅら。高い場所を好み、やることが派手。プライドが高く、おのれを他者より優れていると思い込み、常にさげすと争う。己の不遇ふぐうもすべてのせいにするから、常にを憎み、苛立いらだっている……」

 メグルは肩掛けカバンをまさぐり、中から手に収まるほどの小ぶりなガラス瓶をひとつ取り出すと、小気味よい音を響かせてコルク栓を抜き、高く掲げた。


 「この世に不法に存在する罪深き者よ。十層界じっそうかいの法を犯す者よ。管理人の名において、地獄界送りの刑に処す!」


 男の額から汗が噴き出す。
 くるりと背を向け、脱兎だっとのごとく逃げ出したときにはもう遅かった。
 男の体はアメ細工のように細長く歪み、排水口に流れ込む下水のような音を周囲に響かせながら、小瓶の中に吸い込まれていった。

 コルク栓をきつく閉めて小瓶をのぞくメグル。
 中では親指ほどにちじんだ男が、瓶の壁をせわしなく叩いている。


 「すぐに地獄界送りにはしないよ。あなたには、聞きたいことがあるからね」


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