笑いの授業

ひろみ透夏

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【高城の章】

5 佐倉咲美(3)

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「きゃぁああっ!」


 いきなり叫び声をあげた佐倉さくらの口を、あわてて高城たかぎが押さえつける。
 コツコツと硬い足音を響かせながら、壁一枚隔てただけの音楽室を、誰が歩いている。

 高城たかぎは片手で佐倉さくらの口をふさぎながら、もう片方の手で破裂しそうに暴れる自分の心臓を、制服の上からぎゅっと押えつけていた。そうしないと、心臓の鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと思ったのだ。

 足音がまっすぐ音楽準備室に向かって来て、ドアの前でぴたりと止まった。
 額から流れる汗が目に入ってしみるのも構わず、音楽準備室のドアを凝視する。  


 ガチャガチャガチャ!


 激しい音を立てながら、ドアノブが狂ったように回される。
 佐倉さくらは口をふさがれたまま悲鳴を上げて、そのまま気を失った。
 ドアにはめられたガラスが甲高い音をたてて割られ、先生の不気味な笑顔がのぞき込む。

高城たかぎくん、佐倉さくらさん、みいつけた……」


 そんな想像をしただけで、高城たかぎまで気を失いそうになった、そのとき――。



塚田つかだくん、み~っけ!」


 突如、音楽室から、明るく大きな声が響いた。
 それは間違いなく神楽坂かぐらざか先生の声だったが、高城たかぎの目の前にあるドアは破られていない。

塚田つかだ……?) 高城たかぎは耳を疑った。
(いま塚田つかだって言わなかったか?)

 きゅっと上靴の音を響かせて、塚田つかだと思われる足音が、音楽室から走り去っていく。
 コツコツと硬い音を響かせて、神楽坂かぐらざか先生と思われる足音が、その後を追いかけていく。

 音楽室に、また沈黙がおとずれた。


佐倉さくら! 佐倉さくら、起きて!」

 高城たかぎは気を失っている佐倉さくらの両肩をゆらして、無理矢理に起こした。
とおるが先生に見つかったんだ! 助けにいってくる!」

 それを聞いた佐倉さくらは、ぼんやりとした視線を急に尖らせて怒鳴った。
「だめ! あぶないよ! わたしと一緒にここにいて!」

とおるは親友なんだ。大事な俺の相方なんだ。見捨てるわけにはいかないよ」

「わたしは大事じゃないの? わたしは見捨ててもいいって言うの? わたしのこと守ってくれるって約束したじゃない!」

「すぐに戻るから。いま行かないととおるは助からないんだ」

 立ち上がり、走り出そうとした高城たかぎの腕をつかんで、佐倉さくらが叫んだ。

「じゃあ、抱きしめてからいって! ひとりぼっちで待ってるなんて、怖くてたまらないんだから!」

 とんでもない佐倉さくらの要求に一瞬耳を疑ったが、もたもたしていると塚田つかだが先生に捕まってしまう。
 しかたなく高城たかぎは膝をついて、佐倉さくらの体を力いっぱいに抱きしめた。どんどんとノックされているみたいに、佐倉さくらの胸の鼓動が、高城たかぎの胸に伝わってくる。


(あれ。俺いま、生まれて初めて女の子を抱きしめているんだ……)

 恐怖も焦りも一瞬忘れてしまうぐらい、妙なほど冷静になった高城たかぎは、急に恥ずかしくなって佐倉さくらから離れようとした。

 が、佐倉さくらの腕が離さない。
 両肩をつかんでなんとか離れると、佐倉さくらは目をつぶって、唇をつきだしていた。

「ばかっ! おまえこんなときに、なにしてるんだよっ!」

「言わせないでよ! 誰ともキスしないで死ぬなんて、りょうちゃんだって嫌でしょ?!」

 雲の隙間を縫った月明かりが、小窓から部屋に注ぐ。
 佐倉さくらの顔が、透き通るようなブルーの光に照らされた。

 高城たかぎはもう一度、今度はやさしく佐倉さくらを抱きしめた。
 いままで気付きもしなかった、佐倉さくらの甘い香りを感じながら誓う。


「死なないよ。咲美えみも絶対に死なせない。だから俺を信じて、ここで待ってて」


 潤ませた瞳を月明かりに輝かせながら、佐倉さくらはこくりとうなずいた。



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