44 / 44
それは甘い毒
エピローグ
しおりを挟む
会社のデスクの片付けをしていると、物憂げな表情を浮かべた前野が近づいてきた。彼女の視線は、もう何も置かれていない早苗が使っていたデスクに向けられていた。
「何もしてあげられないのが歯がゆいわ」
退院した翌日、出社した早苗は懲戒解雇を告げられた。理由は無断欠勤だと言われたが、実際のところは無認可の中和剤を使用したオメガ社員を雇用し続けるのは難しいということだろう。
本当の理由を他の社員に知られなかったのは、この辞令において不幸中の幸いと思うことにした。
「いえ、大丈夫です」
「次の仕事は見つかりそう?」
なおも心配そうな表情を浮かべる前野を安心させるために、早苗は口角を上げて頷いた。
彼女には、解雇の本当の理由を詳細はぼかしつつ伝えたので余計に心配をかけることになってしまった。
「はい。知り合いが今回の件を気の毒に思って就職先を紹介してくれたんです。アルバイトでありますが、寮もあるので」
「今住んでるところは?」
「会社の借り上げ社宅だったので引っ越します。次の職場の給料だと今の家賃払うのは難しいからですから」
「そう……」
自分が育てた後輩がこんな形で辞めることになって心苦しいという彼女の気持ちがヒシヒシと伝わってきて、早苗は鼻の奥がツンとした。
「前野さん、今までお世話になりました」
深々とお辞儀をすると前野は突然のことに驚いていたが、「新しい職場でも頑張ってね」と言って自分の部署に戻っていった。
「須田先輩」
夕方、会社のエントランスを出てきた京介を呼び止めた。早苗の顔を見た京介は一瞬目を大きく開けて驚いたが、すぐに前のような優しい表情を向けてきた。
そんな彼の顔を見て早苗の心がチクリとした。
「何か用か?」
「その、コレを渡しに来ました」
京介の顔をまともに見られなかった早苗は、視線を持っていた紙袋に向けたままソレを京介に差し出した。この中には京介が早苗の家に置いていた着替えが入っている。
「わざわざ持ってきてくれたんだな。ありがとう」
袋の中身を確認した京介が穏やかな口調で言う。この時間に私服でいることについて何も聞いてこないのは、早苗が会社を辞めることになったという話が既に彼の耳に届いているからだろう。改めて説明しないで済むのは正直気が楽だ。
「いえ。今までありがとうございました」
京介が目の前にいるのに、彼のフェロモンを感じられないというのは、なんだか不思議な感覚だった。彼に番がいることを思い知らされている気がして、物悲しくなってきたのを必死に誤魔化そうとした。
「俺の方こそありがとう。最後に会えてよかった。今度はお前が幸せになれる道を歩んで欲しい」
その言葉で目頭が熱くなり、浮かんできた涙が溢れないように必死にこらえた。強がって、もう彼をなんとも思っていないフリをしたけれど、早苗の中には京介に対する気持ちがまだ残っていた。
蔑ろにされて傷付いたけれど、それ以上に愛されていたことを早苗は分かっていたからである。
「……はい」
込み上げる感情を抑えて早苗が答えると、京介は安心したように「じゃあな」と残して立ち去った。何度も見送った背中だけど、今この瞬間が1番早苗の胸を締め付けていた。
「さよなら、京介さん――」
「何もしてあげられないのが歯がゆいわ」
退院した翌日、出社した早苗は懲戒解雇を告げられた。理由は無断欠勤だと言われたが、実際のところは無認可の中和剤を使用したオメガ社員を雇用し続けるのは難しいということだろう。
本当の理由を他の社員に知られなかったのは、この辞令において不幸中の幸いと思うことにした。
「いえ、大丈夫です」
「次の仕事は見つかりそう?」
なおも心配そうな表情を浮かべる前野を安心させるために、早苗は口角を上げて頷いた。
彼女には、解雇の本当の理由を詳細はぼかしつつ伝えたので余計に心配をかけることになってしまった。
「はい。知り合いが今回の件を気の毒に思って就職先を紹介してくれたんです。アルバイトでありますが、寮もあるので」
「今住んでるところは?」
「会社の借り上げ社宅だったので引っ越します。次の職場の給料だと今の家賃払うのは難しいからですから」
「そう……」
自分が育てた後輩がこんな形で辞めることになって心苦しいという彼女の気持ちがヒシヒシと伝わってきて、早苗は鼻の奥がツンとした。
「前野さん、今までお世話になりました」
深々とお辞儀をすると前野は突然のことに驚いていたが、「新しい職場でも頑張ってね」と言って自分の部署に戻っていった。
「須田先輩」
夕方、会社のエントランスを出てきた京介を呼び止めた。早苗の顔を見た京介は一瞬目を大きく開けて驚いたが、すぐに前のような優しい表情を向けてきた。
そんな彼の顔を見て早苗の心がチクリとした。
「何か用か?」
「その、コレを渡しに来ました」
京介の顔をまともに見られなかった早苗は、視線を持っていた紙袋に向けたままソレを京介に差し出した。この中には京介が早苗の家に置いていた着替えが入っている。
「わざわざ持ってきてくれたんだな。ありがとう」
袋の中身を確認した京介が穏やかな口調で言う。この時間に私服でいることについて何も聞いてこないのは、早苗が会社を辞めることになったという話が既に彼の耳に届いているからだろう。改めて説明しないで済むのは正直気が楽だ。
「いえ。今までありがとうございました」
京介が目の前にいるのに、彼のフェロモンを感じられないというのは、なんだか不思議な感覚だった。彼に番がいることを思い知らされている気がして、物悲しくなってきたのを必死に誤魔化そうとした。
「俺の方こそありがとう。最後に会えてよかった。今度はお前が幸せになれる道を歩んで欲しい」
その言葉で目頭が熱くなり、浮かんできた涙が溢れないように必死にこらえた。強がって、もう彼をなんとも思っていないフリをしたけれど、早苗の中には京介に対する気持ちがまだ残っていた。
蔑ろにされて傷付いたけれど、それ以上に愛されていたことを早苗は分かっていたからである。
「……はい」
込み上げる感情を抑えて早苗が答えると、京介は安心したように「じゃあな」と残して立ち去った。何度も見送った背中だけど、今この瞬間が1番早苗の胸を締め付けていた。
「さよなら、京介さん――」
3
お気に入りに追加
200
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(21件)
あなたにおすすめの小説
白い部屋で愛を囁いて
氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。
シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。
※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
ベータですが、運命の番だと迫られています
モト
BL
ベータの三栗七生は、ひょんなことから弁護士の八乙女梓に“運命の番”認定を受ける。
運命の番だと言われても三栗はベータで、八乙女はアルファ。
執着されまくる話。アルファの運命の番は果たしてベータなのか?
ベータがオメガになることはありません。
“運命の番”は、別名“魂の番”と呼ばれています。独自設定あり
※ムーンライトノベルズでも投稿しております
恋は終わると愛になる ~富豪オレ様アルファは素直無欲なオメガに惹かれ、恋をし、愛を知る~
大波小波
BL
神森 哲哉(かみもり てつや)は、整った顔立ちと筋肉質の体格に恵まれたアルファ青年だ。
富豪の家に生まれたが、事故で両親をいっぺんに亡くしてしまう。
遺産目当てに群がってきた親類たちに嫌気がさした哲哉は、人間不信に陥った。
ある日、哲哉は人身売買の闇サイトから、18歳のオメガ少年・白石 玲衣(しらいし れい)を買う。
玲衣は、小柄な体に細い手足。幼さの残る可憐な面立ちに、白い肌を持つ美しい少年だ。
だが彼は、ギャンブルで作った借金返済のため、実の父に売りに出された不幸な子でもあった。
描画のモデルにし、気が向けばベッドを共にする。
そんな新しい玩具のつもりで玲衣を買った、哲哉。
しかし彼は美的センスに優れており、これまでの少年たちとは違う魅力を発揮する。
この小さな少年に対して、哲哉は好意を抱き始めた。
玲衣もまた、自分を大切に扱ってくれる哲哉に、心を開いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
感想ありがとうございます。
番外編につきましては、色々と書きたいとエピソードがあるので気長に待っていて頂けたら嬉しいです☺️
とても励みになる感想をありがとうございました(* ᴗ͈ˬᴗ͈)”
コメントありがとうございます!去年のBL小説大賞のときからずっと応援ありがとうございました😭
楽しんでいただけたようで、本当に本当に嬉しいです。
伊織と京介の関係は私も深堀りしたいと思ってたので、いずれ書けたらいいなと考えています。
また彼らの物語が始まった時は、見守っていただけたら幸いです。
いつも励みになるコメントありがとうございます!
予想大的中でしたね(笑)登場人物の行動を予測して貰えて嬉しです(*^^*)
伊織に対する罰はそれほど派手なものではないですが、彼にとっては最もキツいお仕置を予定してます。