【完結】クズとピエロ【長編】

綴子

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それは甘い毒

Chapter5-6

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「あの……伊織先輩のやってきた事って俊哉先輩は知らないんですか?」
「あー……っとな……」

 ふと思い浮かんだ疑問をそのまま蛇池に投げかけると、彼は言葉を詰まらせた。そんな彼の行動が示すのは、俊哉が伊織の暴挙を知っていたということだろう。

「……知っていたんですね」
「……ああ、知っている。伊織の最初の犠牲者になった恋人を、ここがどういう店なのか理解して連れてきたのもアイツだ」
「えっ……。てことは、俊哉先輩の恋人だった人もここで働いていたということですか?」
「ああ。そいつは今もこの店で働いている。無認可の中和剤で番が解除された場合、抑制剤の類が効きにくくなるから、発情期はアルファに頼るしかなくなるからな」
「そんな……!」

 あまりに酷い話である。俊哉はは自分の恋人が他のアルファと番ったから、アルファに頼るしかなくなってしまった恋人を捨てたのだろうか。そう考えると、早苗の心はまるで棘が刺さったかのようにじくじくと痛んだ。それは、元恋人に対する同情でない。俊哉と番っていると伊織に知られたら、自分も同じかそれ以上の目に遭うのではないかという恐怖からくる痛みであった。

「それでも、得体の知れないアルファに身を任せるより、身元がしっかりしたアルファに抱かれる方がずっとマシなんだろ……」

 オメガに生まれたというだけでそんな不遇を受け入れろということだろうか。そんなの理不尽だ。

「……俊哉先輩はその恋人をどうして捨てたんですか? どうして一緒にいることを選ばなかったんですか」
「捨てたわけではないんだろう。アイツの中では……な。アイツが何を考えているかなんて知りたくもないが、あのまま自分の傍に置いておくよりも、俺に預けた方が安全だとでも思ったんじゃないか?」
「安全……」
「ここにいればヘタなアルファをあてがわられることは無いからな」
「……そうですか」

 蛇池と話して、俊哉と番うことで自分が背負うリスクは想像よりもずっと大きいものだったということに早苗はようやく気がついた。俊哉が何度も、早苗を気遣う素振りを見せたのはきっと罪悪感からだったのだろう。自己責任であるところは大きいが、それでも早苗は俊哉のことを恨めしく思った。彼の恋人がどんな運命を辿ったのか知っていたならば、早苗は絶対に俊哉と番う選択などしなかっただろう。
 首にある俊哉から贈られたエンゲージカラーに触れる。幸せの象徴となるようにと手がけてきたものなのに、早苗にとってはすっかり曰くつきのアイテムになってしまっていた。

「番を強制的に解消された場合、新しいパートナーを見つけることはできないんですか?」
「難しいだろうな。例え当人同士が納得しても、アルファ系統の家系なんてものは見栄っ張りだから、他人様の手垢がついたオメガを嫁になんてしたがらない。反対を押し切って結婚したとしても、いずれは破綻する。だからこういう店で働いてる方がよっぽど幸せだと思うぞ」
「……なんだか、まるで見てきたような口ぶりですね」
「まあな。だが、アルファは可哀想な境遇のオメガに滅法弱いんだよ。お前にも心当たりがあるんじゃないか?」

 その言葉が、京介を指しているのだということに早苗はすぐに気がついた。自分を放って伊織の所へ行こうとする京介を引き止めたとき、彼はいつも「伊織は可哀想なやつなんだ……」という言葉を口にしていた。
 早苗は愛してくれる京介というパートナーがいるから幸せだが、伊織は『運命の番』である俊哉に放って置かれて可哀想。だから伊織の幼馴染である京介が可哀想な彼を優先するのは当然なのだと意味のわからない理屈をつらつらと並べられたことを思い出した。

「ここの利用客はそういうアルファばっかりだ。性欲の発散はできるし、可哀想なオメガを救ったような気になって気持ちよくなれる。オメガは抑制剤の効かない発情期を1人で苦しまないで済むし、金だって稼げる――合理的だろ」
「その向こうにはオレみたいなオメガもたくさんいるってことですか」
「本妻がありながらこの店を利用している客がいないとは言えないな」
「……」

 京介のようなアルファが正しい存在だと言うのだろうか。恋人に自分だけ見て欲しいなんて、そんなにも贅沢なことなのだろうか。

「言っておくが別に、須田のしてきたことを肯定してるわけではないからな。そんなに恨めしそうに睨むんじゃねえ」
「すみません。恋人に自分だけを思って欲しいと思っているのがそんなにも過ぎた願いなのかって思っただけです」
「それが本来の形なんだろうよ。だけどな、アルファ夫婦によくある話だが、家同士が決めた結婚に納得できてないとか、政略結婚だからお互いに自由にするっていう夫婦の形もあるってだけだ。お互いに折り合いがついてるならいいだろってはなしだ」

「言っておくが上流階級なんてもんは、血統の良い跡取りを作るために名家と結婚して子供ができたらあとは自由にしてるなんてところ多いからな。そういう環境で育ってきたから、大人になったらそうなる。そうならないやつなんて滅多にいない。大恋愛の末に結婚なんて夢物語なんだよ」

 一般家庭に生まれた早苗にはまるで理解できない世界だった。けれど、心の底では彼の言葉に納得してしまった。肯定はしない、けど理屈は分かるってやつだ。

「……これからオレはどうすればいいんでしょうか」
「そんなの自分で考えろ。しょうもない理由で俊哉と番になるって決めたのはお前自身だろ。あの時俺はお前に俊哉のことは信用するなって言ったはずだ」

 蛇池は早苗の言葉をばっさりと切り捨てた。血も涙もないように思えたが、彼の言っていることは正しい。だからといって、早苗は蛇池の言葉をすぐに飲み込める訳ではなかった。早苗には目の前の男に泣きそうになっているのを悟られまいと歯を食いしばる。

「……そう言ってやりたい所だが、今回のことは俊哉の過失も大きい。全面的に助けてやるとは言わないが、俊哉に番を解除するように説得くらいはしてやる」
「へっ……?」

 見放されたと思って目の前が真っ暗になっていた早苗は、蛇池の言葉に顔をあげた。反動で頬を涙が滑り落ちていく。

「何すっとぼけた面してんだ。それまでは伊織には十分に気をつけろ。なるべく1人にならないように気をつけるんだ。それから、俊哉がお前を解放したらもう2度とアイツらに近づくんじゃねえぞ」
「なんで……」
「助けてやろうと思えば助けられそうなやつが、目の前で不幸になったら目覚めが悪いからに決まってんだろ。別にお前に同情したわけじゃないから、勘違いはするんじゃねえぞ」
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