【完結】クズとピエロ【長編】

綴子

文字の大きさ
上 下
27 / 44
それは甘い毒

Chapter5-2

しおりを挟む

「逢沢さん、おはようございます。体調はどうですか?」

 タイムカードを押す前に、俊哉からのメッセージに返信していると背後から声をかけられた。早苗はすぐにその声の主が前野であると分かった。

「おはようございます、前野さん。金曜日はすみません、ありがとうございました。今日は万全です」
「顔色も良くなってるみたいで安心しました。病院では何て言われたんですか?」

 前野は振り返った早苗の顔色を確認してから、隣のデスクの椅子を引っ張ってきて腰を下ろす。

「少しフェロモンの数値が高かったのでそのせいではないか、と。でも、発情期がずれるほどでもないと診断されました」
「それは良かったです……っていうのも変ですね。私も、10代の頃にそんな経験がよくありました。少し疲れてたりすると、すぐに数値があがっちゃって」
「疲れとかでも上がっちゃうものなんですね……」
「これに関しては完全に体質ですけどね、疲れとかであがっちゃう人もいるみたいです」

 その話を聞いた早苗の脳裏に、前日に京介と致したのが原因なのでは? という考えが頭をよぎる。今まで、発情期以外に京介とした経験がないので断定はできないが、その可能性も大いにあり得るのだ。急に前野に対する申し訳なさが湧き上がってきた。

「――そろそろ、朝礼ですね。今日も一日頑張りましょう。また、辛くなったら声かけてくださいね」

 そう言って前野はその場を立ち去った。動揺を悟られなかったことに早苗は安堵する。

 朝から少し大人として恥ずかしい思いをしたが、その日は特に大きな問題もなく終業時間を迎える。
 その日、早苗は会社に番ができたという報告はしなかった。昔は番が成立したら会社に報告するというルールがあったらしい。番のいるオメガはフェロモンを放出しても番以外に影響を与えることがなくなるので、業務形態が少し変わるためである。しかし、フェロモンが番以外に影響を与えないとはいえ、発情期がなくなるわけでもないし、番のいないオメガに対して番を作るように強要する社員がいたためこのルールはすぐに廃止された。
 番成立の報告義務がない時代であることに早苗は感謝した。なぜなら早苗が京介と恋人であることを知っている社員は少なくない。それなのに、早苗が京介以外のアルファと番ったなんてことが公になったら、それこそ問題にならないわけがない。
 そうなる前になるべく早いうちに京介と話し合わなくてはいけないな……と考えながら早苗は会社を出た。

 突然、道を立ち塞がれた。こんなことをするのは一体誰だ、と相手を確認するべく顔を上げた早苗は、思わず身を固くした。その人物はオフィス街ではまるで異質な存在だった。スーツは着ているが、派手な色の頭髪に夥しい数のピアス。襟から覗く髑髏の眼窩から蛇が出てきているタトゥー……。誰がどんな格好をしていようと関係ないが、そんな格好の人物を目の前にして萎縮しないほどの強い心を早苗は持ち合わせていなかった。

「あー……びっくりさせちゃいましたか?」

 呼吸すらまとも出来ない早苗に対して目の前の男は、その見た目から想像できないほど穏やかな声色で早苗に話しかけてきた。そのおかげで、多少緊張は解けたものの声を発することが出来なかったので、頷いて相手の言葉を肯定する。

「っすよね……すみません。えっと、逢沢早苗さんで間違いないですよね?」

 相手の男は早苗の名前を知っていたが、早苗はこの男に心当たりはなかった。相手に対して一瞬緩みかけていた警戒心が再び強くなる。しかし、会社の目の前でこんなにめだつ装いの男性に絡まれていたなんて、よくない噂が立ちかねない。

「場所を移動しましょう」

 あえて否定も肯定もせずに、早苗が方向転換すると男が腕を掴んできた。驚いて相手を見上げる。

「そうですね、そうしましょう!」

 ちょうど良かったと言わんばかりに、男は早苗を引っ張り目の前の道路に停めてあったシルバーカラーのスポーツカーの後部座席に押し込んだ。慌てて車を降りようとノブに手をかけるが、内側から開けることが出来ない。こんなにも堂々と誘拐されるなんて想像だにしていなかった。

「お、降ろせ!」

 運転席の座席を思いっきり蹴る。

「あだっ!」

 男は1度呻くと、鋭い視線を早苗に向ける。思わず足が出てしまったが、こんな得体の知れない相手を蹴るなんて命知らずにも程がある。早苗が奥歯をガタガタ言わせていると、男はドスの効いた低い声で「ちょっと大人しくしといてください」と言いつけ、正面に向き直った。

 幸い拘束などはされていなかったので、早苗が携帯を取り出す。震える指で警察への通報番号を入力する。発信ボタンを押そうとした瞬間、早苗の手から携帯が離れていった。

「全く、油断も隙もないひとですね。悪いようにはしないんで大人しく着いてきてくださいって」

 もっと怖いのを想像していたが、男はまるで子供に言い聞かせるような声色でそう言った。怖いのにどことなく人の良さが滲み出しているような気がしてならない。

「何処に連れていくつもりなんだ?」

 座席に座わり直して早苗が訊ねる。

「オーナーに早苗さんに話があるから連れて来いって言われたんで、オーナーがいるところです」

 予想外にあっさり答えてくれたが、全く答えになっていない。彼の言うオーナーが誰かも分からない。これから自分の見に降りかかるだろう最悪の事態を想像して早苗は顔を青くした。

 今日はなんでもない日で終わると思っていたのに、まさかこんな事件に巻き込まれるなんて思ってもいなかった。
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

暑がりになったのはお前のせいかっ

わさび
BL
ただのβである僕は最近身体の調子が悪い なんでだろう? そんな僕の隣には今日も光り輝くαの幼馴染、空がいた

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

処理中です...