【完結】ぼくたちの適切な距離【短編】

綴子

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「オレ、千寿さんとは付き合ってないよ」

 その一言がぼくの理性を崩すのは容易だった。
 ぼくがきっと今まで発情期を起こさないで来れたのは、オメガとして成熟してこなかったのは、ぼくの心が拓人の隣にいたいと成長を抑えてきたらだ。

 でも、拓人が赤松先輩と付き合い始めてぼくの心は揺らぎ始めた。
 ベータと偽って拓人の隣に友人として立つことが本当の幸せなのか、と。そんなのはただの虚勢だ。
 だから、拓人に恋人ができたと聞いた時、ぼくの未成熟な体は焦って成長を促したんだろう。
 しかしそれを理性で押さえ込んで結局中途半端なまま今まで持ち堪えてきたのではないだろうか。

 それなのに帰り道、拓人から「蓮がオメガだったら番になれたのに」なんて言われたから、とうとう心が耐え切れなくなった。
 最後の砦とも言える、拓人には相応しい恋人がいるからという言い訳もたった今崩されて、ぼくはぼくを制御できなくなってしまった。

 本当のぼくは、拓人の特別になりたいと思っていた。
 勉強だって、運動だって頑張ってきたのは、拓人の隣にいても誰にも文句を言わせないため。
 ベータでも彼に釣り合うようになりたいと思っていたのは、本当は拓人に能力のあるオメガだと選んでもらうためだったのではないかと思い至る。

(拓人がぼくを選んでくれるのなら、手を伸ばしてくれているのなら、もうその手をぼくが掴んだっていいでしょ?)

「た、くと……」

 返事をしなかったからもう扉の前に拓人はいないかもしれない。けれど、せめて彼の残り香が欲しいとベッドから這い出て、おぼつかない足のまま扉に近づく。

「たくと、拓人……」

 扉に縋ると向こう側から、彼の匂いがした。

「──蓮」

 ぼくの呼びかけに応えるように、拓人がぼくの名前を呼ぶ。それだけで幸福感が体を満たし、そしてもっと、もっとと強請るように体の奥から熱が押し寄せてきた。
 彼を求めるあまり、慌ててドアノブに手をかけるがガチャガチャと音を立てるばかりで開かない。

「な、んで、開かないの……」

 扉を腕全体で叩くと、扉の向こうから笑い声が聞こえてきた。
 拓人が何に対してそんなに笑っているのか分からなくて、「なんで、わらうの!」と声を荒げる。

「落ち着いて、蓮。鍵がかかってるから開けて」

 拓人にそう言われて、さっき咄嗟に鍵をかけたことを思い出す。
 恥ずかしさのあまりほんの少しの冷静さを取り戻した。
 鍵を開けておずおずと扉を開けて見上げると、いつもの飄々とした表情を少し余裕なさげな拓人がいた。

「開けてくれてありがとう……ふふっ」

 ぼくの顔を見て拓人はもう一度笑いをこぼす。当分の間このネタでからかわれるんだろうかと思うと腹が立つ。
 へたり込んだままぼくは、拓人の膝の少し上あたりに頭突きをする。

「拓人はぼくをどうしたいの……」

「素直になって欲しいだけだよ。オレの隣に立つんだって肩肘張るんじゃなくて、もっと甘えてほしかった。蓮は今まで、それこそ頑張って、頑張って、血が滲むような努力をしてオレに釣り合おうとしてくれたけど、そんなことしなくて全然良かったんだよ」

 拓人はぼくの両肩に手を置いてゆっくりと目線を合わせる。

「勿論、今まで蓮がしてきた努力を否定するわけじゃないよ。それも本当に嬉しかったから」

「拓人……」

「でもこれからは、オレにはもっと甘えて欲しい。蓮が好きだから、もっと弱いところも見たい。オレに付け入る隙をくれてもいいんじゃない?」

「ぼくも拓人のことすき……」

「知ってる。今までの努力がその証だよね」

「うん」

「オレも蓮が自分のことを『拓人に相応しくない』って思ってるところ以外は全部好き」

 ぼくの発情フェロモンで辛いだろうに、拓人はぼくを安心させるためにずっと背中を撫で続けてくれた。
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