【完結】ぼくたちの適切な距離【短編】

綴子

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 家に入る前、1度だけ振り返って拓人の顔を見た。
 目はあったものの、何も言わずにただただ何かを訴えるように見つめてくるだけだった。
 拓人に何かを言われたとしても、今のぼくは素直に聞き入れることは出来ない。だから、彼は何も言わずぼくが聞く体制になるまで待ってくれるつもりなのだろう。
 ぼくは「またね」も言わないで家に入った。

 リビングの方から母の「おかえり」という声が聞こえてきたが、おざなりな返事だけ返してさっさと自室に逃げ込んだ。

 拓人と喧嘩をしたのは別に初めての事ではない。
 今回のことは喧嘩と言っていいのか微妙なところだが、拓人がぼくのことを彼の所有物だと思っている節があることが許せなかった。
 カバンを足元に置いて、制服のままベッドに倒れ込む。

「拓人には赤松先輩がいるのに、ぼくになんであんなことを言ったの……」

 こぼした言葉に返事が返って来ることはなく、顔を埋めた枕に吸い込まれて言った。


 しばらくぼうっとしていると、このまま寝てしまったら制服に皺がつきそうだということに気がついた。
 急いで起き上がると、立ちくらみして床に膝をついてしまった。咄嗟に手を伸ばすことができなかったため、ぼくの膝と衝突した床はゴッと音を立てる。
 すぐに階段を上がる音が聞こえてきた。一階にいた母が心配で見にきたのだろう。

「蓮、平気? 開けるわよ?」

 ノックをしながら母が聞いてくる。

「大丈夫、ちょっと躓いただけ」

「すっごく大きい音がしたから、倒れてるのかと思ったわ。すぐに返事ができるようなら大丈夫そうね」

「平気だって」

 ぼくがすぐに返事をしたので母は安心したらしく、部屋を覗くことなく一階に戻っていったようだ。
 一息ついて立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
 立っているわけでは無いのに目が回る。なんだか高熱を出した時の症状に似ていたのでぼくはとりあえず、枕元に手を伸ばして体温計をとった。

 脇の下に挟んで約1分、計測終了を告げる電子音が鳴ったので画面を確認すると、平熱よりほんのわずかに高い数値が表示されていた。
 こんなにも、体調が悪いのにこんなに低いのは何かの間違意なのではともう一回、今度は反対側の脇の下で測定する。しかし、1分後に画面に表示された体温は先ほどと全く同じだった。

 まさかと思い立ったぼくは簡易フェロモン計測機を取り出し測定を開始する。
 嫌な予感というものは当たるもので、計測機にはいつもの2倍の数値が表示されていた。

 なんでこのタイミングなのだと、ぼくは強く唇を噛み締めた。
 この前休んだ時に母が買ってきてくれた袋の中の携帯食のゼリー飲料を一気に飲み干し、先日受診した際に処方してもらった抑制剤を飲み込んだ。

(これですぐに治るはず)

 と自分に言い聞かせるが心臓はバクバクと音を立てて落ち着く気配は無い。
 呼吸も早くなり、吐き出す息が自分でもわかるほど熱い。
 頸のあたりがじんわりと熱を持ち始めると、その温度はじわじわと全身へと広がっていく。
 学ランを脱ぎワイシャツのボタンを外し、ズボンや靴下も脱ぎ捨てた。やっとの思いでぼくはベッドに這いあがり、タオルケットに包まった。

 ぼくはいつも嫌なことがあるとこうして乗り越えてきた。今回もこうしていれば、やり過ごすことができると自分に言い聞かせて目をキツく閉じた。

 下腹のあたりに違和感があるのは気がつかないフリをした。
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