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第1話
しおりを挟む「こんな所で奇遇ですね、結城先輩。お元気でしたか?」
六月最後の金曜日。
いつもの店で軽い夕食を終え、遊び相手を探していた結城 晴人は、背後から名前を呼ばれて身体を強張らせた。
晴人は、普段遊び相手には本名を名乗らないようにしていた。
ということは、この声の主は知り合いであるとなるのだが、晴人にはこの店に来るような知り合いに心当たりはない。
持っていたグラスを置いて椅子を回転させながらおそるおそる振り返ってみると、綺麗な顔立ちの男がいた。
栗色の髪に、琥珀色の瞳。鼻はすうっと通っていて色白、生粋の日本人とは思えない色彩をもつ持つ、まるで御伽噺から飛び出してきた王子様のような風貌。
そんな目立つ容姿をした男の名は神代 柊真。大学時代、同じ演劇サークルに所属していた晴人の二学年下の後輩である。
「神代か。久しぶりだな」
晴人は動揺を表に出さないよう、一息ついてから答える。驚きのあまり心臓がバクバクと動いていて、呼吸が詰まりそうだ。
「覚えていてくださったんですね。嬉しいです」
必要以上に他人と関わらなかった晴人でも、流石に自分も所属していたサークルでも有名人だった人間を忘れるなんてことはない。どちらかと言えば、神代が晴人のことを覚えていたことの方が驚きだった。
満面の笑みを浮かべた神代は、当たり前のように晴人の隣の席の椅子をひいて腰を下ろした。
神代のその行動があまりにも自然だったので、思わず見惚れてしまっていた晴人は、神代が隣に座ることを阻止できなかった上に、彼の発言に対して「ーーああ」と中途半端な相槌しか返せなかった。
そんな晴人の様子など気にも止めずに神代は慣れたようにダークラムをロックで注文する。
(このまま隣に居座る気か!)
一拍置いて、目の前で何が起こったのか状況をようやく把握した晴人は頭を抱えたくなった。
遊び相手を探しに来ているというのに、神代が隣に居座っていては、誰も声などかけてこないだろう。
だが、知り合い相手にあからさまな拒否をするのも憚られた。
しかも間の悪いことに、バーテンダーが気を利かせて、晴人が注文していたものと神代が注文したものを同時に提供してくれたのだ。
晴人が気まずい思いをしているなど知らないバーテンダーは「いい仕事をした」と言わんばかりの表情を浮かべている。
この状況をどうやって打開しようかと策を練る。考え事をするときの癖で、晴人はついグラスをコツコツと人差し指で叩いてしまっていた。
「先輩はよく此処に来るんですか?」
晴人の機嫌が悪いと勘違いしたのか、神代は遠慮がちに話しかけてきた。
「……え? ああ――まあ、たまに来るくらいだな。それがどうしたんだ?」
「このお店の雰囲気にとても馴染んでいたので。もしかして、ここに来たらまた一緒に飲めたりしますか?」
首筋を撫でるような甘い香りが柊真の方から感じられ、晴人は身を固くした。
ほとんど接点もない同性の後輩からいきなり向けられた好意がなんだかとても恐ろしいものに思えて仕方がなかった。
「あー……どうだろうな。たまにしか来ないからな」
晴人が曖昧な返事をすると神代は、「そうですか……」と肩を落とした。
残念そうな素振りを見せられるとなんだか申し訳ない事をした気がしてくるが、よくよく考えてみれば突然現れた神代に晴人が気を使う理由はないのだ。
むしろ遊び場がひとつしばらくの間使えなくなって肩を落としたいのは晴人の方である。
ふたりの間に微妙な沈黙が訪れた。
神代は何やら話したそうだったが、晴人としては、できるだけ早くこの場から離れたいと思っていた。故にこの空気をなんとかする気は一切なかった。
無言で飲み進めていたカクテルの最後の一口を飲みきって晴人はバーテンダーに会計を頼む。
「すまんな、神代。この後、用事があるから帰るわ」
「そうなんですね。折角先輩に会えたのに残念です。また一緒に飲みたいのですが、連絡先とか教えてもらえませんか?」
いそいそと帰り支度をする晴人に神代は縋るような声で訊ねた。
(そんなに仲良くしてた覚えはないのに、こいつはなんでこんなに必死になってるんだ?)
相手にするのがだんだん面倒になってきた神代は、学生時代サークルの連絡網用に作ったアドレスの存在をふと思い出した。
「ーー昔、サークルの連絡網用に使ってたアドレスがまだ生きてるからそっちに連絡くれ。最近忙しいから、返事は遅くなると思うが……」
「分かりました! 今度はゆっくり飲みましょう!」
「ああ。都合が合えばな」
晴人はさっさと支払いを終え、足早にその場から離れた。
店を出るまでずっと神代の視線を感じていたが、気が付かないふりをした。
(何だったんだあいつ……怖っ)
バーの重いドアが閉まり切ると、妙な緊張感がなくなり、晴人はホッと胸をなで下ろした。
時計を確認すると、23時を回っている。これから相手を見繕うのはなかなか難しいだろう。
完全に興を削がれてしまった晴人は、せめて飲み直しだけでもと学生時代からの顔馴染みの店へと向かった。
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