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漫画制作秘話1(私が『アルファポリス』で漫画を描きたいと思うようになるまでの経緯)
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幼い頃から私は空想にふけることが非常に得意でした。
その中で生まれたのが『ドキわく!相模原探検部!』に登場する「しおりちゃん」です。
おそらく今から13年以上前のことだと思います。
同時期に「ゆいなちゃん」というオリジナルキャラクターも頭の中で形になっておりました。
オリジナルキャラクターを形にしようと最初は絵の練習を小学生の頃から日々行っておりました。
しかし、毎日模写や絵の練習を行っても絵がうまくならず、実現することは諦めておりました。
「オリジナルキャラクターのお話を頭の中で形にして自分だけでも満足できればいいや」という思いで、
高校卒業までひたすらお話を頭の中で作ったり、空想する日々を過ごしていました。
その中でオリジナルキャラクターが増え、『ドキわく!相模原探検部!』に登場する「めいさちゃん」、「りさちゃん」も中学から高校時代までの間に思いついた形になります。
その中で、日常系アニメの存在を知り、「自分もこんな作品を作れるようになりたいな」という思いが強まっていきました。
高校卒業後、私は漫画の専門学校に入りたかったのですが、親に「漫画やアニメなんてただの遊びだろ!」と厳しく反対されたこと、自身も絵が幼い頃から壊滅的に苦手だったという点からそれを諦め、理系の大学に入学しました。
私は大学で自然科学を主体とした分野を学ぶことになりました。
大学時代、私はとても辛い状況が続き、その中で私の心を癒やしてくれたのが『まんがタイムきらら』の4コマ漫画でした。
特に私が好きだったのは『うらら迷路帖』という漫画でした。
私もそのような漫画を考えてみたいという思いから、試行錯誤を繰り返しました。
まず、毎日欠かさず模写を行い、絵を上手くしたいと思いました。
しかし、これは明らかに努力でどうにかなる次元を超えていたのか、なかなか難しい課題でありました。
それどころか、絵を描くと脳や目に負荷がかなり掛かるようで、
絵を描いてから偏頭痛、めまい、下痢などが毎日止まらなくなりました。
絵を一晩中描いてから大学に行った日には大学で痙攣を起こして倒れたこともありました。
そこで、まずは絵のことは無理してやらず、オリジナルキャラクターのデザインをしっかりと考えようという方向に考えが向くようになりました。
私は、他人のデザインなどを真似するのが嫌いな考えを持っていましたので、頭の中で完全に自分が好きなキャラクターを試行錯誤して一から考えていきました。
その中で、『ドキわく!相模原探検部!』に登場する「かりんちゃん」、「このは先輩」、「かえでちゃん」といったキャラクターが思い浮かんでいきました。
「キャラクターを作ったら次はテーマ、ストーリーだ!」と思い、テーマやストーリーを考えようとしたのですが、
私自身、オリジナルキャラクターが話すだけの空想しか学生時代もしてこなかったので、どういうお話を作れば良いのかが全く思いつきませんでした。
そこで、手当たり次第に目に付くものを探していきました。
その中で、自分が興味のある分野が当時大学で学んでいた「自然科学の分野」、「探検」、「海に関する分野」でした。
最初は「自然科学の分野」をテーマにしてしおりちゃんたちをそこに登場させるお話を作ろうと意気込んでおり、
ひたすらストーリーを考えていたのですが、ストーリーの作り方も全くわからない私は思いつくままにメモ帳に思いついた構想を書きなぐっておりました。
そして、いざそれを繋げようとしても、思いついたワンシーンが全く前後関係を持っておらず、整合性すらも保っていないものであり、何度も作り直しをしました。
ストーリーづくりについてwebで調べ、ストーリーづくりの本なども色々と読んだのですが、なかなかうまく作ることができず、そうしているうちに大学を卒業してしまい、就職をする形となってしまいました。
手元に残ったのはわずかな設定とストーリーの形をなしていない文章をまとめたメモでした。
就職後、私はとても辛い思いを何度もしました。自身の能力不足による職場でのいじめ、叱責、パワハラ等、色々なことがありました。
そんな中で私の心の支えとなっていたのは創作活動でした。
しかし、就職後は朝起きたらすぐ仕事、自宅に返ってくるのは深夜近くという生活が続いており、なかなか創作活動の時間がとれなくなってしまいました。
できたとしても、当時のTwitterで絵を描いてイラストを投稿するのが精一杯でした。
仕事もかなり忙しく、通勤も片道2時間から3時間ほどかかる上に、私自身ももともと体力がまったくない人間であったので仕事だけでへとへとになってしまい、絵を描く時間がとれなくなってしまったのです。
私はその中で自分は何をやれば良いのかどうすれば良いのかについてひたすら苦悩する日々を送っていました。
体力的な面でもメンタルの面でも創作活動と仕事の両立は不可能だと知りながらも、無理して仕事と創作活動を続けておりました。
しかし、そんな無理もいつまでも続くことはなく、やがて精神を病み、幻覚と強迫観念が止まらなくなり、
その症状が原因で鬱病を発症してしまいました。
その中で親に相談したところ理解を得られず、縁を切られたり、身体中が病気だらけになり、騒音トラブルに2度も巻き込まれ、収入の少なさから賃貸を借りれずに相模原市の中でも駅からかなり遠い田舎の方に住むことになったりと色々なことがありました。
私はつらい思いで何度も生きるのが嫌になったことがありました。
何度も死のうとしましたが、そんな中であるまんがタイムきらら系列のいくつかの作品が私の命を助けてくれました。
そして、その他にも私に生きる希望をくれたのがオリジナルキャラクターの存在でした。
「あの時諦めたストーリーをもう一度形にできないだろうか」
そう考え、再びストーリーとテーマの構築を始めました。
既にオリジナルキャラクターの構想は固まっていたことに加え、大学時代は自然科学の分野を学んでいたので
「それなら大学で学んでいたことを活かした漫画にしよう!」と思い、最初は登場人物が自然科学系の部活を結成し、その中で切磋琢磨しながら活動していくという内容でひたすらストーリーを作っていました。
そうこうしているうちに2年が過ぎ、いざ考えたストーリーを漫画にしようと思い、ストーリーを読み返しました。
ところが、自然科学という漠然としたテーマでがむしゃらにストーリーを作った結果、出来上がったのは自然科学といっても何をやりたいのかわからないストーリーが出来上がりました。
それでも、「作っていく中で修正しながら作っていけば良いかもしれない。もう2年も過ぎてしまったのだからとにかく形にしよう!」という思いがいっぱいで、とにかく自分の考えたストーリーを形にしたいという衝動が止まりませんでした。
そこで、いざ漫画を描き始めようと思っていたのですが、当時の私は小学生の頃からフリーのペイントソフトしか使っておらず、一般的な漫画家さんなどが使っている『CLIP STUDIO PAINT』や『SAI』といったペイントソフトは小耳に挟んだ程度でした。
故に、前述のペイントソフトに加え、漫画を描くのであればペンタブも必要だと思い、それらを一気に購入をしました。
そして、いざ初のペンタブとお絵描きソフト、緊張がありながらも全身全霊で絵を描いてみたのですが、
結果はもう見てもいられない形で終わりました。
手先が不器用すぎて線画はぐちゃぐちゃ、何を描いているのか自分でもわからないようなイラストが出来上がりました。
私はそれでも諦めず、毎日練習をしていたらいつか上達するだろうというわずかな希望を胸に、ひたすら絵の練習を行いました。
しかし、まだ世に出すようなレベルはおろか、その足元にも及んでいない状況でした。
それにも関わらず、付け焼き刃の知識ととにかくオリジナルキャラクターのお話を形にしたいという思いから、
FC2ブログのアルバムメーカーを利用して、必要最低限形にしただけの漫画を公開しました。
ちなみにこの漫画は現在アルファポリスで公開している漫画の前身となるものです。
そして、私は当時ある衝動を抑えられずにいました。
それは、「この漫画をしっかりと形にして、苦しいときに自分の心を支えてくれたような作品を生み出せる漫画家になりたい!」という思いでした。
私は、漫画家になるにはどうすればいいかを模索しました。一般的な方法として思いつくのは出版社に持ち込みをして、そこから連載に辿り着く方法でした。
思い立ったらすぐ行動と思い、私は近くにあった『まんがタイムきらら』などのまんが雑誌の募集要項を読み、それに沿って持ち込み用原稿の作成を始めました。
ほとんど知識がない中、情熱だけは強く、とにかく全身全霊で持ち込み用の原稿を作成しようということだけ考えていました。
近くにあった『まんがタイムきらら』の雑誌やあらゆる漫画編集者の募集要項を確認し、なんでも良いのでひたすら漫画家になりたいという思いしか頭にありませんでした。
過去に描いた漫画のファイルを参考にして、ひたすらに持ち込み用の原稿を完成させようと毎日奮闘する日々が始まりました。
しかし、その持ち込み用の原稿を作る中で、自分でもわかってきたことがたくさんありました。
それは自分が漫画家はおろか、趣味ですら絵を描くことが非常に苦手であるということ。
そして、自分自身が仮に奇跡的に漫画家になったとしても、締め切り、配分、クオリティ、プレッシャーに耐えられる覚悟があるのかということでした。
数ページの持ち込み用の原稿を作る中で、数ヶ月もの時間を要し、完成させようということだけに固執しているだけであったこと、自分自身がとても辛くなっていくことからも見えていなかった現実がわかっていく気がしました。
2ヶ月後、完成した原稿を見た私はとてつもない不安感に襲われました。
この原稿は明らかに他人に見せられるクオリティではない。
それに、もし編集者の人に自分の至らなさを指摘されたとして、自分はそれを改善できる能力や余裕がないだろうという予測もしておりました。
それでも、とにかく動いてみようと思い、あらゆる出版社に電話をしました。
電話の時点で断られた出版社もありましたが、それでも持ち込みを受け入れてくださった出版社もございました。
5月のある日、私は思いのままに自分の情熱と漫画の構想をその出版社の方に語りました。
しかし、緊張のせいだったのか、私自身がとてつもなく喋りが苦手であることが影響していたのか、出版社の方は「今、あなたは少し喋るだけでも精一杯ではありませんか」と意見を下さりました。
最終的には、「世に出すことはおろか、趣味の範疇においても厳しいレベルである。それどころか会話すらも自分には厳しい。出版業界はそんなに甘くない。」といった結論を得ることができました。
私は、その時点であの時心にあった情熱がかなり薄れてなくなっていました。
それでも、諦めたくないという思いはまだ強く、漫画家がダメなら小説家を目指そうと考えるようになりました。
『アルファポリス』という投稿サイトを知ったのもその時期からでした。
私は早速、あらゆるwebサイトを参考にしてあらゆるジャンルの小説を書き上げようと躍起になりました。
ところが、文章を書くことが本当に苦手であるのかわかりませんが、小説を書こうとしても会話文もうまく形にできないどころか情景描写が壊滅的にできないのです。数文字を書こうとしてもあまりにも難しすぎる上に、自分自身の精神も辛い状態になりすぎて続けていくことがとても困難でした。
加えて、小説を書いている間はひたすら苦行の連続でした。
自分自身に想像力がなさすぎること、書こうと思う文章がうまく形にできないもどかしさ、お絵描きと違ってなぜか精神が削がれ、やる気や意欲が減退していくこと、これらが重なり、結果的には一作を書き上げることがかなり難しい状況でありました。
短編であれば一作を書き上げることができた作品もあったのですが、長編だと途中で終わらせてしまった作品がほとんどでした。
これらの作品は別名義のアカウントで公開しているのですが、やはりとても完成度が低い形で終わってしまったので、私としては黒歴史のような扱いとなっております。
このように、私には、一年以上小説家を目指した時期がありました。
しかし、結果的にはあまりの辛さに小説の道に進むことも諦め、漫画の道を進んでいこうと決めました。
試行錯誤していく中、一般的な漫画家が無理なのであれば、自分のペースで漫画を投稿していけるようなweb漫画家などを目指すのが良いのではないかという結論に至りました。
以前、小説を投稿していた『アルファポリス』が色々と検討した中でとても使いやすいサイトであり、漫画投稿にも対応しているということを知った私は、このサイトで漫画投稿をしていこうようと決めました。
前置きが長くなり申し訳ございません。色々と心のなかに溜めていた事が多く、色々と書いておりましたらかなり長くなってしまいました。
これが私自身が漫画を描きたいと考えるまでに至った経緯でございます。
次回以降は、私が現在投稿している漫画をどのように作り上げていったのかについて綴っていきたいと思います。
その中で生まれたのが『ドキわく!相模原探検部!』に登場する「しおりちゃん」です。
おそらく今から13年以上前のことだと思います。
同時期に「ゆいなちゃん」というオリジナルキャラクターも頭の中で形になっておりました。
オリジナルキャラクターを形にしようと最初は絵の練習を小学生の頃から日々行っておりました。
しかし、毎日模写や絵の練習を行っても絵がうまくならず、実現することは諦めておりました。
「オリジナルキャラクターのお話を頭の中で形にして自分だけでも満足できればいいや」という思いで、
高校卒業までひたすらお話を頭の中で作ったり、空想する日々を過ごしていました。
その中でオリジナルキャラクターが増え、『ドキわく!相模原探検部!』に登場する「めいさちゃん」、「りさちゃん」も中学から高校時代までの間に思いついた形になります。
その中で、日常系アニメの存在を知り、「自分もこんな作品を作れるようになりたいな」という思いが強まっていきました。
高校卒業後、私は漫画の専門学校に入りたかったのですが、親に「漫画やアニメなんてただの遊びだろ!」と厳しく反対されたこと、自身も絵が幼い頃から壊滅的に苦手だったという点からそれを諦め、理系の大学に入学しました。
私は大学で自然科学を主体とした分野を学ぶことになりました。
大学時代、私はとても辛い状況が続き、その中で私の心を癒やしてくれたのが『まんがタイムきらら』の4コマ漫画でした。
特に私が好きだったのは『うらら迷路帖』という漫画でした。
私もそのような漫画を考えてみたいという思いから、試行錯誤を繰り返しました。
まず、毎日欠かさず模写を行い、絵を上手くしたいと思いました。
しかし、これは明らかに努力でどうにかなる次元を超えていたのか、なかなか難しい課題でありました。
それどころか、絵を描くと脳や目に負荷がかなり掛かるようで、
絵を描いてから偏頭痛、めまい、下痢などが毎日止まらなくなりました。
絵を一晩中描いてから大学に行った日には大学で痙攣を起こして倒れたこともありました。
そこで、まずは絵のことは無理してやらず、オリジナルキャラクターのデザインをしっかりと考えようという方向に考えが向くようになりました。
私は、他人のデザインなどを真似するのが嫌いな考えを持っていましたので、頭の中で完全に自分が好きなキャラクターを試行錯誤して一から考えていきました。
その中で、『ドキわく!相模原探検部!』に登場する「かりんちゃん」、「このは先輩」、「かえでちゃん」といったキャラクターが思い浮かんでいきました。
「キャラクターを作ったら次はテーマ、ストーリーだ!」と思い、テーマやストーリーを考えようとしたのですが、
私自身、オリジナルキャラクターが話すだけの空想しか学生時代もしてこなかったので、どういうお話を作れば良いのかが全く思いつきませんでした。
そこで、手当たり次第に目に付くものを探していきました。
その中で、自分が興味のある分野が当時大学で学んでいた「自然科学の分野」、「探検」、「海に関する分野」でした。
最初は「自然科学の分野」をテーマにしてしおりちゃんたちをそこに登場させるお話を作ろうと意気込んでおり、
ひたすらストーリーを考えていたのですが、ストーリーの作り方も全くわからない私は思いつくままにメモ帳に思いついた構想を書きなぐっておりました。
そして、いざそれを繋げようとしても、思いついたワンシーンが全く前後関係を持っておらず、整合性すらも保っていないものであり、何度も作り直しをしました。
ストーリーづくりについてwebで調べ、ストーリーづくりの本なども色々と読んだのですが、なかなかうまく作ることができず、そうしているうちに大学を卒業してしまい、就職をする形となってしまいました。
手元に残ったのはわずかな設定とストーリーの形をなしていない文章をまとめたメモでした。
就職後、私はとても辛い思いを何度もしました。自身の能力不足による職場でのいじめ、叱責、パワハラ等、色々なことがありました。
そんな中で私の心の支えとなっていたのは創作活動でした。
しかし、就職後は朝起きたらすぐ仕事、自宅に返ってくるのは深夜近くという生活が続いており、なかなか創作活動の時間がとれなくなってしまいました。
できたとしても、当時のTwitterで絵を描いてイラストを投稿するのが精一杯でした。
仕事もかなり忙しく、通勤も片道2時間から3時間ほどかかる上に、私自身ももともと体力がまったくない人間であったので仕事だけでへとへとになってしまい、絵を描く時間がとれなくなってしまったのです。
私はその中で自分は何をやれば良いのかどうすれば良いのかについてひたすら苦悩する日々を送っていました。
体力的な面でもメンタルの面でも創作活動と仕事の両立は不可能だと知りながらも、無理して仕事と創作活動を続けておりました。
しかし、そんな無理もいつまでも続くことはなく、やがて精神を病み、幻覚と強迫観念が止まらなくなり、
その症状が原因で鬱病を発症してしまいました。
その中で親に相談したところ理解を得られず、縁を切られたり、身体中が病気だらけになり、騒音トラブルに2度も巻き込まれ、収入の少なさから賃貸を借りれずに相模原市の中でも駅からかなり遠い田舎の方に住むことになったりと色々なことがありました。
私はつらい思いで何度も生きるのが嫌になったことがありました。
何度も死のうとしましたが、そんな中であるまんがタイムきらら系列のいくつかの作品が私の命を助けてくれました。
そして、その他にも私に生きる希望をくれたのがオリジナルキャラクターの存在でした。
「あの時諦めたストーリーをもう一度形にできないだろうか」
そう考え、再びストーリーとテーマの構築を始めました。
既にオリジナルキャラクターの構想は固まっていたことに加え、大学時代は自然科学の分野を学んでいたので
「それなら大学で学んでいたことを活かした漫画にしよう!」と思い、最初は登場人物が自然科学系の部活を結成し、その中で切磋琢磨しながら活動していくという内容でひたすらストーリーを作っていました。
そうこうしているうちに2年が過ぎ、いざ考えたストーリーを漫画にしようと思い、ストーリーを読み返しました。
ところが、自然科学という漠然としたテーマでがむしゃらにストーリーを作った結果、出来上がったのは自然科学といっても何をやりたいのかわからないストーリーが出来上がりました。
それでも、「作っていく中で修正しながら作っていけば良いかもしれない。もう2年も過ぎてしまったのだからとにかく形にしよう!」という思いがいっぱいで、とにかく自分の考えたストーリーを形にしたいという衝動が止まりませんでした。
そこで、いざ漫画を描き始めようと思っていたのですが、当時の私は小学生の頃からフリーのペイントソフトしか使っておらず、一般的な漫画家さんなどが使っている『CLIP STUDIO PAINT』や『SAI』といったペイントソフトは小耳に挟んだ程度でした。
故に、前述のペイントソフトに加え、漫画を描くのであればペンタブも必要だと思い、それらを一気に購入をしました。
そして、いざ初のペンタブとお絵描きソフト、緊張がありながらも全身全霊で絵を描いてみたのですが、
結果はもう見てもいられない形で終わりました。
手先が不器用すぎて線画はぐちゃぐちゃ、何を描いているのか自分でもわからないようなイラストが出来上がりました。
私はそれでも諦めず、毎日練習をしていたらいつか上達するだろうというわずかな希望を胸に、ひたすら絵の練習を行いました。
しかし、まだ世に出すようなレベルはおろか、その足元にも及んでいない状況でした。
それにも関わらず、付け焼き刃の知識ととにかくオリジナルキャラクターのお話を形にしたいという思いから、
FC2ブログのアルバムメーカーを利用して、必要最低限形にしただけの漫画を公開しました。
ちなみにこの漫画は現在アルファポリスで公開している漫画の前身となるものです。
そして、私は当時ある衝動を抑えられずにいました。
それは、「この漫画をしっかりと形にして、苦しいときに自分の心を支えてくれたような作品を生み出せる漫画家になりたい!」という思いでした。
私は、漫画家になるにはどうすればいいかを模索しました。一般的な方法として思いつくのは出版社に持ち込みをして、そこから連載に辿り着く方法でした。
思い立ったらすぐ行動と思い、私は近くにあった『まんがタイムきらら』などのまんが雑誌の募集要項を読み、それに沿って持ち込み用原稿の作成を始めました。
ほとんど知識がない中、情熱だけは強く、とにかく全身全霊で持ち込み用の原稿を作成しようということだけ考えていました。
近くにあった『まんがタイムきらら』の雑誌やあらゆる漫画編集者の募集要項を確認し、なんでも良いのでひたすら漫画家になりたいという思いしか頭にありませんでした。
過去に描いた漫画のファイルを参考にして、ひたすらに持ち込み用の原稿を完成させようと毎日奮闘する日々が始まりました。
しかし、その持ち込み用の原稿を作る中で、自分でもわかってきたことがたくさんありました。
それは自分が漫画家はおろか、趣味ですら絵を描くことが非常に苦手であるということ。
そして、自分自身が仮に奇跡的に漫画家になったとしても、締め切り、配分、クオリティ、プレッシャーに耐えられる覚悟があるのかということでした。
数ページの持ち込み用の原稿を作る中で、数ヶ月もの時間を要し、完成させようということだけに固執しているだけであったこと、自分自身がとても辛くなっていくことからも見えていなかった現実がわかっていく気がしました。
2ヶ月後、完成した原稿を見た私はとてつもない不安感に襲われました。
この原稿は明らかに他人に見せられるクオリティではない。
それに、もし編集者の人に自分の至らなさを指摘されたとして、自分はそれを改善できる能力や余裕がないだろうという予測もしておりました。
それでも、とにかく動いてみようと思い、あらゆる出版社に電話をしました。
電話の時点で断られた出版社もありましたが、それでも持ち込みを受け入れてくださった出版社もございました。
5月のある日、私は思いのままに自分の情熱と漫画の構想をその出版社の方に語りました。
しかし、緊張のせいだったのか、私自身がとてつもなく喋りが苦手であることが影響していたのか、出版社の方は「今、あなたは少し喋るだけでも精一杯ではありませんか」と意見を下さりました。
最終的には、「世に出すことはおろか、趣味の範疇においても厳しいレベルである。それどころか会話すらも自分には厳しい。出版業界はそんなに甘くない。」といった結論を得ることができました。
私は、その時点であの時心にあった情熱がかなり薄れてなくなっていました。
それでも、諦めたくないという思いはまだ強く、漫画家がダメなら小説家を目指そうと考えるようになりました。
『アルファポリス』という投稿サイトを知ったのもその時期からでした。
私は早速、あらゆるwebサイトを参考にしてあらゆるジャンルの小説を書き上げようと躍起になりました。
ところが、文章を書くことが本当に苦手であるのかわかりませんが、小説を書こうとしても会話文もうまく形にできないどころか情景描写が壊滅的にできないのです。数文字を書こうとしてもあまりにも難しすぎる上に、自分自身の精神も辛い状態になりすぎて続けていくことがとても困難でした。
加えて、小説を書いている間はひたすら苦行の連続でした。
自分自身に想像力がなさすぎること、書こうと思う文章がうまく形にできないもどかしさ、お絵描きと違ってなぜか精神が削がれ、やる気や意欲が減退していくこと、これらが重なり、結果的には一作を書き上げることがかなり難しい状況でありました。
短編であれば一作を書き上げることができた作品もあったのですが、長編だと途中で終わらせてしまった作品がほとんどでした。
これらの作品は別名義のアカウントで公開しているのですが、やはりとても完成度が低い形で終わってしまったので、私としては黒歴史のような扱いとなっております。
このように、私には、一年以上小説家を目指した時期がありました。
しかし、結果的にはあまりの辛さに小説の道に進むことも諦め、漫画の道を進んでいこうと決めました。
試行錯誤していく中、一般的な漫画家が無理なのであれば、自分のペースで漫画を投稿していけるようなweb漫画家などを目指すのが良いのではないかという結論に至りました。
以前、小説を投稿していた『アルファポリス』が色々と検討した中でとても使いやすいサイトであり、漫画投稿にも対応しているということを知った私は、このサイトで漫画投稿をしていこうようと決めました。
前置きが長くなり申し訳ございません。色々と心のなかに溜めていた事が多く、色々と書いておりましたらかなり長くなってしまいました。
これが私自身が漫画を描きたいと考えるまでに至った経緯でございます。
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