リオン・アーカイブス ~休職になった魔法学院の先生は気の向くままフィールドワークに励む(はずだったのに……)~

狐囃子星

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炎と竜の記録

第二波

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「“円”が壊られるよ!!」
 誰かが叫びながら壁走ってくる。
 ブレイスは驚きの顔で振り返ると、即席の得物を携えたテルミスが駆け上がってきていた。
「何かあったのか?!」
「え、いや、単にもうすぐあの円の守りが壊れるから急いで配置についてってだけ」
「下で何かがあったわけじゃないんだな?」
 頷くテルミスにホッと胸をなでおろし、そんな気持ちを自分で頬を叩いて引き締める。
 円が無くなるという事はつまり、ここからは一方的ではなく攻撃を受けながらの防衛戦になるということだ。戦局がガラリと変わるのだから心の準備をしておかなければならない。
「全員に通達! 守備隊は攻撃を一時中断、急いで定置について待機だ!」
 腹の底からの声に伝令役たちが走って各地点の守備隊へ伝えに行く。
「なんて言うか」
「なんだよ」
「こういうの手慣れてる?」
「別に、ただガキの時に叩き込まれただけだ」
 懐かしいとも思わないし、良い思い出とも言えない過去。
 神童だなんだと周囲のおべっかを本気にした両親により行われた自己満足の山のような稽古事に休みは許されず、寝る間も惜しんで勉学と武術に打ち込まされたのは思い出すたびに不快な気分にさせる。しかしその経験がここで役に立っていると思うと複雑な気持ちだ。
「ま、なんでもいいけどさ」
 じゃあ何で聞いたんだ、と言いたくなった口を噤む。
 テルミスは少し震えていた。
 他のものでは気がつかない程に自然な態度で、一見すれば堂々とした冒険者のように見えるだろう。しかしブレイスはその些細な変化を見逃さなかった。
 気を紛らわすために適当な話題を出したのだろう。
「ふざけてないで、俺たちも配置につくぞ」
 だからブレイスは話を合わせる。
 今必要なのは、自分たちは何でもないいつもの冒険を行っているのだという感覚だ。
 自己暗示でも良い。それが平時の自分を思い起こさせてくれる。
 テルミスは左、ブレイスは右の方へ行く。
 より正確に言えば、怪物たちのもっとも密集した正面にブレイスが立ち、テルミスは遊撃手として守りの薄そうな場所に向かっていた。
 二人は声をかけて回り、守備達の者たちの士気を上げていく。時折、その有り余る戦意が不要な行動を取りそうになっては諫めるのに時間をかける。
 大切なのは連携だ。数の暴力に対して遥かに劣る戦力が対抗できる唯一の手段。
 理性を持って力を合わせ、その効果を何倍にも膨れ上がらせるのだと。

 ――そしてその時はきた。

 “パリン”と薄氷の割れるような音と共に魔物たちを阻んでいた力は遂に消失する。
 最前列は急に失われた支えに体勢を崩して、後ろより押し寄せる波に飲み込まれていったが続くものたちの勢いは、それまで我慢してきたうっ憤を晴らすがごとく凄まじいものだ。
「弓矢、構え――撃て!」
 ブレイスが命令を下す。
 引かれた矢は一斉にその剣の指し示す場所へと飛んで行った。
 練習する時間はいくらでもあったのだから、多少なりとも腕は上がるものだ。
 周囲より一回り大きな怪物は瞬く間に全身に矢を受けてハリネズミのようになり、駆ける勢いのまま支える力を失い倒れ込む。これにより周囲の怪物たちも巻き添えにして数を減らした。
 しかし、死体の溶けて消えた空白は1秒も待たずに再び怪物たちにより埋め尽くされる。
「第2射かま――っ?!」
 もう一度弓を引き絞っていたところ、凄まじい衝撃が防壁全体を揺らした。
 怪物たちが遂に到達し、海原の荒れ狂う波のようにぶち当たった衝撃だ。門の軋む音が不安を煽るように響き、胸壁の一部が割れてガラガラと落ちていく。
 だが防壁は持ちこたえた。
 次々に打ち付けてくる波に悲鳴のような音と、立っていられないほどの揺れを引き起こしながらも決壊せず耐え抜いたのである。
「上がって来るぞ!」
 誰かの声が響いた。勇敢にも揺れる足場の中、何とか体を支えて向こう側を除き見たのだ
 今の状況ではとても満足に戦えない。嫌な汗が頬を伝う。
 ブレイスが打開策を探していた時、それは起きた。
『キシャアアアアアアアアアアアア?!?!』
 それは悲鳴であり、胸壁の向こう側から夥しい数の怪物たちによるものだった。
 もしそれが後に押しつぶされていく最前列の怪物たちのものであれば、これほど長く明確な声は聞こえてこないはずである。そんな暇もなく潰されドロリとシミの一つを増やしているだけなのだから。
 ――では、この声はいったい?
 ブレイスの疑問は漂い始めた冷気によって答えを示された。
「おいおい、マジかよ……」
 思わず唖然とする。
 壁という壁が“凍り付いて”いた。
 地面から凡そ八割ほどの高さまで、右から左まで隙間の一つも無い。つるりとした一枚の氷が壁面を覆い、近づく怪物たちは近寄るほどに凍り付く自らの手足に悲鳴を上げている。
「まさか、一周全部か?」
 クリフが壁に立体魔法陣とやらを描いていたのは聞いている。
 しかし、これほどの規模の魔法は生まれてこの方一度しか見たことが無い。その一度もつい最近の盗賊たちを吹き飛ばした天に浮かぶ魔法陣だ。
 規格外。
 これがリベリオ魔法学院で天才たちに教鞭を振るって来た魔法使いの本気というわけか。
 あまりの光景に思わず固まってしまっていたブレイスは、一番早く我に返り攻撃の命令を行う。石でも何でもいいから、壁の下にいる怪物どもに落として頭を潰してやれと。
 次々に打ち付けてくる波はもはや壁を揺らす事すら叶わない。
 力で壊すことが無駄だと理解した怪物たちは、今度は壁を登ろうとし始める。
 だが爪を突き立てれば手足が凍って張り付き、しかし凹凸の無い面に掴む場所は無くツルツルと滑って全くの登れない。その上、削れたはずの氷にはすぐに水の膜が張って凍り付き元に元通りにしてしまう。
 邪魔な円さえ消えれば勝ったも同然と思っていた怪物たちに、初めて動揺の色が広がる。
「これは、上手くいけば何とかなるか?」
 ブレイスですらそんな呟きが口をついて出てしまう。
 勿論、こんな無茶苦茶な魔法をそういつまでも使っていられるわけがない。だが、今のうちに効果的に怪物たちを減らすことが出来れば村はほとんど被害を受けずに済むかもしれない。
 希望的観測、楽観主義、現実逃避。
 そんな言葉を意地悪な自分が囁いてくるが、この場にいる誰もが目前と迫った勝利の幻影を疑わなかった。
「アレはなんだ?!」
 ブレイスの隣にいた男が叫んだ。
 その指のさす先を見て、ブレイスは出せる限界の怒鳴り声で命令を下す。
「弓兵! 今すぐ弓を構えろ!!」
 暗い雲が立ち込める空の端、そこにポツポツと黒い点が現れる。
 黒い点は猛烈な速さでコチラへ向かってきており、次第にその輪郭がハッキリとし始めた。
 姿形はすぐ下に掃いて捨てるほどいる怪物たちと瓜二つである。ただ一つ、空の者たちは決定的に違う特徴を持っていた。
「急げ! 下の奴らはどうでもいい、間に合わなくなるぞ!」
 やつらは“翼をもっていた”。 
 流石に地上のような埋め尽くすほどの数ではないが、それでも相当な数の怪物が黒い雲を引き連れ迫ってくる。
 中への侵入を許してはならない。
 こんな魔法を使っている以上、クリフは自信の身を守る事も危ういだろう。
 戦えない者たちの元へ向かわれたら、抵抗も許さぬ殺戮が行われる事だろう。
 何としても、あの空の怪物たちをここで抑えなければならない。
「撃てええええええええええええええええ!!!!」
 あらん限りの声でブレイスは叫ぶ。
 掴んでもいない勝利に喜んでいた者たちを嘲笑うかのように、剃刀のように鋭い純白の歯が血を求めてキラリと光った。
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