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炎と竜の記録

研究室で

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 思ったよりも少なかった荷物をリオンは見下ろし、腰を落とした。
 忘れ物は無いか、見落としは無いか、事前に書いておいたチェック表を確認しているのだ。
 休職の帰還は短くて1年、長ければ延長となり最高で3年となる予定である。
 つまり、それまでの期間は全て外でやって行かなければいけないわけで、一つの忘れ物が重大な問題に発展しかねない。最悪を想定して徹底的に対策を練るのは研究者として当然の振る舞いだ。
「よし、一先ず大丈夫そうだ」
 7度に渡る確認の末に、納得して立ち上がる。
「あとは研究室の方の確認だけか」
 既に何人かに危険な道具の管理をお願いしているが、それでも少しばかり不安は残る。
 情報の共有が不十分であり事故が起きるなどあってはならないことだ。
 荷物を背負い、手に持ち、立ち上がる。
 旅装というには些か真新しく見える衣服で部屋を出た。
 早朝な事もあって擦れ違う者に生徒はおらず、教員たちは「大変だな」とねぎらいの言葉をかけてくる。
 それに苦笑いで答えて七回ほど角を曲がり、二つ階を降りていくらか歩いた先。今日も何事も変わらない様子で研究室の閉じられた扉がそこにあった。
 勤め始めて6年にもなると、流石に愛着も湧いてくる扉を潜って薄暗い部屋に入る。
 細かな道具は全て正確にあるべき場所に収められ、大きな道具は床に書かれた目印にピッタリと合わせて置かれていた。
 荷物を置いて、更に奥のほうにある小部屋に入る。
 壁いっぱいの本棚にギッシリと並べられた本には埃の一つも無く、管理している人間の几帳面さとマメさが手に取るように分かるようだ。
 リオンは本棚の一つ、そこに収められた本を一冊手に取った。
 真新しいドラゴン(ワイバーン)の皮による装丁と、対照的な痛みボロボロの紙が連なった本。
 何も言わず、リオンはそれをジッと見た後、戻すことなく持って小部屋から出た。
「先生」
 奥から出てくると同時にかけられた声。
 研究機材の並ぶ部屋の真ん中に一つの影が立っていた。
「生徒が勝手に研究室に入ってはいけませんよ」
 それが誰であるか即座に察したリオンは、先生として優しく注意をした。
 歩み寄る事は無く、置かれた荷物の方を向いて持ってきた本を何処に仕舞おうか思案する。
「先生、行ってしまわれるのですか?」
「ええ、止まっている研究もだいぶあるので」
「嘘です」
「嘘ではありませんよ」
「いいえ、先生は私のせいで出ていく。そうなのですよね?」
 違う、とすぐには言えなかった。
 いつの間に近寄って来たのか、分かったのは甘い香りが鼻孔をくすぐった時。背中に柔らかな体温を感じ、肩へ額が押し付けられた時。
「ごめんなさい」
「……」
「私、分かっているんです。先生は凄く優しくて、真面目で、とっても魔法に一途だって。まるで空を愛する鳥のように息を吸うだけで、ただ羽ばたくだけで魔法への溢れる気持ちを表せてしまう。籠の中でただ望まれるままに歌う私とは大違いで」
 体を抱く細い腕の力が強くなる。
「分かっているんです。私のこれはただの羨望で本物じゃない。だからこうして迷惑をかけることになってしまって、それなのに私は罪悪感よりも別の物を感じてしまう。困らせる事ができるほど、こんな自分が先生に影響を及ぼしたという事実に、心の何処かで喜んでしまっている」
 背を向けたままであっても分かるほど、その体は震えていた。
 ゴチャゴチャに混ざり合い、己ですら理解できなくなった気持ちを表すように。
「分かっているんです。こんなこと言っても何も変わらない。こんな事をしても何も変えられない。ただの自己満足だって、でも私には今しかないから……だから、断ってください。ハッキリと私を拒絶してください。そうすれば、もう未練も後悔もなくなりますから。……私は先生のことが――」
「そこまで、ですよ」
 その手を優しく体から外し、リオンは立ち上がる。
「そこから先を言ってはいけません。もしも言えば、私は答えざるを得なくなる。そしてきっとアナタは酷く傷つく事になるでしょう。その傷がどれほど深いものになるか、何も知らない私には到底わかりません。ただ、きっと取り返しのつかない恐ろしい事になるというのはわかります」
 リオンは毅然とした顔で少女に向き直る。
「私の思い違いであればそれでいい。ですから一つです。“自分を捨てないで下さい。”」
 少女は何も返さない。
 ただ涙の溢れる目で、困ったように微笑む。
 リオンはバツが悪そうに頭をかき、それから研究室の出口へと向かう。
「……これがアナタに乗って祝福となるか呪いとなるか、はたまた何の価値も見出すことがないか、私には分かりません。教師でありながらなんて無責任なんだ、とでも恨んでおいてください」
 薬と笑い声が聞こえたような気がした。
 いったい彼女が最後にどんな表情を浮かべていたのかは分からない。
 ただ、きっと笑ってくれたのだろうろ思い、振り返らずにリオンは部屋をでたのだった。


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