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紅顔の美少年とお宅訪問ツアーと時をこえた再会

第39話

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 精神的には疾うに疲弊しているものの、ミュゲを待たせている手前、園芸委員会に顔を出さずに帰るわけには参りません。いかにも気が進まない様子を見かねたのでしょうか、ラヴィが温室まで付き添うと申し出てくれました。
 とはいえ、既に十分すぎるほど拘束してしまっているのに、これ以上時間を空費させるのは流石に気が引けます。
結局、私はラヴィの申し出を丁重に辞退し、一人で温室へ向かいました。

 扉を開けると、りんごやすぐりの実のような甘酸っぱい香りがかすかに漂ってきます。ちょうど作業を小休止したタイミングらしく、皆がテーブルを囲んでいる姿が遠目から確認できました。
 しかし、近付くにつれそこに集まっているのが、一人や二人ではないことがわかってきます。立ったまま皆のティーカップに甲斐甲斐しくお茶を注ぐジェイと、不機嫌そうに頬杖をつきながら席に着くシャリマー、その隣にはダンがお手本のような美しい姿勢で座っていました。いつもと違うのは、彼らの間に紛れ込んだ見慣れぬ人影が、当然の如く卓を囲んでいることです。
 果たしてそれは、膝の上にミュゲを座らせたサンクでした。
 まるでぬいぐるみか人形のように我が主を抱えている少年は、時折麦穂の色をした豊かな髪に頬を擦り寄せ、柔らかな感触を楽しんでいます。
 私はその顔触れを見た時点で、穏やかなティーブレイクを満喫するのはほぼ確実に不可能であることを悟りました。

「お疲れさま、しーちゃん。今日はね、ダンくんとサンクくんが遊びに来てくれたんだ」

 こちらに気付いたジェイが、小さく手を振りながら迎えてくれます。純粋に来客が嬉しいのか、いつになく上機嫌です。
 私はといえば、どの席につけば心労を最小限まで抑えられるか見極めるのに必死で、生返事しかできませんでした。
 そんな小賢しい企てを一蹴するかのように、サンクが自分の隣の席を無言のうちに示します。遠慮しようにも即座にうまい言い訳が思い浮かばず、私は不本意ながら彼の傍らに腰を下ろすしかありませんでした。

「サンク、いらしていたんですね」
「ここに来れば、ミュゲとシモンに会えるって言ってたから……」

 恥じらいを含んだ笑顔は、大輪の花のようにあけすけなそれとは違い、路端に咲く慎ましくも清廉な野の花が綻ぶように可憐です。こうも健気な様子を見せつけられたら、嫌というほど構い倒したくなるのが人情というものではないでしょうか。
 しかし、欲望に負けて彼を甘やかした結果ここに入り浸るようになっては、本来あるべきシナリオがますますこじれてしまいます。もっとも、私が甘やかさずとも、先程からミュゲが彼の口にピスタチオを練り込んだプティフールを詰め込んでいるため、歓迎の意は十二分に伝わっているかもしれません。

「ミュゲ、俺には食べさせてくれないのかい」

 ダンが薄く口を開けながらねだると、ミュゲは鮮やかな緑色に焼き上がったお菓子を手ずから放り込みます。友人と呼ぶにはあまりに親密、しかし恋の予感を覚えるにはあまりに無邪気なその様子を見守っていると、シャリマーが私の袖を軽く引きました。

「なあ、あのチビなんだけど……」

 あのチビ、とはミュゲのことを指しているのでしょう。何度も名前で呼んでくださいと伝えているのに、一向に直してくださる気配がありません。

「さっきからずっとあいつに菓子ばっか食わせてるけど、大丈夫か」

 あいつとはサンクのことかダンのことか、はたまた両方か。あの二人の存在はミュゲの情操教育上よろしくなさそうなので、できればあまり近付けたくないのですが、差し当たってそのことは問題ではありません。

「大丈夫ですよ。ちょっと独特ですが、あれは仲よくなりたいというあの子なりの意思表示です。何しろ、人間より家畜と接してきた時間のほうが長いものですから、親愛の情を示す手段といえば給餌くらいしか知らなくて……」
「おい、それが本当だとしたら、お前にも責任あるぞ」

 全くもって彼の言う通りで、彼女がこうなってしまったのは、本来あるべきコミュニケーションの方法を教えてこなかった私の落ち度といえます。
 あえて弁明するならば、生家さとでは異性と接触する機会そのものが極端に少なかったからこそ、矯正する必要性を感じなかったのです。
 しかし、こうして同世代の少年と容易に触れ合える環境に放り込まれたとあれば、そろそろ彼女にも異性との適切な距離感を教えておかなければなりません。
 そして、ミュゲの他にももう一人、軌道修正を図るべき人物がいました。

「ミュゲ、サンク、ちょっと聞いてください」

 名前を呼ぶと、二人して不思議そうな顔をしてこちらを見つめます。顔立ちにはまるで似通ったところがないものの、ぱちくりと目を瞬かせる様子は兄妹のようにそっくりです。

「あなた方の価値観では、その程度の触れ合いは普通なのかもしれませんが、少なくとも社交会では必要以上の接触を図るのはご法度とされています。さもなくば、あらぬ噂を吹聴されかねません」

 私なりに噛み砕いて説明したつもりでしたが、二人の反応なら飲み込めていない様子がありありと見て取れます。情緒が年齢に追いついていないのか、それとも男女関係にまつわる知識をまるで持ち合わせていないのか、いずれにせよこの調子では暖簾に腕押し、糠に釘で終わってしまうでしょう。

「……じゃあ、シモンにくっつくのはいいの?」
「できれば、異性であれ同性であれ、不用意なスキンシップは避けたほうがよろしいかと……」

 一応、サンクには「迂闊に接触するべからず」という主旨は伝わったようですが、なぜいけないのかまでは理解できていないらしく、あからさまに不服そうに唇を尖らせながら詰め寄ってきます。

「俺は……ミュゲもシモンも大好きだから、いつでもくっついていたいよ……? どうしてそんな意地悪するの……?」
「別に、意地悪しているつもりは……。私はただ、お互いの名誉のため過度な接触は慎むようにと……」

 ごく当たり前のマナーを説いただけだったはずなのに、責められているような威圧感は、こちらをたじろがせるには十分すぎるほどでした。
 真っ向から注がれる視線に居心地の悪さを覚え、思わず目を逸らそうとすると、突然サンクが耳朶の下、頸動脈のあたりに噛みついてきたのです。
 よもやフィジカルに訴えられるとは予想していなかった私は、反射的に間の抜けた声を出してしまいました。

「ぎゃっ! な、何でこんな……吃驚するじゃないですか」
「だって、シモンがいじめるから……」

 おそらく、サンクも衝動的に動いてしまったのでしょう。後ろめたさこそあれど、素直に謝る気にもなれないのか、へそを曲げた子どものように頬を膨らませながら俯いています。
 ひとまず誤解を正そうと口を開きかけた刹那、横合いから伸びた腕が我々の間に割って入りました。

「こら、じゃれるにしても怪我させるのはやりすぎだぞ」

 牽制したのは意外にも、それまで静観していたはずのシャリマーです。
 実際は甘噛み程度で全く痛みはなかったものの、まるで庇い立てするかのようにサンクの肩を押し返すシャリマーは、これまで見てきたどんな姿よりも王子様然としていました。
 一方、牽制されたサンクは意に介さずとでもいうように、ぼんやりとシャリマーを見つめていたかと思うと、今度は彼に接近します。唐突に間合いを詰められて身構えるシャリマーをよそに、サンクは彼の首元に顔を埋め、深く息を吸い込みました。

「……いい匂い」

 想定外の行動に肩透かしを喰らったシャリマーは、凍り付いように静止した次の瞬間、全身の産毛を逆立てて声にならない悲鳴を上げます。

「どれどれ、俺にも嗅がせてくれよ。……うん、日溜まりのような……干し草の匂いかな?」
「いやあああああああああ!?」

 いつの間にか席を立ち、背後に回っていたダンにまで至近距離から匂いを嗅がれると、今度こそシャリマーは耐え切れなかったのか、悲痛な声を漏らしました。
 揉み合いになっている間、サンクの膝に乗せられたままのミュゲが今にも押しつぶされてしまいそうだったのを認めた私は、必死に彼女の救出を試みます。
 ようやく場が沈静したとき、いつの間にやら温室を訪れていたルヴィとラヴィが、我々を遠巻きに眺めながら、呆然と立ち尽くしていました。
 水を打ったような静寂が温室を満たします。
 最初に沈黙を破ったのは、現状を把握しきれないまでも、ともかく会話の糸口を掴まなければ始まらぬと判断したルヴィが、ようやく絞り出した一言でした。

「……何か、増えていないか」
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