9 / 55
入学式と預言者と世界のしくみ
第9話
しおりを挟む
私はしばらく紙面を凝視した後、一行目に書き込まれた名前の横に大きなバツ印をつけました。
「まず、シャリマー王子はありませんね」
万が一、アリ王国に嫁入りでもしようものなら、我が国まで戦に巻き込まれかねません。他国を攻め落とすことで国力を伸ばしてきたアリ王国は、未だに多くの国から敵視ないし警戒されています。その中に、アリ王国から領地を奪還しようと考える国があったとしても不思議ではありません。
いきなりアリ王国を陥落させるのは難しくとも、まずは属国を制圧することで弱体化を狙うことはできるでしょう。その場合、さしたる兵力も持たぬヴィエルジュ国が、真っ先に狙われるはずです。
「ジェイ王子は……確かにタウロ王国が後ろ盾になってくれれば心強いでしょう。ただ、似たような考えを持つ国はごまんとあります。社交会の不毛な足の引っ張り合いに、ミュゲを参加させたくありません」
少しの逡巡の後、私は彼の名前の傍らにもバツをつけました。
「やはり、個人的にはルヴィかラヴィのどちらかが安心です」
「確かに、幼馴染同士でお互いの性格もよくわかってるし、もともと同盟国だから結婚することになっても情勢が大きく変わることはなさそうだね」
国土そのものが難攻不落の要塞と称されるシュタインボルク国は、かつて兵器の売買や傭兵派遣を主な産業とする時代もあったほど優れた軍事力を保有する国です。
現在は中立国という立場をとっており、自ら他国に攻め入ることはないものの、軍事力は未だ衰えを知らず、最新の軍事技術と精鋭揃いの国立騎士団は他国からに恐れられています。
世が世ならタウロ王国を凌ぐ大国となっていただろうシュタインボルク国ですが、彼の国を制圧する前に、戦から手を引かざるを得ない状況に陥ってしまったのです。
大陸の北方に位置するシュタインボルク国は、一年のうち半分以上が分厚い雪と氷に閉ざされています。そのため、食料の確保が非常に難しく、しばしば大規模な飢饉にさらされていました。
もはや戦を続けられるだけの力もなく、日用の糧にまで窮するようになったシュタインボルク国は、今より輪をかけて兵力に乏しかったヴィエルジュ国に交渉を持ちかけたのです。
こうして、ヴィエルジュ国が食料を、シュタインボルク国が軍事力を供給しあう同盟関係が誕生しました。
二つ並んだ名前にチェックマークを入れると、再びペンを持つ手が止まります。
サンク・シャンユイ殿とは直接の面識がなく、どのようなお人柄かは存じません。
ミュゲとの相性についても現時点では何ともいえませんが、比較的気温の変化が穏やかで災害も少なく四季がはっきりしている内陸性気候のヴィエルジュ国と、年間を通して温暖ながら昼夜の寒暖差が激しく海に面しているため水害への備えが欠かせない海洋性気候のシャンユイ国は、きれいに対称を成す国家ともいえます。
お互いの価値観や生活様式をどの程度受け入れ、歩み寄れるかが大きな課題になりそうです。
ダン・リュ・ヴィランシア殿に関しては人柄がどうというよりも、まずは彼の眼鏡にかなう容貌の持ち主でなければ、お近づきになることすら難しいでしょう。
ヴィランシア国の民は美に対して人一倍敏感です。そのせいなのか、彼の国には「美男美女の産地」なる名誉なのか不名誉なのか判断しかねる異名までついています。
まして、領主の嫡男であり時期領主ともなれば、およそこの世に存在するあらゆる美の粋を味わい尽くしているに違いありません。
あるいは、芸術的才覚に長けていれば寵愛を賜るくらいはできたかもしれませんが、今から小手先の技術を会得したところで、恋愛に発展するとは限らないでしょう。
「……いずれにせよ、猶予はあと三年ありますから、焦って結論を出すこともなさそうですね」
最後に大きなクエスチョンマークを書き込むと、私はペンを放り出し、凝り固まった背中を大きく伸ばしました。
「ミツは彼らと面識があるのでしょうか」
「うーん……あったりなかったり。でも、一通り攻略はしたから、顔と性格くらいはわかるよ」
「ちなみに、ミツのおすすめはどなたですか?」
「えー、難しいなぁ。みんなそれぞれ魅力的だから。シャリマーは単純でウブかわいし、ジェイはワンコキャラって感じ。ルヴィとラヴィは疑似双子主従で完全に二人の世界なのが逆にいい。サンクはふわふわしてるようで意外にヤンデレの素質もありそう。ダンはきれいなおにいさんっていうか、おねえさま?」
それまで辛抱強く耳を傾けてくれていたミツが突然饒舌に喋り出したもので、私は一瞬たじろいだものの、つい居住まいを正して聞き入ってしまいました。
図書室の前でミツと別れ、帰路につく頃には、既に日が落ちかけていました。食堂から漂ってくるのか、あたたかな夕餉の匂いと、石鹸らしき甘い香りが空気の中に入り混じり始めます。
寮に着くと、ミュゲの部屋に明かりが灯っているのが見て取れました。先に帰っているのでしょうか。エントランスホールを抜け、階段を上がり、真っ直ぐミュゲの部屋まで向かいます。
軽くノックの音を響かせると、すぐに内側から扉が開けられました。
「ただいま戻りました」
果たしていつからそうしていたのか、ともするとずっと扉の前にいたのかもしれません。飼い主の帰還を待ちあぐねた仔犬のように、ミュゲが飛びついてきます。
そういえば、こんなに長く彼女のもとを離れたのは、クライス・ティアに来てから初めてのことでした。
「……心配をかけてしまいましたね」
胸元に押し付けられた小さな頭をそっと撫でつけながら問いかけます。彼女は返事のかわりに、抱きしめる腕に力を込めました。
「今日はね、ミュゲ、うれしいことがありました。新しい友達ができたんです。明日、ミュゲにも紹介します。きっと仲良くなれますよ」
みどりごのように繊くやわらかな髪を手櫛で梳き、もつれた毛先を指でほどきながら語りかけると、ミュゲは抱きついたまま小さく頷きました。
「まず、シャリマー王子はありませんね」
万が一、アリ王国に嫁入りでもしようものなら、我が国まで戦に巻き込まれかねません。他国を攻め落とすことで国力を伸ばしてきたアリ王国は、未だに多くの国から敵視ないし警戒されています。その中に、アリ王国から領地を奪還しようと考える国があったとしても不思議ではありません。
いきなりアリ王国を陥落させるのは難しくとも、まずは属国を制圧することで弱体化を狙うことはできるでしょう。その場合、さしたる兵力も持たぬヴィエルジュ国が、真っ先に狙われるはずです。
「ジェイ王子は……確かにタウロ王国が後ろ盾になってくれれば心強いでしょう。ただ、似たような考えを持つ国はごまんとあります。社交会の不毛な足の引っ張り合いに、ミュゲを参加させたくありません」
少しの逡巡の後、私は彼の名前の傍らにもバツをつけました。
「やはり、個人的にはルヴィかラヴィのどちらかが安心です」
「確かに、幼馴染同士でお互いの性格もよくわかってるし、もともと同盟国だから結婚することになっても情勢が大きく変わることはなさそうだね」
国土そのものが難攻不落の要塞と称されるシュタインボルク国は、かつて兵器の売買や傭兵派遣を主な産業とする時代もあったほど優れた軍事力を保有する国です。
現在は中立国という立場をとっており、自ら他国に攻め入ることはないものの、軍事力は未だ衰えを知らず、最新の軍事技術と精鋭揃いの国立騎士団は他国からに恐れられています。
世が世ならタウロ王国を凌ぐ大国となっていただろうシュタインボルク国ですが、彼の国を制圧する前に、戦から手を引かざるを得ない状況に陥ってしまったのです。
大陸の北方に位置するシュタインボルク国は、一年のうち半分以上が分厚い雪と氷に閉ざされています。そのため、食料の確保が非常に難しく、しばしば大規模な飢饉にさらされていました。
もはや戦を続けられるだけの力もなく、日用の糧にまで窮するようになったシュタインボルク国は、今より輪をかけて兵力に乏しかったヴィエルジュ国に交渉を持ちかけたのです。
こうして、ヴィエルジュ国が食料を、シュタインボルク国が軍事力を供給しあう同盟関係が誕生しました。
二つ並んだ名前にチェックマークを入れると、再びペンを持つ手が止まります。
サンク・シャンユイ殿とは直接の面識がなく、どのようなお人柄かは存じません。
ミュゲとの相性についても現時点では何ともいえませんが、比較的気温の変化が穏やかで災害も少なく四季がはっきりしている内陸性気候のヴィエルジュ国と、年間を通して温暖ながら昼夜の寒暖差が激しく海に面しているため水害への備えが欠かせない海洋性気候のシャンユイ国は、きれいに対称を成す国家ともいえます。
お互いの価値観や生活様式をどの程度受け入れ、歩み寄れるかが大きな課題になりそうです。
ダン・リュ・ヴィランシア殿に関しては人柄がどうというよりも、まずは彼の眼鏡にかなう容貌の持ち主でなければ、お近づきになることすら難しいでしょう。
ヴィランシア国の民は美に対して人一倍敏感です。そのせいなのか、彼の国には「美男美女の産地」なる名誉なのか不名誉なのか判断しかねる異名までついています。
まして、領主の嫡男であり時期領主ともなれば、およそこの世に存在するあらゆる美の粋を味わい尽くしているに違いありません。
あるいは、芸術的才覚に長けていれば寵愛を賜るくらいはできたかもしれませんが、今から小手先の技術を会得したところで、恋愛に発展するとは限らないでしょう。
「……いずれにせよ、猶予はあと三年ありますから、焦って結論を出すこともなさそうですね」
最後に大きなクエスチョンマークを書き込むと、私はペンを放り出し、凝り固まった背中を大きく伸ばしました。
「ミツは彼らと面識があるのでしょうか」
「うーん……あったりなかったり。でも、一通り攻略はしたから、顔と性格くらいはわかるよ」
「ちなみに、ミツのおすすめはどなたですか?」
「えー、難しいなぁ。みんなそれぞれ魅力的だから。シャリマーは単純でウブかわいし、ジェイはワンコキャラって感じ。ルヴィとラヴィは疑似双子主従で完全に二人の世界なのが逆にいい。サンクはふわふわしてるようで意外にヤンデレの素質もありそう。ダンはきれいなおにいさんっていうか、おねえさま?」
それまで辛抱強く耳を傾けてくれていたミツが突然饒舌に喋り出したもので、私は一瞬たじろいだものの、つい居住まいを正して聞き入ってしまいました。
図書室の前でミツと別れ、帰路につく頃には、既に日が落ちかけていました。食堂から漂ってくるのか、あたたかな夕餉の匂いと、石鹸らしき甘い香りが空気の中に入り混じり始めます。
寮に着くと、ミュゲの部屋に明かりが灯っているのが見て取れました。先に帰っているのでしょうか。エントランスホールを抜け、階段を上がり、真っ直ぐミュゲの部屋まで向かいます。
軽くノックの音を響かせると、すぐに内側から扉が開けられました。
「ただいま戻りました」
果たしていつからそうしていたのか、ともするとずっと扉の前にいたのかもしれません。飼い主の帰還を待ちあぐねた仔犬のように、ミュゲが飛びついてきます。
そういえば、こんなに長く彼女のもとを離れたのは、クライス・ティアに来てから初めてのことでした。
「……心配をかけてしまいましたね」
胸元に押し付けられた小さな頭をそっと撫でつけながら問いかけます。彼女は返事のかわりに、抱きしめる腕に力を込めました。
「今日はね、ミュゲ、うれしいことがありました。新しい友達ができたんです。明日、ミュゲにも紹介します。きっと仲良くなれますよ」
みどりごのように繊くやわらかな髪を手櫛で梳き、もつれた毛先を指でほどきながら語りかけると、ミュゲは抱きついたまま小さく頷きました。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
転生悪役令嬢の前途多難な没落計画
一花八華
恋愛
斬首、幽閉、没落endの悪役令嬢に転生しましたわ。
私、ヴィクトリア・アクヤック。金髪ドリルの碧眼美少女ですの。
攻略対象とヒロインには、関わりませんわ。恋愛でも逆ハーでもお好きになさって?
私は、執事攻略に勤しみますわ!!
っといいつつもなんだかんだでガッツリ攻略対象とヒロインに囲まれ、持ち前の暴走と妄想と、斜め上を行き過ぎるネジ曲がった思考回路で突き進む猪突猛進型ドリル系主人公の(読者様からの)突っ込み待ち(ラブ)コメディです。
※全話に挿絵が入る予定です。作者絵が苦手な方は、ご注意ください。ファンアートいただけると、泣いて喜びます。掲載させて下さい。お願いします。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
おデブな悪役令嬢の侍女に転生しましたが、前世の技術で絶世の美女に変身させます
ちゃんゆ
恋愛
男爵家の三女に産まれた私。衝撃的な出来事などもなく、頭を打ったわけでもなく、池で溺れて死にかけたわけでもない。ごくごく自然に前世の記憶があった。
そして前世の私は…
ゴットハンドと呼ばれるほどのエステティシャンだった。
サロン勤めで拘束時間は長く、休みもなかなか取れずに働きに働いた結果。
貯金残高はビックリするほど貯まってたけど、使う時間もないまま転生してた。
そして通勤の電車の中で暇つぶしに、ちょろーっとだけ遊んでいた乙女ゲームの世界に転生したっぽい?
あんまり内容覚えてないけど…
悪役令嬢がムチムチしてたのだけは許せなかった!
さぁ、お嬢様。
私のゴットハンドを堪能してくださいませ?
********************
初投稿です。
転生侍女シリーズ第一弾。
短編全4話で、投稿予約済みです。
悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています
平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。
自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。
完 あの、なんのことでしょうか。
水鳥楓椛
恋愛
私、シェリル・ラ・マルゴットはとっても胃が弱わく、前世共々ストレスに対する耐性が壊滅的。
よって、三大公爵家唯一の息女でありながら、王太子の婚約者から外されていた。
それなのに………、
「シェリル・ラ・マルゴット!卑しく僕に噛み付く悪女め!!今この瞬間を以て、貴様との婚約を破棄しゅるっ!!」
王立学園の卒業パーティー、赤の他人、否、仕えるべき未来の主君、王太子アルゴノート・フォン・メッテルリヒは壁際で従者と共にお花になっていた私を舞台の中央に無理矢理連れてた挙句、誤り満載の言葉遣いかつ最後の最後で舌を噛むというなんとも残念な婚約破棄を叩きつけてきた。
「あの………、なんのことでしょうか?」
あまりにも素っ頓狂なことを叫ぶ幼馴染に素直にびっくりしながら、私は斜め後ろに控える従者に声をかける。
「私、彼と婚約していたの?」
私の疑問に、従者は首を横に振った。
(うぅー、胃がいたい)
前世から胃が弱い私は、精神年齢3歳の幼馴染を必死に諭す。
(だって私、王妃にはゼッタイになりたくないもの)
乙女ゲーのモブデブ令嬢に転生したので平和に過ごしたい
ゆの
恋愛
私は日比谷夏那、18歳。特に優れた所もなく平々凡々で、波風立てずに過ごしたかった私は、特に興味のない乙女ゲームを友人に強引に薦められるがままにプレイした。
だが、その乙女ゲームの各ルートをクリアした翌日に事故にあって亡くなってしまった。
気がつくと、乙女ゲームに1度だけ登場したモブデブ令嬢に転生していた!!特にゲームの影響がない人に転生したことに安堵した私は、ヒロインや攻略対象に関わらず平和に過ごしたいと思います。
だけど、肉やお菓子より断然大好きなフルーツばっかりを食べていたらいつの間にか痩せて、絶世の美女に…?!
平和に過ごしたい令嬢とそれを放って置かない攻略対象達の平和だったり平和じゃなかったりする日々が始まる。
深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~
白金ひよこ
恋愛
熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!
しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!
物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる