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一章 父殺しの罪

父殺しの罪を被せられたお嬢様

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 勇者アトスが魔王を倒して三年の月日が流れた。

 勇者と共に旅をした仲間たちによって、魔王と最後に刺し違えたと言われる勇者アトスの物語は、たちまち世界中に広がり、誰も彼もが勇者アトスの死を悲しんだ。
 戻ってきたメンバーも満身創痍だったが、時間と共に軽快し、現在では三人とも重要な役職に就いている。

 魔王が倒されたことで訪れた平和な世界。
 勇者アトスが守った人々の暮らし。

 しかし、そんな安定した平和な日々でも、人は愚かな争いを繰り返すものなのである。

 ーー

 それは唐突に起こった。
 バルト国一の貴族カムリ家。
 その当主であるエンリケ・カムリは、ある決断を下した。

 それは、家督の全権を娘であるアリシア・カムリに相続させると言うこと。

 アリシアはとても優秀な娘だった。
 物事に対する判断は確実に、迅速に行える。
 家庭教師が知恵を授ければ、まるでスポンジが水を吸うかの如く、貪欲にその知識を吸収していく。
 年齢は成人に満たないが、その容姿とくれば成人の女性そのものだろう。
 美しく艶のある栗毛は、毛先が肩まであり、侍女の丹念なヘアケアの苦労が伺える。
 貴族とくれば普段着は生地を何枚も重ねた豪華なドレスが基本だ。
 アリシアも例に漏れず、貴族の嗜みもして人前に出る際はそういったものを着るようにしている。
 が、元来はそんな息苦しいドレスは嫌いだった。
 普段はコルセットで軽く上半身を締める程度だが、そのほっそりとしたウエストのくびれはわざわざ締める必要もないほど。
 胸元はギュウギュウに押さえつけられ、コルセットの裾から窮屈そうに盛り上がる双丘が苦しそうである。
 だから、普段着ははなるべくラフな、それこそスカートの裾にフリルが付いた、服を好んで着ている。
 鼻すじが通り、整った端整な顔立ちは、父ではなく母親譲りだと囁かれるのは日常茶飯事。
 誰が見ても美しいと、掌を頬に当てうっとりするような、そんな顔をしている。
 そんな見た目とは裏腹に周囲の者に対しての物腰はとても柔らかく、それは眺めていて晴れやかな気分になれるほど。
 父にしてみれば、そろそろ結婚の申し入れが始まる時期だと頭を悩ませるこの頃である。

 そして、アリシアには兄がいる。
 名を、フェルディナント・カムリ。
 顔立ちはアリシア同様に母親譲りで整っている。
 カムリ家の長兄として幼い頃から周囲の寵愛を、言い換えれば、チヤホヤされて育ったせいか、その性格は自己中心的な部分が大きい。
 武の才に恵まれたフェルディナントは、十五才になる年にゴルド王国の剣士団に入団した。
 元々、カムリ家は武の系譜である。
 当主であるエンリケは、外交もさることながら、その才でも名を馳せた。
 息子であるフェルディナントももちろん、家の名に恥じぬ腕前へと成長していき、二十五才を迎える今となっては、その実力は折り紙つきである。

 だが、フェルディナントは武芸に優れてはいるが、交渉や話し合いなどの智略には長けてはいなかった。
 気が短く、力にものを言わせてゴリ押しするタイプなのだ。
 腕っ節も強く、少しでも態度が鼻に付く者がいれば、すぐに手を出す程の暴れん坊である。
 戦ともなればその性格が頼もしいときもあるが、それだけでは勝てるはずがない。
 優秀な司令官の下ではよく戦果を上がる彼も、指揮する立場に回るとなると、その戦果は右肩下がりであった。
 だが、そんなフェルディナントも、我が事、我が将来ともなれば幾らでも知恵が回る。

 ーーそれはとある夜に起こった。

「アリシアを探し出せーー!」

 カムリ家の館内にフェルディナントの声が響いた。

 フェルディナントはある噂を耳に入れ、それを確認するために実家を訪れた。
 時間はちょうど夕食後。
 フェルディナントが実家の軒先をくぐったころ、入ってすぐの今の横から、良い香りが漂っている。
 そこを覗き込み、中の使用人に尋ねた。

「父上は部屋か?」

 急に声を掛けられ、使用人は驚いた顔を見せた。

「フェ、フェルディナント様!?    いつお戻りに……」
「聞かれたことに答えろ。何度も言わせるな」 
「あ、だ、旦那様でしたらお部屋に」

 使用人がそう言うと、フェルディナントは何も言わずにズカズカと二階の階段を登って行った。

「どうされました?」
「あ、エリー。今フェルディナント様が来られて……」
「へぇ、珍しい。普段は城の詰所にいらっしゃるのに」
「しっ!    そんなこと、言うものじゃないわよ!    もしお耳にでも入ったら……」
「エ、エリー!?」
「お嬢様、どうされましたか?」
「ちょ、ちょっと来て!!」

 ーー

 父であるエンリケの部屋の前に立つと、フェルディナントはノックもせずに扉を開けた。そこには机に向かって何やら書き物をしている父(エンリケ)の姿があった。
 フェルディナントはその背中に向けて、冷たい声色で話し掛けた。

「父上」
「む、フェルディナントか……」

 振り返るエンリケは、彼の姿を見て眉を潜めた。

「せっかく来たのだ。家の中ではその鎧を脱いだらどうだ?」

 フェルディナントは、剣士団員の装備のままで現れたのだ。

「お言葉ですが、剣士たる者。いついかなるときも即座に行動できるように心掛けているつもりであります」

 毅然とした態度で、彼はそう言った。

「ふむ、剣士らしい心掛けだな。それで、今日はどうした?    私は特に呼び出してはおらぬが」

 そう言われて、フェルディナントは小さく目を見開いた。
 幼い頃から抜けない癖で、気に食わなことがあると、よくそうしていたのだが、父に「カムリ家の嫡男にはふさわしくない」とたしなめられていた。
 なぜかそれを思い出したフェルディナントは、小さく、父に気付かれない程度に目を見開いたのだった。

「父上、私に何かお話はございませぬか?」
「話?    特にないが、どうした?」
「例えば……父上のお身体のことなど……」
「そうだな。私ももう年になる。お前たちは適齢を過ぎた後にできた子供だったからな。お前たちの成長は楽しみでもあったが、年々、自らの老いを感じずにはいられなかった」
「そうでした。私もアリシアも、父上のお身体のことは常々心配はしておりました」
「そうか、それは気を遣わせたな。心配するな、体調ならすこぶる良い」
「では、なぜ家督をアリシアにお譲りになるのです?」

 フェルディナントがそう言うと、エンリケの表情が険しくなった。

「何の話だ?」
「お戯れを。風の噂を耳にしました。父上がアリシアに家督を継がせると……」
「フェルディナント、誰からそれを……」

 今度はフェルディナントの顔が険しくなった。

「やはり、アリシアに家督を譲られるのですね」

 そしてエンリケを見る目を細めた。

「そ、それはまだ決めた訳では……」
「なぜアリシアなのです!?」

 フェルディナントの頭の中は疑問符が駆け巡っていた。
 本来、家督を継承するのは「長子」の務め。
 アリシアが姉であれば、分からなくもないが、彼女は妹だ。
 そしてフェルディナントは兄。
 当然、家督の継承は自分にされるものとばかり考えていた。

「父上。なぜ、私ではなくアリシアなのです?」

 そう詰め寄るフェルディナントに、エンリケは苦虫を潰したような顔で口を開いた。

「ア、アリシアはよく出来た子だ。話も上手いし、交渉もできる。すでに家の仕事をいくつか任せているが、どれも及第点だ。このまま行けば、我が家の仕事な大筋を任せても問題なかろうというのが、私の判断ではあるが……」
「それは私も……」
「お前は武の才能がある。既に剣士団でもトップの腕前だろう。だが、フェルディナント。その腕に足りないのは智略だ。
 お前はお前で才が秀でているが、家督を任せるのはアリシアが適していると、私は考えている」

 エンリケがそこまで言うと、フェルディナントは激昂した。

「何故?    何故アリシアなのですか!    私にだってアリシアあれくらいのことはできましょう!    あなたがさせなかっただけだ!」
「落ち着け、フェルディナント。あまり考えずに自分本位に突っ走る。お前の悪い癖だ!」
「これが落ち着いていられるか!    私が何のために血反吐を吐くような思いで訓練をしてきたと思っているのだ!    家のためだ!    カムリ家のため、恥になるようなことにならぬように、この家を支えるために剣士団に入団したのだ!    それが、アリシアに家督を譲るだと!」
「まだ誰とも相談しとらん!    話は決まっておらぬのだ!   とにかく落ち着け!   フェルディナント!」

 エンリケは椅子から立ち上がり怒鳴った。
 だが……

 エンリケの前には、腰の鞘から剣を引き抜いたフェルディナントの姿があった。

「フー!    フー!」
「お、落ち着け!    フェルディナント!」

 エンリケは両手を前に広げてフェルディナントを制止しようとするが、

「は、話を聞け!    フェルディナント!」
「フー!    フー、うるさいぃぃぃぃ!」

 父の制止も虚しく、フェルディナントは剣を一旦引くと、それをまっすぐ、エンリケの胸元へと突き出した。
 服を破り、皮を裂き、肉を斬り、骨を断ち。
 剣先がたどり着いた先にはエンリケの心臓があったが、戸惑うことなく、剣はそれを無情にも貫いた。
 刺された瞬間、エンリケは激しく痙攣し、口と胸元から鮮血が溢れ出した。
 フェルディナントが剣を引き抜くと、そこからも大量の血が溢れ出したため、彼もそれを少なからず被る羽目になった。
 鎧に父親の血が走り、不快な顔を見せるフェルディナント。
 父はよろめきながらもベッドまでヨタヨタ進み、その上に突っぷすとやがて動かなくなってしまった。

(死んだか)

 それを見届けると、父の向かっていた机へと向かう。
 その天板の上には一枚の紙があった。
 フェルディナントは紙を手に取り、書かれた文章に目を走らせる。

「……なんだ、これは?」

 走らせた途端、フェルディナントは自分の中に怒りがこみ上げて来るのを感じた。
 その紙には、家督をアリシアに譲ることが書かれていたのだ。
 いわゆる宣誓書のような内容なのである。
 フェルディナントは怒りのあまり、その紙をビリビリと破り捨てた。

「アリシアァァァァ……!」

 父の机に拳を叩きつけるフェルディナントだが、あることを思い出した。
 エンリケは、重要な文書は必ずするということを。
 今破り捨てた紙は一枚だった。
 もう一枚がどこかにあるはず。
 そう思い、フェルディナントは部屋の中を探し回る。
 引き出しや机上の紙の束をひっくり返したり、クローゼットの中を探したり……
 しばらく部屋の中を探し回るが、それらしい紙は見つからない。
 フェルディナントは眉を潜め、考えた。

 父のことだ。必ずもう一枚作っているはず。

 だが、エンリケに聞こうにも既に息はない。
 ベッドの上で胸元から血を流しながら横たわるエンリケに目を向けながら、フェルディナントはあることへと考えが行き着いた。

 妹のアリシアである。

 父はもしかしたらこうなることを予測していたかもしれない。
 アリシアにもう一枚の宣誓書を渡し、サインをさせた上でこの屋敷から持ち出させたとしたら。

 そう言えば、実家に入った時、姿を見かけていない。
 普段なら出迎えて来るはずなのだが。
 まぁ、今夜は急に戻ったこともあり、自分の部屋にでもいたのだろう。

 だがもし、夕食前にエンリケが宣誓書を彼女に渡していたら厄介なことになる。
 アリシアが宣誓書を持ち、何処かへ逃げおおせたとして。
 逃げた先で信用出来る人物と出会い宣誓書を見せれば、自分の立場が危うくなる可能性が高い。

 ーーここはひとつ。
 アリシアから宣誓書を奪い、アリシアもろとも、この世から葬らなければならない。
 自分は長男だ。
 この家の家督を継ぐべき者だ。
 家の主人に必要なのは、信頼でも口達者でもない。

 ーー力だ。

 圧倒的な力を誇示し、それに従う人間が必要なのだ。
 力こそ全て、力こそ象徴。
 そう信じて生きてきた。
 それが、フェルディナントなのだ。

 父親の部屋を後にすると、フェルディナントは部下を呼び付けた。
  
「アリシアを探せ。屋敷をくまなく、だ。見つからなければ町だ。それでもダメなら包囲網を張れ。今すぐだ!」
「フェルディナント様、一体何が?」

 部下の視線が、フェルディナントの鎧に注がれた。
 彼の鎧には、まるで返り血を浴びたような跡があったからだ。
 そして悔しげな表情で拳を壁に叩きつけた。

「……父上がたった今亡くなられた」
「エ、エンリケ様が、ですか?」
「そうだ!    私が部屋を訪ねた時、父の胸からは血が溢れていた。急いで止血しようとしたが間に合わなかった……これはその時、父の吐いた血だ。
恐らく、アリシアの仕業だろう!         
 何故そんな愚行に走ったのかは分からぬが……、理由を聞き出す必要がある」
「な、何と……アリシア様がそのような……」
「カムリ家の恥さらしだ!   父に代わり、私が宣言する!    アリシアは今を持って我が家から追放処分だ!    だが、罪は償わせる必要がある。。最悪は晒し首だ」
「さ、晒し首……」
「何としても探し出せ!」

 語尾を強めて命令すると、部下は「ハッ!」という小気味好い返事と敬礼をし、足早にその場を立ち去った。
 それを見るフェルディナントの表情は、どこか浮かない。

「父のことだ。アリシアに家督を譲る以上、何かしらの根回しもしているはず……。全く、厄介なことを考えついたものだ……!」

 顎に手を添え、そう呟くと、フェルディナントはその場から歩き始めた。

 程なくして国中に包囲網が貼られ、アリシア・カムリは指名手配となった。
 父親殺しの濡れ衣を着せられて。
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