鬼退治

フッシー

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この瞬間を生きるために

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「晶紀さん、私から離れるんだ。早く!」
 小春はそう叫びながら刀を構えた。
 晶紀は、鉄斎が刀を構える姿を見て慌てて後ろへと下がっていく。
 鉄斎の体は、餓鬼のようにやせ衰え、腹だけが大きく飛び出していた。
 しかし、その気迫は全く衰えていないようだ。突き刺すような殺気と、吹き飛ばされるかと思わせるような強烈な圧力が小春を襲った。
 そんな中、小春は心が乱れ、集中できずにいた。自分が虚無から生まれ、最期は消え去る運命にあることを聞かされたのだ。簡単には立ち直ることができないだろう。
「なぜ迷っているのだ?」
 鉄斎は、巨大な刀を構えたまま小春に話し掛けた。
「お前がどのように生まれたとしても、それは一つの命。他の命と何ら変わりはあろうか」
「私は何もないところから生まれてきたのだろう? 命が尽きれば何もなくなるのではないか?」
「人間や妖怪が命尽きた時、いったい何が残る? お前はそれを知っているのか?」
 小春が何も言わないのを見て、鉄斎は話を続けた。
「お前は、死後の世界というものを信じておるのか?」
「・・・あればいいと思っている」
「しかし、本当にあるかどうかは分からないだろう。お前だけではない。誰もそれは知らないことだ。そんなことで悩む必要がどこにある?」
「・・・」
「お前は、今、この瞬間を生き抜くことを考えねばならないのではないか」
 鉄斎はそう言いながら刀を振りかぶり、小春の脳天めがけて打ち下ろした。
 小春は、それを見て無意識に前へ飛び出した。鉄斎の刀は岩でできた地面を真っ二つに切り裂いてしまった。
 鉄斎の股の下をすり抜け背後に回ると、小春は大きく飛び上がり鉄斎の頭めがけて刀を振り下ろした。
 金属どうしがぶつかる音があたりに響いた。鉄斎は、振り下ろした刀を素早く頭上に掲げ、小春の一撃を凌いだのだ。そのまま今度は体を回転させて、落下する小春の胴めがけて横薙ぎに刀を払う。
 その刃を、宙に浮いたままの小春はかろうじて刀で受けた。しかし、鉄斎の強烈な一撃は、小春をそのまま吹き飛ばしてしまった。
 壁に激突し、小春はその衝撃に顔を歪めた。
 膝を突き、刀を杖に荒く呼吸をしている小春に鉄斎が大股で近づいてくる。
 小春はなんとか立ち上がって刀を構え、鉄斎の刀の切先に意識を集中させた。
 鉄斎は刀を右手に持ち、今度は小春に向けて突きを入れる。
 小春は、その切先が自分に届く寸前で体を横にして避けた。鉄斎の刀と小春との間は一寸くらいしかないほど近い距離だ。
 鉄斎の刀は壁を貫き半分程度が埋まってしまった。壁に大きな亀裂が走る。
 小春は、そのまま横へと走りながら刀を下から振り上げた。鉄斎の右腕が手首のあたりから斬り落とされた。
 鉄斎は、左手で小春の体を捕らえようとする。しかし、小春に指の間をすり抜けられ、逃げられてしまった。
 小春は鉄斎の股の下に入り、体を回転させながら両足を一気に切り裂いた。
 足を失い、鉄斎はうつ伏せに倒れてしまった。なおも立ち上がろうとするその姿は、小春の目にはあまりにも哀れに見えた。

「何をしている。早く楽にしてくれ」
 鉄斎は、小春がいつまでも攻撃してこないことを不思議に思い、叫んだ。
 小春はその言葉で我に返り、鉄斎の背中に飛び乗ると、後頭部に刀を突き入れ、頭を一気に切り裂いた。
 鉄斎は動かなくなり、やがて黒い煙とともに体が消えていった。そして、鉄斎が持っていた刀だけが、壁に突き刺さったまま残った。
「小春様、大丈夫ですか?」
 離れて見ていた晶紀が、小春の方へと駆け寄った。しかし、途中で小春の顔を見て立ち止まってしまった。
 小春は泣いていた。大粒の涙が地面へと落ちていた。出生の秘密を知った後悔か、行く末への恐れか、鉄斎を倒したことの安堵感か、それら全てが混在した涙なのか。
 晶紀は、ゆっくりと小春の下へ近づいていった。
「小春様?」
 小春は、大刀を背中に戻すと涙を拭い、晶紀の方を見た。
「大丈夫だ、心配ない」
 二人は荷物を手に取り、鉄斎が悠久の時を過ごした部屋を後にした。
「さあ、早いところ外に出よう」
 小春が晶紀にそう話し掛けた。

 喜平は、白魂にある冬音の屋敷にいた。
 喜平がこの屋敷に入ったのは、小春が白魂を離れてから数日後だ。そのときは、この部屋には誰もいなかった。
 それが今では喜平を含めて八人の男女がいる。皆、老人ばかりだ。
 顔見知りも何人かいた。その日、屋敷に入ったばかりの一人の男性が喜平に話し掛けてきた。
「いつからここに?」
「もう、十日以上は経つな」
「これから何をすればいいんだい?」
「それが、特にすることは何もないんだよ」
 喜平は、この屋敷に来てから特に何をするわけでもなく、部屋で三度の食事をして寝るだけの毎日である。
 男性は声を潜めて
「ここに来たものは、この先長くはないと言われているが、本当なのかな?」
 と喜平に尋ねる。喜平はそれに
「わしにも分からんよ」
 と答えることしかできなかった。
 そのとき、白魂の代表の菊介が部屋へとやって来た。
「皆さん、少しお話があります」
 八人は、菊介の方を向いた。
「明後日は新月の夜。この日は鬼を封ずるための儀式が行われます。今は冬音様が不在ではありますが、代わりに私が儀式を執り行う予定です」
 菊介はここで間をおいて一同を見回した。
「皆さんには、この儀式のお手伝いをお願いしたい。明後日は、私と一緒に儀式の場所まで付いて来て下さい」
 喜平は、その言葉を聞いて心臓の鼓動が大きく鳴るのを感じた。
「あの場所は立ち入り禁止ではないのかい?」
 一人の男性が菊介に尋ねた。
「儀式の時は、選ばれたものだけ入ることを許されている」
「何をすればいいんだい?」
 今度は女性が尋ねた。
「それは儀式の場所に着いた時に説明するよ」
「じゃあ、それまではここで待っていればいいのかい?」
 さらに他の者が尋ねた。
「ああ、屋敷から出なければ、自由にしていて問題ない」
「最近、鬼が出たそうじゃないか。冬音様なしで大丈夫なのかい?」
 喜平は、鬼が出たという話は知らなかった。
「冬音様の言い付け通りに儀式は行っているんだ。問題はないはずだ」
 菊介は、少しいらだった様子で答えた。
「一度、家へ戻りたいのだが、それはできるかい?」
 喜平が尋ねた。菊介は喜平の方に目を遣り
「どうして戻りたいんだい?」
 と逆に尋ねた。
「いや、ちょっと忘れ物をしたんだ」
「何を?」
 菊介がしつこく尋ねる。
「紅茶の茶葉さ。急に飲みたくなってね」
 菊介は何も言わず、喜平の顔を見ていたが
「じゃあ、明日にでも取りに帰るといい。但し・・・」
 菊介はここで少し間を置いてから話を続けた。
「見張りは付けるからね」

 その夜、喜平は皆が寝静まった頃を見計らい、部屋から抜け出した。
 裸足のまま庭に出て、東側の塀の方へと近づく。
 塀は高く、飛び越えることは不可能だ。近くの木に登り、枝を伝って外に出るしかない。
 小春のように素早く登ることができれば問題ないのだが、喜平にはそれは少々無理がある。
 それでもなんとか塀の上に伸びる枝にまで登ることができた。喜平は汗で体中がぐっしょりと濡れていた。
 枝の先の方へと進み、塀の外側にまでたどり着いた。あとは、下へと飛び降りるだけだ。
 しかし、かなりの高さがある。音を立てず、うまく着地できるか不安だ。
 できるだけ低い位置から着地しようと、喜平はゆっくりと体を下ろし、ぶら下がった状態になった。
 そのまま手を放す。喜平はなんとか地面に着地することができたが、同時に大きな音を立ててしまった。
 喜平は尻もちをついた状態からすぐに起き上がり、雑木林の中にある木の幹に身を隠した。
 間もなく、いくつもの松明の灯りが近づいて来た。物音に勘づいて見張りが様子を見に来たのだ。
「おかしいな、何か音がしたはずだが・・・」
「おい、これを見ろ」
 見張りの一人が指を指した箇所は、喜平が尻もちをついた場所だ。地面に跡が残っていたらしい。
「誰か逃げたのか?」
「お前は部屋にいる者たちの人数を調べろ。他の者は手分けして探すんだ」
 たちまち、見張りの者たちはあたりへと散らばっていった。
 その中で、皆に指示をした男だけ、地面を観察している。足跡が残っていないか確認しているようだ。
 喜平は動くこともできず、祈るような気持ちでその男の挙動を覗いていた。
 男はやがて、雑木林の中へと入ってきた。地面を凝視しながら、喜平の下へと近づいてくる。
(もうだめだ・・・)
 喜平が観念したとき、部屋を見に行った男が戻ってきた。
「一人いない。喜平という奴だ」
「そうか・・・」
 しばらく、雑木林の中を眺めていたが
「よし、喜平の家へ行ってみよう」
 と叫ぶと二人は駆け出していった。
 誰もいなくなった雑木林の中で、喜平は腰が抜けたようにその場に座り込んだ。

 もはや、自分の家に戻ることはできない。
 喜平は、何も持たぬまま白魂を出なければならなくなった。
 しかし、もたもたしている時間はない。捕まれば、恐らく助からないだろう。
 雑木林を過ぎ、白魂を飛び出し、北の方へと逃げていく。
 裸足で走ったせいで、足の裏は傷つき、その痛みに喜平は顔をしかめたが、それでも走ることを止めはしなかった。
 どれくらい走っただろうか。もう、白魂からはだいぶ離れた。
 どこにいるのか、喜平には検討もつかなかった。暗い森の中、周りには何があるのかもわからない。
 その場に座り込み、苦しそうに呼吸しながら空を見上げた。
(これから、どうすればいいんだ・・・)
 喜平は、無意識のうちに懐にある小さな白い袋に触れていた。
 長い間、その場を動くことなく誰かが来る気配がないか様子を見ていたが、見張りは森の中までは探索するつもりがないようだ。
 そのうち、逃れることができた安心からなのか睡魔に襲われ、喜平はその場で眠ってしまった。

 小春と晶紀は、四つの道へと続く巨大な部屋へ戻った。
「このまま真っ直ぐ進めば一番確実かな?」
 『闇』の道から抜け出した小春が、正面を見据えて口にした。
「あの崖を通らなければならないのですね」
 そう言って晶紀がうつむく様子を見た小春が
「左側の道でも戻れるんだっけ」
 と晶紀に尋ねた。
「あの集落の跡が見える崖の上にたどり着けますが、下りることは不可能みたいでした」
「右側は流れの急な川に出る。とてもじゃないけど泳いで戻るのは無理だよ」
「そうすると、他に選択肢はありませんね」
 晶紀は、ため息をついた。
 『炎』の道をたどり、あの巨大な火柱があった場所にやって来た。しかし、その火柱は消えてなくなっていた。
「おかしいわ。ここに巨大な炎が燃えていたのに」
「鉄斎が死んで、一緒に消えたのかな?」
 炎の跡には、黒くなった大きな平たい一枚岩があるだけだ。火種になりそうなものは見当たらない。
 そして、その向こう側に目を移すなり、小春の視線がそこに釘付けになってしまった。
「道がふさがっている!」
 そう叫んで小春が駆け出すのを見て、晶紀も慌てて追いかけた。
 以前、晶紀が通ったその洞穴は、石でできた巨大な仏の顔で塞がれていた。それを見た晶紀が
「いつの間にこんな・・・」
 とつぶやいたまま言葉に詰まってしまった。
 小春は、どこかに隙間がないか探し始めた。しかし、石像と壁の間には、人どころか鼠一匹通れる隙間もない。
 それでも小春はあきらめず、刀と荷物を地面に置くと、石像と壁の間で器用に手足をつっぱらせて上に登っていった。
 頂上にたどり着き、通れる場所がないか調べている小春の姿を、晶紀は心配そうに眺めている。
 小春は、這っていけばどうにかくぐり抜けられそうな場所を見つけた。しかし、中は真っ暗で何も見えない。早速、寝そべって少しずつ中へ入ってみた。
 少し進んだところで屈んで通れるくらいになった。しかもその先から光が漏れている。これなら向こう側へ渡れそうだと思ったのも束の間、明るい場所へ出た小春は目の前の光景を見て唖然とした。
 青白い炎に照らされて、巨大な丸い石がもう一つ、連なっていた。おそらく、それにも仏の顔が彫られているのだろう。小春は巨石に飛び移り、その先に進めないか調べた。
「だめだ、完全に塞がれてる」
 それ以上、先に進むことはできそうになかった。石像は洞窟にぴったりとはまるように造られていたとしか思えないほど、隙間が全くない。
 万が一、通れたとしても、さらに三つ目、四つ目の巨石が転がっているのではないか。小春はそう思わずにはいられなかった。
 隙間を通り、晶紀のいる場所へと戻った小春は、巨石のてっぺんからひらりと飛び降りた。
「小春様、どうでしたか?」
「だめだ。ここは通れないよ」
「では、私達はここに閉じ込められてしまったということですか?」
「全く、鉄斎は何を考えているのやら」
 小春は深いため息をついた。

 喜平が目覚めた時は、すでにあたりは明るくなっていた。
 眠りから覚めてすぐに足の痛みに気づいた。見ると足は血で真っ赤に染まっていた。
 立ち上がって歩こうとするが、痛くて立っているだけでもつらい。
(こんな状態でよく走れたもんだ)
 逃げていた時は、痛みなど感じなかった。痛みを忘れるほど、気が急いていたのだろう。
 白魂から北の方へは半日程度歩けば集落がある。まずは道を探し、その集落を目指すことにした。
 着ている衣服の袖を破り、足に巻きつけて即席のわらじにする。これで多少は痛みが和らいだ。
 しばらく森の中を歩いていると、小さな川を見つけた。川の水で足を洗い、喉を潤した。
 集落への道の近くに川が流れていたことを思い出し、川沿いに進んでみる。予想通り道に出ることができた。あとは道なりに進むだけだ。
 途中で拾った木の枝を杖にして、喜平は集落を目指した。
 空腹と足の痛み、そして疲れから、喜平は何度も休憩を取らねばならなかった。
 だんだんとツクツクボウシの鳴き声が森の中に響き渡るようになり、それがヒグラシの声に変わり始めた夕暮れ時、喜平は遂に集落にたどり着いた。
「助けてくれ」
 喜平は集落に入るとすぐに、その場にいた若い男性に声を掛けた。
「いったい、何があったんだ?」
 男性は驚いた顔をして喜平の姿を見た。袖のない服を着て、足は血で赤黒く染まっている。
「白魂から逃げてきたんだ」
 喜平は、それまでにあった出来事を包み隠さず全て男性に話した。
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