瑠璃色の海と空

フッシー

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即席の3人家族

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 そもそも、鬼神や麻子が今いる世界はいったいどこなのだろうか?
 そこは、地中に埋められたカプセルの中だ。
 地下4000mの深さにある、直径1000m、高さ2000mの円筒形の空間が彼らの住む世界だった。
 その円柱はいくつかのフロアに仕切られ、居住区や商業スペース、工場などが建てられていた。
 円柱が6本、ちょうど正六角形の頂点に位置するように並べられている。これが1ブロックだ。
 そのようなブロックが全部で7つ。やはり正六角形の頂点と、中央にもうひとつ設置されている。
 ブロックはAからGまである。そしてAブロックにはA-1エリアからA-6エリアまで、他のブロックも同様である。
 移動には、完全自動運転の車を誰もが使えた。しかも無償である。フロアには外側に外周道路があり、さらに他のエリアへと移動するためのチューブ式道路が張り巡らされている。行き先を告げるだけで、すぐに目的地へ移動ができた。
 この巨大な地下都市は、地上から切り離されても問題なく暮らしていけるように様々な工夫がなされていた。
 食料、水、酸素といった必要不可欠なものはこの地下都市の中で生み出される。
 資源は徹底的にリサイクルされ、エネルギーは地熱発電で得られる。自然災害が起こることもなく、温度や湿度は常に快適になるよう管理されていた。
 入居者には、住居や食事も無償で提供され、商業スペースや娯楽施設、巨大な公園なども整備されている。
 まさに人類にとって理想の都市となるはずの施設であった。
 未知の病原菌が発生するまでは。

 今、地上と地下を結ぶすべての通路は封鎖されていた。
 地上が汚染されることのないように。
 地下の住人は、完全に地上から隔離されたのである。
 まるで、開けてしまったパンドラの箱を慌てて塞いだようであった。
 閉ざされたのは通路だけではない。
 交信も途絶えてしまい、地上がどんな状況なのか全く知ることができない。
 完全に見放された。人々はそう思った。
 急に、地下深く閉鎖された世界で暮らすことが怖くなった。
 人々がパニックになるのは当然のことだろう。
 そのせいで、どれだけの住民が命を落としたのか分からない。
 それが今から100年も前の話である。

 未知の病原菌の正体は、未だはっきりとは分かっていない。
 地下深く、鉱石の中で休眠状態となった病原菌は、空気中を漂い人間に取り込まれる。
 体内に入った病原菌は何らかのきっかけで活動を始め、脳内へと侵入する。
 脳を侵された人間は、激しい頭痛を伴い、やがて体の制御が効かなくなる。力を抑制するリミッターが外れ、目に映るものを手当たりしだいに破壊するようになる。その後、どのような症状になるのかは分かっていない。制御できない力によって自身の体が破壊され、たいていの場合は死に至るからである。
 まれに、体の制御が可能になる者もいた。力をうまく加減すれば、体を破壊してしまう心配はなくなる。残念ながら、その状態が治癒することはなかった。彼らはスリーパーと呼ばれるようになった。
 『超人症』と名付けられたこの新しい病は、血液や精液などの体液を通じて感染する。普通の接触だけで感染するリスクは低いが、血液は特に危険であると言われている。
 地下には、今までは採取が困難だった貴重な鉱石が眠っている。それらが地上に供給できれば莫大な利益が得られるはずだった。
 しかし、得られたのは豊富な資源ではなく、悪夢のような恐ろしいバクテリアであった。現在、鉱石を採掘する工場はすべて閉鎖されている。有効な対策を講じない限り、再開の目処など立てられるはずがない。もっとも、再開したところで、もはや地上へ物資を送ることはできないわけだが。
 今、この地下都市で生活している者たちは全て、地上を知らない人間ばかりだ。果てしなく広がる海のことも、天井を覆う青い空のことも、夜になると現れる星空のことも、彼らは見たことがない。
 彼らにとって、地下の限られた空間が世界の全てなのだ。

「この部屋を使ってください」
 鬼神が、麻子を一室に案内した。大きめのベッドには、くすんだ緑の地に赤い落ち葉の模様があしらわれたベッドカバーが掛けられている。木でできたデスクがその横にあり、電気スタンドがポツンと置かれている以外には何もなかった。飾り棚に、様々な小物が収納されている。
「ありがとうございます」
 麻子が鬼神に頭を下げた。
「俺もしばらくは家から出られないから、何かあれば声を掛けるといい」
「何かあったのですか?」
 鬼神は、頭を掻きながら
「ちょっと問題を起こしてね。しばらく謹慎になったんだ。それから・・・」
 と話を続けようとしたとき、ドアホンのチャイムが鳴った。

 鬼神がドアを開けると、そこに見知らぬ女性が立っていた。
 もし、10人の男がこの女性の横を通れば、まず間違いなく10人とも後ろを振り向くだろう。清楚さと色気を同時に持ち合わせ、可愛らしさと妖艶さが同居した顔立ちに、鬼神は引き込まれるように魅入ってしまった。
「鬼神さんですね」
 女性は、柔らかな声で鬼神に尋ねた。
「そうですが、どなたですか?」
「はじめまして、私はドナ。あなたの謹慎が解けるまでの間、監視するために派遣されました」
「あなたが?」
 ドナは微笑みを浮かべた。おそらく、虜にならない男性などいないだろう。
「紫龍麻子さんを預かっていると聞きました。そのサポートもいたしますわ」
 鬼神は、言葉を返すことができない。
「まずは、家の中に入れてもらえますか?」
 ドナは笑みを絶やすことなく鬼神に語りかけた。

 麻子は、部屋の出口から少し顔を出して様子を伺っていたが、見知らぬ女性が近づいてきたのを見て、すぐに顔を引っ込めた。
「あなたが紫龍麻子さんですね」
 部屋の入口までやって来たドナが麻子に顔を近づける。麻子は、目の前に迫る美しい顔に、少し困ったような顔をした。
「まあ、なんて可愛らしい! お人形さんみたいね」
 突然のドナの発言に、鬼神と同様、麻子も何も言葉が出ない。
「困ったことがあったら何でも言ってね。外出したいときは、私がいっしょに付き合ってあげる」
「あんたは俺の監視が目的じゃないのか?」
 部屋の中を覗いていた鬼神が思わず口にする。
「私はそんなに厳しいことは言ったりしませんよ。少しくらい、外出したって構いません」
 鬼神の方へ振り向いて、ドナは腰に手を当てながら応えた。
「アンドロイドにしては随分と大雑把だな」
「何でも厳密にすると、息が詰まってしまうではないですか。少し手を抜いたほうが、お互いうまくいくんですよ」
 ドナの言葉に、鬼神は肩をすくめた。

 彩は、浮かない顔をしながら画面を見つめていた。
「どうした? 何かあったのか?」
 上司だろうか。頭の薄くなった初老らしき男が、彩の様子を見て背後から声を掛けてきた。
「いえ・・・別になんでもありません」
 後ろを振り向いて、彩は作り笑顔で答えた。
「そうか・・・ならいいが。あまりモニタばかり眺めているのもよくないな。報道部へ行くとおもしろい話が聞けるぞ。気晴らしに行ってみたらどうだ?」
「何か、大きなニュースでもあったんですか?」
「スラム街のことは君も聞いたことがあるだろう? あの場所で、大量の死体が見つかったそうだよ。皆、殺されていたそうだ」
「本当ですか?」
「間違いはなさそうだな。さっき、スラム街への入り口付近へ取材に出かけていたよ」
「じゃあ、スラム街に入ることは本当にできたんですね?」
「俺も、入る手段があるとは聞いていたが、意外にも簡単に潜り込めるそうだ」
「この間、A-2エリアの汚染地帯が問題になったばかりじゃないですか。今度はスラム街が本当に実在していて、しかも死体まで発見されたってことですか?」
「管理局長の首が飛ぶんじゃないか?」
 顎をさすりながら男は言った。

「あの場所に見張りを置くことになった」
 竜崎が浜本に話しかけた。
「あの場所って、スラム街の入り口ですか?」
「そう、アンドロイド10人体制で24時間監視するんだと」
「これで入ろうとする者はいなくなりますね」
「中から出ることもできんよ」
「今はA-2エリアもアンドロイドが張り付いてるんでしたね」
「ああ。残る汚染地帯はA-3エリアだが・・・」
「どうするんでしょうかね?」
 浜本の問いかけに、竜崎はすぐには答えず窓へと視線を移し、外を眺めた。
 外は暗く、蛍のようにゆっくりと点滅する光だけが、建物のある位置を指し示していた。
 道路を走る丸い車が、まるで光る電球が転がるかのように見える。
 その道路の少し上にある巨大なスクリーンには、新製品のドリンクをおいしそうに飲んでいる女性の顔が映し出されていた。
「あの病原体が潜んでいるのは、本当にこれで全部なのかな?」
 外を眺めながら、竜崎はつぶやいた。
「どうでしょうかね・・・でも、採掘工場は全て閉鎖されて、他の場所は厚くコーティングされてますから、問題ないと思いますがね」
「森に公園、歩道にだって土は存在する。なにかの拍子に外に飛び出すかも知れんだろ?」
「そう考えると、怖いですね。安心して外を歩くことができないじゃないですか」
 浜本が苦笑いしながら応える。
「しかし、不思議なもんだな。あのばい菌は、地中深くに住んでいたわけだろ? いつ、どうやって生まれたのだろうか?」
 竜崎は、視線を浜本の顔へ向けた。
「地上にはいないタイプのバクテリアですから、地中で生まれたんでしょう」
「何のために?」
 竜崎の問いかけに、浜本は肩をすくめるだけだった。
「俺はこう思うんだ。あれは遠い昔に作られた細菌兵器だとな。しかし、あまりに危険だから、地中深くに封印したのさ」
「別に封印しなくても、殺菌してしまえばいいじゃないですか」
「もしもの場合に使いたかったんだろう。戦争の時とかな」
「それが本当なら、こんな間抜けな話はないですね。埋めていることをすっかり忘れて、掘り起こしてしまったんですから」
「全くだ。自分が仕掛けた罠に掛かったようなもんだな」
 竜崎は、フンと鼻を鳴らした。

 夕食の時間、鬼神と麻子は、目の前に並べられた料理を見て目を丸くしていた。
 料理は全てアンドロイドのドナが作った。中央には大きめのフライパンに魚介類のたくさん入ったパエリアが、2人の前には具だくさんのスープに、色とりどりの野菜が並んだサラダが置かれている。
「すごい、こんな豪華な食事は久しぶりだわ」
 麻子が思わず口を開いた。
「スペインという古い国の料理です。あまり馴染みがないから、もしかしたらお口に合わないかもしれませんが、どうぞ召し上がってみてください」
 ドナの勧めに従って、鬼神が、スープを一口すすってみた。
「ほう、これは初めての味だな。うまいよ」
 麻子も一口食べてみる。
「おいしい」
 麻子の顔に笑顔がこぼれた。
「よかったわ」
 ドナも笑顔で麻子を見る。
 鬼神がパエリアを皿にとって食べてみた。
「これもうまいな。毎日こんな料理が食べられるなら、ずっと監視されているのも悪くないな」
「あら、私はずっとこのままでもいいわよ」
 魅惑的な青い目を輝かせ、ドナがおどけるように言った。
「ドナは汎用タイプなのか?」
 鬼神が尋ねた。アンドロイドには、いくつかのタイプがあるのだ。
「AEFーZの第9世代モデルです」
「強化型だな。俺の監視が終わったら、次の仕事は決まっているのか?」
「今はまだ指令は届いていませんが」
「麻子さんのボディーガードをするのはどうだい? あんたが付いていれば、家に戻っても大丈夫だろう」
「それは楽しそうね。一度、頼んでみようかしら」
「それがいい。俺も安心できるしね」
 話が急に思わぬ展開になって、麻子は慌てて
「いや、急にそんなことを言われても」
 と2人の間に割って入った。
「あら、麻子ちゃんは私といっしょに暮らすのはいや?」
「そんなことはないですけど・・・」
 麻子はそれ以上の言葉が出ない。
「麻子さんは、両親がいないわけだから、アンドロイドを無償で提供してもらえる。希望すれば、ドナと暮らすことも可能だ。手続きは全てドナに任せておけば大丈夫。悪い話ではないと思うが」
 麻子は困ったような顔で黙っている。気まずい空気を読んだのか、ドナが
「まあ、その話は今日決めなくちゃならない話でもないし。それより、料理が冷めないうちに召し上がれ」
 と助け舟を出した。

 部屋に戻り、麻子はベッドに腰掛けて部屋の中を見渡した。
 部屋の中の装飾を見ると、女性用の部屋という感じがする。一人暮らしの男性が使う部屋とは思えない。
 鬼神はスリーパーだから、家族とは離れて暮らしているのだろうと麻子は考えていた。昔はこの部屋を誰かが使っていたのかも知れない。鬼神の娘だろうかと麻子は想像した。
 明日からは学校に復帰しなければならない。急にそれを思い出し、スーツケースの中から専用の端末を出して、机の上に置いた。端末のLEDが点灯し、ワイヤレス電源が確保できたことを知らせる。
 電子ペーパーを取り出して、授業の進捗状況を確認する。課題が出されているのを見てため息をつき、端末の電源を入れた。
 しばらくはモニタに映し出される文字を読んでいたが、だんだんと気が散っていく。ふと、飾り棚に意識が向いた。アイボリーに塗られたその飾り棚は、麻子の背丈くらいの高さで、観音開きのガラス戸が付いている。棚にはいろいろな小物が飾られていた。
 飾り棚に近づいて、中を眺めてみる。和服を着た日本人形が飾られていた。サイズは小さいが、細かいところまで精巧に作られていた。おかっぱの黒髪が胸のあたりまで伸びている。人形の髪が伸びるという怪談話を昔、父親から聞かされたのを思い出した。この人形も人知れず、髪が伸びたのだろうかと思うと、見ているのが少し怖くなった。
 他に目を移すと、多肉植物が並べられている。丸くて透き通った緑色の玉がいくつも並んでいる鉢や、少しピンクがかった白色のジェリービーンズが連なったような鉢など、奇妙な姿の植物に麻子はしばらく魅入っていた。
 上の段を見ると、小さなトロフィーが飾られていた。プレートには『第63回 ホバーボード アマチュア大会 ジュニアクラス 優勝 鬼神咲紀』と書かれている。
(鬼神咲紀?)
 鬼神の娘の名前だろうかと麻子は思いながら、その隣を見る。『2235年度 警察署射撃大会 優勝 鬼神翔』と書かれたトロフィーがあった。ハンターは、警察とは切り離された組織だと麻子は聞いたことがある。スリーパーの中でも一定の能力がある者が、インフェクターや、時にはスリーパーの処理を行うことを主な任務としているが、警察としての仕事、事件の捜査や現場検証といったことはしていないはずだ。鬼神は昔、警官だったのかもしれないと麻子は思った。何が原因でスリーパーになったのかが気になるが、さすがに面と向かってそんなことは聞けない。
 トロフィーの横にはフォトフレームがあるが、電源は入っていない。黒い画面のままである。麻子は、何が映し出されるのか気になった。
 別の棚には、手の部分だけを型どったオブジェが飾ってあった。指は可動式で、どんなポーズもとらせることができる。デッサンなどに使うものなのだろう。
 その横に、カブトムシの精巧な模型がある。さらに鳥の形をした木製の彫刻。かわいい顔をした人形は、昔見ていたアニメに登場した猫のキャラクターだ。
 地下都市に昆虫はいない。いや、厳密には地中に潜む線虫やダニくらいはいる。しかし、大きな昆虫類は森の中にもいない。そして、鳥も全くいない。地下都市に住む人間は、本物の昆虫や鳥は見たことがない。資料などで、どんなものか知っている程度だ。森を散歩すると聞こえてくる鳥のさえずりや、秋の夜を彩る虫の声というのも経験したことはない。
 それだけではない。ここには海がない。はるか先まで水面が広がり、波が押し寄せては帰っていく。そんな光景を見た者は誰もいない。地上にはそんな場所があるということを話で聞く程度だ。
 アンティークな時計が飾ってあるのを見つけた。アナログの時計で、文字盤が磨りガラスのようになっていて、中の歯車が薄っすらと見えた。麻子は、しばらくの間、その時計を眺めていた。
 ふと、時計が夜の11時を示していることに気づいた。
「いけない!」
 麻子は慌てて机の方へと戻った。頭を抱えながら、モニタに映し出された文字を再び読み始めた。

 マリーは、裸の状態でベッドの上に横たわっていた。
 部屋の中は様々な設備に囲まれて、どれくらいの広さなのか判別ができない。天井にはたくさんのロボットアームがぶら下がり、その一つがマリーの姿を光で照らしていた。
 マリーの左の胸には銃痕がはっきりと残っている。ベッドの横にいた男がそれを見ながら
「内部の冷却ユニットと、上半身のボディーは交換しなきゃならないな。ちょうど君と同じ型のパーツが揃っているから、そんなに時間はかからないよ」
 と言った。
「他の部品に損傷はないが、交換は必要か?」
 マリーが尋ねる。
「前回から半年しか経ってないからな。まあ、必要ないだろう。それより、新しい機能を試す気はないかね?」
「どんな機能だ?」
「学習機能のアルゴリズムだ。判断能力が向上するはずだ。書き込むだけですぐに利用できるようになるよ。もちろん、過去のデータで再トレーニングが必要になる」
「その時までに学習したものは消えてしまうということか?」
「そう、再学習により今までと異なる考えを持つようになる可能性もある」
 アンドロイドは、常に外界から伝わる全ての情報を蓄えている。その情報から様々な判断を行うためには学習が欠かせない。学習機能の良し悪しが、正しい判断を行えるかどうかを決めるのである。
 そのアルゴリズムを変えるということは、全くの別人を作ることに似ているかも知れない。再トレーニングの結果、考え方が完全に変わってしまったら、同じ記憶を持っていたとしても、それは別の自分なのだろう。
 マリーは、今の考え方を変えてしまうことに対して拒絶反応を示した。確かに能力は向上するかも知れないが、自分ではない何かに変わることに危険を感知したのだ。それは、人間が持つ恐れのような感情なのかもしれない。
「やめておくよ」
「そうか・・・人間と長く接しているアンドロイドは、アルゴリズムの書き換えを拒否する者が多いな」
「・・・なんとなく分かるよ、その理由」
 マリーはそう言って目を閉じた。
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