死者の見る夢

フッシー

文字の大きさ
上 下
35 / 56

悲しき願い

しおりを挟む
「あー、疲れたぁ」

 永和宮を辞してしばらく歩くと、黒花は大きく伸びをして肩を回した。ある程度年季の入った女官でも、よその宮、しかも徳妃の前となると緊張したらしい。翠明がいたらこんな真似はしないだろうが、白狼と二人での訪問で余計に気疲れしたのかもしれない。
 白狼も首と肩を解したかったが、今は籠盛りの果物を持っているので腕を振り回すわけにもいかず、首だけ左右に動かすだけにとどめた。

「しっかし、徳妃様のところってみんな若かったわね」
「だよなぁ」
「確か、徳妃様って孫家の御姫様なのよね。乳母とか、年上の侍女とか連れてこなかったのかしら」

 そう言いながら首を傾げる黒花の体内から、こきりと変な音が漏れる。思考を巡らせるために首を回していたのではなく、単に肩を解していただけか。

「まあ、でも若いのが多いからあんまり厳しくないみたいだし、みんな楽しそうだからいいんじゃねえの?」
「そうなんだけどね。でも四夫人のおひとりとしての格を考えると、ちょっと物足りないかなって。経験がないと乗り切れないこともあるだろうし」

 出産とか、と黒花が呟く。

「ご懐妊したっていうの、どうやら噂じゃなかったみたいだしね」
「ああ、そういやそうか。あの服……」

 白狼も頷く。確かに徳妃はかなりゆったりとした服を着ていた。腹が目立たないようなものを選んでいるのだろう。帯らしい帯も付けておらず、そう考えると既に産み月は近いのかもしれない。
 男御子か、それとも女御子か。それも出産まで無事にたどり着けるか。
 永和宮の女官や下女の様子を思い出し、どっちにしろ無事産まれるといいなと思いながら白狼は帰路についた。

★ ★ ★ ★ ★

 贈り物のお返しに行ったのにそのお返しを持って帰った白狼を見て、小葉はけたけたと笑っていた。これはいよいよ燕が白狼に惚れている説が濃厚だ、徳妃もそれを後押ししていると銀月にも伝える始末だ。
 もはや否定するのも面倒くさい。というより、白狼自身もその説を信じてしまいそうな、そんな永和宮訪問だった。

「で、徳妃はこれからも仲良くしてくれと?」
「これもご縁だから、銀月とも親しくしたいって言ってたぜ?」

 ふむ、と銀月は白い碁石を指先で弄んだ。夕餉の後、いつものように寝室に軟禁され碁盤を挟んで差し向いに座る帝姫は何か考え込んだようだ。
 結局戻って来た白狼は、銀月の碁に付き合わされていた。とりあえず姫君の部屋着を着せられ、頭には付け毛を緩く結び付けられている。さっき言ったことを黒花が覚えていたらしい。
 化粧をするとき一瞬手が止まっていたのが気になるが、毎回顔をしかめる白狼に何か配慮しようとしてくれたのかもしれない。

「忘れ去られたような帝姫に近づきたいなど、どういう思惑があるものやら」
「うーん、思惑っていうよりは……」
「ん?」
「あの宮の女官とか、下女とか見たらさ。多分、徳妃ってすげえ世話好きなんだと思った」
「どういうことだ?」
「下女ってさ、後宮に売り飛ばされたり女官に応募してきた庶民の子だろ?」

 明け透けな物言いだが、銀月は頷く。

「基本的にそうやって雇われた下女は後宮全体の尚服や尚食で働く」
「それをさ、後宮に来てすぐの子を徳妃は自分とこの宮で引き取ってんだよ」

 出会ったとき、燕はそう言った。欠員が出たから急遽配置換えをされたと聞いていたようだが、あの人数をみれば「欠員がでた」せいではないだろう。見かけた年端のいかない少女たちを、自分の宮で保護しているとみるのが正解ではないだろうか。
 あの懐き方、宮全体の雰囲気、慈愛に満ちた徳妃の目。以前、毒見要員で庶民の燕を雇ったのだろうと穿った視点で見て申し訳なかったかも、と思うほど永和宮は穏やかだった。
 なるほどな、と銀月は白石を碁盤に打った。

「銀月も十五だし、徳妃にしたら自分とこの下女とか女官みたいに世話してあげたい歳頃なのかもしれないなって。俺に対してもまだ子どもなのにって言ってたぜ?」
「貴族の娘や歴代の帝姫は、十三、四で笄礼の儀を経て十五になる前に輿入れをするのが一般的だ。徳妃も、孫家の令嬢でそのくらいのことは分かっていると思うがな」
「へえ。やっぱちょっと早めなんだな」
「どうせ政略に絡んだ婚姻だ。輿入れして共寝に至るまで数年かかるということもあると聞いたことがある」
「……数年!?」

 びっくりしたついでに白狼は黒石を打つ。思惑とはズレたところに置いてしまったがもう待ったは利かないためそのままにするしかない。

「なんだよ、数年かかるんだったら銀月も輿入れしてすぐに男ってバレるわけじゃないのかよ」

 馬鹿め、と銀月が白石を置く。いい一手だった。ひょいひょいと黒石を除けられ、白狼肩を落とした。

「帝姫だからといって共寝を拒否したところで、湯あみやら着替えやらですぐ向こうの女官が気付く。そもそも女帝擁立の話がある以上、何年もあの皇后が放って置いてくれると思うか?」
「そっか、そうだよなぁ……」

 確かにそれは無理だろう。輿入れした途端にやられるか、あるいは道中にやられるか、どっちにしろその二択か。選択肢が増えなかったことにややがっかりしながら白狼は碁笥から黒石をつまみ出す。
 そして碁盤に置こうとして、止まった。いくつも並べられた石と石が燭台の灯りを艶やかに反射する。自陣の黒石が一つ、孤立無援の状態だったが、今持っている石をとある目に打てば自陣とつながりが増える。それを見てふと思いついたことがあったのだ。

「どうした?」

 訝し気に銀月が白狼を覗き込んだ。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 youtubeチャンネル名:heroher agency insta:herohero agency

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

華研えねこ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

処理中です...