死者の見る夢

フッシー

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旅のはじまり

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 細い山道を、雪花は月明かりを頼りに一人で歩いていた。この時代に、夜遅く女性一人で外を出歩くなど普通では考えられないことであるが、雪花は平然としている。
 だいぶ山奥へと進んだときである。雪花の背後から足音が聞こえてきた。後ろを振り返った雪花の目に映ったのは、真っ直ぐに続く上り坂を、刀を持った大勢の男たちがこちらに向かって走っている姿だ。こんな時は男であっても慌てて逃げるものだが、雪花はその男たちがやって来るのをわざわざ待っている。
 男たちはとうとう、雪花の目の前にやって来た。
「まさかとは思ったが、こんな上玉が見つかるとはな」
「へへっ、大人しくしてりゃあ、痛い目に遭わずに済むぜ」
「上向いて星でも数えてな。すぐに終わっちまうよ」
 下品な笑いとともに、男たちは雪花に対して卑猥な言葉を投げかける。それでも、雪花は青い目を男たちに向けたまま、何も言わずに立っていた。
「どうしたい、あまりに怖くて声も出ないか」
「どんな声で鳴くか、こいつは楽しみだ」
 雪花は、ため息をついた。
「このあたりに山賊は今までいなかったのですが」
「行者なんぞ、何も持っていないからな。俺たちは通りかかっただけよ」
「そうですか、運が悪いですね」
「女、あきらめるんだな」
「私のことではありません。運が悪いのはあなた方のほうです」
 雪花がそう言った瞬間、男たちの一人が意識を失ったように倒れた。
「どうした?」
 山賊の一人が倒れた男の横にしゃがみ込んで様子を窺っていると、また他の者が崩れるように倒れた。
「女、何をした?」
 そう叫んだ男もまた、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。山賊たちは恐怖に駆られた。
 数人が叫び声を上げながら、雪花に向かって刀を振り上げて突進する。ところが、雪花の下へ辿り着く前に、彼らもまたバタバタと倒れてしまうのだった。
 もはや、何が起こっているのか理解できず、残った者は悲鳴を上げながら逃げていった。
 はじめに雪花が行使したのは、目を合わせた瞬間、相手を永遠の眠りに誘う妖術だった。それは、鬼坊に披露した幻術よりも冷酷無慈悲なものであるが、苦痛がないだけ、まだ救われているのかもしれない。もう一つの妖術は、あらかじめ自分の周囲に毒の霧を撒き散らし、近づく者に緩慢な死を与える。雪花に襲いかかった山賊たちは、この猛毒により地面に這いつくばり、苦しみ悶えていた。その姿に冷ややかな目を向けながら、雪花は彼らが動かなくなるのを待っている。全員が息絶えたことを確認した後、雪花は亡骸の額にそっと手を添えた。すると驚いたことに、死んだ男たちが動き出したではないか。
「あなた達には、家の見張りをお願いしようかしら」
 全ての死体が立ち上がったのを見届けて、雪花はまた家路を進みだした。その後を、蘇った男たちが何も言わぬまま付いていった。

 すでに日が昇っているというのに、灰色の厚い雲のせいであたりは暗く、陰鬱な朝を迎えていた。
「夜は晴れていたのにねえ」
 勝手口から外に出た伊吹は、空を見上げて嘆息した。南の山側から吹く風には湿った土の匂いが混ざっている。すでにどこかで雨が降っているのだろう。
 因幡から伊勢までのルートは大きく二つある。一つは山陰道を通って京都まで向かい、後に東海道となる鎌倉街道づたいに関宿まで辿って、江戸橋で伊勢街道に合流するルート。もう一つは、南の方向へ進んだ後、平福から姫路まで美作道を辿り、山陽道で山崎宿まで、そして伊勢のある東へと向かうルートである。茂吉から入手した情報では、但馬国が近々因幡に兵を進める可能性があり、但馬を通る山陰道のルートは危険があると蒼龍は考えていた。しかし、美作は各地の勢力が激しく衝突し合う場所でもあり、決して安全であるとも言えない。
 伊吹にとっては、半ば強制された旅であるから、今は陰鬱な気分であった。大雨でも降って、出発が延期になってほしいなどと考えていたところへ、一人の小男がひょこひょことやって来た。
「目も使えず、耳も役に立たない、この哀れな乞食にお恵みを」
 小男はそう言って、巾着の口を両手で広げた。
「あんたなんかに渡す金なんてないよ。とっととどっかへ行きな」
 伊吹が横目で睨みながら手で払う仕草をするが、相手は目も見えなければ耳も聞こえない。当然、そんなことをしても効果はなかった。
「あなたがここの若旦那で?」
 乞食が不意に尋ねた。なぜ、そんな事が分かるのか、伊吹は気になった。
「あんた、本当に目も耳も使えないのかい?」
 伊吹が尋ねるが、乞食は何も反応しない。巾着を持ったまま、微動だにしなかった。
 面倒になった伊吹は、家に戻ろうと背を向けた。しかし、乞食の言葉を聞いて、慌てて振り返った。
「若旦那、あなた死相が出てるよ。近々、死ぬかもしれないね」
 伊吹が後ろに目を向けた時には、乞食の姿は消えていた。あたりを見回してもどこにもいない。しばらくの間、伊吹は呆然とその場に立っていた。

(あの男、よほど衝撃を受けたのか、しばらく動かなかったな)
 蝙蝠が、銀虫と会話していた。会話といっても、手を使った言葉の伝達によるものである。
 乞食の正体は蝙蝠であった。伊吹に恐怖を与えるのが目的ではなく、伊吹の姿を鬼の目にしっかりと焼き付けるためである。
(伊吹は今どこにいるのですか?)
(家に閉じこもっているな。しばらくは出てこないだろう)
 二人は、西極屋の屋敷にいた。蝙蝠の鬼の目が、離れた場所から伊吹の居所を捉えているのだ。鬼坊に強力な刺客を集めるよう命じたあの盲目の老人、西極屋の元締めである一長に最初に頼まれたのが、鬼の目を使って伊吹の動向を探るという仕事だった。そして、鬼坊が戻るまでは手出し無用とも言われた。
(この仕事、我々だけで片が付きそうなものだが)
(一長殿は、ただ殺すだけでは駄目だとおっしゃっていますから)
(一寸刻みで長く苦しませればよいのだろう)
 蝙蝠は不気味な笑みを浮かべた。
(それは我々の仕事ではありますまい。取り巻きを始末するのが我々の役目)
(百鬼夜行か・・・ お前は知っていたか?)
(名前だけは・・・ しかし死んだと聞いていましたが)
 銀虫は首を傾げる。
(『二の太刀を知らず』と噂されていたらしいが、お前に対してはどうかな?)
 蝙蝠の言葉を聞いて、銀虫も意味ありげに薄笑いをした。
 蝙蝠は、銀虫の兄弟子にあたる。ともに不具として生まれ、辛い修行に耐えてきたこともあり、二人は一心同体とも言えるくらい固い絆で結ばれていた。今回のように一緒に行動することが多いのも、蝙蝠一人だけでは周囲とコミュニケーションをとることができないのもあるが、二人が組むことで倍以上の力を発揮できるという強みがあるからだろう。
(・・・おや? 伊吹が外へ出たようだ)
(意外と肝が座っているようですね)
(どうかな? 夜は危険だと判断したのかもしれぬ。取り巻きも多い・・・ 一人、妙な奴がいる)
(妙な奴?)
(血流が半分ほどしか見えぬのだ。こんな奴は初めてだな)
 そう言われても、どんな様子なのか想像するしかない銀虫は、ただ無言で蝙蝠の顔を眺めているだけだった。

 それから一刻ほど時間が過ぎた頃、鬼坊が雪花を連れて西極屋の屋敷に戻ってきた。
 鬼坊が手始めに行わなければならないのは、雪花の報酬について一長に伝えることだった。一長はその要求額に少し驚いたものの、雪花の持つ能力を知り、鬼坊も呆気に取られるほど簡単に了承した。
「それよりも重要な話がある。蝙蝠から、伊吹が旅に出たとの報告があった」
「旅にですか?」
 一長は大きくうなずいた。
「今、伊吹は南に下っているらしい。おそらく我々から遠ざけようという魂胆だな」
「では、行って始末して参ります」
 一長の、使えないはずの灰色に濁った目が怪しく光った。
「いや、それだけでは駄目だ。どうやら十人ほどの取り巻きがいるらしい。そいつらを皆殺しにして伊吹だけここへ連れてくるんだ。あの男には、古今東西この世にある全ての苦痛を与えてやる」
 怒りに満ちた口調で一長が鬼坊に命じたそのとき、部屋の中に一人の女性が飛び込んできた。一長の孫であり、今回の騒動の発端にもなった、お菊である。
「お願いでございます。私も連れて行って下さいまし」
 この言葉に表情を一変したのが一長である。
「何を馬鹿なことを。お前が行って何をするのじゃ?」
 お菊は、頭を下げたまま答えた。
「伊吹は、私のことをもてあそんだ挙句、最後には打ち捨てた憎き男。私もあの男が苦しむ様をこの目に焼き付けたいのです」
「しかし、旅は危険を伴うぞ。伊吹を捕らえることができれば、ここでいくらでも苦しむ様を・・・」
 それ以上、一長は話を続けることができなかった。それは、伊吹に対する恐るべき拷問の数々を孫娘に見せることを意味したからである。お菊は、それを察して口を開いた。
「私は、あの男が恐怖に怯える様を目にすることができれば十分でございます。何卒、旅への同行をお許し下さい」
 一長は困り果てた顔をしている。冷酷無残な一長も、孫に対しては例外のようだ。横にいた鬼坊は、何も言うことができず、頭を掻きながら押し黙っていた。

 結局、お菊は旅に同行することとなった。
 途中から鬼坊も説得を試みたが、捨てられたことがあまりにも悔しくて、死んだほうがいいなどとお菊が泣き出したところで、さすがの一長もとうとう折れてしまった。
 そして、一長の指示により、三人がお菊の用心棒として旅に加わることが決まった。一人は猪三郎で、鬼坊よりもさらに一回り大きい身体はまるで熊のように見える。実際に熊と素手で闘い、倒した経験があるほどだから、ただ大きいだけではない。二人目は鹿右衛門。鬼坊や猪三郎のような大柄な男ではないが、剣の腕には鬼坊も信頼を置いている。特に居合斬りの達人であり、斬られた相手が気づかずにそのまま十歩ほど進み、上半身が地面に落ちた後もなお下半身だけが歩いていたという噂まである。最後の一人は鬼坊の女房であり、忍びの者でもあるお蝶で、お菊の世話をする役目も兼ねて選ばれた。
 お菊の説得に時間を取られ、旅の準備が終わったのは夕暮れ時。曇り空はますます暗くなり、冷たい小雨も降っている中で、鬼坊たちは伊吹を追う旅を始めるのだった。
「伊吹らは恐らく智頭を目指している。蝙蝠と銀虫が動向を探っているから、後を追うのだ。二人には、赤い布で目印を付けておくよう命じてある」
 一長の指示に、鬼坊は首を縦に振ってから、お伴を引き連れ出発した。心なしか、一長は不安そうな顔で旅の者に顔を向けていた。

 蒼龍たちは、千代川沿いの道を南に進んでいた。四方には低い山々が連なり、その上には鉛色の雲が重苦しく立ち込めている。その雲から降り注ぐ雨は地面をぬかるみに変え、皆の足取りを重くしていた。
 行列の先頭は蒼龍とお蘭だ。お蘭の体を気遣い、全員が彼女の歩調に合わせて進むためである。時々、蒼龍だけでなく他の者も、お蘭に声を掛けた。
「お蘭殿、疲れてやしないかい?」
「先ほど休憩しましたから、まだ大丈夫ですわ」
 お蘭に尋ねたのは一之助。お蘭の身の上を知ってから、蒼龍よりも気を使うようになった。
「無理せず、疲れたらそうおっしゃってくださいね」
 お雪も話しかけてくる。
「ありがとうございます。無理はしないように気を付けますわ」
 苦笑いをしながら答えるお蘭を横目に、蒼龍もまた笑顔になっていた。
 旅の一行は、丸山城を右手に望む河原宿で一服し、また歩き始めたところであった。潮鳥屋を出発したばかりの時は、間者に見つかって襲撃に遭うのではと警戒しながらの旅であったが、今のところは追手の気配もなく、全員が安堵の表情を浮かべていた。
「こんなに大所帯で旅をする必要はなかったな。このまま無事に伊勢まで辿り着けそうだ」
「でも、山賊や落ち武者に襲われることだってあるかもしれません。これだけ大勢いると、なんだか安心できますわ」
 お蘭の言葉に、蒼龍は満面の笑みを浮かべた。
「まあ、旅の連れは多いほうが賑やかで楽しいからな」
 そんな楽しげな旅を続ける蒼龍たちの遥か後方を、二人の素破者が密かに追っていたなどとは誰もが考えもしていなかった。両者の間隔は二里ほど。これだけ離れていれば、決して勘付くことはできないであろう。
「こうして後ろを付いて行くだけでは物足りないな」
 銀虫が、蝙蝠の後ろを歩きながら一人ぼやいた。蝙蝠は正面を向き、鬼の目をかっと見開きながら黙々と進むだけである。
 二人とも蓑笠は身につけていない。全身が雨に濡れ、着物から水滴がポタポタと滴り落ちている。
「蒼龍がどんな男なのか、この目で早く拝みたいものだ」
 銀虫がまた独り言をつぶやく。その言葉が分かったらしく、蝙蝠が口を開いた。
「まあ、そんなに焦るな。いずれ奴とは闘うことになるだろう」
 長く一緒にいたからなのか、蝙蝠は時々、銀虫に言葉を返すことがある。不思議なことに、ちゃんと的を得た返答をするから驚きだ。銀虫も、特に気にすることなく言葉を返す。
「その時が楽しみだな。できれば、いの一番で勝負したいものだ。そして、俺が倒してやる」
 銀虫は、顎の無精髭を手の平でさすりながら恍惚の表情で空を見上げた。

 雲に隠れた太陽が地上からも姿を消し、あたりを闇が支配し始めた頃、蒼龍たちは智頭に到着した。
 この地は昔から戦の最前線となり、多くの城や砦が築かれていた。その中で人々はたくましく自分たちの生活を守っている。旅をする者が多いわけでもないのに、旅籠も何件か残っていた。
「寺に泊まることになると思っていたけど、旅籠が利用できそうね」
 雨はまだ止む気配がない中、笠を少し持ち上げて、あたりを見回していたお松がポツリと口にした。
 明るい場所を見つけて安堵したのか、まるで灯りに群がる虫のように、蒼龍たちは一軒の旅籠へ吸い寄せられていく。
「いらっしゃい」
 旅籠の女将だろうか。花柄をあしらった美しい小袖を着て、たぬき顔のかわいい顔に満面の笑みをたたえている。
「大人数だが、空いているかな?」
「お客さんはあなた達だけですよ」
 やはり、旅の者は他にはいないようである。
「そうか・・・ このご時世じゃ、大変だね」
「最近は落ち着いてきたほうですけどね。少し前に戦があって、商売どころじゃありませんでしたよ」
 女性は愚痴をこぼしながらも、手際よく仕事をこなしていった。蓑笠を預かりながら人数を確認し、すぐに部屋へと案内する。
「申し訳ありませんが、食事は用意しておりませんので」
「このあたりで食事できるところはありますか?」
「酒屋ならこの近くにありますよ」
 女性の言葉通り、少し歩いた先に酒屋があった。ここも宿屋同様、他に客は誰もいない。各々が注文を終えた後、蒼龍が話を始めた。
「もう少し進んだ先に峠がある。明日はそこを越えなければならないから、ゆっくりと体を休めておいてくれ」
 お松、お雪、そしてお蘭の三人は真剣な顔で蒼龍の言葉を聞いていた。しかし、他の男達は誰もいない。彼らは座敷があることを知り、そこで遊ぶつもりだ。蒼龍も誘われたが断った。
「全く、呑気なものね。命を狙われているかも知れないというのに」
 お松が、ため息混じりに口を開いた。
「うまく逃げることができたから、安心したのでしょう。一日くらい大目に見てあげましょう」
 眉間に皺を寄せるお松を横に、お雪が作り笑いで怒りを抑えようとするが、お松はもう一度ため息をつくだけだ。
「あなたは参加しなくてよかったの?」
 お蘭が意味ありげな含み笑いを見せながら蒼龍に尋ねた。
「俺が遊女と遊んでいてもいいのかい?」
 蒼龍も笑顔でお蘭に応える。お蘭は口を尖らせながらも
「たまに遊ぶくらいなら、目をつぶりますわ」
 と返した。その様子を眺めていたお雪が何気なく聞いてみた。
「お二人は、どうやって知り合ったのですか?」
 お雪の質問に、お蘭は少し驚いた表情を見せた後、ちらりと蒼龍の顔に目を遣った。蒼龍は、お蘭の顔を横目に自ら答え始める。
「俺たちは幼馴染でね。実は生まれた日が同じなんだ。小さい頃から、よく一緒に遊んでいたよ」
 お蘭も小さくうなずく。お雪は、うっとりとした顔になって
「素敵な話ね、小さな頃からずっと一緒だなんて」
 と吐息を漏らした。
「あなたも早く素敵な旦那さんを見つけないとね」
 普段は笑うことのないお松が、にやけた顔でお雪に話しかける。しかし、お雪はお松の表情に気づいていない。
「そうねえ・・・ どこかにいい男がいないかしら」
 口を半開きにして、天井を見上げたまま視線の定まらない眼前のお雪に、蒼龍は興味本位で問いかけた。
「店にいる男連中では駄目なのかい?」
 言葉の意味がすぐに理解できなかったのか、お雪はしばらく蒼龍の顔を注視していた。
「やだ、いませんよ、いい人なんて」
「でも、あなた、店に入った頃は若旦那のことを気に入ってたんじゃないの?」
 お松にそう暴露され、お雪は赤くなった。
「確かに若旦那は見た目はいいんですけどね。あの性格でしょ。すぐに目が覚めました」
「そうよね。せめて浮気性なのと、頼りないところが直ればねえ」
「旦那様は立派な方なのに、どうしてあんなにも正反対の性格なんでしょうね。ああ、潮鳥屋の将来は真っ暗だわ」
 本人がいないからと、二人とも言いたい放題で、蒼龍もお蘭も呆気にとられていた。よほど伊吹の人格に問題があるのだろうか。
 驚いた目を向ける二人に気がついたお松が慌てて
「ごめんなさい、内輪の話ばかりして」
 と頭を下げた。
「いえ、気になさらないで下さい」
 お蘭が首を横に振る。それからは、食事が運ばれてくるまで誰も口を開こうとはしなかった。
「わあ、おいしそう」
 食事が運ばれ、お雪は場を和ませようと楽しげに振る舞う。
「本当ですね。さあ、冷めないうちにいただきましょう」
 お蘭も笑顔で皆を見回したとき、大きな笑い声が聞こえてきた。伊吹たちだ。
「あっちは楽しそうに遊んでるわね」
 お松が独り言のようにつぶやいた。
「明日になって後悔することにならなきゃいいけど」
 お雪が心配そうに、声のするほうへ目を遣る。
「後悔することが分かっていても、止められないのが男の性なのかもな」
 蒼龍が伊吹たちをかばうように話すのを聞いて、お蘭は
「あなたにも、そんな経験がおありになって?」
 と問いかけた。三人が注目する中、蒼龍は
「そうだな、戦に参加したのは、今でも後悔しているよ」
 と言って微笑んだ。

 翌朝になって、蒼龍と女三人はすでに準備を終えて土間で待機していた。一方、男性陣は部屋から出てくる気配がない。
 眉根を寄せていたお松であったが、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、荷物をその場に置いてすっと室内に戻り、男たちの部屋の戸を開けた。
 そこには、ござの上でまだ眠っている男五人の姿があった。ただ一人、疾風だけが源兵衛を起こそうと傍らに座っている。
 その後のお松は、男たちにとってまさに鬼そのものに見えたであろう。叩き起こされた五人が土間で正座させられるまでは、あっという間の時間であった。
「今日は朝から出発すると決めていたのに、いつまでも眠っていたのはどういう訳かしら?」
「その、明け方近くまで遊んでいて、それで二日酔いで頭が痛くて」
 誰も話そうとしないのを見て、宗二が理由を説明し始めた。
「それじゃ、理由にならないでしょ。蒼龍殿やお蘭殿はずっと、あなた達が出てくるのを待っていたのよ」
「お金で雇ったんだから、特別扱いする必要はないだろう?」
 伊吹が、小さな声で反論を試みる。
「その前に、若旦那にとっては大事な恩人ではありませんか。そもそも、私たちはお二人の旅に同行させてもらっている身。若旦那のわがままが通用するとは思わないで下さい」
「お前、雇い主に対してなんて口を・・・」
「私を雇って下さったのは旦那様です。あなたではありません」
 いつもの冷たい目つきで睨むお松の顔を、伊吹は凝視することができない。凍りついたような空気に包まれた中、三人の剣士が互いに顔を見合わせた。
「お松さん、俺たちが悪かったよ。二度とこんなことはしないと約束するから許してくれないか」
 一之助の謝罪の言葉とともに、三人は深く頭を下げた。
「本来なら、年長者のわしが注意すべきだったな。もう絶対に同じことは繰り返さないと誓うよ」
 源兵衛も反省の言葉を口にして、残ったのは伊吹ただ一人だ。
「さあ、若旦那はどうされるのですか?」
 お松が伊吹に問いかけるが、しばらくの間、伊吹は何も言わなかった。時間だけが刻々と流れていく中、一人として動くものはいない。
 結局、最後には伊吹が我を折り、ぼそぼそと話し始めた。
「分かったよ。もう二度とこんな真似はしない」
「よろしい。それでは、すぐに旅の支度をなさって下さい」
 こうして、ようやく五人は解放され、頭の痛みに耐えながら準備を始めるのだった。
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