優しい時間

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新しいライフスタイル その3

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 30分前に奥方とのランチに出かけたゼウスが冷気をまき散らしながら鬼気迫る形相で戻って来るなり、側近たちに超重低音で一言かけた。
 「出ていけ」
 側近たちが取るものも摂らず蜘蛛の子を散らすがごとく我先にと扉の外へと駆け出して行ったのを確認して、ガチャリと消音障壁術を執務室にかけた瞬間に。
 はあああぁぁ~
 バリバリバリ
 超特大のため息と重なる障壁が壊れる音。
 「よお」
 ヤツが現れた。
 情けない姿を見せないためにかけた障壁術を突破してやってくる男など一人しか知らない。
 軽い調子で声をかけてくる親友を机の上に突っ伏したまま睨み返す。
 「何の用だ」
 「いや、最愛の奥方と久方ぶりのランチに出かけたと聞いたから、成果はいかがかと様子を伺いに来た」
 「帰れ」
 「そう言うなって。お前が極悪非道人のような顔で廊下を歩くから、冷気が充満して使用人が凍えそうだから何とかしてくれと侍従長から直訴された。いったいどうしてそんなことになった」
 「それは・・・」
 「まあ、聞かなくてもおおよその検討は付くがな」
 「なら聞くな」
 「ここと、あちらの幸せ感に雲泥の差があり過ぎることはオレの耳にも入っている。さすがのお前も代用品で雰囲気だけでも味わいたかった気持ちもわかる」
 「・・・」
 「で、結果がブリザードではセッティングした者も厨房も浮かばれないわな」
 「うるさい」
 「で、そこまでお前を怒らせた上に消音障壁術をかけるほど落ち込ませた原因は何だ」
 「・・・」
 無言で対抗しても、こんな時のヨンサンは答えるまで諦めないことを経験上よくよく知っていたミセイエルは渋々白旗を上げた。
 「お前のおっしゃるとおりだよ。ほんの少しでいいからハナを感じたくて例のおむすびを用意させたんだが、それをちまちま箸でつついて食べるし、はな様と呼ばれて嬉しそうにしてるし、極めつけは色仕掛けで迫られた」
 すね犬のような情けない顔で告白するミセイエルを見て、思わず噴き出した。
 「ぷッハハハ、なんだそりゃぁ。それはまた、あり得ないスチュエーションだな」
 「結果、自制心のない行動を起こして自己嫌悪に沈んだ。ハナ以外の者にハナを求めても満たされないことはジュべリの時に経験済みだったのにな。本人を知っているだけに趣味や仕草が思いっきり別人で、あんた偽物だよねっ、てなことを言っちまった。もう少しこっちの腹は隠しておきたかったんだが」
 「「はあ~」」
 二人そろってため息を吐く。
 一人は後悔の、もう一人は呆れ果てて出た特大の「「はあ」」
 堂々とミセイエルの術を破ったヨンサンはやっぱり有能で器が大きかった。
 ため息のあと凹みから浮上できないミセイエルの肩を叩いてニヤリと笑う。
 「まあこれで、こちらのはな様も追い詰められただろうから、直接繋ぎを取るんじゃなのかな。ジルあたりが彼女の外出許可を求めて来たら出してやれ。琉家あたりに逃げかえると思うぞ」
 「やっぱり琉家か」
 「ああ、彼女の望んだ家具はセシルのお気に入りだし、彼女の侍女になりたいと食い下がったジルは琉家の隠し玉だった」
 はなの陰にいる者の尻尾を掴む糸口となるかもしれないと思い、はなを後宮に入れる際に女官長には、彼女の望むままにさせろと指示を出し、彼女との接触を熱心に希望する者があれば報告せよ、と申しつけてあった。
 「これで彼女が外出して帰ってこなければ、天界人の興味の薄れつつあるこちらのはな様の偽物騒ぎは落ち着くはずだ。あちらのハナ様のことは琉家の動きを見極めてから、祇家と対峙すればいい」

 天界に出入りする多くの外商達は、首を傾げ自分たちの中にある疑問に悶々としていた。
 奥方を見つけたゼウスの住む皇宮と、婚約者を見つけたヨンハが住む璃波宮の空気は、なぜこうも違うのかと?
 天界の後宮に溺愛する奥方が納まったというのにミセイエルのいる皇宮の官吏たちの表情はスゴブル硬い。
 高位に身を置く文官や武官たちが、奥方に御挨拶をと押しかけても、妻は体調がすぐれないのでお断りする、とすげなく返され面会がかなわない。
 では、見舞の品だけでもと持参するのだが、側仕えの女官の代筆と思われる定型の礼状が返ってくるだけで、彼女に直接わたっているかどうかも怪しい。
 ゼウスの溺愛する奥方だと評判の人物に繋ぎを取っておくのは宮仕えの常識なのだか、上手く運んでいる形跡がないから後宮の中もうすら寒い空気がそこはかとなく漂っていて。
 第一ミセイエルが後宮に渡らないとあってはもはや寵愛が冷めたと噂する天界人も多く、本当にダイヤモンドオウカなのかと疑問視する声もチラホラ。
 果ては、はな様には特筆する価値無しの烙印を押した者さえ現れて、高級品を扱う外商さんが頻繁に呼ばれたのも最初のわずかで後は皆淡々と仕事をこなしていた。

 反対に、最愛の婚約者を無事見つけ出して連れ帰った璃波宮の空気はデレデレに甘い。
 婚約者様にいかがですか?とドレス用の反物を見せに行くと、あれもこれもと買って下さるし、雑貨屋や宝石商も同じようだという。
 商品を吟味するヨンハ様が幸せそうに大盤振る舞いをするので、足しげく通ていたある日、当の婚約者様がドアを蹴破る勢いで現れて、`いい加減にしてください。贅沢なお品は金輪際頂きませんから‘と息巻いた。
 追いかけてきた侍女たちはオロオロするし、一歩遅れてやって来た侍女頭のマチルダ様は婚約者様の行儀の悪さに雷を落すし。
 しゅんとなった婚約者様を抱きしめて、可愛いを連発するヨンハ様の甘いことこの上なく。
 当てられっぱなしなのだが、そこにある空気がほっこりと暖かいから、つい璃波宮に足が向く。
 なので暗く静かな皇宮に比べて璃波宮は明るく活気があった。

 そんな、こんなな噂はどんなに側仕えの使用人の口が堅くとも、出入りの商人や職人、下女下男あたりから洩れるもので。
 ミセイエルの耳にも、ヨンサンの耳にも届く。
 ヨンハにデレデレに甘やかされて暮らすハナの噂を聞かされては、ミセイエルも平常心ではいられないのだろう。
 その心情を十分に分かっているヨンサンは彼が何時なんどき膨大な神力を爆発させてしまわないか毎日がハラハラドキドキで、常に意識を向けていて、今日も天界が吹っ飛ばないために、障壁を破壊してまで彼のガス抜きに駆け付けて来たというわけだった。

                       ***  

 2人のハナ様の様子は琉家の自宅でくつろいでいたセシルの耳にも当然それは聞こえてくる。
 「やっぱ、はなではゼウス篭絡は無理か」
 優雅にお茶していたセシルはダイニングテーブルの上に肘をつき組んだ両手に顎を乗せ頭を傾げる。
 「さて、どうしょうかな」
 呟いた独語に反応するように頭の中に子飼いの男の声が響く。
 「サクラ様にセンタークラブハウスで行われる女子会チケットを無事渡すことが出来ました」
 「それで、彼女は無事あそこから抜け出せそうかな」
 「ヨンハ様が出かけられた後なら代役を立てればすぐには露見しないかと。その上で私が連れ出します」
 「疑われてはいない?」
 「あの方は真っすぐで疑うことを知りません。私とオルガが庭でした女子会の話も偶然耳にした!ラッキーと思っておいでで、こちらの思惑など微塵も頭にないでしょうね」
 純真で、真っすぐで、無垢か、と口に出してみると苦いものがこみ上げてセシルは顔を顰める。
 曲がって歪になり人を斜めから見ることの多いセシルのような人間にとってハナは眩し過ぎて落ち着かない存在だ。
 まさか、あのゼウスさえ彼女を汚すことを恐れ、籍を入れ同居しても抱くことが出来なかったとは思わなかった。
 はなの処女を奪った自分の失策に苦笑いしか出てこない。
 偽物と露見しないために彼女に色事を教えたことが裏目に出るとは考えても見なかった。
 これ以上はなを後宮に置いておいてもゼウスが彼女に手を出すことはないだろう。
 だとしたら、本物を置くしかない。
 後宮の妃部屋には隣室に侍女が控えているはずだからゼウスが渡り、既成事実があればすぐに周知される。
 セシルはそう考えて、その綺麗な顔に小薄な笑みを浮かべた。
 今の状況で本物を置けばゼウスが彼女を抱く確率は極めて高いから、その既成事実を複数の侍女によって確認させ、こちらのはなをもう一度後宮に戻せばゼウスが彼女を抱いたことは履返らない。
 自分の後宮で抱いた女性を蔑ろにすることは許されないから、天界は妃に据えようと動く。
 一方であちらのハナ様はあちらの世界育ちで、一夫多妻を認めはしないだろうから自ら側妃に立ちたいと言い出すことも無かろう。
 唯一の妃となるこちらのはなが皇宮の権力者となれば、陰から天界の勢力図を面白おかしくいじり倒し、生真面目で優等生のかの人に一泡吹かせられる。
 その天界一の能力持ちに、欲するものが手に入らない事実をわが手で作ることの何と愉快な事か。
 それにもう一つ。
 上手くいけば第三のダイヤモンドオウカ騒動を起こせるかもしれないし。
 頭の中にいくつもの未来を想像してセシルは口角を上げる。

                       ***
 
 『はなにしか出来ないことなんだ。僕のためにダイヤモンドオウカ様になってくれるよね』
 そう言われて、たとえ片思いでも愛する人の役に立ちたかった。 
 何よりも大切にしてきたこの思いは、3日前の昼食の席でミセイエルに厳しく打ち据えられた今のはなを支えてはくれない。
 このままハナ様役を続けても意味がないことは分かっているのにどうしたらいいかがわからない。
 進むべき道を指示してくれるセシル様に会うことも出来ない。
 ダイヤモンドオウカとして天界のゼウスの後宮で彼に抱かれろといわれひどく傷ついたが、愛する人に僕の望みを叶えられるのは君だけといわれ、お願いだと懇願されれば天にも昇る気持ちになった。
 だから自分なりに頑張ってみたのだが彼の期待に応えるのはもう無理だった。
 進むべき道を見失って暗闇に沈んで起き上がれないはなの足元に明かりを燈したのは侍女のジルだった。
 側に来て膝を着いた彼女は、声を出さずに唇だけを動かした。
 
 セシル様が、25日の夕方に十日市場のクラブハウスでお待ちです。
 
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