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エピローグ:筆頭魔術師の見た夢は

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「ん……」
 腕の中のリィはまだ目を覚まさない。無理もない、初めてだというのに、何度イカしたのか判らないくらい抱き潰してしまったからな。
 ――リィは最後に達した後、あっさりと気を失ってしまった。魔法で身体を清めた後、地下室から自分の部屋へと連れてきた。
 すやすやと眠るリィの頬は赤いままだった。ほっそりとした白い身体のあちらこちらに、私の所有物である赤い証がついている。金糸のような艶やかな髪は、乱れてシーツに広がっていた。リィの身体は柔らかくて温かくて、どんなに抱いても、抱き足りない気がしていた。
「リィ」
 上掛けを捲り、リィの左太股を確認する。あの忌まわしい文様は、綺麗になくなっていた。そこにあるのは、滑らかな白い肌だけ。
(やっと、これでリィは私のものだ――)
 ――こうしてお前を手に入れるまでに、十六年待ったなどと……お前は知らぬだろうな
 私はリィの肌から香る、媚薬の様な匂いを嗅ぎながら、昔の事を思い出していた。

 ――薄暗い部屋の中。それが私に残る、最古の記憶。
 黒髪に黒い瞳、そして強大な魔力を持って生まれた私は、『魔王の生まれ変わり』と言われていた。両親は私を孤児院に捨てたらしいが、私も二人の事など何も覚えてはいない。孤児院でも、強すぎる魔力に恐れをなした人間に、鍵の掛る狭い部屋に閉じ込められ、一日一食餌のような食事が与えられるだけだった。ドア越しにする会話も、週に一度か二度。部屋に置き去りにされた古い絵本から、私は勝手に文字を学んだ。物置として使われていた部屋には、様々な古本が何冊も床に積まれており、私はその全てを読む事で知識をつけていった。

 そうした生活が何年か続いたある日の事。突然眩しい陽のあたる場所に私は連れ出された。私の骨ばった手を握り締めたのは、優しい白い手だった。
『あなたはこんな所にいる人じゃないわ。私と一緒に行きましょう』
 優しく微笑む青い瞳。絵本に出てきたお姫様の様な金色の髪。そしてお姫様が着る様なドレス。呆然としていた私の頭を優しく撫ぜてくれた。
 ――それが、孤児院を慰問していた、アンテローゼ=ファリスタ王妃との出会いだった。

 元々は孤児院の院長が、王宮魔術師に相談を持ちかけた事がきっかけらしい。魔力が強すぎて扱えない子どもがいる、と聞いた彼は王家の人間にその事を報告した。高い魔力を持つ者は、国の運命をも左右する駒になり得る。そのため王家では王宮魔道院を設立、魔力持ちを集めて教育を行っていた。そこに私を入れたらどうか、というのが彼の提案だった。
 偶然にもその孤児院を慰問する予定だった王妃が、私の様子を見る事になったそうだ。王家の人間は総じて魔力が高い。だから、下手な魔術師よりも魔力に対する耐性がある。王妃はその役目を喜んで引き受けた、と言っていた。
 私の境遇は、王妃の目にも過酷なものとして映ったらしい。私を部屋から出した王妃は、すぐさま私を王宮へと連れて行った。何も判らない私は、見た事もない豪華な建物をじっと観察する事しか出来なかった。
 ――ただ、自分を光の元に連れ出してくれた王妃を、神の使いの様だと思っていたが。

 ただのレイナードだった私は、レイナード=ヴェリウスという名を頂き、王宮魔道院に入った。そこで、魔力の扱い方を学ぶ事になる。十分な食事に十分な衣服。質素ながらも自分だけの部屋。そして王宮図書館の蔵書。やっと落ち着いて魔力を使える様になった私は魔術師としての適性を発揮、十四を迎える年には史上最年少の筆頭魔術師となっていたのだった。

 強大な魔力で王国を守る。かつて忌み嫌われていた『魔王の生まれ変わり』は、王宮の人間にもちやほやともてはやされる様になっていた。だが、私の心は何も感じなかった。おそらく小さい頃の環境の影響で、私の感情は著しく乏しくなっていたのだろう。女達に迫られても、金銀財宝を積まれても、私の中は空洞のままだった。
 ――そんなある日の事。久しぶりに王妃が私に会いたいと言ってきた。王女が生まれたという話は私も知っていた。おそらくその関係だろう、と思いながら、私は王妃の部屋を訪ねた。私を迎えてくれた王妃の笑顔は、私を見出してくれた時と変わらなかった。この御方と会っている時だけ、私の心は少し温かくなった気がした。
『ねえ、見て頂戴、レイナード。私の宝物よ』
 王妃の腕の中には、白と金の布で包まれた、小さな小さな赤ん坊がいた。白い肌に薔薇色の頬。柔らかそうな金の髪。私が顔を覗き込むと、それまで閉じていた赤ん坊の瞳がぱちっと開いた。王妃と同じ、青い青い瞳が……私の漆黒の瞳を真っ直ぐに捉えた。その途端、私の心臓がどくんと高鳴った。
 ――ミツケタ。ワタシノ……タカラモノ
 その時の衝撃は、一生忘れられないだろう。欠けていた私の心の一部。それがここにある。何の根拠もなく、そんな思いが腹の底から湧きあがってきた。
(これは……私のもの、だ……)
『リリアーナというのよ。この子を守ってね、レイナード』
『はい、王妃様。リリアーナ様のお命を守ると、ここに誓います』
 私は頭を下げ、小さな白い手の甲に誓いの口付けをした。そう、この王女は私のものだ。王女の命は私が守る。そう私は神に誓ったのだった。

 リリアーナ王女は、国王や王妃、そして王太子の愛を一身に受け、すくすくと成長した。私を見ても全く怖がらず、「レイ」と舌足らずな声で私を呼んだ。王女の笑顔が何よりも大切だった。王女も強大な魔力を持っていた。破壊の魔力が中心の私とは違い、癒しの魔力だ。王女が手をかざすと、枯れかけた薔薇が、見る見るうちに瑞々しい薔薇へと生まれ変わった。誰もが王女の癒しの魔力を欲しがった。誰もが王女の鈴の様な笑い声を聞きたがった。誰もが王女の太陽の様な笑顔を見たがった。そして誰もが――王女を手に入れたいと思う様になっていった。まだ幼い王女を攫おうと企む輩を、何人始末したのかすら覚えていない。あれは私のものだ、手を出すな。ただその想いだけで、私は動いていたのかもしれない。
 やがて魔法人形の第一人者から創り方を学んだ私は、自分だけの魔法人形の制作に取り掛かった。白い肌に金色の髪。青い青い瞳。リリアーナ王女の姿形をそのまま写し取ったかのような人形を、幾体も作製した。
 王女が幼女から少女になると、私が創る人形も少女になった。だが、いくら作っても満足のいく作品が出来ない。私は作成した魔法人形に、魔石を埋め込む『命入れの儀式』をずっと出来ないままでいた。
 そして王女が十になった年……あの忌まわしい病がこの国を襲ったのだった。

 癒しの魔力がほとんど効かず、薬湯も効かない。高熱が続き、脳がやられることにより、身体の機能が停止する。感染力が強く、発症者と接しないのが最大の予防、という難病だった。癒しの力を持たない私は、薬学の知識をいかし、魔力を使った薬の調合にいそしんでいた。少しでも熱を下げるように、少しでも楽になるように、と調合した薬は、それなりに効いたが、病を完全に治すことは出来なかった。
 そして私は――『リリアーナ王女が発症した』という知らせを聞き、愕然としたのだった。

『お願いレイナード。貴方の知識をリリアーナに』
 医師達にも見放された小さな身体。真っ赤な顔をしてぜいぜいと息を荒げるリリアーナ王女をどうしても助けたい、と王妃は涙ぐんだ目で私に言った。
『貴方に責任は取らせません。もしだめだったとしても、貴方を恨んだりもしません。だからお願い……この子を』
『王妃様。私には癒しの魔力はございません。ですが、王女様の病と闘いましょう……私の全身全霊を掛けてでも』
 そうだ。私のものだ。死神などに奪わせない。そう決意した私は、リリアーナ王女を魔術師の塔へと連れ帰った。

 聖壇の上に寝かされ白い寝間着を着たリリアーナ王女は、もはや息をしているだけの存在になっていた。魔術師の塔に引き取って九日目。容態は悪化する一方だった。
『熱が下がらぬっ……!』
 魔術師の塔の秘薬を用いても、リリアーナ王女は目を覚まさなかった。肌はかさかさになり、髪の艶は消えた。乾いた唇から漏れる熱い息も、次第に小さくなっていた。必死に魔力を注ぎ込んだが、治癒の魔力でない私の魔力では、病の進行を若干食い止める事しか出来なかった。
『このままでは、明日まで持たない……』
 顔色も、弱くなった身体の気も、リリアーナ王女の命が後僅かである事を示している。濃くなる黒い死の気配。なのに、何も出来ない。筆頭魔術師だというのに、この小さな王女を守る事も出来ないのかっ……!
『くそっ!』
 ばん、と聖壇を手で叩いた瞬間、かしゃんと何かが落ちた音がした。冷たい石の床を見ると、青く輝く正八面体の透明な石が落ちていた。
『魔石……』
 そうだ、魔法人形に入れる為に、長年我が魔力を注ぎ込んだ純度の高い魔石だ。ずっとローブの懐に入れたままだった。これを魔法人形の胸に入れると、魔石から魔力を供給する管が人形の身体に張り巡らされ、人形の身体を活性化させるもの……
『……活性化?』
 私ははっと目を見開いた。魔法人形は機械仕掛けだけでなく、魔物の身体を元にも創られる事も多い。その場合でも、魔物の細胞を魔石が支配し、魔法人形として動くよう、身体を作り替える力がある……!
 私は魔石を拾い、右手で握り締めた。手から感じる魔力は、ちりちりと焼き焦げるような感触だった。
 ――これは、禁忌。魔法人形は、人の身体で創る事を禁じられている。もし破れば、魔術師には死を、魔法人形は核まで焼かれ、この世に欠片も残らない――
 ……それでも、私は。
『……リリアーナ』
 私はリリアーナ王女の小さな唇に自分の唇をそっと重ねた後、魔法の詠唱を始めた。
 ぼんやりと魔石が光り始め、空中に浮かぶ。それを両手で挟みながら、更に詠唱を続ける。金色の光が、魔石の下の空間に魔方陣を組み始める。そう――転移の魔法だ。
『魔石よ、リリアーナ王女の頭の中へ』
 ふっと魔石が消えたかと思うと、びくり、とリリアーナ王女の身体が震えた。その途端、王女の身体から凄まじい魔力が放出された。青と金の光の炎が王女の身体を包み込み、眩しくて身体が見えなくなる。纏わりついていた死の気配が、光炎に焼き尽くされて消えていくのが判った。
 ――どのくらい時間が経ったのだろうか。すっと波が引く様に光が消えた時、リリアーナ王女の息は正常に戻っていた。肌も髪も、新しく生まれ変わったかのように、艶を取り戻していた。
 私が顔を覗き込むと、瞼がぴくりと動き――そして、彼女は目を覚ましたのだった。

『――目が覚めたか』
『お前は私が創った魔法人形マジック・ドールだ。名前はリィ』
『お前は私の命令に従っておればよい。判ったな、リィ』

 ――こうして、魔法人形の『リィ』が誕生したのだった。

 私は、リリアーナ王女を救えなかったと報告、出来そこないの魔法人形を遺体として引き渡した。リィは頭の機能は再生されていたが、記憶は全て失っていた。その方が好都合だった。私はリィに魔術師の塔から出てはならぬ、と厳命した。誰かにその姿を見られ、リリアーナ王女であると疑いを掛けられてはならぬからだ。リィは大人しくその言葉に従っていた。
 ――早く私のものにしたい
 私は焦れる思いでリィが成人するのを待っていた。王家の魔文様の事は知っていた。成人を迎えなければ、その文様の効果が切れぬ事も。あの文様がある限り、リィがリリアーナ王女であると疑いを掛けられるかもしれない。そうなれば、彼女の命もない。成人して、男と交わればあの文様は完全に消える。早く、誰にも気付かれぬ間に、早く。年に一度の新月の夜、リィの身体から王妃に渡す魔力を奪いながら、私はその身体を自分のものにしたくて堪らなかった。
 ――後、少し。もうすぐ十六――そうすれば成人したリィを。早く、早く。

 なのに、あの女のせいで。王太子に目を付けられる事になった。
 王太子ウィラード。リリアーナ王女を溺愛していたあの男は、リィを見て一目で気が付いたのだろう。だからこそ、私が手を出せない王妃を引っ張り出して来てリィをおびき出した。王家の墓まで暴くとは、思っていなかったがな。

 国王に呼び出された私は――リィの返還を求めた。私の『魔法人形』であるリィを返せと。
『貴様、六年前リリアーナが自らの手元に来たのを良い事に、魔法人形と入れ替えたな!? そして何も覚えてなかったリリアーナに『魔法人形』だと暗示を掛けた。リィが『魔術師の塔』から出た事がないのも、姿を見られれば『リリアーナ王女に瓜二つ』だと判ってしまうから――ではないのか!?』
『ウィラード、少し落ち着きなさい』
『しかし、母上! レイナードは、我らのリリアーナを奪ったのですよ!? 本当であれば、王女として何不自由ない生活をしているはずのリリアーナが、魔法人形として扱われていたなどとっ……!』
『……レイナード』
『はい、王妃殿下』
『貴方は……すべての罪を被るつもりだったの?』
『母上、何を!?』
『ウィラード、人の身体を魔法人形としてはならない――この禁忌を貴方も知っているはず』
『ですが!』
『おそらくは、リリアーナの身体は助からない状態だった。だからレイナードは……自分が罪を犯してでも、と思ったのでしょう』
『ウィラード。お前の言うとおりだったとすれば、レイナードは死刑、リィは復活不可能の状態にまで処理される事になるのだぞ』
『父上!?』
『……あの娘は、レイナードが創った魔法人形だ。リリアーナは十年前に死んだ。その事実を、覆すな』
『……っ……』
『レイナード、済まなかったな。リィを連れて魔術師の塔に戻るが良い』
『……はい、陛下』
『レイナード……またリィを連れて、私の所に来てくれるかしら?』
『……はい、王妃殿下。そのようにいたします。では失礼いたします』

 ――その時、扉の向こうでリィの声を聞いた私は――リィを突き飛ばした衛兵を吹き飛ばしてしまったのだった。

「ん……」
 可愛らしい唇から、溜息が漏れた。私は軽くリィの唇に自分の唇を合わせ、また柔らかな身体を抱き締めた。
「レイナード……さま」
 ぼんやりとした声。私はリィに微笑みかけた。
「何だ?」
 リィが私を見て、笑う。
「レイナード様の夢を……見ていました。ずっとレイナード様のお傍にいる夢を」
「そうか」
 それは私が十六年前に見た夢。私はリィの耳元に口を付け、そして甘く囁いた。
「お前は私の魔法人形だからな、私の傍にいればいい――永遠に」
「はい、レイナード様」
 そう言うと、私の愛しい魔法人形は、それはそれは幸せそうに微笑んだのだった。
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