愛しいあなたは彼女を愛してる~ドアマットヒロインは運命に逆らう

あかし瑞穂

文字の大きさ
上 下
31 / 37

side 杉本 覚

しおりを挟む
「――菅山?」
 屋上庭園の奥まった場所にあるベンチ。そこはちょっとした俺の息抜きの場所……だったのだが。先客がいた。
「杉本? 客先訪問じゃなかったのか?」
 ベンチに座り、膝の上で弁当を広げているのは、同期の菅山だ。黒っぽいスーツを着て銀縁眼鏡を掛けてるこいつは、営業部から『魔王』と恐れられている。俺は菅山の隣に座り、買って来た紙袋を開けた。ハンバーガーの匂いが食欲をそそる。
「向こうの専務に急用が出来たと言われて、すぐ引き上げた。あー腹減った」
 はぐと大口でハンバーガーを噛むと、いつもの肉とトマトの味がする。もぐもぐ租借しながら右隣を見ると、菅山は卵焼きを食べていた。
「あれお前、弁当だったか?」
 食堂や外に食べに行ってるのを何度か見掛けたが、弁当は初めてだ。俺は思わず黒い弁当箱の中を見た。綺麗に詰められた弁当箱の中身はといえば。

「卵焼きに、生姜焼きに、ほうれん草のおひたし……へえ、美味そうだな」
「ああ、美味い」
 箸がすすんでいるところを見ると、本当に美味いのだろう。心なしかまなじりも下がり、口元も僅かに綻んでる気がする。こいつがこんな表情するなんて、見るのは初めてかもしれない。……だが、ものすごく気になる。どうみても手作りの弁当。いきなりこいつが持って来るようになった、という事は。
「菅山、その弁当、もしかして」
 じろりと俺を睨むこいつからは、『絶対人に言うな』というオーラが漂っている。
「……ありさが作ってくれた」
(やっぱり、水城さんか……っ!)
 水城さんが普段弁当を持って来てる、というのは俺も知っている。ランチに誘った時も『いつもお弁当』だと言ってたしな。
「つーかお前、いつのまに『ありさ』呼ばわりしてんだよ」
 その言葉に反応する事もなく、黙々と弁当を食べる菅山。ったく、こっちはファーストフードだってのに(いや美味いけど)。
 最期のパンの残りを呑み込んだ後、ずずずっとコーラを一気に飲む。横の菅山もちょうど食べ終わったところだった。
「……ごちそうさま」
 菅山は綺麗な食べ方をする。実家の事とかあまり話さない奴だが、いいとこの出自なのだろうって事ぐらいは、見てれば分かる。顔もいい、仕事も出来る、で女性社員にもモテて……でも、今まで親しくなった女の子なんていなかったはずなんだが。弁当箱を黒いケースに仕舞う菅山を見ながら考える。
(水城さん、ねえ……)
 本社でも支社でも、水城さんの変な噂は聞かない。仕事熱心で、厳しい菅山の下でめげずによく働いていると評判だ。ふわりとした雰囲気の清楚な美人で、態度が控えめなところも庇護欲をそそられる感じがする。
 例えば久遠。同期だというあいつも水城さんの事気にしてるよな。彼女をいいなと思ってる野郎は結構いる。
 ――だがしかし。隣にいるこの男の壁が高すぎて、水城さんに直接アタックしようなんて勇者が中々いないのだ。高田なんかは頑張ってる方だと思うんだが。
(どう見ても、可愛い後輩としてしか思われてないの、丸分かりだしなあ……)
 んーっと大きく伸びをする。青い空に白い雲がぽっかり浮かんでいた。
「なあ、菅山? 水城さんはお前にとって特別な存在なんだろ?」
「……」
 銀縁眼鏡の奥の瞳がきらりと光った。俺は臆することなく話を続けた。
「なら、女性社員に気を付けろよ。お前、モテてるって自覚あるだろ? 自分の下に配置する後輩に対して、かなり煩いしさ」
 菅山の下にいる女性社員は実のところ水城さんだけだ。正確に言えば、水城さん以外は持たなかった、のだ。
(前の事務職がこいつに色目使ったら、『職務中に色気出す奴はいらん』って言いやがったからな)
「水城さんに気があるなんて知れたら、彼女何か言われるかもしれないぞ」

 菅山がすっとベンチから立ち上がった。右手に弁当ケースを下げたあいつは、俺を見下ろしてこう言った。

「ありさに手出しはさせない。……俺の妻だから」

 え。俺の口が顎が外れるかと思うくらい、あんぐりと開く。
 俺も思わず立ち上がり、思い切り叫んでいた。

「はああああああっ!? 妻ぁ!? お、おまっ、いつの間にっ!?」 
 目の前の菅山はしれっと言う。
「婚姻届を出したのはつい最近だ。……直属上司部下の関係上、結婚についてはしばらくは伏せておく事にした」
 表情を変えない菅山に、俺はたっぷり数十秒は固まっていたと思う。
「妻、ねえ……お前がそんな気になるとは思わなかった」
 はあああと深い溜息をつき、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回した。いつも冷静で、女性に囲まれても自分を見失う事のなかった同期。それが隠れて結婚、とは。眼鏡を左手で掛け直す菅山は、剣呑な目付きをしていた。
「繋ぎ止めておかないと、ありさを奪われる。久遠といい、高田といい、ありさの周囲をちょろちょろし過ぎだ」
 高田……お前目を付けられてるぞ。確か彼女とランチを約束したって言ってたな。
「高田は水城さんに憧れてるが、彼女に無理強いはしない。ランチぐらいは大目に見てやれよ」
 じろりと俺を睨む菅山の視線が冷たい。『魔王』のあだ名は伊達じゃないと思うのは、こんな時だ。
「杉本。何かありさに関する噂を耳に入れたら、すぐに教えてくれ。大事にならないうちに、芽を摘む必要がある」
「……りょーかい」
 菅山は「頼んだぞ」と言い残して歩き出し――二、三歩歩いたところで立ち止まって振り向いた。その視線に、息が止まる。

「……手続き上知らせる必要のあった相手以外で、俺が自分から打ち明けたのはお前だけだ、杉本。お前の事は信用してる」

「……は?」
 
 頭が真っ白になった俺が我に返った時、すでに菅山は立ち去った後だった。

「あいつ……」
 特大の爆弾、落としやがって。俺はまた頭をぐしゃりと掻いた。

 営業職の俺は、社内外で顔は広い。俺は女性から見て話しやすいタイプらしく、様々な噂話もすんなり教えてくれる事が多い。
 一方で菅山は、仕事が出来ると周囲から一目置かれてはいるが、コミュニケーションを取りやすい相手とは言えない。
 情報が集まるのが早いのは、確実に俺の方だ。

 だから、秘密にしていた結婚の話を俺に打ち明けたのか。 
 小さく微笑む水城さんの笑顔が俺の脳裏に浮かんだ。あの笑顔を守るために協力しろ、と言ってるんだ、あいつは。

 さっき、嬉しそうに弁当食べてた菅山の顔も浮かぶ。あいつ、あんな顔も出来たんだよな。

「あー、畜生」
 これも同期のため、水城さんのためか。自分の性格を見抜かれてる感が半端ねえな。さすが菅山。
「仕方ない、か」
 紙袋をくしゃっと丸めて右手に持った俺も、歩き出した。
(しかし、ランチぐらいで目くじら立てるなよ。なあ、高田?)
 水城さんとのランチを楽しみにしていた後輩の顔を思い浮かべた俺は、あーあと頭を抱えたのだった。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

処理中です...