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side 杉本 覚
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「――菅山?」
屋上庭園の奥まった場所にあるベンチ。そこはちょっとした俺の息抜きの場所……だったのだが。先客がいた。
「杉本? 客先訪問じゃなかったのか?」
ベンチに座り、膝の上で弁当を広げているのは、同期の菅山だ。黒っぽいスーツを着て銀縁眼鏡を掛けてるこいつは、営業部から『魔王』と恐れられている。俺は菅山の隣に座り、買って来た紙袋を開けた。ハンバーガーの匂いが食欲をそそる。
「向こうの専務に急用が出来たと言われて、すぐ引き上げた。あー腹減った」
はぐと大口でハンバーガーを噛むと、いつもの肉とトマトの味がする。もぐもぐ租借しながら右隣を見ると、菅山は卵焼きを食べていた。
「あれお前、弁当だったか?」
食堂や外に食べに行ってるのを何度か見掛けたが、弁当は初めてだ。俺は思わず黒い弁当箱の中を見た。綺麗に詰められた弁当箱の中身はといえば。
「卵焼きに、生姜焼きに、ほうれん草のおひたし……へえ、美味そうだな」
「ああ、美味い」
箸がすすんでいるところを見ると、本当に美味いのだろう。心なしかまなじりも下がり、口元も僅かに綻んでる気がする。こいつがこんな表情するなんて、見るのは初めてかもしれない。……だが、ものすごく気になる。どうみても手作りの弁当。いきなりこいつが持って来るようになった、という事は。
「菅山、その弁当、もしかして」
じろりと俺を睨むこいつからは、『絶対人に言うな』というオーラが漂っている。
「……ありさが作ってくれた」
(やっぱり、水城さんか……っ!)
水城さんが普段弁当を持って来てる、というのは俺も知っている。ランチに誘った時も『いつもお弁当』だと言ってたしな。
「つーかお前、いつのまに『ありさ』呼ばわりしてんだよ」
その言葉に反応する事もなく、黙々と弁当を食べる菅山。ったく、こっちはファーストフードだってのに(いや美味いけど)。
最期のパンの残りを呑み込んだ後、ずずずっとコーラを一気に飲む。横の菅山もちょうど食べ終わったところだった。
「……ごちそうさま」
菅山は綺麗な食べ方をする。実家の事とかあまり話さない奴だが、いいとこの出自なのだろうって事ぐらいは、見てれば分かる。顔もいい、仕事も出来る、で女性社員にもモテて……でも、今まで親しくなった女の子なんていなかったはずなんだが。弁当箱を黒いケースに仕舞う菅山を見ながら考える。
(水城さん、ねえ……)
本社でも支社でも、水城さんの変な噂は聞かない。仕事熱心で、厳しい菅山の下でめげずによく働いていると評判だ。ふわりとした雰囲気の清楚な美人で、態度が控えめなところも庇護欲をそそられる感じがする。
例えば久遠。同期だというあいつも水城さんの事気にしてるよな。彼女をいいなと思ってる野郎は結構いる。
――だがしかし。隣にいるこの男の壁が高すぎて、水城さんに直接アタックしようなんて勇者が中々いないのだ。高田なんかは頑張ってる方だと思うんだが。
(どう見ても、可愛い後輩としてしか思われてないの、丸分かりだしなあ……)
んーっと大きく伸びをする。青い空に白い雲がぽっかり浮かんでいた。
「なあ、菅山? 水城さんはお前にとって特別な存在なんだろ?」
「……」
銀縁眼鏡の奥の瞳がきらりと光った。俺は臆することなく話を続けた。
「なら、女性社員に気を付けろよ。お前、モテてるって自覚あるだろ? 自分の下に配置する後輩に対して、かなり煩いしさ」
菅山の下にいる女性社員は実のところ水城さんだけだ。正確に言えば、水城さん以外は持たなかった、のだ。
(前の事務職がこいつに色目使ったら、『職務中に色気出す奴はいらん』って言いやがったからな)
「水城さんに気があるなんて知れたら、彼女何か言われるかもしれないぞ」
菅山がすっとベンチから立ち上がった。右手に弁当ケースを下げたあいつは、俺を見下ろしてこう言った。
「ありさに手出しはさせない。……俺の妻だから」
え。俺の口が顎が外れるかと思うくらい、あんぐりと開く。
俺も思わず立ち上がり、思い切り叫んでいた。
「はああああああっ!? 妻ぁ!? お、おまっ、いつの間にっ!?」
目の前の菅山はしれっと言う。
「婚姻届を出したのはつい最近だ。……直属上司部下の関係上、結婚についてはしばらくは伏せておく事にした」
表情を変えない菅山に、俺はたっぷり数十秒は固まっていたと思う。
「妻、ねえ……お前がそんな気になるとは思わなかった」
はあああと深い溜息をつき、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回した。いつも冷静で、女性に囲まれても自分を見失う事のなかった同期。それが隠れて結婚、とは。眼鏡を左手で掛け直す菅山は、剣呑な目付きをしていた。
「繋ぎ止めておかないと、ありさを奪われる。久遠といい、高田といい、ありさの周囲をちょろちょろし過ぎだ」
高田……お前目を付けられてるぞ。確か彼女とランチを約束したって言ってたな。
「高田は水城さんに憧れてるが、彼女に無理強いはしない。ランチぐらいは大目に見てやれよ」
じろりと俺を睨む菅山の視線が冷たい。『魔王』のあだ名は伊達じゃないと思うのは、こんな時だ。
「杉本。何かありさに関する噂を耳に入れたら、すぐに教えてくれ。大事にならないうちに、芽を摘む必要がある」
「……りょーかい」
菅山は「頼んだぞ」と言い残して歩き出し――二、三歩歩いたところで立ち止まって振り向いた。その視線に、息が止まる。
「……手続き上知らせる必要のあった相手以外で、俺が自分から打ち明けたのはお前だけだ、杉本。お前の事は信用してる」
「……は?」
頭が真っ白になった俺が我に返った時、すでに菅山は立ち去った後だった。
「あいつ……」
特大の爆弾、落としやがって。俺はまた頭をぐしゃりと掻いた。
営業職の俺は、社内外で顔は広い。俺は女性から見て話しやすいタイプらしく、様々な噂話もすんなり教えてくれる事が多い。
一方で菅山は、仕事が出来ると周囲から一目置かれてはいるが、コミュニケーションを取りやすい相手とは言えない。
情報が集まるのが早いのは、確実に俺の方だ。
だから、秘密にしていた結婚の話を俺に打ち明けたのか。
小さく微笑む水城さんの笑顔が俺の脳裏に浮かんだ。あの笑顔を守るために協力しろ、と言ってるんだ、あいつは。
さっき、嬉しそうに弁当食べてた菅山の顔も浮かぶ。あいつ、あんな顔も出来たんだよな。
「あー、畜生」
これも同期のため、水城さんのためか。自分の性格を見抜かれてる感が半端ねえな。さすが菅山。
「仕方ない、か」
紙袋をくしゃっと丸めて右手に持った俺も、歩き出した。
(しかし、ランチぐらいで目くじら立てるなよ。なあ、高田?)
水城さんとのランチを楽しみにしていた後輩の顔を思い浮かべた俺は、あーあと頭を抱えたのだった。
屋上庭園の奥まった場所にあるベンチ。そこはちょっとした俺の息抜きの場所……だったのだが。先客がいた。
「杉本? 客先訪問じゃなかったのか?」
ベンチに座り、膝の上で弁当を広げているのは、同期の菅山だ。黒っぽいスーツを着て銀縁眼鏡を掛けてるこいつは、営業部から『魔王』と恐れられている。俺は菅山の隣に座り、買って来た紙袋を開けた。ハンバーガーの匂いが食欲をそそる。
「向こうの専務に急用が出来たと言われて、すぐ引き上げた。あー腹減った」
はぐと大口でハンバーガーを噛むと、いつもの肉とトマトの味がする。もぐもぐ租借しながら右隣を見ると、菅山は卵焼きを食べていた。
「あれお前、弁当だったか?」
食堂や外に食べに行ってるのを何度か見掛けたが、弁当は初めてだ。俺は思わず黒い弁当箱の中を見た。綺麗に詰められた弁当箱の中身はといえば。
「卵焼きに、生姜焼きに、ほうれん草のおひたし……へえ、美味そうだな」
「ああ、美味い」
箸がすすんでいるところを見ると、本当に美味いのだろう。心なしかまなじりも下がり、口元も僅かに綻んでる気がする。こいつがこんな表情するなんて、見るのは初めてかもしれない。……だが、ものすごく気になる。どうみても手作りの弁当。いきなりこいつが持って来るようになった、という事は。
「菅山、その弁当、もしかして」
じろりと俺を睨むこいつからは、『絶対人に言うな』というオーラが漂っている。
「……ありさが作ってくれた」
(やっぱり、水城さんか……っ!)
水城さんが普段弁当を持って来てる、というのは俺も知っている。ランチに誘った時も『いつもお弁当』だと言ってたしな。
「つーかお前、いつのまに『ありさ』呼ばわりしてんだよ」
その言葉に反応する事もなく、黙々と弁当を食べる菅山。ったく、こっちはファーストフードだってのに(いや美味いけど)。
最期のパンの残りを呑み込んだ後、ずずずっとコーラを一気に飲む。横の菅山もちょうど食べ終わったところだった。
「……ごちそうさま」
菅山は綺麗な食べ方をする。実家の事とかあまり話さない奴だが、いいとこの出自なのだろうって事ぐらいは、見てれば分かる。顔もいい、仕事も出来る、で女性社員にもモテて……でも、今まで親しくなった女の子なんていなかったはずなんだが。弁当箱を黒いケースに仕舞う菅山を見ながら考える。
(水城さん、ねえ……)
本社でも支社でも、水城さんの変な噂は聞かない。仕事熱心で、厳しい菅山の下でめげずによく働いていると評判だ。ふわりとした雰囲気の清楚な美人で、態度が控えめなところも庇護欲をそそられる感じがする。
例えば久遠。同期だというあいつも水城さんの事気にしてるよな。彼女をいいなと思ってる野郎は結構いる。
――だがしかし。隣にいるこの男の壁が高すぎて、水城さんに直接アタックしようなんて勇者が中々いないのだ。高田なんかは頑張ってる方だと思うんだが。
(どう見ても、可愛い後輩としてしか思われてないの、丸分かりだしなあ……)
んーっと大きく伸びをする。青い空に白い雲がぽっかり浮かんでいた。
「なあ、菅山? 水城さんはお前にとって特別な存在なんだろ?」
「……」
銀縁眼鏡の奥の瞳がきらりと光った。俺は臆することなく話を続けた。
「なら、女性社員に気を付けろよ。お前、モテてるって自覚あるだろ? 自分の下に配置する後輩に対して、かなり煩いしさ」
菅山の下にいる女性社員は実のところ水城さんだけだ。正確に言えば、水城さん以外は持たなかった、のだ。
(前の事務職がこいつに色目使ったら、『職務中に色気出す奴はいらん』って言いやがったからな)
「水城さんに気があるなんて知れたら、彼女何か言われるかもしれないぞ」
菅山がすっとベンチから立ち上がった。右手に弁当ケースを下げたあいつは、俺を見下ろしてこう言った。
「ありさに手出しはさせない。……俺の妻だから」
え。俺の口が顎が外れるかと思うくらい、あんぐりと開く。
俺も思わず立ち上がり、思い切り叫んでいた。
「はああああああっ!? 妻ぁ!? お、おまっ、いつの間にっ!?」
目の前の菅山はしれっと言う。
「婚姻届を出したのはつい最近だ。……直属上司部下の関係上、結婚についてはしばらくは伏せておく事にした」
表情を変えない菅山に、俺はたっぷり数十秒は固まっていたと思う。
「妻、ねえ……お前がそんな気になるとは思わなかった」
はあああと深い溜息をつき、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回した。いつも冷静で、女性に囲まれても自分を見失う事のなかった同期。それが隠れて結婚、とは。眼鏡を左手で掛け直す菅山は、剣呑な目付きをしていた。
「繋ぎ止めておかないと、ありさを奪われる。久遠といい、高田といい、ありさの周囲をちょろちょろし過ぎだ」
高田……お前目を付けられてるぞ。確か彼女とランチを約束したって言ってたな。
「高田は水城さんに憧れてるが、彼女に無理強いはしない。ランチぐらいは大目に見てやれよ」
じろりと俺を睨む菅山の視線が冷たい。『魔王』のあだ名は伊達じゃないと思うのは、こんな時だ。
「杉本。何かありさに関する噂を耳に入れたら、すぐに教えてくれ。大事にならないうちに、芽を摘む必要がある」
「……りょーかい」
菅山は「頼んだぞ」と言い残して歩き出し――二、三歩歩いたところで立ち止まって振り向いた。その視線に、息が止まる。
「……手続き上知らせる必要のあった相手以外で、俺が自分から打ち明けたのはお前だけだ、杉本。お前の事は信用してる」
「……は?」
頭が真っ白になった俺が我に返った時、すでに菅山は立ち去った後だった。
「あいつ……」
特大の爆弾、落としやがって。俺はまた頭をぐしゃりと掻いた。
営業職の俺は、社内外で顔は広い。俺は女性から見て話しやすいタイプらしく、様々な噂話もすんなり教えてくれる事が多い。
一方で菅山は、仕事が出来ると周囲から一目置かれてはいるが、コミュニケーションを取りやすい相手とは言えない。
情報が集まるのが早いのは、確実に俺の方だ。
だから、秘密にしていた結婚の話を俺に打ち明けたのか。
小さく微笑む水城さんの笑顔が俺の脳裏に浮かんだ。あの笑顔を守るために協力しろ、と言ってるんだ、あいつは。
さっき、嬉しそうに弁当食べてた菅山の顔も浮かぶ。あいつ、あんな顔も出来たんだよな。
「あー、畜生」
これも同期のため、水城さんのためか。自分の性格を見抜かれてる感が半端ねえな。さすが菅山。
「仕方ない、か」
紙袋をくしゃっと丸めて右手に持った俺も、歩き出した。
(しかし、ランチぐらいで目くじら立てるなよ。なあ、高田?)
水城さんとのランチを楽しみにしていた後輩の顔を思い浮かべた俺は、あーあと頭を抱えたのだった。
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