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忘れていました……

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「まあまあ、ありささんと? 本当に良かったわねえ、建吾」
 桜色と白のグラデーションの着物を着て、満面の笑みを浮かべる志乃さんを前に、私は菅山さん――改め建吾さんの右横でかちこちになっていた。
 私達が座っている上品なソファには、薔薇の模様が刺繍された布が張られている。広い客間に通されたけれど、家具は全て年代物アンティークだし、大きな暖炉まであるし、シャンデリアが吊り下がっているし、ヨーロッパの貴族が済む館みたいな雰囲気だ。
(空間が違う……!)
 よそ行きの淡いペールグリーンのワンピースを着て来たけれど、周りの豪華さに合ってない気がする。いつものスーツを着た建吾さんは『よく似合ってる』って褒めてくれたけれど。

「ええ、彼女が承諾してくれて、とても嬉しいです、お祖母様」
 おまけに彼の笑顔が見慣れなくて、ついそわそわしてしまう。
(あの無表情を懐かしく思うなんて)
 そんな私の様子をじっと黙ったまま見つめているのが、こちらから見て志乃さんの左隣に座っている伊織コーポレーションの現会長で建吾さんのお祖父さん――菅山 建一郎さんだ。
 濃い茶色の羽織を着流しの上に着た建一郎さんは、腕組をしたまま動かない。にこにこ笑っている志乃さんとは対照的だ。白髪頭に深い皺が刻まれた顔は、今までのこの人の歴史を物語っているように見えた。
(確か、一度潰れかけた財閥の危機を救ったって)
 前当主の無謀な経営で業績が悪化し、借金が膨れ上がっていた時に当主の座に就いて、斬新な施策でV字回復を果たしたってネットの記事に載っていた。
 鋭い目付きは、全く年齢を感じさせない。そういえば、建吾さんに似てるかも。やっぱり血が繋がってるのね。

「――建吾」
 真っ直ぐに建吾さんを見据えて、ゆっくりと建一郎さんが口を開いた。重々しい声にこくりと生唾を飲んだ。
「何ですか、お祖父様」
 建吾さんの声は変わらない。それでも、二人の間に火花が散ってるかのような雰囲気が漂っている。
「お前はありささんの事をどう思っている?」
 心臓の鼓動が一瞬乱れた。私の家族には政略結婚だからと正直に話したけれど、『祖父と祖母には普通の結婚だと思わせておいた方がいい』って彼から言われたから、二年で離婚するつもりだって事も何も告げていない。
 膝の上に置いた拳を思わず握り締めると、角ばった右手が私の左拳を覆った。
 そっと顔を左に向けると、建吾さんは私に優しく微笑んだ。

「お祖父様がお祖母様を想っているように想っていますよ」

 嬉しそうに笑う志乃さんの顔を見て、罪悪感に胸が重くなる。
(こんないい人達に嘘をついてるんだ……)
 俯き加減になった私の肩を建吾さんが引き寄せる。肩に触れる彼の体温の温かさがありがたかった。
「お祖父様がしかめっ面をしているから、ありさが緊張したままではないですか。もう少し愛想というものを覚えたらどうですか」
「ふん、お前に言われたくはないわ」
 ……この二人は似た者同士なのかもしれない。憎まれ口を叩きながらも、お互い心を許してるのが分かる。

 ほほほと笑った志乃さんが、すっと立ち上がった。
「ありささん。無愛想なこの人達は置いておいて、ちょっと一緒に来てもらえるかしら」
「志乃?」
「お祖母様?」
 ハモってる。思わずくすりと笑ってしまった。
「女同士で話がしたいの。いいでしょ、建吾」
 にこにこと笑う志乃さんから、物凄い圧力を感じるのは何故だろう。建吾さんが、はああと深い溜息をついて、私から手を離した。
「……分かりました」
 建吾さんを見ると、彼は小さく頷いた。私も立ち上がって、歩き出した志乃さんの後を追う。絵画が飾られた廊下を進んでいき、何度か角を曲がった。
 そうしているうちに、廊下の突き当りの扉が見えてきた。
(あら?)
 私は首を傾げた。突き当りの扉は、白木に黒金の取っ手が付いていて、観音開きになっているみたい。
(他のドアとは違う……)
 志乃さんは重そうな木のドアを中に開けて、部屋の中に入った。私もその後に続く。
「ここは……」
 私はぐるりと周囲を見渡した。八畳ぐらいの部屋は、白木の壁と床で囲まれている。入口から入って右の壁に、白木で出来た神棚が取り付けられていた。両脇に真榊が飾られた御宮には、直径ニ十センチぐらいの古そうな鏡が祀られている。
 他には家具も何もない。床の白いラグには、金糸で何かの模様が刺繍されていた。
(神社みたいな雰囲気だわ)
 神聖というか清廉というか。心が洗われるような、そんな気がする。

「これは代々の当主一族がお護りしている古い神鏡よ」
 志乃さんはお辞儀を二回した後、パンパンと二回手を合わせて、また二回お辞儀をした。私も真似て、同じようにしてみる。

 暫くそのまま時間が過ぎた。

「……ねえ、ありささん」
 頭を上げて私に向き直った志乃さんが、ふふふと笑った。
「建吾は何て言ってあなたを口説いたのかしら?」
「えっ」
 思わず息を呑んだ。 
(財閥当主になるために結婚して欲しいと言われた……って、言えない……!)
「あ、の」
「……財閥当主になるために結婚して欲しいって、頼んだんじゃないかしら?」
「……!」
(志乃さん、気付いてる!?)
 にこにこと笑顔を浮かべている志乃さんが、何故かとても怖い。全てを見透かされてしまいそうな目が、じっと私を見上げている。
 私は何も言えず、ただ志乃さんを見返す事しか出来ない。  

「もし建吾がそう言っていたとしても、本心は違うの。きっとね。だから」
 すっと志乃さんが私に頭を下げた。
「志乃さん!?」
「どうか、建吾が素直に自分の気持ちを言えるまで、傍にいてやってくれないかしら。お願いよ」

 プロポーズされた時の、冷静な顔やお腹を抱えて大笑いした顔が浮かぶ。今まで見たことのない彼にどきどきした事も。

 ――建吾さんの素直な気持ちって……なに?

「どうか頭を上げて下さい。私……」
 どう答えたらいいのか、よく分からないけれど、この人とは誠実に話したい。  
「約束、したんです。だから、その間は傍にいます。その……今はそうしか言えなくて、ごめんなさい」
 私が謝ると、志乃さんは「ありがとう。そう言ってもらって安心したわ」と微笑んだ。

「……どうかあなたが、未来に負けませんように」

「えっ?」
 小さな志乃さんの声が聞こえたと思ったけれど、彼女は黙って笑っているだけだった。  
 
***

「祖母とどんな話をしたんだ?」
 帰宅途中、運転席から建吾さんがそう尋ねてきた。助手席で綺麗な横顔を見ながら私は答えた。
「神棚にお祈りして……後は世間話をしてました」
「神棚!?」
 建吾さんが目を見開いて、ちらと私の方を見た。
「あの間に連れて行ったのか? 祖母が?」
(あの間?)
「廊下の突き当りにある、神棚しかない部屋の事ですか?」
 私がそう聞き返すと、建吾さんは小さく頷いた。
「……あそこは、菅山家の守り神を祀ってある部屋で、祖母が大切にしている場所だ。滅多に人を入れたりしないんだが」 
「守り神……」
 あの神鏡の事? 大きい会社のビルなんかだと、屋上に神社を造ってお参りしたりするけれど、ああいう感じなのかしら? 
「認められたって事だな」
「……建吾さん?」
 ぽつりとそう言った後、建吾さんはだんまりを決め込んでしまった。無口なこの人には慣れてる私も、ぼんやりと窓の外を見る事にした。夕暮れ時の空が次第に暗くなっていってる。
「あれ?」
 流れる景色が……違う。
「あの、私の家と方向が違」
「俺の家に向かってる。色々細かい事を決める必要があるからな」
「は、い」
 あっさり言い返された私は、また黙るしかなかった。
 今日、志乃さん達に挨拶に行った。次は―― 

 ぞくりと背筋が寒くなる。

 ――二度と建吾の前に姿を現せないようにしてやるわ。今度こそ

 そう言って艶やかに笑った人の顔が浮かぶ。お義父さん、お義母さん、そしてお義兄さんも……私の事邪魔に思ってる可能性があるんだ。
 心に冷たくて暗い感覚が忍び込んできた。 

「大丈夫だ。お前は俺が守る」
「えっ」
 建吾さんの声で我に返る。気が付かない間に唇を噛んでた。
 右隣を見ると、建吾さんがちらと私の唇に目をやった。
「もし影で何か言われたら、隠さず全て話して欲しい。すぐ手を打つ」
「……はい」
 ほんの一言言われただけなのに、すうっと心のもやが晴れていく。ほうと止めていた息を吐いた。 
(そう、だよね。これから協力していくんだから、ちゃんと報告しないと)
 よし、心の中で決意をした私は、建吾さんの視線の中に潜む何か、に気が付かなかった。

***

「まず、これだ」
 リビングのソファに座った私の前、ガラスのローテーブルに置かれたのは――建吾さんの名前が記入された婚姻届だった。
 ボールペンを受け取り、自分の名前を書く。ほんの少しの時間だけど、物凄く緊張して指先が震えてた。
 ようやく書き終わると、私の右に座った建吾さんがちらと確認した後、折りたたんで封筒に入れた。
「これは明日持って行こう。それから」
 建吾さんの顔からは、表情が読めない。
「父や義母達に結婚を報告する」
「……はい」
 小さく頷いた私の肩に大きな手が回された。そのまま引き寄せられて、温かい胸に顔を埋める格好になる。
「心配するな、と言っても気休めかもしれないが。なるべく長居しないようにする」
「私は大丈夫です」
 耳に入ってくる静かな声が、私の中の不安を溶かしてくれている。おずおずと広い背中に両手を回すと、ぎゅっと抱き締められた。

 彼の心臓の音が伝わってくる。とくんとくんと規則正しい。私の心臓はどくどく早送りになってるっていうのに。 

「ああ、それから」
 何気ない声で建吾さんが話を続けた。
「いつ、ここに引っ越してくるんだ?」
「――え?」
 顔を上げると、伏目がちの瞳が私を間近で見ていた。何だか恥ずかしくなって、手を下ろして身体を離す。
 建吾さんはじっと私を見つめたままだ。

「婚姻届を提出して一緒に住まないと、結婚してると認めないぞ、あいつらは」
「そ、うですよね……」
 そうだよね。ただでさえ結婚を反対されてるのに、別居なんかしてたらあの人達にとやかく言われそうだ。
(こんな大事な事、頭からすっぽり抜けてた……)
 他の事でいっぱいいっぱいで。結婚したら一緒に住むという基本的な事、忘れてた……。

 呆然とした私に、建吾さんが話を続けた。
「客間もあるし、好きな部屋を選べばいい。なんだったら」
 にやりと笑う彼の顔は、何だか時代劇の悪徳代官みたいだった。

「俺の部屋でもいいが? ダブルベッドだしな」
 私を見る漆黒の瞳に宿っているのは、紛れもない――『熱』。
 その熱が、私の身体に燃え移ろうと、する。

「~~~~っ! えええ、遠慮しますっ!」
 咄嗟にソファの端まで逃げた私を見て、建吾さんがからからと笑った。さっきまでの密度の濃い雰囲気も消えてる。あああ、もう! 絶対私の事、揶揄って遊んでる!
「客間を見せてもらえますか?」
 むっと口を曲げたままそう言うと、「済まなかった、こっちだ」とくすくす笑いながら、建吾さんが席を立った。私も立ち上がって、歩き出した彼の後を追う。

 ――結局、主寝室の並びにある二室のうち、一部屋を選んだ。八畳ぐらいの大きさで、ベッドもクローゼットも小さな机も揃ってて、まるでホテルの部屋みたい。紺に近いブルーのカーテンが、涼し気な印象だ。
そちらの方が建吾さんの部屋から遠いので選んだ……というのは、バレている気がする……。
 とりあえず来週末早々に荷物を運ぶ手配をする事になったのだけど。
(何か、釈然としない……)

「今日このまま泊っていくか? 着替えも適当に用意できるが」
 やっぱり声に揶揄いが混ざってる。私はぶんぶんと首を横に振った。
「謹んでご辞退申し上げますっ!」
 きっぱり断ると、建吾さんはまたおかしそうに笑ったのだった。
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