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魔女との対峙

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 ――りりかとも新人とも話をして謝った。ありがとう、ありさ――

 そんなメッセージが祐希から届いたのは、彼に会ってから四日後の事。部屋のローテーブルの前に座っていた私は、安堵のため息をついた。
(良かった……祐希)
 祐希ちゃんと話をしたんだ。そして、運命を変えたんだ。自分の力で。
 私はスマホをぎゅっと抱き締め、壁際に置いたTVボードの方を見た。TVの下棚に載せた銀色トレイの上には、割れたスノードームが飾られている。

 ――あの時、新人から受け取ったりりかと祐希の新婚旅行のお土産。白いドイツのお城が入った丸いスノードームは、ガラス部分が割れて中の液体が漏れてしまっていた。
 割れたガラスごと、トレイに載せて部屋に飾ってる。これがあの時、私を助けてくれたから。

(りりかからも)
 ――祐希を怒ってくれてありがとう。あのね、私赤ちゃんが出来たの!

 りりかのメッセージに胸が温かくなった。本当に良かった。

 ――おめでとう。身体大事にしてね。また会いに行くから。
 そう返信した。

(……だけど、あれはどういう意味かしら)
 祐希のメッセージの最後にあった言葉。
 ――ありさ、身の回りを注意しておいて欲しい。はっきりした事は分からないが、多分新人から話があると思う。

 新人から話があるって……注意しろって……思い当たるのは、あの事件だけど。
(どうして祐希が?)
 新人が詳細を話したとも思えないし、だけど何の根拠もなく祐希がこんな事言う訳ないし……。
(とにかく、注意するに越したことはないよね)
 私はそっと息を吐き、スノードームを見つめた。ラメが入った白いお城が、キラキラと照明を受けて輝いている。その光は、まるでお守りのように感じた。
(そういえば、明日って)
 ――顧客先に行くって菅山さんが言ってたっけ。もうそろそろ寝ないと。 
 私は部屋の電気を消して、シングルベッドにもぐりこんだ。祐希の言葉は気になっていたけれど、目を瞑った途端睡魔に襲われた私は、あっさりと夢の世界へと入っていったのだった。

***

「お疲れさん、菅山。いやー、さすがは我が社一番のSEだよ、お前は。あの気難しい会長がお前の説明聞いて唸ってたもんな!」
 無事開発までの契約を済ませた杉本さんは、上機嫌で菅山さんの肩を叩いていた。黒いトレンチコートを着た菅山さんの無表情はいつもの事だけど、心なしか嬉しそうに見える。
「杉本も、契約関連の資料完璧だった。期間が短かったのによく用意出来たな」
「ははっ、お前にばかり活躍させる訳にはいかないからな。そうそう、水城さんの資料助かったよ。本当にまとめるの上手いよね」
「本当ですよ、水城さん。俺も助かりました」
「ありがとうございます、杉本さん、高田くん。お役に立てて嬉しいです」
 今日は契約の為に、顧客先のビルまで新藤課長、菅山さん、杉本さん、高田くん、そして私の五人が外出していた。新藤課長は向こうの部長さんと話があるからと居残り、残りのメンバーで駅まで歩いているところだ。
(とりあえず、次工程の予算は認められたし、これで開発まではいけるって事よね)
 今は要件定義と呼ばれる、顧客の要望や現行システムの仕様をまとめる工程だ。ここから、更に詳細な仕様を詰めていくんだけど、契約は要件定義までしかしていなかった。この工程が終わる前に、次工程の契約を締結する必要があったんだよね。
 とりあえず一安心といったところ。
(私や高田くんは、経験積みの為に呼ばれたんだろうなあ)
 会議の議事録を取っていた私に、杉本さんの補佐をしていた高田くん。菅山さんの説明や、杉本さんの手際の良さを見れただけでも、価値があったと思う。

RRRRR……

「おっ、すまん」
 杉本さんがコートのポケットから黒いスマホを取り出し、電話に出た。
「はい、杉本……久遠? おお、ちょうど契約終わったところだ」
(新人?)
 杉本さんの声に私は彼の横顔を見た。杉本さんが話ながら菅山さんの方を向く。
「……ああ、ここに一緒にいる。分かった……おい、菅山。久遠がお前に替わって欲しいって」
「久遠が?」
 目を細めた菅山さんが、杉本さんからスマホを受け取った。
「はい、菅山……何?」
(えっ?)
 一瞬、菅山さんの表情が変わった。ちらと私の方を見た菅山さんは、次の瞬間には無表情に戻っている。
 何だか、胸がざわざわした。
(さっきの表情……)
 あの時、「お前には関係ない」って言ってた時と同じ顔をしてた……?

「ああ……分かった。後で俺からかけ直す。携帯の番号を……」
 自分のスマホに何かを入力した菅山さんが電話を切った。
「何だ、急用か?」
 杉本さんにスマホを返しながら、菅山さんが「ああ」と短く頷いた。
「済まないが、俺はここで。先に支社に戻っておいてくれ、杉本、高田」
「ああ、分かった」
「はい」
 こういう事はよくあるのか、杉本さん達が気軽に答える。菅山さんが私に向き直った。その視線の鋭さに、息が詰まる。
「――水城。杉本と高田と一緒に支社に帰れ。いいか、絶対に一人になるな。分かったな?」
 背筋にぞくりと悪寒が走る。菅山さんの纏う雰囲気が、剣先のように尖ってて怖い。
「は、はい」
 狼狽えながら私が頷くと、菅山さんは右手を上げて杉本さん達に会釈し、踵を返した。 
(菅山さん……)
 人混みに消えていく後ろ姿を見ていると、高田くんが杉本さんに尋ねる声がした。
「久遠さん、菅山さんに何の用でしょう」
 杉本さんも首を捻っている。
「さあな。俺は何も聞いてないから、本社の案件で何かあったのかもしれない」
 ま、とにかく帰るか。杉本さんの声に私は頷き、三人で菅山さんが消えたのとは反対方向に歩き始めた。

「それで、営業部では毎月飲み会やってるんですよ。部長が飲みに行くの好きなので」
「そうなのね」
 高田くんがにこにこ笑いながら、営業部の裏話をしてくれた。仕事は大変だけど、仲良くやってるみたい。
「水城さんも一段落したら是非参加して下さい! 歓迎します!」
 ぽん、と高田くんの右肩を杉本さんが叩いた。
「おい、高田。あんまり水城さんを困らせるなよ。『魔王』の機嫌取り、大変なんだぞ」
「魔王?」
 私が首をかしげると、右隣の高田くんがぶんぶんと首を横に振った。
「ななな、何でもないですっ! その、暇が出来たらでいいのでっ」
 一生懸命な高田くん、可愛いなあ。思わず笑みが零れてしまう。
「うん、ありがとう誘ってくれて。仕事が落ち着いたら、一度参加させてもらうわね」
「やったー! 約束ですよ!?」
 満面の笑みを浮かべる高田くんの更に右隣で、杉本さんが「あーあ……」と額に手を当てているのは何故だろう。

「高田、ちゃんとあいつ説得しろよ……あれ?」
 寒い外から一階ロビーに足を踏み入れた時、杉本さんが奥の方を見て目を丸くした。
「客……にしては、派手だな……」
(え?)
 受付カウンターの方に目を向けた私の心臓がどくんと鳴った。受付嬢の前に立っている、一人の女性の姿が見える。ちらちらと彼女を見ている社員もいた。

 ――あの人は 

 毛皮のコートを着たその人が、振り返った。猫のような瞳が私を捉える。
 にまりと口元に笑みを浮かべた女性が、黒髪をふわりとなびかせながらつかつかと近付いてきた。目を丸くして立ちすくむ高田くんと杉本さんにちらと流し目を送った彼女は、私の真正面で立ち止まった。

 真っ黒なワンピースを着て、プラチナのネックレスをしている彼女は、まるで魔女に見えた。真っ赤な唇が、つと動く。

「……水城 ありささん、だったわね? あなたにお話があるの。付き合ってもらえるかしら?」

 私よりもやや背の高い彼女の瞳には、嘲りの色が浮かんでいた。薔薇の香りが私を包む。
「あな、たは」
 くすくすと笑った後、彼女ははっきりとした口調で言い切った。

「菅山 茉莉花――菅山 建吾の義姉よ」

 高田くんと杉本さんが息を呑む音が聞こえた。

 ――いいか、絶対に一人になるな。分かったな?
 菅山さんの顔が目に浮かんだ。心に突き刺さってくるような視線も。
(菅山さん……!)
 こうなる事を予感してたの? この人が来る事を? 

 私はぐっと拳を握り締めると、彼女に向かって聞いた。
「……私に何のご用でしょうか?」
「あら、白を切るのね」
 真っ赤なネイルを纏った細い指先に、黒髪がくるくると巻き付いた。
「こんなところで、公にしてもいいのかしら? 建吾とあなたの関係を」
「……っ!」
 身体が強張る。単なる仕事の先輩後輩です、と言っても、信じてもらえないような言い方をわざとしている。おまけに高い彼女の声は良く響く。周囲から視線が飛んでくるのも、きっと計算済みなんだろう。

「水城さん。菅山さんに連絡しましょう」
 高田くんがこっそり言うと、彼女の目が彼に向いた。ふふふと微笑む彼女に見つめられた高田くんが、うっと言葉を詰まらせた。
「あら、可愛いわね。建吾だけじゃなく、こんな初心な子にまで手を出してるの、あなた?」
 肩をいからせた杉本さんが一歩前に出た。
「水城さんを侮辱するのは止めてもらいましょうか。話なら菅山が帰社してから伺いましょう」
「ふふ、怖いわね。女一人に大袈裟な事」
 皆の注目が更に集まっている。それでもこの人は堂々として、何ら引く様子もない。

(この人……!)
 菅山さんの評判を落としても平気なんだ。ここで騒ぎを起こしても構わないと思ってる。
(菅山さんの仕事ぶりを知っている社員は誤解したりしないだろうけど、どこからかお客様の耳に入ったら)
 一階ロビーには当然訪問客もいる。変な噂を立てられたら、菅山さんはどうなるの? あんなに仕事に打ち込んでいるのに?
 
 私は息を吐き、輝く猫の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「……分かりました。場所を移しましょう」
「そう」
 真っ赤なルージュを舐める舌が、好戦的だった。
「水城さん!?」
 高田くんに「私は大丈夫」と言った後、私は杉本さんを見る。
「杉本さん。この近くで、落ち着いて話せる店はありませんか」
「水城さん」
 心配そうに私と彼女を交互に見た杉本さんは、やがて溜息をつき「……案内するよ。いい珈琲専門店があるから」と言った。
「お願いします」
 お辞儀をした私は、「では、行きましょうか」と彼女を見た。くすりと笑った彼女の顔は、毒々しい程に美しかった。

***

「あなた、結構いい度胸してるのね」
「お褒めに預かり恐縮です」
 上着を預け、二人掛けの席の真向かいに座る彼女に、私は淡々と答えた。私達の席から一つ空けた後ろの席に座った高田くんが、心配そうな視線を投げかけてくる。

 杉本さんが連れて来てくれた珈琲専門店は、地元で長年愛されている店なのだそうだ。テーブルも固めのクッションの椅子も、飴色の木で出来ていて、重厚な雰囲気を醸し出している。
 杉本さんは渋っていたけれど、彼はもう次の客先への訪問が決まっていた。代わりに高田くんが同席すると言ってくれたから、少し離れて座ってもらった。
 ……本当はこの人が何を言うのか分からないから、二人きりになろうとしたのだけれど。
(一人になるなって菅山が言ってただろう、って杉本さんに釘を刺されたのよね)

 この店オリジナルのブレンドコーヒーを頼んだけれど、味も香りもほとんど楽しめない。一方茉莉花さんは、オレンジティーをゆっくりと飲んでいる。
 この人の指先の動きは、妙に色っぽい。見ていると絡めとられそうな気になる。

 じろじろと彼女が私を見回し、ふうと溜息をついた。
「あなた、自分が建吾に釣り合わないって分かってるかしら?」
 確かに今日の私は、ごく普通のブラウスに紺色のVネックセーター。そして紺色のタイトスカートという地味目の格好だ。
 だけど、そんな事をこの人に言われる筋合いはない。

「……おっしゃりたいのは、それだけですか?」
 ふんと腕組をし、背もたれにもたれた茉莉花さんの唇が歪んだ。
「建吾があなたをどう口説いてるのかは知らないけど……彼があなたに囁いた甘い言葉、全くの嘘だから。信じるだけ無駄よ」
 ゲームでの菅山さんはそうだった。だけど現実は違う。
「菅山さんは、私を口説いたりしてません」
 私がそう言い切ると、あらと茉莉花さんは目を細める。
「私、てっきりあなたが建吾に騙されてると思っていたけれど……違ったのかしら?」
「菅山さんが私を騙すなんて、あり得ません」
 茉莉花さんの視線が私に突き刺さってくる。私も負けじと彼女の目を真っ直ぐ見据えた。
「ふうん……随分信用してるのね。人を利用する事など何とも思ってない冷徹な男なのに」
 不愉快な思いが胸に込み上げる。でも、何も言わずにぐっと奥歯を噛んだ。

「知ってる? 彼伊織コーポレーション財閥の御曹司なのよ。だけど結婚しないと次期当主になれないってワケ。だから、誰でもいいからって、結婚相手を探してるのよ」
「……」
 ゲームの設定だから知ってます、とは言えない。
 黙ったまま見返すと、彼女は更に饒舌になった。
「後継者を決めるのに、後一年もないわ。このまま兄である建斗さんが跡取りになるのが筋なのよ。私のお腹には彼の子どもだっているし」
(妊娠、してたの)
 それは知らなかった。ちらと見たお腹はまだ出ている様子はない。茉莉花さんは両肘をテーブルに付き、私を上目遣いに見た。
「それにね、知ってる? 建吾はお義父様の愛人の子なのよ。その愛人はお金目当てで彼を妊娠して、その後お義父様に建吾を売ったんですって。お義母様に疎まれた建吾は、お祖父様に引き取られたの」
「そうですか」
 私が表情を変えずに答えると、彼女の目に苛立ちが一瞬浮かんで消えた。
「だから建吾は親の愛情を知らないのよ。そのせいかしらね、あんな血も涙もない男に育ったのは」
「……お言葉ですが」
 私は彼女の言葉に反論した。
「それがどうしたと言うんです? 菅山さんは仕事熱心で我が社でも腕利きのシステムエンジニアです。生まれ育ちなど関係ないでしょう」
 むしろ、そんな環境でも立派な社会人になった菅山さんが凄い、という事にしかならない。
(おじいさん、おばあさんに愛情深く育てられたのよね、きっと。……それにしても)
 さっきから、この人は何が言いたいんだろう。菅山さんの評判を落としたいだけ? それとも他に目的があるの?

「これだけ言っても態度を変えないのね。家族に疎まれてると聞いて引っ込んだ女もいたのに」
 ふうと尖らせた唇から溜息が漏れた。
「あなたって、つくづく嫌な女――やっぱり潰しておけばよかったわ」
 潰す。私が目を見開くと、茉莉花さんは小さく笑った。
「まあ、いいわ。あなたに何かあったら・・・・・、あの男どんな顔をするのかしらね」
(何かあったら?)
 その言葉が心に引っ掛かる。棘が刺さって抜けないみたいな。
「私、嫌なモノは徹底的に排除するのが好きなの。あなたからはその嫌な臭いがプンプンするのよね。だから」
 獲物を狙う猛獣の目付きに、口元が強張った。

「さっさと他の男とくっついて頂戴。そうすれば、何もしないわ。建吾だって、他の男のモノになった女なんて、見向きもしなくなるでしょうし」
 くっくっと喉の奥で笑う茉莉花さんの顔は、綺麗過ぎて背筋がぞっとする。ちらと振り向いて高田くんの席を見た彼女は、言葉を続けた。
「そこにいる坊やといい、仲のいい同期だとかいう男といい……あなたの周り結構男いるじゃない。そっちと一緒になった方が、きっと幸せよ?」
「――!?」
(同期ってもしかして)
 新人!? 新人の事を知ってる!?
 どうして――とそこまで思った私の心臓が一瞬止まった。私と新人が一緒にいたのは……!

 ――おい、この女で間違いねえのか?

 ――新人っ!
 ――水城、久遠っ!

(……ま、さか)
 そうだ、あの時……私と菅山さんが、新人を呼んでた。あの男達なら、彼の名前を知ったはず。名前から、誰なのかを調べるのは簡単だ。

 指先が冷たくなっていく。身体が強張って、動けない。
(あれは、この人が――!?)
 私を見下したような瞳に、三日月に曲がる真っ赤な唇。この人は、私が今考えている事に気が付いている。気が付いていて……嗤ってるんだ。

「――っ……!」
 かっとお腹の底が熱くなった。

 この人は、菅山さんの周囲にいる女性にあんな事をしてきたの!?
 私はたまたま新人に助けられたけど、そうじゃなかった人もいたかもしれない。
 それも、菅山さんを結婚させないために。
 『自分の夫を財閥当主にする』ためだけに……!?

 握った右拳が痛くなる。

「……んなに」
 私は茉莉花さんの目を真っ直ぐ睨みつけた。
「そんなに、財閥当主夫人になりたいんですか……っ!?」
「あら、何言ってるの? 当たり前じゃない」
 ひらひらと白い右手を振って、茉莉花さんが嗤う。
「今以上に贅沢な暮らしが出来るのよ? あの男だって当主の座を狙ってるんだから、お互い様でしょ」
「違います!」
 私は思わず彼女の言葉を遮った。
「菅山さんは贅沢なんか求める人じゃない! 当主になろうとしてるなら、それは!」
 仕事熱心で責任感があって、そんな彼が当主を目指すなら。
「ならないといけない理由があるはずです。お兄さんは当主に相応しい方なんですか!? もしそうなら、菅山さんは何も言わずに身を引いたはずです!」
 多分、お兄さんは財閥当主に向いていないのだろう。そして、このひとの存在も。どう考えても、財閥の経営が傾く未来しか目に浮かばない。
 そうなったら、大勢の人に影響するに違いない。会社が倒産でもしたら、生活が立ち行かなくなる人も出る。だから……!

(だから仕事で疲れてるのに、連日女性と会ってたの?)
 結婚しなければ、当主になれない。そこはゲームと同じなのに、菅山さんは私を騙して結婚しようとはしていない。
 あくまで正攻法で相手を探してたんだ。

 ――建吾は自分さえ我慢すればって、すぐ無理をしてしまうの。そんなところはあの人に似たのだろうけど、自分の意に染まない事までして欲しくなくて
(志乃さんが言ってたのは、この事じゃないの!?)
 
 ふんと茉莉花さんが鼻で嗤った。
「向いてる向いてないなんて、関係ないわ。建斗は本妻の子で兄なんだから、当然の権利よ……それをあなたが邪魔するなら」
 彼女はゆっくりと立ち上がり、凍り付きそうな微笑みを浮かべ私を見下ろした。私も席を立ち、茉莉花さんと真正面から向き合う。彼女の後方で、がたんと高田くんが立ち上がるのが見えた。
 真っ赤な唇が、スローモーションのように動く。

「二度と建吾の前に姿を現せないようにしてやるわ。今度こそ・・・・
「っ!」

 言い返そうとした瞬間、私の身体に後ろから腕が回った。ウエストをぐいと後ろに引かれて、背中が何かに当たる。茉莉花さんの瞳が大きくなった。

「――やってみろ」
(え)
 耳元で聞こえた唸るような低い声。身体を捻って振り返ると、ぐっと引き締められた口元が見えた。茉莉花さんを射抜く瞳がぎらりと光る。

「建吾!?」
「菅山さんっ……!?」

 私を抱え込んでる彼の左腕に力が入った。顔を引き攣らせた茉莉花さんに、菅山さんがさっきと同じ調子の声で告げる。 
ありさ・・・に何かあれば――妊娠中だろうと容赦しない。お前の方こそ追い出してやる」

 どくっと心臓がひっくり返りそうになった。
(ありさ!?)
 初めて下の名前を呼ばれた。その声が胸底まで響いて、かっと頬が熱くなる。
 茉莉花さんが菅山さんの腕の中にいる私を、人殺しでもしそうな目できっと睨んだ。
「あなた、やっぱり――!」
「違……っ!?」
 咄嗟に否定しようとした私の顎が、大きな手に掴まれて、くいと上げられた。
 菅山さんと目が合ったその次の瞬間――

「ん、っ……!?」

 ――いきなり熱い唇を重ねられていた。
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