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[5] 夜
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冬の夜。不純物の少ない空気。青白い光は澄み渡って、私たちを照らす。
私の正面でジーナはお茶を飲む。普通なら許されないことだろう、でもこの場には私と彼女しかいない。誰もそれを咎めることをしない。
だから問題がない。つまりはその程度のことにすぎないとも言える。
無言。互い言葉を発さない。心地いい静寂の時間。都市からはぐれて、人工的な自然の中で。人も人以外も寝静まる。
限定的な空間。いつでもどこでも起きるわけではない。明日また同じことが起きるとは限らない。来年の同じ日にまた同じことが起きるとは限らない。
偶然を慈しむ。確率を愛する。
ジーナがカップをテーブルに置いた。「どの程度、お嬢様の思い通りになりましたか」
「すべて私の思い通りになったとも言えるし、まったく思い通りにならなかったとも言えるわね」
「もとより厳密な思惑があったわけではありませんでしたから。そしてある程度許容できる結果に行きついたとしてもその先は見通せない」
「私たちの手に入れられる情報には限りがあって、完全な未来を予測することはできないでしょう」
「あらゆる情報が集まったとしても無限の時間がなければそれを分析するなんて不可能ですが」
「ともかく初期条件だけは整えられたと思ってるわ。あとは登場人物たちがどんなふうに動いていくのかしら」
「もう舞台を降りたつもりですか?」
私たちは1つの予測を共有していた。ジーナが収集、分析した情報をもとに私が構築した予測。
この国は近いうちに大きな変革を迎える。
近いうちとはいつか。厳しく追及することはできない。早くて10年、遅くて100年と粗雑な推定がせいぜい。
国内と周辺諸国の状況から見えてきた、時代の流れ。階級はその意味を徐々に失い、場合によっては消えるだろう。いいことなのか悪いことなのか、それは私の知るところではない。
ただその流れに逆らうのは困難極まるというだけだ。
「少なくとも中心人物からは外れたわ。あとはゆっくりと忘れられていく」
「希望的観測だ、願望が混じっている。人々の興味はずっとあなたをつきまとうはず」
「そうかもしれない。けれども過去に想定された状況よりは薄いでしょう」
「まだ完全に逃れられてはいないということです。油断していてはすぐに引きずり戻されますよ」
「油断しているつもりはないけれど。ただ短い時間でいいから休ませてほしいところね」
目標は2つあった。1つは変化の只中から抜け出すこと。
もう1つは避けられない変化ならせめて緩やかな着地を目指すこと。
頑強な抵抗は変革を遅らせるかもしれない。だがそれが破られた時には強烈な反動が待っているものだ。
急激すぎる変貌は常に痛みを伴う。時間をかけてゆっくりと変わることができたなら、その痛みは分散されて受け入れやすいものとなる。
脱出をもくろむ人間が考えることではないかもしれない。けれども自分の知る人々が犠牲になる姿を見たくはなかった。利己的な行動。
「そのぐらいならいいですけど。いや相手次第かな」
「誰がその相手なのかしら。現時点ではちょっと思い浮かばない」
「あなたが今どう見られているのか。立場によってそれは大きく異なるでしょうから」
「先の話よ。モラトリアムが残ってるわ」
「時間なんてあっという間です。気づけば押し流されている」
「流れに身をゆだねるとしましょう。機会を生かすため体力は残しておくわ」
「なんだかんだ言ってサボる算段をしている」
根を探れば人の行動は利己的であることがほとんどだ。
利他的であるとすれば特殊なケースか、あるいはなんらかの勘違いに基づく。
私たちの知性は暴走の末それ自身を騙す。判断を誤る。不必要な機能が多すぎて整理しきれない。
組立てがもっとシンプルであればよかったのかもしれない。もう元には戻れない以上意味のない仮定か。
先は長く私たちでは読み切れない無数の道に分かれている。たった1人でも相当の情報量を抱えているのにそれが集まってはもうわけがわからない。
大づかみな予測は時に有用ではあるがそれを過信してはいけない。細かな修正が常に求められ完全な逃亡は許されない、もしくはハイリスクだ。
遠くで鳥が鳴いている。昔聞いたことがある。
森のずっとずっと奥の方に魔女は住んでいる。彼女は係累を持たない。
匂いの強い薬草が並ぶ。軒先につられて揺れている。月の光を吸い取っている。
高く高く夜に向かって柱は立った。目には見えても手で触れることはできない。
私たちは言葉を忘れない。時々投げ捨てたくなることはあっても。また取りに戻ってしまう。
青い柱。夜を積み重ねてできた柱。その根元で眠ることができたらいいのに。
ジーナは皮肉気に笑っている。いつもの笑い方。
私はそれをまねて同じ表情を返してやった。
私の正面でジーナはお茶を飲む。普通なら許されないことだろう、でもこの場には私と彼女しかいない。誰もそれを咎めることをしない。
だから問題がない。つまりはその程度のことにすぎないとも言える。
無言。互い言葉を発さない。心地いい静寂の時間。都市からはぐれて、人工的な自然の中で。人も人以外も寝静まる。
限定的な空間。いつでもどこでも起きるわけではない。明日また同じことが起きるとは限らない。来年の同じ日にまた同じことが起きるとは限らない。
偶然を慈しむ。確率を愛する。
ジーナがカップをテーブルに置いた。「どの程度、お嬢様の思い通りになりましたか」
「すべて私の思い通りになったとも言えるし、まったく思い通りにならなかったとも言えるわね」
「もとより厳密な思惑があったわけではありませんでしたから。そしてある程度許容できる結果に行きついたとしてもその先は見通せない」
「私たちの手に入れられる情報には限りがあって、完全な未来を予測することはできないでしょう」
「あらゆる情報が集まったとしても無限の時間がなければそれを分析するなんて不可能ですが」
「ともかく初期条件だけは整えられたと思ってるわ。あとは登場人物たちがどんなふうに動いていくのかしら」
「もう舞台を降りたつもりですか?」
私たちは1つの予測を共有していた。ジーナが収集、分析した情報をもとに私が構築した予測。
この国は近いうちに大きな変革を迎える。
近いうちとはいつか。厳しく追及することはできない。早くて10年、遅くて100年と粗雑な推定がせいぜい。
国内と周辺諸国の状況から見えてきた、時代の流れ。階級はその意味を徐々に失い、場合によっては消えるだろう。いいことなのか悪いことなのか、それは私の知るところではない。
ただその流れに逆らうのは困難極まるというだけだ。
「少なくとも中心人物からは外れたわ。あとはゆっくりと忘れられていく」
「希望的観測だ、願望が混じっている。人々の興味はずっとあなたをつきまとうはず」
「そうかもしれない。けれども過去に想定された状況よりは薄いでしょう」
「まだ完全に逃れられてはいないということです。油断していてはすぐに引きずり戻されますよ」
「油断しているつもりはないけれど。ただ短い時間でいいから休ませてほしいところね」
目標は2つあった。1つは変化の只中から抜け出すこと。
もう1つは避けられない変化ならせめて緩やかな着地を目指すこと。
頑強な抵抗は変革を遅らせるかもしれない。だがそれが破られた時には強烈な反動が待っているものだ。
急激すぎる変貌は常に痛みを伴う。時間をかけてゆっくりと変わることができたなら、その痛みは分散されて受け入れやすいものとなる。
脱出をもくろむ人間が考えることではないかもしれない。けれども自分の知る人々が犠牲になる姿を見たくはなかった。利己的な行動。
「そのぐらいならいいですけど。いや相手次第かな」
「誰がその相手なのかしら。現時点ではちょっと思い浮かばない」
「あなたが今どう見られているのか。立場によってそれは大きく異なるでしょうから」
「先の話よ。モラトリアムが残ってるわ」
「時間なんてあっという間です。気づけば押し流されている」
「流れに身をゆだねるとしましょう。機会を生かすため体力は残しておくわ」
「なんだかんだ言ってサボる算段をしている」
根を探れば人の行動は利己的であることがほとんどだ。
利他的であるとすれば特殊なケースか、あるいはなんらかの勘違いに基づく。
私たちの知性は暴走の末それ自身を騙す。判断を誤る。不必要な機能が多すぎて整理しきれない。
組立てがもっとシンプルであればよかったのかもしれない。もう元には戻れない以上意味のない仮定か。
先は長く私たちでは読み切れない無数の道に分かれている。たった1人でも相当の情報量を抱えているのにそれが集まってはもうわけがわからない。
大づかみな予測は時に有用ではあるがそれを過信してはいけない。細かな修正が常に求められ完全な逃亡は許されない、もしくはハイリスクだ。
遠くで鳥が鳴いている。昔聞いたことがある。
森のずっとずっと奥の方に魔女は住んでいる。彼女は係累を持たない。
匂いの強い薬草が並ぶ。軒先につられて揺れている。月の光を吸い取っている。
高く高く夜に向かって柱は立った。目には見えても手で触れることはできない。
私たちは言葉を忘れない。時々投げ捨てたくなることはあっても。また取りに戻ってしまう。
青い柱。夜を積み重ねてできた柱。その根元で眠ることができたらいいのに。
ジーナは皮肉気に笑っている。いつもの笑い方。
私はそれをまねて同じ表情を返してやった。
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