1 / 11
耳にした噂話
しおりを挟む
それは夏の暑さがやわらぎ、日の短さを感じるようになったある放課後のことだった。
図書室からの帰り道、一人校内を歩いていたマリアンヌは、ふと自分の名前が聞こえた気がして足を止めた。
「マリアンヌ様、よく我慢なさっていらっしゃるわよね」
「ええ、本当に! わたくしだったらお父様にお願いをして、とっくに婚約解消しているところですわ」
「マリアンヌ様ほどの方なら、たとえ王家との婚約が駄目になろうとも引く手あまたでしょうし、名前に傷が付くとも思えませんものね」
夕方の校舎には残っている人もまばらだからか、気を抜いた令嬢たちが空き教室で噂話に興じているらしい。
それは珍しくもないありきたりな光景だったが、耳にしたのが噂されている張本人ともなれば事情も変わってくるというもので……。
マリアンヌはこっそり教室の窓へと身を寄せると、人気のない廊下で息を潜めた。
◆◆◆
国有数の名家、オーズリー公爵家の長女としてマリアンヌは生まれた。
公爵令嬢として目を引く存在だと幼い頃から自覚していた彼女は、令嬢の良き手本となるべく努力を怠らなかった。
その結果、十歳の時に第一王子の婚約者に選ばれ、マリアンヌの名はますます世間に知れ渡ることとなった。
そんな彼女は若い女性が噂好きなことなど重々承知しているし、自分の名前が噂にあがることなどへっちゃらだった――と言いたいところだが。
マリアンヌには貴族令嬢としてよろしくない習性があった。
噂話の内容が気になって仕方がないのである。
それは自分が世間でどういう評価をされているかはもちろん、一番興味があるのは周囲の期待に応えられているかという点だった。
望まれている令嬢像を完璧に再現することに心血を注いでいたと言ってもいい。
その為、マナー違反とわかっていながらも夜会の合間に物陰から聞き耳を立ててしまうこともしばしばで……。
これはある意味職業病の一種、マリアンヌが公爵令嬢であるがゆえの弊害と言えるのかもしれない。
今日もマリアンヌは『令嬢ならば戯言の一つや二つ、ドーンと構えて聞き流すくらいの余裕があってしかるべき!』と頭では思いつつも、野次馬根性丸出しで耳をそばだてることを止められないのだった。
ふむふむ、やっぱりジャルダン様と私の噂みたいね。
まあ、それも当然と言えば当然よね。
あの王子ってば私という完璧な婚約者がありながら、すっかり男爵令嬢に骨抜きにされているのだもの。
私も外野の令嬢の立場だったら、こんな面白い噂話を見逃さなかっただろうし。
……うん、今のところ私は悪く言われていないみたいね。
彼女の思考からもおわかりになる通り、マリアンヌの内面は淑女からは程遠いものであったが、それを知る者は数少ない。
家族すらマリアンヌこそ令嬢の鑑だと信じて疑わないのだから。
悪く言われることを恐れて淑女の面を被り続けた結果、真の令嬢だと皆の口に上る機会が増え、ますます内容が気にかかってしまう――なんとも哀れな悪循環である。
「ご覧になりました? 今日のランチタイム」
「もちろんですわ。殿下はまたあの男爵令嬢とご一緒でしたわね」
「ええ! あの女、殿下に腕を絡めてまるで婚約者気取りで。勝ち誇ったような顔が忘れられませんわ」
マリアンヌが聞いているとも知らず、教室内での会話は続いていた。
声の違いから、噂をしているのは三人の令嬢のようだ。
中には聞き覚えのある声も混じっている。
ふーん、今日もあのお二方は人目も憚らずに仲睦まじく過ごされたってわけね。
……自分の立場も考えずに困った方たちだこと。
第一王子のジャルダンが男爵令嬢のロザリーに入れあげていることは、学園に通う人間なら誰もが知っている。
『ロザリーこそが私の運命の相手なのだ』と、王子自らが吹聴しているのだからそれも当然のことだった。
しかも二人はところかまわず密着し、大声で愛を叫びあっているのだ。
まるでマリアンヌへ当て付けるかのように……。
いやいや、愛って囁くものだと思っていたのだけど、あの方たちは舞台俳優でも目指しているのかしら?
元々私は殿下のことなんてちっとも好きではないし、もうお父様が婚約破棄に向けて動いているというのに。
失恋の痛みなど全く感じないマリアンヌは、思わず遠い目をしていた。
図書室からの帰り道、一人校内を歩いていたマリアンヌは、ふと自分の名前が聞こえた気がして足を止めた。
「マリアンヌ様、よく我慢なさっていらっしゃるわよね」
「ええ、本当に! わたくしだったらお父様にお願いをして、とっくに婚約解消しているところですわ」
「マリアンヌ様ほどの方なら、たとえ王家との婚約が駄目になろうとも引く手あまたでしょうし、名前に傷が付くとも思えませんものね」
夕方の校舎には残っている人もまばらだからか、気を抜いた令嬢たちが空き教室で噂話に興じているらしい。
それは珍しくもないありきたりな光景だったが、耳にしたのが噂されている張本人ともなれば事情も変わってくるというもので……。
マリアンヌはこっそり教室の窓へと身を寄せると、人気のない廊下で息を潜めた。
◆◆◆
国有数の名家、オーズリー公爵家の長女としてマリアンヌは生まれた。
公爵令嬢として目を引く存在だと幼い頃から自覚していた彼女は、令嬢の良き手本となるべく努力を怠らなかった。
その結果、十歳の時に第一王子の婚約者に選ばれ、マリアンヌの名はますます世間に知れ渡ることとなった。
そんな彼女は若い女性が噂好きなことなど重々承知しているし、自分の名前が噂にあがることなどへっちゃらだった――と言いたいところだが。
マリアンヌには貴族令嬢としてよろしくない習性があった。
噂話の内容が気になって仕方がないのである。
それは自分が世間でどういう評価をされているかはもちろん、一番興味があるのは周囲の期待に応えられているかという点だった。
望まれている令嬢像を完璧に再現することに心血を注いでいたと言ってもいい。
その為、マナー違反とわかっていながらも夜会の合間に物陰から聞き耳を立ててしまうこともしばしばで……。
これはある意味職業病の一種、マリアンヌが公爵令嬢であるがゆえの弊害と言えるのかもしれない。
今日もマリアンヌは『令嬢ならば戯言の一つや二つ、ドーンと構えて聞き流すくらいの余裕があってしかるべき!』と頭では思いつつも、野次馬根性丸出しで耳をそばだてることを止められないのだった。
ふむふむ、やっぱりジャルダン様と私の噂みたいね。
まあ、それも当然と言えば当然よね。
あの王子ってば私という完璧な婚約者がありながら、すっかり男爵令嬢に骨抜きにされているのだもの。
私も外野の令嬢の立場だったら、こんな面白い噂話を見逃さなかっただろうし。
……うん、今のところ私は悪く言われていないみたいね。
彼女の思考からもおわかりになる通り、マリアンヌの内面は淑女からは程遠いものであったが、それを知る者は数少ない。
家族すらマリアンヌこそ令嬢の鑑だと信じて疑わないのだから。
悪く言われることを恐れて淑女の面を被り続けた結果、真の令嬢だと皆の口に上る機会が増え、ますます内容が気にかかってしまう――なんとも哀れな悪循環である。
「ご覧になりました? 今日のランチタイム」
「もちろんですわ。殿下はまたあの男爵令嬢とご一緒でしたわね」
「ええ! あの女、殿下に腕を絡めてまるで婚約者気取りで。勝ち誇ったような顔が忘れられませんわ」
マリアンヌが聞いているとも知らず、教室内での会話は続いていた。
声の違いから、噂をしているのは三人の令嬢のようだ。
中には聞き覚えのある声も混じっている。
ふーん、今日もあのお二方は人目も憚らずに仲睦まじく過ごされたってわけね。
……自分の立場も考えずに困った方たちだこと。
第一王子のジャルダンが男爵令嬢のロザリーに入れあげていることは、学園に通う人間なら誰もが知っている。
『ロザリーこそが私の運命の相手なのだ』と、王子自らが吹聴しているのだからそれも当然のことだった。
しかも二人はところかまわず密着し、大声で愛を叫びあっているのだ。
まるでマリアンヌへ当て付けるかのように……。
いやいや、愛って囁くものだと思っていたのだけど、あの方たちは舞台俳優でも目指しているのかしら?
元々私は殿下のことなんてちっとも好きではないし、もうお父様が婚約破棄に向けて動いているというのに。
失恋の痛みなど全く感じないマリアンヌは、思わず遠い目をしていた。
209
お気に入りに追加
356
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
異世界の神は毎回思う。なんで悪役令嬢の身体に聖女級の良い子ちゃんの魂入れてんのに誰も気付かないの?
下菊みこと
恋愛
理不尽に身体を奪われた悪役令嬢が、その分他の身体をもらって好きにするお話。
異世界の神は思う。悪役令嬢に聖女級の魂入れたら普通に気づけよと。身体をなくした悪役令嬢は言う。貴族なんて相手のうわべしか見てないよと。よくある悪役令嬢転生モノで、ヒロインになるんだろう女の子に身体を奪われた(神が勝手に与えちゃった)悪役令嬢はその後他の身体をもらってなんだかんだ好きにする。
小説家になろう様でも投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
醜いと蔑まれている令嬢の侍女になりましたが、前世の技術で絶世の美女に変身させます
ちゃんゆ
恋愛
男爵家の三女に産まれた私。衝撃的な出来事などもなく、頭を打ったわけでもなく、池で溺れて死にかけたわけでもない。ごくごく自然に前世の記憶があった。
そして前世の私は…
ゴットハンドと呼ばれるほどのエステティシャンだった。
とある侯爵家で出会った令嬢は、まるで前世のとあるホラー映画に出てくる貞◯のような風貌だった。
髪で顔を全て隠し、ゆらりと立つ姿は…
悲鳴を上げないと、逆に失礼では?というほどのホラーっぷり。
そしてこの髪の奥のお顔は…。。。
さぁ、お嬢様。
私のゴットハンドで世界を変えますよ?
**********************
『おデブな悪役令嬢の侍女に転生しましたが、前世の技術で絶世の美女に変身させます』の続編です。
続編ですが、これだけでも楽しんでいただけます。
前作も読んでいただけるともっと嬉しいです!
転生侍女シリーズ第二弾です。
短編全4話で、投稿予約済みです。
よろしくお願いします。
【完結】大天使様は断罪された悪役令嬢との婚姻を望まない~わたくし善行を積んだのは保身のためなので聖女と呼ばないでくださいませ!
江原里奈
恋愛
聖女リアナに陥れられ、断罪されたネルシオン王国の侯爵令嬢アリシア・ロンバルト。
彼女は追放されて、遥か極北の地で凍死した……と思っていた。
彼女を助けたのは、金髪碧眼の美青年ラミエル。
極北の地なのに天国のように快適な豪邸に暮らしているところを見ると貴族のようだ。
「あなたと結婚して差し上げてもよくてよ」
かつてネルシオン王国の第一王子カーライルの婚約者だった彼女は気位が高い。高飛車にそう言い放つが、ラミエルはあっさりと却下した。
「命を助けてやった礼なら、よい行いを積んでもらうとしよう」
彼の背中から白く大きな翼と黄金のオーラが見える。
彼は大天使……神の使いだ!!
敬虔なリアナに癒しの力を分け与えて聖女にしたものの、リアナは色恋にうつつを抜かしてろくに民を助けないとラミエルは嘆いている。
それゆえ、新たな聖女が必要だと考えたようだ。
「いいですわ。やりますわ、善行……あなたがわたくしと結婚してくださるなら!」
自分の性に合わない善行を積むアリシアだが、いつしか「貧しき者の聖女」と崇められることに。
その噂を聞いた国王は、彼女を王都に呼び戻そうとするが…。
悪役令嬢は新たな聖女に? そして、大天使ラミエルとの恋の行方は?
※他の投稿サイトにも掲載しています
※全9話の短編です(1万8千字)
サクッとお楽しみくださいませ<(_ _)>
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
不機嫌な悪役令嬢〜王子は最強の悪役令嬢を溺愛する?〜
晴行
恋愛
乙女ゲームの貴族令嬢リリアーナに転生したわたしは、大きな屋敷の小さな部屋の中で窓のそばに腰掛けてため息ばかり。
見目麗しく深窓の令嬢なんて噂されるほどには容姿が優れているらしいけど、わたしは知っている。
これは主人公であるアリシアの物語。
わたしはその当て馬にされるだけの、悪役令嬢リリアーナでしかない。
窓の外を眺めて、次の転生は鳥になりたいと真剣に考えているの。
「つまらないわ」
わたしはいつも不機嫌。
どんなに努力しても運命が変えられないのなら、わたしがこの世界に転生した意味がない。
あーあ、もうやめた。
なにか他のことをしよう。お料理とか、お裁縫とか、魔法がある世界だからそれを勉強してもいいわ。
このお屋敷にはなんでも揃っていますし、わたしには才能がありますもの。
仕方がないので、ゲームのストーリーが始まるまで悪役令嬢らしく不機嫌に日々を過ごしましょう。
__それもカイル王子に裏切られて婚約を破棄され、大きな屋敷も貴族の称号もすべてを失い終わりなのだけど。
頑張ったことが全部無駄になるなんて、ほんとうにつまらないわ。
の、はずだったのだけれど。
アリシアが現れても、王子は彼女に興味がない様子。
ストーリーがなかなか始まらない。
これじゃ二人の仲を引き裂く悪役令嬢になれないわ。
カイル王子、間違ってます。わたしはアリシアではないですよ。いつもツンとしている?
それは当たり前です。貴方こそなぜわたしの家にやってくるのですか?
わたしの料理が食べたい? そんなのアリシアに作らせればいいでしょう?
毎日つくれ? ふざけるな。
……カイル王子、そろそろ帰ってくれません?
【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい
三谷朱花
恋愛
アリス・デッセ侯爵令嬢と婚約者であるハース・マーヴィン侯爵令息の出会いは最悪だった。
そして、学園の食堂で、アリスは、「ハース様を解放して欲しい」というメルル・アーディン侯爵令嬢の言葉に、頷こうとした。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
私はざまぁされた悪役令嬢。……ってなんだか違う!
杵島 灯
恋愛
王子様から「お前と婚約破棄する!」と言われちゃいました。
彼の隣には幼馴染がちゃっかりおさまっています。
さあ、私どうしよう?
とにかく処刑を避けるためにとっさの行動に出たら、なんか変なことになっちゃった……。
小説家になろう、カクヨムにも投稿中。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】その令嬢は号泣しただけ~泣き虫令嬢に悪役は無理でした~
春風由実
恋愛
お城の庭園で大泣きしてしまった十二歳の私。
かつての記憶を取り戻し、自分が物語の序盤で早々に退場する悪しき公爵令嬢であることを思い出します。
私は目立たず密やかに穏やかに、そして出来るだけ長く生きたいのです。
それにこんなに泣き虫だから、王太子殿下の婚約者だなんて重たい役目は無理、無理、無理。
だから早々に逃げ出そうと決めていたのに。
どうして目の前にこの方が座っているのでしょうか?
※本編十七話、番外編四話の短いお話です。
※こちらはさっと完結します。(2022.11.8完結)
※カクヨムにも掲載しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
完結)余りもの同士、仲よくしましょう
オリハルコン陸
恋愛
婚約者に振られた。
「運命の人」に出会ってしまったのだと。
正式な書状により婚約は解消された…。
婚約者に振られた女が、同じく婚約者に振られた男と婚約して幸せになるお話。
◇ ◇ ◇
(ほとんど本編に出てこない)登場人物名
ミシュリア(ミシュ): 主人公
ジェイソン・オーキッド(ジェイ): 主人公の新しい婚約者
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる