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くしゃみをしただけなのに。

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私、クレアは自室のクローゼットの中で息を潜めている最中だ。
なぜそんなことをしているかと言えば、もちろんかくれんぼなんていう平和で楽しい子供の遊びに興じている訳ではなくてーー。

バターン!! ドスドスドス……ガンッ。

徐々にこの部屋へと近付いてきていた乱暴な足音は、とうとう隣室まで辿り着いてしまったらしい。
ガサゴソと何かを漁っては、床へ投げ捨てる音が聞こえてくる。

んー、もうっ!
こんなところに隠れていたって、見つかるのは時間の問題じゃないの。
あいつらは次はこの部屋にやってくるだろうし、すぐに発見されてしまうに決まっているわ。
捕まったらやっぱり他国へ売られてしまうのかしら?
貴族の女は高く売れるらしいし。
……なんとかしないと!!

こうしてはいられないと、モゾモゾと整頓されたドレスの中で身じろぎをしたのがまずかったようだ。
ドレスのふわふわした布が鼻をくすぐり、こんな時なのにふいにくしゃみが出そうになってしまう。

『フガ……』

っと、駄目よ。今だけは絶対駄目だって!
何としても耐えるのよ、私!!

思わず鼻を両手で押さえて息を止める。
一瞬くしゃみの気配が消え去り、やった!と喜んだのも束の間、奮闘虚しく我慢したはずのムズムズは呆気なくぶり返した。

「ハ……ハックシュン」

なんとか精一杯声を抑えてはみたものの、隣の侵入者には気付かれてしまったかもしれない。
私はクローゼットの暗闇の中、目を閉じて体を縮こませるしかなかった。



◆◆◆



彼女の名前はクレア・ボーデン。
国内有数の資産家と評判のボーデン伯爵家の娘で、先日十八歳になったばかりだ。
まもなく通っている学園を卒業予定なのだが、なぜかいまだに嫁入り先は決まっていない。
他の令嬢より少しお転婆だと世間では噂されているが、そのせいで婚約者が出来ないわけではないーーと本人は思っている。
ちょっと好奇心が旺盛の、明るく天真爛漫な伯爵令嬢だ。

今日は朝から、クレアの父が伯爵家の跡取りである兄を連れて、郊外に住む旧知の友の領地へと商談を兼ねて出かけていた。
ーーごっそりと護衛をつけて。
午後になり、母は屋敷に一人残されるクレアを心配しながらも、断れないお茶会へと出かけていった。
ーーいつも通りの護衛と共に。

よって、当然ながら本日の伯爵家は通常より遥かに警固が手薄な状態となっていた。
どこから情報を聞き付けたのか、今が絶好のチャンスだと考えた者がいたらしい。
屋敷に押し入られ、使用人の悲鳴と複数の男性の怒鳴り声が聞こえた途端、侍女はクレアをクローゼットへと押し込み、魔の手から守ろうとしたのだった。

みんな無事かしら。
「何を取られても構わないから、命を最優先に行動しなさい!」とは言っておいたけれど、うちの使用人は無駄に正義感が強いから不安だわ。
やっぱり犯人は、今王都を騒がせている例の強盗・誘拐犯よね。
昼間に堂々と押し入るなんて、随分大胆なことをしでかしてくれるじゃないの。

なーんて考えながら、誘拐されて売られるのだけは避けたいと余計な動作をした結果が、今の状況である。
クレアは自分のくしゃみによって更にピンチに陥っていた。

失敗したわ……。
気付かれたかしら?

居場所がバレたかと耳をすませてみると、なんだかドタバタと階段を駆け上がる靴音が響き、争うような声が聞こえる。
使用人が戦っているのか、はたまた強盗犯の仲間割れなのか……。

ゆっくりと丸めていた体を起こそうとして、私はふと奇妙な事に気付いた。
さきほどまで確かにあった窮屈さや圧迫感を、全然感じないのだ。

あら? 何か変ね。
さっきまで邪魔な布が頬に触れていたはずなのに、今はその感触がないわ。
その代わりに、なぜか足元に布の感触があるのだけど。
暗くて良くわからないけれど、このクローゼット、心なしか広くなったような……?

そんなはずはないと思いつつも、首を傾げた時だった。

「クレア! 無事か!?」

バタンと扉を開ける大きな音と共に、誰かが部屋に入ってきた。
一瞬、強盗がここまで来たかと緊張が走ったが、その聞き覚えのある男性の声に徐々に体の力が抜けていく。
どうやら救援に駆け付けてくれたようだ。

助かったわ!

「私はここよ!」とクローゼットの中からすかさず返事をしたのだが、何かがおかしい。
鼻からブッブッと小さな音が出るだけで喋れず、言葉にならないのだ。

え? なんで?
声が出ないんだけど。

慌ててクローゼットの扉を内側から叩いて知らせようとしたが、空を切るばかりで手が扉に触れられない。
どうやら頑張っても届かないみたいだ。
意味がわからずあたふたしていたら、「この中か?」という声と共に、クローゼットが外から開かれた。

開いた!
私、助かったんだわ!

眩しさに一瞬閉じた目を開けると、そこには久々に見る幼馴染みのエドガーが、最後に会ったときよりも逞しい体つきで立っている。

『エド!! そうだ、騎士学校を卒業して、戻ってきたのね。卒業おめでとう。エドが助けに来てくれて嬉しいわ』

自分では一生懸命話しているつもりなのだが、相変わらずブッブッと鼻が鳴るだけで言葉にならない。

「ん? うさぎ? なぜこんなところにーーって、この服はまさかクレアの……? クレア! クレア、どこにいるんだ!?」

目を見開き、焦った様子でエドガーが部屋の隅々まで私を探し始めた。
そして、クローゼットに光が差したことによって、私もようやく事の重大さに気が付き始めた。

私、モフモフになってる!?


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