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嫌われ者の戦士
第八話 臆病者
しおりを挟む炎が音を立てている。石造りの砦を明るく照らし、この曇天でその炎は太陽よりも明るく燃えている。人が焼ける匂いがする。獣の肉が焼ける匂いとは違う。何か、もっとどす黒く感じる。今気付いた。メルヴィレンで嗅いだ嫌な匂いの正体はこれだったのだ。不快感を感じるよりも前にノアの脳は警告していた。この場は危険であると。
「降りるぞクラウディオ……!」
「あ、ああ!」
二人は慌てて砦を駆け下りた。それに続いて兵たちは次々とメリッサの砦を背に降り立って隊列を組み直した。あの火力の魔法が来るなら遠距離戦は分が悪い。ただでさえ数的不利の戦場だ。じりじりと減らされるより乱戦に持ち込んだ方が勝機がある。その判断は吉と出た。隊列が組み直される中、逃げ遅れて高所に残っていた隊に向かい小さな太陽と言ってもいい、灼熱の火球が頭上を掠めたのだ。火球は砦に命中して岩を崩し、何人かを下敷きにした。ここでノアは理解した。雑兵と将軍では魔法のレベルが桁違いであることを。クラウディオの魔法は雑兵の中でも強くない部類。あの火球は才覚ある者がそれを磨きに磨いたものなのだ。誰もが死を予感した。だが、それでもなおノアは前を向いた。
ここで死ねばメルヴィレンの日々を潜り抜けた意味がない。生きた意味が欲しい。たとえ嫌われた者であろうとその生を無意味なもので終わらせたくない。ノア自身も気付いてはいなかったが、これこそがノアの闘志の礎であった。ノアは最前に立ち、その声を轟かせた。
「聞け兵たちよ‼︎」
突然の叫びに兵士たちはどよめいた。こんなときに少年兵が何かを叫んでいると。奴は誰だと。指揮官は怒声を上げてノアを下げようとしたがノアは動かなかった。ノアの声はよく通った。トゥヘルム王国軍の全てがノアを見ていたのだ。
「無為に死ぬな!お前たちがただの人ではなく、俺と同じ戦士ならば!戦え……!誰よりも勇ましく、誰よりも輝かしくその赤い血を滾らせろ!」
鳥肌が立つ感覚。ゾワゾワと背筋を通り、身体全体腕の先までその感覚が走る。毛は逆立ち、鼓動が高まる。血が煮えくりかえる。その瞳が、その心が、その闘志が大炎を巻き起こしたのだ。ノアの声は戦場の全てに轟いた。雷轟のように皆の心を撃ち焦がす。
「戦士よ‼︎俺に続けェェッ‼︎」
沸き起こる大歓声。耳が裂けるかと思うほどの大熱狂がメリッサの高原を貫いた。隊列など関係なく我先にと兵たちが駆け出したのだ。その先頭を行くのは彼しかいない。ノア・グレイスに他ならなかった。その少し後ろ、クラウディオとカルロが続いていた。凄まじい光を放っていた。二人が追うノアの背中は黄色い閃光を放ち、その閃光は大きな翼を羽ばたかせているかのように見えた。全て錯覚だ。だが二人、いやトゥヘルムの兵士たちはノアの光に魅入られた。やはりこの言葉がよく似合う。
「すごいな!やはりお前は英雄だ」
クラウディオが興奮気味に息を切らしてノアの背に話しかける。ノアは何も言わない。言葉が出てこないのだ。自分でもなんて言ったかは覚えていない。興奮の渦中にいた。クラウディオもその様子に笑った。変わらぬノアだったからだ。だが明らかにノア・グレイスという英雄の圧倒的なまでのカリスマが開花したことは分かった。天より授かったものなのだろう。でなければ同じ人間からこんなものが産まれるわけがない。ノアという男を化生の類であるとしか思えなかった。
「あれは僕の役目でした。ありがとう」
横を見ると、そこには砦の中で情けない空気を醸していたカルロ・スカリアがそこにいた。その言葉に他意はない。純粋な感謝だった。
「なんだお前ほんとにさっきの子供か?」
感謝への返答ではなく、ノアはカルロを見て違和感を感じたのだ。言葉遣いはともかくカルロの表情に情けない空気は感じられない。その瞳は真っ直ぐと敵を捉え、手には力強く剣が握られていた。
「正真正銘臆病者のカルロですよ。でも今は臆病心に支配されてる場合じゃない。僕は兵たちを守らないと駄目だ」
ノアは驚いた。カルロという少年は戦うことに怯えていたのではなかったのだ。戦いは好きじゃないのだろう。だが彼は守ると言った。自分の心に打ち勝って彼は彼の戦いに身を投じようとしていた。その姿は賞賛に値する。
「はっは!奇遇だな。俺は嫌われ者のノアだ」
嫌われ者のノア。彼はその侮辱とも言える呼び名を噛み締めるようにして聞いた。
「嫌われ者ですか。臆病者よりだいぶひどいな」
「だが言ったやつは許さない」
カルロは笑い、三人は緑の大地を駆けていく。シティリス王国軍との距離はもうすぐそこだ。シティリス王国軍はトゥヘルム側の突然の異常行動に戸惑ったのか対応が遅れている。しかし前衛には盾兵が並べられていた。
「僕と僕の私兵が道を開けます!そこからは乱戦だ。そして」
「この士気のままに敵将を貫くんだ」
クラウディオがカルロの言葉を奪って、三人は並走する。後ろの歓声はさらに大きくなる。
カルロの私兵たちはその最前線を走り、ノアたちに追いつこうとしていた。
「カルロ様!あまり前に出すぎるな!」
「ダニオ!僕らであの前線を蹴散らすんだ!活路を開くにはそれしかない!」
カルロは敵を目前に捉えたまま叫んだ。私兵たちは頷いて剣を抜いた。魔法を放つつもりだ。だが、聞こえたのは隣を走るノアの声だった。
「必要ない……!」
ノアはぐんと速度を上げた。カルロとクラウディオは取り残され、ノアは一人突き出して駆け抜けていく。
「おい!ノア!」
クラウディオが叫んだが、その声はもう届いていない。ノアはシティリスの盾の列に突進したのだ。皆ノアが盾に阻まれて槍に貫かれるのが見えた。
「なんだこの餓鬼は!」
シティリス王国軍の最前の盾兵は身体を盾ごと薙ぎ切られ、鮮血を吹き上げたのである。ノアは空いた左手を握り込み、前に立つ兵の顔に拳を打ちつけた。首はあらぬ方向に曲がり、その男は地面に仰向けに倒れた。貫かれたように見えたのはノアがあまりの勢いで突進し、血が吹き上がったからだった。ノアは返り血を浴びていく。茶褐色の古ぼけた鎧には血がベッタリとつき、銀色の刀身も赤く怪しい輝きを放っていた。
「凄まじいな」
カルロがクラウディオの隣、身震いした。カルロの私兵たちもあまりの光景に口を開けて走っている。
「ノアに続くぞ!」
クラウディオは冷静に一人突っ走ったノアの背中に向けて叫んだ。クラウディオの言葉にカルロと私兵は首を振って我に帰った。ノアだけが飛び抜けて前に出ている。いくらノアといえど多勢に囲まれれば勝ち目はない。風穴が塞がる前に攻め込まねばならなかった。ここで彼を死なせるわけにはいかない。奇しくもクラウディオとカルロは同じことを考えていた。
「ダニオ!僕はいい!あのノアという男についてくれ!」
「いけませんカルロ様!我々は貴方様のために……」
カルロが叫んだときダニオ率いるスカリア家の私兵たちは二人の背に追いついてきていた。カルロの頼みにダニオはすぐに首を振った。
「スカリア家を侮辱する気かダニオ!」
「何故そうなるのですか!」
「スカリア家はこのトゥヘルムの盾。断じて守られるものじゃない!戦う者たちを守らずして何がスカリア家の兵だ!考えろダニオ!」
声変わりが終わりきっていないまだ高くかすれた声だった。だがその声には妙な迫力があった。カルロという男には誇りがある。そしてノアまでは行かずとも似たカリスマ性。カルロ・スカリアは弱々しい性格とは対照的に、将としての素質が眠っていた。この戦の、それもノアという最大の才覚が同じ才覚を目覚めさせたのだ。
「……ッ承知しました!カルロ様もご武運を!」
ダニオは感動を隠せずにいた。今カルロの才能は花開いた。見知らぬ少年の手によって。争い事を嫌う、戦争によって家の名を上げてきたスカリア家の子供とは思えなかった情けない空気感を持つ少年だったカルロは強き信念と誇りを持って今戦場を駆けている。カルロが産まれたときよりもさらに前からスカリア家に仕えたダニオとその部下たちにとって、それがたまらなく嬉しかった。ダニオたちはカルロとクラウディオを追い抜かし、ノアの背に続いてシティリス王国軍の列の中に飛び込んだ。
「穴を塞げぇ!そこまで数は入ってきておらん!」
シティリス王国軍の中、指示は飛び交っていた。兵たちは混乱しながらも開いた穴を塞ぎに列を作ろうとしていた。
「させぬ!”厳格なる雪の精、その氷刃で貫かんッ‼︎”」
塞がれつつあるシティリスの列、そこにダニオは詠唱を行い剣を向けた。その剣からは氷の刃が何本か射出され前線の兵、数人の手足を切り裂いた。ダニオはそれほど強い魔法や才覚を持っているわけではなかった。だが魔法の正確性と威力は十分にあった。
「あの少年を探せ!生きていれば必ず前にいる!」
部下に向かいダニオが指示を飛ばすと、三人の私兵たちは敵の攻撃をいなしながらノアの姿を探した。右前方、隊列が崩れ円を作りその中心に血飛沫や魔法の光が渦巻いているのが見えた。間違いない。そこにあの少年はいる。
「右前方!二時の方向!介入するぞ‼︎」
ダニオの指示は的確だった。彼は判断力に優れ、戦ではその視野の広さを重宝されていたのだ。ここでもそれが役に立った。ダニオの見立て通りノアはそこにいた。
ノアは魔法を剣で切り裂き、鋭いステップを踏みながら敵の懐に入り込んで剣を突き刺す。ヒットアンドアウェイを繰り返していた。シティリス王国軍は戸惑っていた。繰り出した魔法がノアの手元で霧散する。魔法で打ち消しているわけではない。ノアからは毛ほども魔力が感じられずにいたからだ。不気味だった。何か、別次元の化け物を相手にしているかのような違和感。だがそれを違和感として認識するよりも前に少年の姿をした怪物が眼前に姿を現す。動きが読めない。まず速度が凄まじい。人間のものとは思えない速度だ。距離を取られたかと思えば凄まじいバネで距離を詰められて剣の間合いを強制される。そして剣だけを警戒するとその拳や足で顔面を砕かれた。ノアは相手が動き出すよりも前に動いていた。蒼き瞳は心までも見透かしているように深く澄んでいた。その頭脳はこれより先に起こる事象の全てを知っているのかと思うほどであった。ノアの脳が赤い信号を発した。ノアが地面を蹴り砕き、後ろに仰け反ると刹那灼熱の火球が眼前を掠め通った。シティリスの兵の数人が巻き込まれて地面に倒れ込んでいる。敵将は判断した。数人の命よりもこの少年の脅威の方が重いと。
遅れて痛みが走る。左腕を守っていた鎧が消し飛び、ノアの左腕は赤く爛れていたのだ。避け損ねた。地盤が柔らかかった。脳と身体の反応は申し分なかった。だがノアの怪力に地面が耐えきれなかったのだ。力が分散されて思ったよりも飛べなかったようだ。ノアが眉をひそめるとシティリスの兵たちは嬉々としてノアを囲んだ。だがノアから時計の八の方向。二重に囲んでいた後列から血飛沫が上がったのだ。
「行け少年!もう策などない!敵将を討ち取れぇ‼︎」
スカリア家が私兵、ダニオがいた。ダニオ率いる他の私兵三人もすぐに追いつくと魔法を纏わせた剣で敵を切り裂いていく。敵の注意が逸れた。ノアは頷くとその場から姿を消した。
「僕らの前の敵を一掃しましょう。えっと……」
「クラウディオだ」
「クラウディオさん、君はどれくらい戦える?」
「からっきしさ。俺に才能はない。だが分かるだろ?あんなやつと一緒にいたんだ。戦いたくもなる」
「フッ間違いない。よし、僕が道を開ける。クラウディオさんはノアさんのもとへ行ってください」
カルロの声色は力強かった。クラウディオからしてもノアと似通ったものを感じる。クラウディオがカルロの顔を見ると、思った通り茶褐色の瞳を強く燃やしていた。
「できるのか?」
「分かりません。ただ僕はなぜかいつも舐められるけど才能は自負してます」
「分かった。信じるよ」
カルロの台詞を聞いてクラウディオは笑った。自信なさげな物言いだが、自分の根底をしっかりと信じることができている。そんな男こそ強いのだとクラウディオは知っていた。もう敵陣は目前だ。クラウディオはスピードを落とすことなく草原を駆ける。カルロは剣を抜き、地面を踏み締めると虚空に狙いを定めた。
「”雄大なる大地。全てを凌駕せし超自然よ。我が敵を飲み込まんッ……‼︎”」
カルロ・スカリアの完全詠唱。魔法の詠唱は同種の魔法であっても人それぞれである。だがカルロの詠唱はスカリア家に脈々と受け継がれてきた至高の詠唱文。その威力は一般兵の類を見ない。地面が蠢いた。地響きを立て、その魔法はシティリス王国軍を貫いたのだ。クラウディオの目に映ったのは異常な光景であった。敵は大地から突き出た剣によって貫かれ、深い土気色の剣には無数の赤い血が滴って地には血溜まりを作っていた。見ると敵は混乱の渦中に飲み込まれたのだ。はっきりと分かる。ここが攻めどき。今こそが勝機なのだ。ノア・グレイスの異才。それにカルロ・スカリアの魔法の才。二つの異質な才覚は混ざり、鮮烈な光を発しながら爆発したのだ。
クラウディオを先頭に次々と敵陣へと侵入していく。トゥヘルム王国軍は劣勢を互角の戦いへと引き戻したのだ。クラウディオは剣を振るった。混乱の中にある敵は少し弱く感じた。今この戦の主導権を握っているのは明らかにトゥヘルム王国軍の方だった。敵は崩れた最前線に注目していた。それは本陣も同じだった。だがその逸れた注意は自らの心臓を無防備にした。シティリス王国軍本陣、その真ん中に鮮血が舞った。意識外からの不意打ち。そしてその速度。決まらぬはずはなかった。だが数々の修羅場を潜り抜けてきたからこその勘、それがかろうじて命を繋ぎ止めた。魔法を軽減する鉱物によって作られた鎧、その名を魔凱。その鎧袖を鋭い刃によって引きちぎられ、その切り口から灼熱の痛みが全身を駆け抜ける。
「よく避けたな。シティリスの将よ」
そこに立つのは神に嫌われし者、ノア・グレイスだった。
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