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0日目
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拝啓、クソ上司。死神業務も慣れたもので4回目になりまして、ちょっとばかり要領が分かってきた頃でございます。
そのお姉さんは、結構変わり者で私がいきなり枕元に立ったのにさっぱり驚かなかった。ベッドで寝たまま、ぼーっと私を眺めてて、なんならちょっと微笑んできた。
あんまりに能天気で、なんか反対にこっちが吃驚したくらい、おはよって言ったらおはよって返してくれたし。大体いっつも無視したり、驚かれたりばかりだから、ちょっと新鮮な反応だった。ま、夢って誤解してただけらしーですが。
あっはっは、なんじゃそりゃ。と、軽く笑ったところで自己紹介。
「私、ゆな。新人の死神です。これから死ぬ人の一週間前から現れて、それを見届けるのがお仕事です」
意気揚々と快活に、既に飽きてきた四度目の自己紹介をする。
今回のお仕事相手は、20代半ばくらいかな、のお姉さん。痛んだショートヘアと痛々しく刻まれた隈が印象的な、そんな全体的に見ていて痛い女の人。痛いって言うのは可哀そうって言う意味でだけど、まあ気軽にそう表現してあげるのは気が引けるくらい、わかりやすくダメージを受けたそんな人。
まあ、こういっちゃあ何だけど死んじゃうのもさもありなん、って感じの人だ。さすがに口に出したりはしないけどさ、これでも空気が読める女子高校生世代なのだよ。
とまあ、そんな本心にはそっと鍵を掛けながら、久方ぶりに頂いた暖かい紅茶とフレンチトーストに満足でお腹を膨らませた。うん、本当にこんなに心も身体も満たされたのはいつぶりだろうかな。
それからぷらぷらと足を遊ばせながらお姉さんを見やる。
「へ……?」
お、ようやく反応してくれるかな。
ここから先の反応はおおよそ予想できる。それは、この仕事をするときに上司が最初に教えてくれたことだ。
死の前の人間にはいくつか段階がある。
一つ目が否認。
まず最初に疑う、否定する。
自分が死ぬことをそのものを認められない、受け入れられない。事実を否定して、言葉を聞かなくて、私の存在事認めようとしてこない。まあ、そりゃそうだよねーって感じだけど。私だって一週間後に死ぬよとか言われたら、きっとそんな感じになるのだろう。
あとは、怒り、取引、抑うつ、受容と続くらしい。どこから始まって最後にどこまで行くかは人次第だけど、まあ受容までちゃんと至れる人は珍しい、というか見たことが無い。
私が見ている人の死因が死因だから、まあ仕方ないのかもしれないけれど。
というわけで、まあおおよその予想では、まずこのお姉さんは、私のことが認められないはずだ。
ま、変な女子が唐突に部屋に上がり込んで来たらそりゃあ、そうなのだけど。普通は警察ものだし、結局最後まで信じてもらえなかったこともあったっけ。
告げた後、軽く目を閉じた。
殴られないといいなあ、怒鳴られないといいなあ。
二回目の時は酷かったんだよなあ、大人の男の人だったから余計怖くてさ、結局、私はあのあとその人に近づけなくて上司にも怒られちゃったし。
カチャリとフォークを置く音がした。
目を伏せるように顔を隠した。とりあえず、フォークで刺されたりはないかな、でも一応身体に力は入れておく。
走り出す準備も逃げる準備もやっておく。まあ、一回目は特に何もなかったし、三回目は怒鳴られるだけで済んだから、今回もそれくらいですむのかも。
じっと、耐える。身を固めて、心を硬くして、耐える。
大丈夫、最初の波さえ通り過ぎれば意外と話は聞いてもらえるものだ。
だから、耐える。
じっと、耐える。
‥‥耐える?
こっそりと片目だけ覗くように目を開けた。
お姉さんはフォークを置いたまま、ぼんやりとしたように、ほとんどカフェオレみたいになったコーヒーをすすっていた。
おろ? と思わず首を傾げてしまう。うーん、よくよく考えれば、穏やかなお姉さんの相手って初めてだな。もしかして、突然死を宣告されても、普通、人は殴ったり怒鳴ったりしないのだろうか。もしかして、今までの私の運が異様に悪かっただけなのかあ?
なんて私が首を傾げていると、お姉さんは再びフォークを取って、もそもそとフレンチトーストを食べ始めた。
そのまま、しばし沈黙が流れてる。
私は食べ終えて、飲み終えてしまったので若干、手持ち無沙汰できょろきょろしてしまう。
非日常を提示した手前、反応が欲しいのがうら若い死神心というものなんだけど、お姉さんは一向に反応してくれない。あれ、ちゃんと聞こえてたよね? なんだかそれすら不安になってくる。
そのまま、しばらく沈黙が続く。
冷蔵庫が動く音がやけに耳についてくる。
もしかして、私何かやらかしたかな、いややらかしている要素しかないかと自己反省を繰り返していたそんなころ。
「ねえ……」
お姉さんは、すごくゆっくりと落ち着いた神様の神託でも下すくらい、神妙な声で私に問いかけてきた。
視線も厳かなくらい穏やかにこっちを見据えてくる。痛みに染みた隈の奥から、真っすぐな瞳がじっくりと私を見定めていた。
思わず、ごくりと唾が鳴る。
「……なに? お姉さん」
じっと、私は言葉を待つ。
次に何が語られてくるのか、次に何を求められるのか、じっとその言葉の続きを待つ。
「………………」
「………………」
「それ……マジ?」
「うん……マジ」
お姉さんはゆっくりとコーヒーを口に含んだら、ゆっくりと思いっきりむせ始めた。
コーヒーの雫が食卓の上に、少しはねて、お姉さんの顔も若干コーヒーでベージュに汚れている。
私は、しばしその様を見て、腕を組んで考えて。
一つ、ぽんと手を合わせてようやく納得がいった。
「………………マジかあ」
ただ、このお姉さんの理解が遅かっただけだね、これ。
※
「えーと、助けてもらえたりは……しないの?」
「残念、それはできないの。死神ルールその1が『死神は憑いた相手の命を救ってはいけない』だからね」
「そっか……そうなんだ」
お姉さんは軽く笑って力なく笑った。なんというか、この自己紹介がこんなに平和に穏便に言ったことが無いから、なんだかこっちがむずがゆくなる。
「…………信じたの?」
「え……? もしかして嘘とかだったりする?」
「ううん、本当。ただこんなにすんなり信じてもらえたことなかったからさ」
おっかしいなーと思わず頬を掻いてしまう、こっちが会話の主導権を握っているはずなのにどことなく戸惑ってしまう。なんだか、これじゃあちぐはぐだ。
「そっか……なんでだろ」
「一応、信じてもらうための手順とか何個か考えてたんだけど」
「……みたいとか言ったら、人が死んだりするやつ?」
「まさか、まあ頑張ったら出来なくもないんだけど」
そう言えば昔、そういう漫画あったなーとか、ぼんやりと考えながら私はお姉さんのスマホをそっと差し出した。
お姉さんは少し怪訝そうに眉を顰める。
「お姉さん、誰でもいいから電話かけてみて、あんまり無茶しても怒らない人がいいかな」
「え……?」
「いいから」
よくわからないまま、でもお姉さんは素直にコールをしてくれる。
私は無言でそっと手を差し出してお姉さんから携帯を受け取る。ちらっと見た画面には『母』と短く刻まれた文字。
程なくして通話が繋がった。
軽く息を吸って、準備をする。
『もしも「はーい、もしもし私、死神でーす。これからあなたの娘さんは7日後にお亡くなりになりまーす」あれつながって「えー助けたい場合は身代金を今からいう口座に振り込んでくださいねーえーと4444444……銀行口座って何桁だっけ?」どうしたの、聞こえてる?「っていうのは全部ウソですー。私もどうしたって助けられないんだー、ごめんねーはいはいはい、ではでは良い日をー」
……どうしたの? 何にも聞こえないんだけど。もしもしー?』
私はそっとお姉さんに携帯を明け渡した。お姉さんはどことなく唖然としたまま、私から携帯を受け取ると耳元にあてた。
「……もしもし」
『もしもし、あー、やっとつながった。どうしたのよ、かけてきたのにずっと無言で。そういえばあなた、ちょっと前、会社から連絡あったわよー』
「…………そう」
『元気でやってるならいいけど、しっかりしなさいよー。クビになったりしたら大変よ?』
「…………うん」
それから、他愛のないやり取りをしてお姉さんは電話を切った。それから動揺で視線を揺らしたまま私を見た。
「死神ルールその2はね『死神は憑いた相手以外には見えないし、聞こえないし、触れられない』。というか、存在ごと認識されないっぽいんだよねー」
「…………」
「てなわけで、結構非日常な存在なのですな。一応、頑張れば人間の死の予告くらいはできるけど、いる?」
「……いや、大丈夫」
お姉さんはそれから、しばらく俯いて黙ってしまった。じっと落ち込んだように項垂れているのに、洗い物は丁寧にしているのがなんだかちぐはぐだった。私は何かを話しかけようか、迷ったけれど独りで考える時間も大事かなーと、とりあえずは遠慮しておいた。
ただ、洗いものが終わるころに、お姉さんはちょっと震えだした。
「……っふふ」
肩を揺らして、俯いたまま伺えない表情に私は軽く首を傾げた。
「ふふっ……あははは」
そのままゆっくり、もう一度食卓に着いて、じっと私を見た。
「えと……ゆな、でいいのかな?」
「……うん」
今まで見たことのない反応に、私の方が思わずちょっとたじろいでしまう。そんなお姉さんは、凄く透明な眼でじっと私を見ていた。痛々しくてでも透き通っていて、綺麗すぎるのに底が見えない泉みたいな瞳をしていた。
「私、本当に死ぬのかな。えと、一週間後だっけ」
「うん、今日が日曜日だから、次の日曜日でお姉さんは死んじゃうの」
食卓の下に隠した手をぎゅっと握った。それからできるだけ、明るい笑顔を向ける。
「そっか、そっかあ……」
「信じるんだ?」
お姉さんは少し微笑んだ。本当に泣きそうな笑顔だった、なんで涙がこぼれていないのか不思議なくらい。
「……うん、なんでか自分でもわかんないんだけどね、納得できちゃって」
「……納得したの?」
「うん、なんていうんだろう。そっか、そうなんだって、なんでかゆなが嘘を言っている気はしなくてさ。それならそれでいいかなって」
「死んじゃうのに?」
「うん……なんでだろ、変だよね」
お姉さんは笑ってた。
悲しくて、辛くて、なのにそれも認めてしまって、それで笑ってた。
どれくらい涙がこぼれそうなのかはわからないけれど、結局、一すじだって涙はそこからこぼれなかった。
もしかして、この人はもう死ぬことを受け容れてしまっているのかな。
なんでかはさっぱりわからないけれど。
そういうこともあるのかな。
……いや、でも別にそれでもいいよね。
だって、死ぬ間際なんだもの。その人の好きなように生きてもいいよね。
誰にだって文句を言われる筋合いはないんだから。
だから。
「変じゃないよ」
そう告げた。
「……え?」
「お姉さんが納得してるなら、きっとそれでいいんだよ」
「…………」
そう。
どうせ死ぬ直前なのだ。
人間だれしも、そういうときくらい、好きなように生きたらいいんだ、きっと。
だって今から死ぬのだから、誰にだって振り回されなくていいんだ。
私は新人の、まだ三人しか看取ったことのない、ぺーぺーの死神だけど。
それくらいのことは想ったりするんだよ。それくらいはいいと想うんだよ。
だから、ぱんと手を思いっきり叩いた。
「はい! 暗い話おしまい!! あと、フレンチトーストごちそうさまでした!!」
「……え、あ、うん」
困惑したお姉さんに、にっと笑いかけた。
私はお姉さんの部屋を事前に物色して見つけておいたノートとペンを机の上に並べる。
まだどこか戸惑ったままのお姉さんの手を握って、ぎゅっとペンを握らせた。
出来るだけ力を込めて、私の力が移るように確かに。
それから白紙のノートをびっと指さす。
「じゃ、書こっか? お姉さん」
「え……何? 遺書?」
「ん? 違う違う。あ、書きたかったら書いてもいいけど、私が書いて欲しいのは別のことだよ」
「……別の……何?」
訳も分からずに首を傾げるお姉さんに、私はそっと指を口に当ててにやりと笑いかける。
声はわざと明るい調子に変えて、身振り手振りも大げさに。
どうせなら、そう、どうせなのだから。
楽しくいこう、素敵にいこう。
だって、悲しみと痛みに震えるだけの一週間ではあまりにもったいないから。
どうせ過ごすなら、きっととびっきり幸せに、人生最高の一週間だと想って過ごせるくらいになったら、素敵じゃない?
そしてどうか、この人が笑って終われるように。
そんな、一週間でありますようにと。
「この一週間の計画! 何がしたい? どこに行きたい? もうこの機会を逃したらできないよ?! 食べたいものとか、見てみたいものとか、会いたい人とかもいいよね?! 誰かいる? 初恋の人とかいないの? 忘れられない恩師とか、掛け替えのない友達とかさ! あとは何だろ、今のご時世だと海外は厳しいかな、いや、でも行きたかったら行くべきだよねー。お姉さん、どうしよっか?!」
「え、えーと、ゆな。急にテンション高いね……?」
「だって、楽しまなきゃ損だよ? お姉さん、趣味とかないの? そういうのに没頭するのもいいよね、何しよっか? ほら、書いて書いて」
「うん……そうだね、折角なんだから、うん」
お姉さんはちょっと面食らってたけど、しばらくしたら微笑んで紙にペンをを走らせ始めた。
真っ白なノートに、一つ、一つ、お姉さんのやりたいことが刻まれていく。
一行、一行、きっとやりたくてもできなかったことが、想いだすように綴られていく。
一体、この中のどれだけがこの一週間で出来るだろう。叶えられないことは一体いくつあるのだろう。
でも、折角だから夢は一杯に。
たくさんたくさん、持っていこう。
いつか独りで旅立つ時に、できるだけ寂しくないように。
私はなんでか、泣きそうになるのを必死にこらえながら笑った。
泣いてはいけない、きっと、誰より辛いのはこれから死に向かうこの人なのだから。
私は決して、この人より先に涙を見せることは許されないんだから。
頬に力をこめて、ぎゅっと笑った。
「ね、お姉さん、人生で一番幸せな一週間にしようね!」
神様。神様。
これから死に行くこの人に。
痛みにまみれたこの人に。
どうか、どうか目一杯の幸せな時間を。
どうか、お願いします。
※
死神ルールその1 『死神は憑いた相手の命を救ってはいけない』
死神ルールその2 『死神は憑いた相手以外には認識されない』
死神ルールその3 『死神が憑いた人間の死因は全て自殺である』
そのお姉さんは、結構変わり者で私がいきなり枕元に立ったのにさっぱり驚かなかった。ベッドで寝たまま、ぼーっと私を眺めてて、なんならちょっと微笑んできた。
あんまりに能天気で、なんか反対にこっちが吃驚したくらい、おはよって言ったらおはよって返してくれたし。大体いっつも無視したり、驚かれたりばかりだから、ちょっと新鮮な反応だった。ま、夢って誤解してただけらしーですが。
あっはっは、なんじゃそりゃ。と、軽く笑ったところで自己紹介。
「私、ゆな。新人の死神です。これから死ぬ人の一週間前から現れて、それを見届けるのがお仕事です」
意気揚々と快活に、既に飽きてきた四度目の自己紹介をする。
今回のお仕事相手は、20代半ばくらいかな、のお姉さん。痛んだショートヘアと痛々しく刻まれた隈が印象的な、そんな全体的に見ていて痛い女の人。痛いって言うのは可哀そうって言う意味でだけど、まあ気軽にそう表現してあげるのは気が引けるくらい、わかりやすくダメージを受けたそんな人。
まあ、こういっちゃあ何だけど死んじゃうのもさもありなん、って感じの人だ。さすがに口に出したりはしないけどさ、これでも空気が読める女子高校生世代なのだよ。
とまあ、そんな本心にはそっと鍵を掛けながら、久方ぶりに頂いた暖かい紅茶とフレンチトーストに満足でお腹を膨らませた。うん、本当にこんなに心も身体も満たされたのはいつぶりだろうかな。
それからぷらぷらと足を遊ばせながらお姉さんを見やる。
「へ……?」
お、ようやく反応してくれるかな。
ここから先の反応はおおよそ予想できる。それは、この仕事をするときに上司が最初に教えてくれたことだ。
死の前の人間にはいくつか段階がある。
一つ目が否認。
まず最初に疑う、否定する。
自分が死ぬことをそのものを認められない、受け入れられない。事実を否定して、言葉を聞かなくて、私の存在事認めようとしてこない。まあ、そりゃそうだよねーって感じだけど。私だって一週間後に死ぬよとか言われたら、きっとそんな感じになるのだろう。
あとは、怒り、取引、抑うつ、受容と続くらしい。どこから始まって最後にどこまで行くかは人次第だけど、まあ受容までちゃんと至れる人は珍しい、というか見たことが無い。
私が見ている人の死因が死因だから、まあ仕方ないのかもしれないけれど。
というわけで、まあおおよその予想では、まずこのお姉さんは、私のことが認められないはずだ。
ま、変な女子が唐突に部屋に上がり込んで来たらそりゃあ、そうなのだけど。普通は警察ものだし、結局最後まで信じてもらえなかったこともあったっけ。
告げた後、軽く目を閉じた。
殴られないといいなあ、怒鳴られないといいなあ。
二回目の時は酷かったんだよなあ、大人の男の人だったから余計怖くてさ、結局、私はあのあとその人に近づけなくて上司にも怒られちゃったし。
カチャリとフォークを置く音がした。
目を伏せるように顔を隠した。とりあえず、フォークで刺されたりはないかな、でも一応身体に力は入れておく。
走り出す準備も逃げる準備もやっておく。まあ、一回目は特に何もなかったし、三回目は怒鳴られるだけで済んだから、今回もそれくらいですむのかも。
じっと、耐える。身を固めて、心を硬くして、耐える。
大丈夫、最初の波さえ通り過ぎれば意外と話は聞いてもらえるものだ。
だから、耐える。
じっと、耐える。
‥‥耐える?
こっそりと片目だけ覗くように目を開けた。
お姉さんはフォークを置いたまま、ぼんやりとしたように、ほとんどカフェオレみたいになったコーヒーをすすっていた。
おろ? と思わず首を傾げてしまう。うーん、よくよく考えれば、穏やかなお姉さんの相手って初めてだな。もしかして、突然死を宣告されても、普通、人は殴ったり怒鳴ったりしないのだろうか。もしかして、今までの私の運が異様に悪かっただけなのかあ?
なんて私が首を傾げていると、お姉さんは再びフォークを取って、もそもそとフレンチトーストを食べ始めた。
そのまま、しばし沈黙が流れてる。
私は食べ終えて、飲み終えてしまったので若干、手持ち無沙汰できょろきょろしてしまう。
非日常を提示した手前、反応が欲しいのがうら若い死神心というものなんだけど、お姉さんは一向に反応してくれない。あれ、ちゃんと聞こえてたよね? なんだかそれすら不安になってくる。
そのまま、しばらく沈黙が続く。
冷蔵庫が動く音がやけに耳についてくる。
もしかして、私何かやらかしたかな、いややらかしている要素しかないかと自己反省を繰り返していたそんなころ。
「ねえ……」
お姉さんは、すごくゆっくりと落ち着いた神様の神託でも下すくらい、神妙な声で私に問いかけてきた。
視線も厳かなくらい穏やかにこっちを見据えてくる。痛みに染みた隈の奥から、真っすぐな瞳がじっくりと私を見定めていた。
思わず、ごくりと唾が鳴る。
「……なに? お姉さん」
じっと、私は言葉を待つ。
次に何が語られてくるのか、次に何を求められるのか、じっとその言葉の続きを待つ。
「………………」
「………………」
「それ……マジ?」
「うん……マジ」
お姉さんはゆっくりとコーヒーを口に含んだら、ゆっくりと思いっきりむせ始めた。
コーヒーの雫が食卓の上に、少しはねて、お姉さんの顔も若干コーヒーでベージュに汚れている。
私は、しばしその様を見て、腕を組んで考えて。
一つ、ぽんと手を合わせてようやく納得がいった。
「………………マジかあ」
ただ、このお姉さんの理解が遅かっただけだね、これ。
※
「えーと、助けてもらえたりは……しないの?」
「残念、それはできないの。死神ルールその1が『死神は憑いた相手の命を救ってはいけない』だからね」
「そっか……そうなんだ」
お姉さんは軽く笑って力なく笑った。なんというか、この自己紹介がこんなに平和に穏便に言ったことが無いから、なんだかこっちがむずがゆくなる。
「…………信じたの?」
「え……? もしかして嘘とかだったりする?」
「ううん、本当。ただこんなにすんなり信じてもらえたことなかったからさ」
おっかしいなーと思わず頬を掻いてしまう、こっちが会話の主導権を握っているはずなのにどことなく戸惑ってしまう。なんだか、これじゃあちぐはぐだ。
「そっか……なんでだろ」
「一応、信じてもらうための手順とか何個か考えてたんだけど」
「……みたいとか言ったら、人が死んだりするやつ?」
「まさか、まあ頑張ったら出来なくもないんだけど」
そう言えば昔、そういう漫画あったなーとか、ぼんやりと考えながら私はお姉さんのスマホをそっと差し出した。
お姉さんは少し怪訝そうに眉を顰める。
「お姉さん、誰でもいいから電話かけてみて、あんまり無茶しても怒らない人がいいかな」
「え……?」
「いいから」
よくわからないまま、でもお姉さんは素直にコールをしてくれる。
私は無言でそっと手を差し出してお姉さんから携帯を受け取る。ちらっと見た画面には『母』と短く刻まれた文字。
程なくして通話が繋がった。
軽く息を吸って、準備をする。
『もしも「はーい、もしもし私、死神でーす。これからあなたの娘さんは7日後にお亡くなりになりまーす」あれつながって「えー助けたい場合は身代金を今からいう口座に振り込んでくださいねーえーと4444444……銀行口座って何桁だっけ?」どうしたの、聞こえてる?「っていうのは全部ウソですー。私もどうしたって助けられないんだー、ごめんねーはいはいはい、ではでは良い日をー」
……どうしたの? 何にも聞こえないんだけど。もしもしー?』
私はそっとお姉さんに携帯を明け渡した。お姉さんはどことなく唖然としたまま、私から携帯を受け取ると耳元にあてた。
「……もしもし」
『もしもし、あー、やっとつながった。どうしたのよ、かけてきたのにずっと無言で。そういえばあなた、ちょっと前、会社から連絡あったわよー』
「…………そう」
『元気でやってるならいいけど、しっかりしなさいよー。クビになったりしたら大変よ?』
「…………うん」
それから、他愛のないやり取りをしてお姉さんは電話を切った。それから動揺で視線を揺らしたまま私を見た。
「死神ルールその2はね『死神は憑いた相手以外には見えないし、聞こえないし、触れられない』。というか、存在ごと認識されないっぽいんだよねー」
「…………」
「てなわけで、結構非日常な存在なのですな。一応、頑張れば人間の死の予告くらいはできるけど、いる?」
「……いや、大丈夫」
お姉さんはそれから、しばらく俯いて黙ってしまった。じっと落ち込んだように項垂れているのに、洗い物は丁寧にしているのがなんだかちぐはぐだった。私は何かを話しかけようか、迷ったけれど独りで考える時間も大事かなーと、とりあえずは遠慮しておいた。
ただ、洗いものが終わるころに、お姉さんはちょっと震えだした。
「……っふふ」
肩を揺らして、俯いたまま伺えない表情に私は軽く首を傾げた。
「ふふっ……あははは」
そのままゆっくり、もう一度食卓に着いて、じっと私を見た。
「えと……ゆな、でいいのかな?」
「……うん」
今まで見たことのない反応に、私の方が思わずちょっとたじろいでしまう。そんなお姉さんは、凄く透明な眼でじっと私を見ていた。痛々しくてでも透き通っていて、綺麗すぎるのに底が見えない泉みたいな瞳をしていた。
「私、本当に死ぬのかな。えと、一週間後だっけ」
「うん、今日が日曜日だから、次の日曜日でお姉さんは死んじゃうの」
食卓の下に隠した手をぎゅっと握った。それからできるだけ、明るい笑顔を向ける。
「そっか、そっかあ……」
「信じるんだ?」
お姉さんは少し微笑んだ。本当に泣きそうな笑顔だった、なんで涙がこぼれていないのか不思議なくらい。
「……うん、なんでか自分でもわかんないんだけどね、納得できちゃって」
「……納得したの?」
「うん、なんていうんだろう。そっか、そうなんだって、なんでかゆなが嘘を言っている気はしなくてさ。それならそれでいいかなって」
「死んじゃうのに?」
「うん……なんでだろ、変だよね」
お姉さんは笑ってた。
悲しくて、辛くて、なのにそれも認めてしまって、それで笑ってた。
どれくらい涙がこぼれそうなのかはわからないけれど、結局、一すじだって涙はそこからこぼれなかった。
もしかして、この人はもう死ぬことを受け容れてしまっているのかな。
なんでかはさっぱりわからないけれど。
そういうこともあるのかな。
……いや、でも別にそれでもいいよね。
だって、死ぬ間際なんだもの。その人の好きなように生きてもいいよね。
誰にだって文句を言われる筋合いはないんだから。
だから。
「変じゃないよ」
そう告げた。
「……え?」
「お姉さんが納得してるなら、きっとそれでいいんだよ」
「…………」
そう。
どうせ死ぬ直前なのだ。
人間だれしも、そういうときくらい、好きなように生きたらいいんだ、きっと。
だって今から死ぬのだから、誰にだって振り回されなくていいんだ。
私は新人の、まだ三人しか看取ったことのない、ぺーぺーの死神だけど。
それくらいのことは想ったりするんだよ。それくらいはいいと想うんだよ。
だから、ぱんと手を思いっきり叩いた。
「はい! 暗い話おしまい!! あと、フレンチトーストごちそうさまでした!!」
「……え、あ、うん」
困惑したお姉さんに、にっと笑いかけた。
私はお姉さんの部屋を事前に物色して見つけておいたノートとペンを机の上に並べる。
まだどこか戸惑ったままのお姉さんの手を握って、ぎゅっとペンを握らせた。
出来るだけ力を込めて、私の力が移るように確かに。
それから白紙のノートをびっと指さす。
「じゃ、書こっか? お姉さん」
「え……何? 遺書?」
「ん? 違う違う。あ、書きたかったら書いてもいいけど、私が書いて欲しいのは別のことだよ」
「……別の……何?」
訳も分からずに首を傾げるお姉さんに、私はそっと指を口に当ててにやりと笑いかける。
声はわざと明るい調子に変えて、身振り手振りも大げさに。
どうせなら、そう、どうせなのだから。
楽しくいこう、素敵にいこう。
だって、悲しみと痛みに震えるだけの一週間ではあまりにもったいないから。
どうせ過ごすなら、きっととびっきり幸せに、人生最高の一週間だと想って過ごせるくらいになったら、素敵じゃない?
そしてどうか、この人が笑って終われるように。
そんな、一週間でありますようにと。
「この一週間の計画! 何がしたい? どこに行きたい? もうこの機会を逃したらできないよ?! 食べたいものとか、見てみたいものとか、会いたい人とかもいいよね?! 誰かいる? 初恋の人とかいないの? 忘れられない恩師とか、掛け替えのない友達とかさ! あとは何だろ、今のご時世だと海外は厳しいかな、いや、でも行きたかったら行くべきだよねー。お姉さん、どうしよっか?!」
「え、えーと、ゆな。急にテンション高いね……?」
「だって、楽しまなきゃ損だよ? お姉さん、趣味とかないの? そういうのに没頭するのもいいよね、何しよっか? ほら、書いて書いて」
「うん……そうだね、折角なんだから、うん」
お姉さんはちょっと面食らってたけど、しばらくしたら微笑んで紙にペンをを走らせ始めた。
真っ白なノートに、一つ、一つ、お姉さんのやりたいことが刻まれていく。
一行、一行、きっとやりたくてもできなかったことが、想いだすように綴られていく。
一体、この中のどれだけがこの一週間で出来るだろう。叶えられないことは一体いくつあるのだろう。
でも、折角だから夢は一杯に。
たくさんたくさん、持っていこう。
いつか独りで旅立つ時に、できるだけ寂しくないように。
私はなんでか、泣きそうになるのを必死にこらえながら笑った。
泣いてはいけない、きっと、誰より辛いのはこれから死に向かうこの人なのだから。
私は決して、この人より先に涙を見せることは許されないんだから。
頬に力をこめて、ぎゅっと笑った。
「ね、お姉さん、人生で一番幸せな一週間にしようね!」
神様。神様。
これから死に行くこの人に。
痛みにまみれたこの人に。
どうか、どうか目一杯の幸せな時間を。
どうか、お願いします。
※
死神ルールその1 『死神は憑いた相手の命を救ってはいけない』
死神ルールその2 『死神は憑いた相手以外には認識されない』
死神ルールその3 『死神が憑いた人間の死因は全て自殺である』
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