偏屈な私の孤独な一生

りっち

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追伸中篇 カトレア

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「失礼致しますお客様。こちらの計算、間違っておられますよ」


 アシュリーと初めて出会ったのは、帝国学校の近くの喫茶店だった。

 学校の課題で悪戦苦闘している私に、呆れたように声をかけてきたアシュリー。第一印象は少し近寄りがたくて怖かった。


 ……でも思い返せば、彼女から声をかけてくれたのはこの時が最初で最後だったのかもしれない。


「……ねぇカトレア。私以前から貴女のことが心底嫌いだったの」


 目の前で引き裂かれた招待状に、私の思考は停止する。


 それまで私は、ここまで強く誰かに拒絶された経験が無かった。

 ましてや1番の友人だと思っていたアシュリーにここまで強く拒絶されるなんて、夢にも思っていなかった。


 あの日のあとも何度もアシュリーに会いに行こうとしたけれど、また彼女に拒絶されるのが怖くて、結局アシュリーとは疎遠になってしまった。

 ……いいえ。今にして思えば、元々親密な関係になどなれていなかったんだ。



 予定通り学校を辞め、婚約者と結婚した私は幸せだった。

 主人の仕事も順調でなんの不自由も無い暮らしに、可愛い娘にも恵まれた。幸福で穏やかな時間がゆっくりと過ぎていった。


 けれど穏やかな時間を過ごすほどに、全力で私を拒絶したアシュリーの姿が私の心をざわつかせた。


『もう2度と会いに来ないでもらえるかしら?』


 幸せで穏やかな私の人生に、ノイズのように混じった拒絶の記憶。


 あれほど強く拒絶されたというのに、時間が経てば経つほど私の中でアシュリーの存在は大きくなっていったような気がした。

 だけど、もう1度拒絶されたらと思うと、やっぱり会いに行くのは怖かった。


 ……そんなアシュリーとの再会のきっかけは、娘のプルーメだった。


「奥様。申し訳ありませんが、プルーメ様の教育係は本日で辞めさせていただきます」


 プルーメの為に雇った家庭教師は、誰も長続きせずに辞めてしまう。


 主人の意向でプルーメを帝国学校に入学させることになったのはいいけれど、明らかにプルーメは学校の授業についていけそうもなかった。

 何度家庭教師をつけてもその全員に匙を投げられ、主人もプルーメの事を見限り始めていた。


 真面目で優しいプルーメは、家庭教師の授業が理解できない自分を責め、父親の期待に応えられない自分を恥じて、どんどん追い詰められていく。

 父親や何人もの家庭教師に愛想を尽かされ項垂れるプルーメの姿を見たとき、当時学校の授業についていけなかった私に勉強を教えてくれたアシュリーの姿が頭を過ぎった。


「プル。ママの知り合いに、とっても勉強を教えるのが上手い人が居るの」

「……ママ。今までの家庭教師の先生だって、帝都で評判の教師ばかりだったじゃない。きっと教え方の問題じゃなくって、理解できない私が……」

「ううん。その人はね? 私が見てきた帝国学校のどの先生よりも勉強を教えるのが上手い人なんだ」


 あの時のアシュリーは、喫茶店のマスターに言われて嫌々教えてくれていたのかもしれない。

 けれどアシュリーの教えはとても分かりやすくて、私は帝国学校の授業についていくことが出来たんだ。


「……だけどママ、その人と喧嘩しててね? もしかしたら娘の貴女にも辛く当たるかもしれないわ。それでも良ければその人にプルの勉強をみてもらえないか頼んでみるけど、どうする?」

「え、ママって人と喧嘩したことあるの……?」


 意外そうな顔で聞き返してくるプル。

 私を完全に拒絶した相手なんて後にも先にもアシュリーだけよ、まったく……。




「……いらっしゃい。好きな席にかけていいわよ」


 来店した私に視線すら向けずに、ひたすら本に視線を落としているアシュリー。


 15年ぶりに再会したアシュリーは、骨と皮だけと言っていいくらいに痩せ細っていた。

 まだ30代のはずなのに、彼女の見た目や雰囲気に若々しさの欠片も感じる事が出来なかった。


「お断りします。私は貴女と関わる気は一切ありませんから」


 そして相変わらず、取り付く島も無く私を拒絶するアシュリー。

 けれどプルのためにも後に引けない私は、アシュリーの強い拒絶の意志に立ち向かうしかない。


「……そもそもだよ!? 私の事が嫌いって何!? 私アシュリーに何かしたっ!?」


 嫌われている理由が分からなかった私は、思い切ってアシュリーに直接聞いてみる事にした。

 けれど私の言葉を聞いたアシュリーは、背筋が凍るほど冷たい眼差しを私に送りながら失笑し、そして結局理由を教えてはくれなかった。


 その態度に段々腹が立っていった私は、アシュリーに怒りをぶつけるように捲し立ててしまう。

 そしてそんな私を理路整然と受け流すアシュリー。


 そんな彼女に腹が立って腹が立って、絶対にアシュリーの言う事なんか聞いてやるもんかと、勝手に話を進める事にした。




「アシュリー。紹介するわ。娘のプルーメ。来年帝国学校に入学させる予定なの」


 次の日、プルを連れて来店した私を心底呆れた目で見ながらも、決して拒絶の言葉は口にしないアシュリー。

 間違った事が嫌いな彼女は、お客さんとして来店した私たちを不当に追い返すのはフェアじゃないとでも思っているのかもしれない。


「ねぇ貴女。本当に大丈夫? 私は貴女の母が心から嫌いだし、貴族も嫌いだし、出来の悪い生徒も嫌いよ?」


 初対面で、まだ子供のプルに容赦なく拒絶の言葉を投げかけるアシュリー。

 けれどその口調は優しげで、プルを見る目は純粋に子供を心配する大人の目をしていたように思う。当時は気付けなかったけれど……。


 あの言葉はプルを拒絶したわけじゃない。自分に勉強を教わるプルを純粋に心配した言葉だったんだ。


「すっごい! すっごいよママ! 勉強って、こんなに楽しいものだったんだねっ!」


 アシュリーに教わり始めたプルは、それまで勉強できなかったのが嘘であるかのようにメキメキと学力を伸ばしていった。

 勉強するのが楽しくて仕方ないと、毎日アシュリーの店に行くのを楽しみにしていた。


「店長先生は絶対に私を叱らないんだっ。どうしてそんなことも分からないんだ、なんて絶対に言わないんだよっ」


 毎日楽しそうにアシュリーの事を報告してくるプル。

 なんでプルにはそんなに優しく接してくれるのに、私のことは拒絶してくるんだろう……。


「ずっと私に付き合って、私のために専用の問題まで作ってくださるんだよっ! 書いてある通りにやればいいなんて、店長先生は絶対に仰らないのっ」


 確かにアシュリーの教え方は分かりやすかった気がする。

 問いと解答の関連性を懇切丁寧に説明してくれたかもしれない。


 ……だけど当時の私は、その丁寧な説明を疎ましく思っていたかもしれないなぁ。余計なことはいいから答えを教えてよって。


「……ママ、あんなに優しい人とどうして喧嘩してるの? 店長先生に訊いても答えてくださらないし」

「ごめんプル、ママにも分からないんだ。初めに声をかけてきてくれたのはアシュリーの方だったのにね……」


 初めから嫌われていたのかもしれない。

 けれど少なくとも、初めは拒絶はされていなかったはずなのに……。


 理由も教えてくれないのに私だけを拒絶し続けるアシュリーに、私は理不尽だと怒りを覚えていた気がする。


「これでアンタのどこを好きになれって言うんだい? ふふ、大っ嫌いだよアンタなんか」


 けれど彼女が私を嫌っていた理由を明かしてくれた時、理不尽だったのは私であった事に気付かされた。

 何の苦労も無く幸福な人生を歩み続けてきた私は、たった独りで全てに抗い傷だらけになったアシュリーの人生を、無自覚に踏み躙り続けていたのだ。


 アシュリーが全てを犠牲にしてまで求めたモノを、私は彼女の目の前で捨てて見せたのだ。

 全てを知った後だとむしろアシュリーの態度は、私には到底出来ないほどに理性的だったと思う。


 娘のプルにまで、憎んでも無理は無いと言われちゃうし……。


 けれど拒絶の理由を語ってくれた日から、アシュリーの態度は一変した。


「カトレア。どうせ来るならこっちの馬車に乗りな。アンタ1人くらい増えても問題ないさ」


 いつも読んでいた本を手放し、いつも仏頂面だったのに愉快そうに良く笑うようになり、そして私を拒絶しなくなったんだ。

 別ルートで追いかけるつもりだったアシュリーの帰郷にも、アシュリーから同行を誘ってくれるほどに彼女の態度は軟化した。


 そんなアシュリーの態度の変化に戸惑っていると、妹のアメリアさんが少し寂しそうに答えてくれた。


「……きっと姉さん、カトレアさんを嫌い疲れたんだと思います。元々とても優しい人でしたから」


 年が近いこともあって、アシュリーの妹のアメリアさんとはすぐに仲良くなることが出来た。

 そんなアメリアさんもまた、私と同じような後悔の念をアシュリーに抱いてるらしかった。


「姉さんは優しくて頭のいい人ですから、カトレアさんにも悪気がなかったんだって分かってしまったんだと思うんですよ。だからカトレアさんに怒りをぶつけることはしなかった……」


 きっと、姉さんを笑顔で見送ってしまった当時の私を許してくれたように。

 そう言ってアメリアさんは、なんだか辛そうに微笑んでいた。


 事情を知った今だと、アシュリーが最も傷ついていた時に、私の存在はどれだけアシュリーの神経を逆なでしてしまっていたのか恐ろしく思ってしまう。

 だけどどれほど傷ついてもアメリアさんの言う通り、アシュリーが私を責めたことは1度もなかった。


「悪気がないことは分かっている、だけどカトレアさんにされたことは許せない。そんな風に悩んだ姉さんに唯一出来た事が、貴女に嫌いだと伝えて拒絶することだったんじゃないかなって思うんです」

「…………そう、かもしれませんね」

「自分がどんなに傷ついても、決して誰かを傷つけることは出来ない人なんです、姉さんは……」


 アメリアさんの言葉を聞いて、かつてのアシュリーの拒絶の真意に唐突に思い当たってしまった。


 ……そうか。アシュリーが私を嫌う理由を頑なに教えてくれなかったのは、理由を知った私が傷ついてしまうと思ったからなんだ。

 私を傷つけない為にひたすら拒絶して、私を傷つけないように遠ざけ続けたんだ、アシュリーは……。


「それに姉さんはずっと、うちの母のようになりたかったそうなんです。だから母の死を知った姉さんは、もう意地を張るのを止めたのかもしれません。私もあんなに笑う姉さん、見たことありませんでしたし」


 意地を張るのを止めたから、私を拒絶することもやめてくれた。そういうことなんだろうか?

 ……アシュリー本人に訊いてみたいと思ったけれど、きっと笑ってはぐらかされてしまうような気がした。



 馬車旅の間アシュリーは良く眠り、よく笑い、どんどん元気になっていくように思えた。

 けれどそんな中、私はアシュリーの食の細さに戦慄を覚えてしまう。


「姉さん。本当に要らないの……?」

「ああ、そう言えば家では毎日3食食べてたんだっけねぇ。懐かしいねぇ……」


 アシュリーは普段夕食のみしか食べておらず、その1食すら私やアメリアさんの半分の半分すら食すことが出来ないようだった。

 きっと彼女はたった独りで限界まで切り詰めて、必死の想いでお金を貯めていたんだろう。


 ……そんな想いを4年間も続けてようやく貯めた入学金は、毎日何不自由なくお腹いっぱいに食事していた私のせいで奪われてしまったのだ。

 年齢以上に年老いて見えるアシュリーの姿は、全て私が負担を強いた為の様に思えて仕方が無かった。


 故郷についたアシュリーは、暇さえあれば母親のお墓に足を運び、そこでアメリアさんから貰った手紙を読んでいた。

 そんな彼女と寝食を共にして約ひと月。彼女は眠るように逝ってしまった。


 私とアメリアさんしか参列していないアシュリーの葬儀。

 帝都で葬儀を行えば、アシュリーの店に通っていた帝国学校の元生徒が沢山参列してくれていたのかもしれないのに……。


 誰も居ないアシュリーの葬儀は、まるで私が彼女の人生の全てを奪ってしまった証明のように思えて涙が止まらなかった。

 アシュリーの葬儀が終わり帝都に帰る私を、アメリアさんが見送りに来てくれる。


「ありがとうカトレアさん。確かに貴女は姉さんの人生を狂わせもしたかもしれませんけど、貴女が居なければ姉さんは生きてこれなかったでしょう」


 私に感謝を告げながら、深々と頭を下げるアメリアさん。


 私が居なければアシュリーは生きていられなかった? そうじゃないでしょうアメリアさん。

 私が居なければアシュリーは無事帝国学校に入学できていて、お母様とも再会することだって出来たはずだ。


 私のおかげなんかじゃない。私のせいで、アシュリーは不幸になってしまったのだ。


 私はアメリアさんの感謝を受け取るのが辛くて、逃げるように帝都行きの馬車に乗り込んだのだった。


 帝都に帰った私は、アシュリーから預かった手紙をプルに渡しに、アシュリーと初めて会ったあの喫茶店に足を運んだ。


「お帰りママ。ママが帰って来たって事は、アシュリー先生はもう……?」


 彼女の問いかけに静かに頷いてみせると、プルはアシュリーの喪に服すと言ってすぐに店を閉めてしまった。

 アシュリーの死を知っても取り乱すことのない娘の強さに、少し驚かされてしまう。


「先生が私にお手紙を……?」


 アシュリーから預かった手紙を、愛おしそうに胸に抱くプル。

 そんな娘の姿を見て、私も手紙を開封する勇気が湧いてくる。


 お客さんの居なくなった店内で、プルと2人でお互いに宛てられた手紙を開封する。

 恨み言の1つも言われるかと思っていたアシュリーの手紙は、意外にも私への謝罪から始まっていた。


『今までごめんなさいカトレア。私は貴女に八つ当たりをしていました。貴女は何も悪くないと分かっていながら、私は貴女に八つ当たりすることで自分を保てていたのだと思います。なんて、八つ当たりされてしまった貴方は飛んだとばっちりでしたね、本当にごめんなさい』


 なん……で? なんで貴女が謝るのアシュリー!?

 貴女こそ、貴女こそなんにも悪くなんて無かったのに……!


『自暴自棄になっていた私に、私のことなどお構いなしに踏み込んできてくれてありがとう。当時は煩わしいと感じていたけれど、きっと貴女が居なければ私の周りには誰も居なくなっていたことでしょう。孤独な私の人生の中で、唯一貴女だけが私に踏み込んできてくれたように思います』


 違う……。違う違う違う! 違うでしょうアシュリー!

 私が居なければ貴女は何も奪われる必要なんて無かったの! お母様にもアメリアさんにも別れを告げることなんてなくて、入学した学校では素敵な人との出会いだってあったかもしれない!


 そんな可能性を全て奪ったのが私だっていうのに、どうして貴女は私にお礼なんて言えるのよぉ……!


『貴女の事が嫌いでした。貴女の事が憎くて仕方ありませんでした。だけど貴女が居なければ、私はこんなに笑って逝けたか分かりません。貴女のせいで辛いことばかりだったけれど、貴女のおかげで最後に幸せを感じる事が出来ました。どれだけ私が拒絶しても踏み込んできてくれた貴女に、心から感謝しています』


 どうして……、どうして今更そんなこと言うのよぉ……! 嫌いなら嫌いなままで、憎いなら憎んだままで良かったのに……。

 どうしてもう会えなくなってから、こんなことを告げてくるのよぉ……。


『最期までついてきてくれてありがとうカトレア。貴女は偏屈で孤独な私の唯一の友人でした』

「どうしてぇ……。どうして今更そんなこと言うのぉ……? 私は貴女に、友達だって言ってあげることも出来なかったのにぃ……!」


 アシュリーの葬儀で枯れるまで流したはずの涙が溢れてくる。


 アシュリーは私の事を友達だと思ってくれていたの?

 なのに私は、その友達の人生からいったいどれほどのものを奪ってしまったって言うの?


 貴女ともっと色んな話がしてみたかったよぉ……。

 勉強の話だけじゃなくて、友人としてもっと沢山の会話を交わしてみたかったよぉ……!


 貴女ともう言葉を交わす事が出来なくなってからこんなこと言うなんて、酷すぎるよアシュリー……!


「……ねぇママ」

「……プル?」


 泣き崩れる私の耳に、決意に満ちたような力強いプルの声が聞こえてくる。

 その声に顔を上げると、アシュリーからの手紙を大切そうに胸に抱いたプルが、母親の私も今まで見たことのないほどに真剣な表情をして私を見詰めていた。


「ママがアシュリー先生のことを友達だって思っているなら……。ママにも手伝って欲しい事があるの」


 アシュリーの為に。

 その言葉だけで、停止しかけていた思考に力が戻ってくる。


 アシュリーのために、友人としてなにかしてあげられる事があるの? プル……?
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