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シルビア・スカーレット

幕間 2人の顛末

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「突然の訪問に無理なお願いを聞いていただきまして感謝しております。またお会いしましょう。それでは御機嫌よう」


 とても平民とは思えない洗練された所作で馬車に乗り込んだチロル・クラート嬢。

 彼女が乗った馬車を見送った俺は、なんだか夢の中に舞い込んでしまったかのようなフワフワとした高揚感を感じずにはいられなかった。


 ……本当にクラート嬢は、提示した金額の支払いに即日応じてしまった。

 シルビアに苦しめられた今までの人生、同じ歳月を苦しませようと思って提示した額だったが、流石はクラート家の令嬢といったところか。シルヴェスタ王国随一の商人クラートの血は伊達では無いらしい。


 ……まぁいい。ずっと忌々しくて仕方のない婚約者だったが、最後に今まで付き合ってやった恩を返していったとでも思うことにしよう。

 せっかくの朗報なのだ。このことをすぐにオリビアに伝えなければなっ!


「ほ、本当でございますか……!? こ、これほどの額をお支払いになられるなんて……!」

「ああ、本当さオリビア。流石は君も敬愛するチロル・クラート嬢だよ。大した女性だ」


 シルビアに請求していた額の数倍もの金額をあっさり支払われたと聞いて、流石にオリビアも始めは懐疑的な表情を浮かべた。

 しかし支払った相手があのチロル・クラートだと告げると、それならば確かにありえるのかも……と、俺の話を信じる気になってくれたようだ。


「忌々しいあの女も居なくなり、金だって入ってきた。これでハドレット商会も、俺達の輝かしい未来も約束されたも同然さっ!」

「ああ……! 私、今世界中の誰よりも幸せでございます……! 愛する人と幸福な未来を歩めるということが、こんなにも幸せなことだったなんて……!」

「さぁ今夜はお祝いだ! 俺達2人の明るい未来を祝して、何か美味しいものでも食べに行かないかい?」


 喜びに震えるオリビアの手を取って、幸福な未来へとエスコートする。

 長く辛かったあの日々も、今日この日を迎えるために必要であったのだとしたら……。俺はあの女にすら感謝しようではないか。

 俺は愛するオリビアと手を取り合って、まるで夢の中にいるような気持ちで幸せな夜を過ごした。


 ……しかしその翌日から、少しずつ俺達の歯車は狂い始めていった。


「……取引をやめたい? これでいったい何件目だっ!?」


 クラート嬢から賠償金を支払ってもらった翌日から、なぜかハドレット商会との取引を見直したいと申し出る顧客が後を絶たなくなった。


 突然の事態に、俺の理解が追いつかない。

 いったいなぜだ? 何が原因なのだ?

 今までと何が変わったわけでもない。むしろ俺自身が直接顧客対応をしている分、顧客へのサービスは向上しているはずだ。

 客観的に見て客離れが起きる原因が見つからない。いったい何が起きているんだ……?


 しかしそんなストレスも、オリビアと一緒に居る時だけは忘れることが出来た。

 オリビアはいつだって俺の事を理解してくれるし、俺の事を1番に考えてくれている。こんな女性と結ばれることが出来るなんて、俺はなんて幸せ者なんだろう……!


「オリビア。今日は仕事中にこんな物を見つけてね? 君に似合うと思って、つい購入してしまったんだ」


 いつだって俺を幸せにしてくれる君に、俺からも出来る限りのことはしてあげたい。

 本当はこんなお金を使っている場合では無いことは分かっていたけれど、仕事で感じたストレスの全てはオリビアの笑顔を見るだけで癒されてしまうのだ。


「愛しいオリビア。俺の気持ちを受け取ってくれるかい……?」

「ああ……。こんな高価な物、受け取るわけには参りませんのに……!」


 だけど俺からのプレゼントを見たオリビアは、笑顔よりも困ったような表情をしてしまった。

 そうか。奥ゆかしく貞淑な君は、こんな高価な品を受け取ってはくれないよね……。


「ズルいですわウェイン様。ウェイン様のお気持ちなんて仰られてしまったら、受け取らないわけにはいかないじゃないですか……!」


 落ち込みそうになった俺の手を取って、俺と手を繋いだまま、まだ少し困ったような表情をしながらも、仕方ないなぁという感じの笑顔を見せてくれたオリビア。

 俺からの贈り物に手を載せながらも、その手を決して俺の手から離さない彼女の優しさに、俺の心の奥底から今まで感じたことのないほどの幸せな気持ちが溢れてくる。


「受け取って良いんだ。俺もオリビアも、今までずっと苦しんできたんだから……」

「ウェイン様……」


 今までずっと苦しい日々だった。だからもう報われたって良いだろう?

 オリビアも俺も、もう充分に苦しんで、その末にやっと掴んだ幸せなのだから……!


「2人で一緒に幸せになろうな。この世界の誰よりも、君の事を幸せにしてみせるからな……!」

「はいっ……! ですけどウェイン様。私は姉のように、ウェイン様のご負担になるだけなんて嫌なのです……!」

「え? オリビア、それはどういう……?」

「私にもウェイン様の事を支えさせてください。貴方の隣りに寄り添って、貴方と同じ物を背負わせてください……」

「オ、オリビア……! 君って人は……!」


 オリビアはそのまま俺の手を握ったまま、俺に身を寄せて寄り添ってくれた。

 あまりの多幸感で頭がどうにかなってしまいそうだった。俺の人生にこんな幸せが訪れるなんて、夢にだって思ったことがなかったのに!


 ……そうだ。俺はオリビアと幸せになるんだ。絶対にオリビアを幸せにするんだ!

 顧客が離れていくのなら新しい顧客を見つければいい。何も問題はない。俺たち2人の未来に、問題なんてあるはずがない!

 オリビアから伝わる温かさが、俺の心に覚悟の火を灯してくれたように感じられた。





 ……しかし現実は、やる気と覚悟だけが空回りし続けた。


「なんだこれは? 殆ど売り上げが無いではないか!? いったいどうなっているんだ!? 誰か説明しろっ!!」

「申しわけありません……! ですが、説明がつかないのです……!」


 オリビアの為にと、身を粉にして働いているというのに、ハドレット商会の業績は悪化する一方だった。

 父や従業員を交えて問題点を洗い出そうとするが、誰も解決策を見出せるものは居なかった。


「我々も必死になって調査しておりますが……! 分かりません……、どうしても原因が突き止められないんです……!」

「くっ……。俺とてお前たちの仕事振りを疑うつもりは無いが……。しかしここまでの急激な変化に原因が無いなど、現実にあり得るのか……!?」


 解決策はおろか、そもそも問題点が誰も分からないのだ。取引を止めた顧客はみな口を揃えて、ハドレット商会との取引を見直したくなった、としか言わないのだから。

 どこが悪かったのか、何が不満だったのかと訪ねてみても、明確な答えなど返ってこなかった。人によっては、取引自体には不満は無いなどと言い出す始末……!


 不満が無いのであれば、問題が無いのであれば、なぜハドレット商会との取引を見直そうなどと考える必要があるのだっ!!


「……今までの顧客が離れていくだけならまだしも、今までうちとは一切関わりを持っていなかった新規の顧客さえ一切増えないのは何故なんだ……!?」

「それも本当に分からないんです……! 他の商会との取引経験の無いような人物にまで声をかけているのですが……!」

「くっそぉ……! 苦しい、我がハドレット教会はとてつもない苦境に直面しているようだ……! だが俺たちなら乗り越えられると信じているぞ! 力を合わせてこの難局を乗り切るぞ!」


 連日の会議でも何の解決策も見出せず、結局は根性論を唱えることで従業員達を鼓舞することしか出来なかった……。



 従業員達の前では一瞬も気が抜けず、普段以上に気丈に振舞わなければならぬ日々。

 そんな苦しく辛い日々を何とか耐え抜くことが出来たのは、やっぱり彼女のおかげだった。


「ウェイン様。最近とてもお疲れのようですわ。ちゃんと休めておりますか……?」

「ああオリビア。なんだか最近商売が上手くいってなくてね。そのせいで少し疲れが溜まっているのかもしれないな……」


 ……あの女にはこんな弱気な姿は見せられなかった。

 だが誰より大切な愛するオリビアには素直に甘えようと思えるのだから不思議なものだ。


 オリビアをあまり不安にはさせたくないが、俺たち2人は寄り添って生きていくんだ。ならば、隠し事をするほうが不誠実だろう。

 そう思って、ハドレット商会の謎の業績不振についてオリビアにも打ち明ける事にした。


「まぁ……。ハドレット商会が、ですか。……何が原因なのかは分からないのですか?」

「ああ、それが全く分かってないんだよ。父や従業員とも話し合ったんだけれどね。なぜ顧客がうちとの取引を止めてしまうのか、原因が分からないんだ」


 ハドレット商会の業績不振を打ち明けても、オリビアは俺から離れるどころか、真剣な表情で詳しい説明を求めてきた。

 俺に寄り添いたいと言ってくれた彼女の言葉が本心であったことが嬉しくて、堰を切ったように彼女に悩みを打ち明けた。


「商会で扱っている商材も、勤めている従業員にも変化は無いんだよ? 顧客と揉めた様なことも一切無いんだ。なのに顧客の流出が一向に収まらないんだよ……」

「つまり……。ハドレット商会には何の変化も無いのに、周囲の反応だけがひっくり返ってしまっているのですね……」

「そして何よりおかしいのが、取引を止めていく顧客が、ハドレット商会には特に不満は無かった、なんて言って離れていくのさ。まるで悪い夢を見ているようだよ……」

「それは確かに不思議ですわね……。去り行く者が不満は無かったなんて口にするなんて……」


 事情を理解したオリビアは少し慎重な口調で、ある可能性を示唆してくる。


「……ねぇウェイン様。ハドレット商会に対して何者かが妨害工作を仕掛けてきている……、という可能性はございませんか?」

「……ああ。それも疑って調査をしてみたんだけど、取引を止めた顧客に接触している者の影は感じられないんだよ」


 これでもハドレット子爵家はそれなりに歴史のある家で、ハドレット商会は由緒ある商会なのだ。競合相手と対立したことも幾度となくある。

 しかし今回の件は、そういった不穏な雰囲気が一切認められなかった。


「まるで全員が、なんとなくハドレット商会と付き合うのを止めている……、そんな空気を感じるんだ。正直言って、何が起きているのかさっぱりさ……」

「裏で糸を引く者の存在も無いとすると、本当にワケが分かりませんわね……」


 流石のオリビアも、この問題に解決策を見出してくれることは出来なかったみたいだ。

 だけど悩みを聞いてくれただけで、俺の肩の重みは少し軽くなったような気がした。これだけでも充分すぎる支えだよ。


 しかし俺の愛するオリビアは、いつだって俺の予想を上回ってくるのだ。


「でもウェイン様。よく私にもお話してくださいましたわ。私も微力ではありますが、協力させてください」

「えっ……。協力、って?」

「私はまだ社交の場に出ることは許されておりませんが、それでも沢山の友人がおりますから。商人のウェイン様たちとは別の角度から調査が出来るかもしれません」

「ああオリビア……! ありがとう……。本当にありがとう……!」


 確かにオリビアの言う通り、別の視点から情報を集めてみるのも有益な気がした。

 けれどそんなことよりも、彼女がどうにかして俺の力になろうとしてくれているのがなによりも嬉しかった。


「……不甲斐ない婚約者で済まない。君の支えが、今の俺には何よりもありがたいよ……!」

「不甲斐ないなどと仰らないでください。それに愛する夫を支えるのは、妻として当然のことだと思いますから」


 まだ婚約を交わしただけで正式に夫婦になれたわけじゃない。けれどもう、オリビア以外の女性を愛することなど俺には絶対に出来ないだろう。


 泣き言など言っていられない……!

 愛するオリビアも協力してくれるのだ。絶対にこの苦境を乗り越え、必ずハドレット商会を立て直してみせる……!


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ハドレット商会の業績が落ちている……。


 私達の将来には希望が溢れていると確信していたから、正直な気持ちを言うならば、やっぱりショックだった。

 それでもウェイン様が、私を信じて打ち明けてくれたことを嬉しく思った。


 ……ウェイン様を苦しめるだけだった姉とは違う。私は苦しむウェイン様を支え、2人で必ず幸せになってみせる!

 だから私は私に出来る方法で、ウェイン様に協力することをお約束した。


 そう、商売人の目では気付かなくても、素人の目だからこそ分かるものだってあるかもしれない。商売人としての教育すらまだほとんど受けていない私だからこそ、ウェイン様たちが気付けないなにかが分かるかもしれない。

 そう思って、私は商売とは縁遠い自分の友人たちに、ハドレット家になにか問題は無いかとさり気なく確認する事にした。


 これでも私の友人は少なくない。姉より魅力的になろうと必死に繋いだ、私だけの交友関係があるのだ。その全員に話を聞けば、なにか得られるものがあるかもしれない。

 私は急いで友人達にお茶会の招待状を送ったのだった。


 しかし不思議な事に、数日経っても返事が来ない。

 ……おかしいな? 10通以上は書いたのに1通も返信が届かないことなんて、普通考えられない。


 ここでウェイン様の言葉を思い出す。

 やっぱりハドレット商会には何か良くないことが起きている……? それが原因でウェイン様の婚約者の私にも影響が及んでいるの……?


 ……手紙では埒が明かないわね。少々無作法ではあるけれど、直接会いに行ってみよう。返信が頂けないのですもの。他に方法は無いわよね。

 直ぐに馬車を用意して、友人たちのお宅に向かった。


 ……しかし、その後何日も友人宅を訪問する日々が続いた。直接訪問しても、誰とも会うことが許されなかったから。

 これは……。本当に訳が分からない。たとえハドレット家に何かがあったとして、その影響がこんなにも強く私にも及ぶものなの?

 私と友人達にはなんのトラブルもなく、変わった事と言えば、私がウェイン様の婚約者になったことだけ。だから原因があるとすれば、やっぱりハドレット家に何かがあったのだと判断する以外になかった。


 ……もしもハドレット家に私が想像しているよりもずっと悪い事情が隠されていたとしても、それでも私は絶対にウェイン様と添い遂げてやるんだからっ!

 最悪ハドレット家がお取り潰しになったとしても、ウェイン様と2人で幸せになれれば身分なんて関係ないわっ!


 ハドレット家が巻き込まれている想像以上の苦境の一端に触れた私は、逆にウェイン様への情熱の炎が燃え上がってくるようだった。


 その情熱だけを原動力に何件も友人宅を訪ね、だけどその誰もが会ってさえくれず、私は途方に暮れていた。

 ウェイン様のお力になりたい。そう思って動いているのに、まさか何の成果も得られないなんて……。


 それでも私に出来る事はこれだけだった。商売のことなど何も知らない私に出来る事は、別の角度からの情報を集めることだけだ。

 ……ここでやめたら、ウェイン様の負担にしかなれなかったお姉様と同じじゃない!


 諦め切れずに何度も何度も友人宅を訪問して回っていると、ようやく1人の友人が会ってくれることになった。


「……あまり何度も来られても困ります。お話しする代わりに、もう訪問を控えると約束してください」

「そ、それでも構いません……! それで構わないので早速お話を……」

「これは私の家だけに限った話では無く、オリビア様が訪ねられたお宅全てへの訪問を控えるという意味ですよ。よろしいですか?」

「…………え?」

「みなさん大変迷惑しております。そこで私が代表としてオリビア様とお話をさせていただく事になったのです」


 想像以上に強い拒絶の言葉に、一瞬頭が真っ白になってしまう。

 正直ここまではっきり拒絶されると思わなかった。ハドレット家の事情を聞くことで、今まで私が築いてきた交友関係全てを失ってしまうことになるなんて……。


 だけど、それでも話を聞く事を優先し、友人の要求を呑んだ。

 今の私にはウェイン様と共に歩む未来以上に大切なものなど無いのだから……!


「オリビア様。貴女はご自身が何をなさったのか、ちゃんと理解されておりますか?」


 全てを失う覚悟で話を聞いた私に対して、友人が発したのは呆れの言葉だった。

 なんでこんな簡単なことが分からないのかと、友人の瞳には隠しきれないほどの失望の念が篭っているのがわかった。


「貴女自身はきっと、今は熱に浮かれていて、幸せに溺れているような感覚かもしれません。ですがあのパーティの晩に貴女方がなにをしてしまったのか、冷静になって考えてみたことがありますか?」

「え、と……? それは、いったいどういう……」

「ハドレット子爵家の事を私の口から語るわけには参りませんが……。かつて貴女の友人だった者として、オリビア様には少し苦言をお伝えせねばなりません」


 友人の言葉が一瞬理解できなかった。

 ハドレット家のことは語れないけれど、私の友人として言わなければいけないことがある……?


 その言い方じゃ、まるで私にも何か問題があるみたいに……。


「貴女がやった事は、姉の婚約者を奪った行為でしかありませんよ? しかも正式な手続きも通さず、一方的に。ましてや姉を排除した途端に婚約でしょう? 馬鹿馬鹿しいにも程があります」

「え……と」

「シルビア様が実際に着服をしていたかどうか、それは私達第三者からは判断できません。ですが貴女方はシルビア様を逮捕せずに、示談で済ませましたね? 貴族が他家で起こした犯罪をあんな大勢の前で暴露しておきながら、それを処罰しなかったのですよ?」


 茶番にも程がありますと、かつての友人が呆れたように鼻で笑う。

 貴族が他家で起こした犯罪を喧伝しておきながら、それを示談で片付ける意味。


 そんなもの、処罰されたら都合が悪いからだろうって、当事者じゃなければ私だって直ぐに気付けたはずなのに……!


「真相は分かりません。事実も分かりません。ですがあの時あの場に居た者達は、全員がこう思ったはずです。『ウェイン様を姉から奪うために、オリビア様が実の姉を陥れたのではないか』、とね」

「あ……あぁ……」


 喉の奥が乾いていく。言葉が出ない。何も考えられない。

 あの場に居た全員が、私がお姉様を陥れたのだと思った……って。


「家から犯罪者を出したくないのはどこの家でも同じでしょう。もし何か起こした者がいれば、隠蔽を考える者もいるかもしれません。そう、隠蔽を考えるならまだ納得がいくんですよ」


 だけど、私達があの場でやった事は隠蔽ではなく……。


「ですが! あのような大勢の前で実の姉を、娘を、婚約者を断罪しておきながら、犯罪者を出したくないから不正には目を瞑ってやる、ですって? 茶番に付き合わされるこちらの身にもなって欲しいくらいでしたよ」


 そう。あれは全て茶番で間違いない。あの晩の全てが自作自演なのだから。

 だけどそれは絶対の秘密。完全に隠し通せているものだと思っていたのに……。


「周囲の人間を馬鹿にするのも程々にしておきなさい。貴女方が思っているよりも、周りは物事をよく見ているものなのですよ」


 計画は完璧だった。あのいつも完璧なお姉様が気付くことすらなく、私達の計画に嵌ってくれた。

 お姉様さえ欺けば全てが上手くいくと、そう、思い込んでいた…………?


 私もウェイン様も、お姉様のことしか考えていなかった。私達2人にとって、お姉様の存在は絶対だったから。

 あのお姉様を完璧に欺いた計画が、他の人間に判るはずがないって、妄信しすぎて、いたの……?


 約束通りもう2度と来ないで欲しいと告げられた私は、茫然自失としながらも、動かない頭で自宅に帰るしかなかった。


 自宅に戻り、自室で独り頭を抱える。

 私達のあの夜の行動が全ての原因だなんて、ウェイン様にはどう説明すればいいの……?

 私達2人が結ばれるためには、あの計画は絶対に必要だった。それなのにその計画が原因で、今の問題が起こっているなんて……。


 だけど悪い知らせとは続くもので、私の悩みはこれだけでは終わらなかったのだ……。


「先ほど、警備隊から連絡があった。シルビアの専属侍女だったマリーが、異国の地で奴隷として見つかったらしい。無事に保護されたそうだ」

「そそっ、それは本当ですかお父様っ……!?」

「スカーレット家が望むのであれば、彼女の取調べを行なうことも可能だと言われたが……。そうするとシルビアが犯罪者になるのは避けられないだろう。だから我がスカーレット家はマリーにはこれ以上関わらない事にする。以上だ」


 苛立たしげに会話を切り上げ去っていくお父様。

 だけど今の私には、お父様の不機嫌の理由などどうでも良かった。


 マリーが、マリーが見つかったですって……?

 不味い不味い不味い……! あの女は私達の計画を全て知っているのに……!

 お父様があの女にもう関わらないと判断したのは助かったけれど、あの女が生きている限りいつ計画が露呈してもおかしくない……!


 ……私はこの日から1夜たりとも、まともに眠る事が出来なくなってしまった。





「オリビア! 聞いてくれ! ハドレット商会は助かる、助かったんだ!」

 
 絶望感に押し潰されそうな日々を過ごしていると、ある日ウェイン様が久しぶりに上機嫌で私に会いに来た。

 そう言えば、最近ウェイン様にもお会いしてなかったな……。


「……ウェイン様。それはようございましたね」


 ハドレット商会が助かるかどうかなんて今はどうでも良いでしょ……?

 あの侍女から計画が漏れたら私達はお終いなのに、なにがそんなに嬉しいの……!?


 なんで私だけがこんなに苦しまなきゃいけないのよ!  なんで私がこんなに苦しんでいるのに、ウェイン様はそんなに嬉しそうに笑っているのよぉっ!


「ああ! 実はとある縁で知り合った商人がな、資金援助を申し出てくれたのだよ! これで俺たちの幸せを阻む者はもうなにもない! オリビア、今まで苦労させて本当に済まなかった……!」


 は……? なに言ってるの? 苦労させて、済まなかった……?

 この人、なに言ってるの? ちゃんと現状分かってる? もう今さらハドレット商会がどうこうなんて、そんな次元の話じゃないじゃないのっ!!


 あんなに好きだったウェイン様が、なんだか理解できない生き物に思えた。

 私達、なんでも理解し合っていたんじゃなかったの……? 何でこの男、今の状況でこんなにヘラヘラ笑っていられるのよぉっ!!


「今日は資金援助を申し出てくれた人物が、うちに訪問予定なのだ。俺たちの婚約祝いも伝えたいということだからな。婚約者であるオリビアにも同席してもらいたいので迎えに来たのさ」


 婚約者、か……。

 私、どうしてこの男が好きだったんだっけ……? あんなに好きで好きで堪らなかったはずなのに、今はもうそんな気持ちは全然思い出せないわ……。


 上機嫌で喋っている私の婚約者の声も上滑りして、私はなんだかぼうっとしてしまっていた。


 資金援助者とやらが訪ねてきても何の興味も抱けずに、来客の前なのに呆けてしまって、碌に挨拶もしていなかった。


 煩い婚約者に挨拶を促されて、仕方なく顔を上げる。自己紹介と無難な挨拶だけを済ませ、さっさと会話を終わらせよう。


「祝福の言葉、本当にありがとうござっ……います」


 そう思ったとき、訪問者の後ろに控えている2人の顔を見て、頭の中が真っ白になった……。


 なんで!? なんで2人がここにいるの!? なんでこの2人が同じ場所に居るのよっ!?


 訳がわからない……。頭が回らない……。

 お姉さまもマリーも、確かにこの手で排除したはずなのに!
 
 この2人が排除されていなかったら、私たちが破滅するっていうのにっ……!


 そこでようやく訪問者の用件を思い出す。

 業務提携? 要は資金援助を対価に、ハドレット商会を買収するってことでしょ? 確かに破産は免れるかもしれないけれど、そこにはもうハドレット商会なんて存在しないだろう。


 これでもうハドレット商会は、この相手に逆らうことは出来ない。

 だって自力で経営できないからこその資金援助なんだもの。手を引かれたら破滅する。ならばひたすら従順に従うしかない。

 破滅を回避するのと引き換えに、ハドレット商会は自分たちの商会の経営権を手放してしまったのだ……。


 その時相手と目が合った。

 チロル・クラート。私だって知っているくらいの大商人だ。先ほどまで呆けていた頭ですら咄嗟に名前が出るほどに、特にこの国の女性にとってあまりにも有名すぎる人物だった。


 そんな人物が、潰れかけのハドレット商会に何の用があるの?

 そしてなぜ、お姉様とマリーを侍らせているの……!?


 彼女は私に声をかけずに、その黒い瞳で真っ直ぐに見つめながら、ただ静かに笑顔を浮かべた。

 その時私は、彼女が全てを知った上でこの場に臨んでいるのだと直感した。


 もう私達は、この人に逆らえないんだ……。
 
 もう私達は、全て終わったんだ……。


 皮肉な事に、全てを失ったと悟った私は、この日の夜からぐっすり眠ることが出来るようになったのだった。
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