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シルビア・スカーレット

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「さて、2人とも待たせて悪かったわね。1つ1つ説明していきましょうか」


 チロルはエルを撫でながら、私とマリーに向き直った。

 なにがなんだか分からない私とマリーは、ハドレット邸で行なわれたやり取りの説明をチロルに求めたんだけど、あまり人目のあるところで話す内容じゃないからと、お屋敷に戻るまでなにも説明してもらえなかったのだ。


「説明と言っても、起きた事はそこまで複雑じゃないの」


 そしてお屋敷に戻ってきた私達は、アンさんにお茶を用意してもらいながらチロルの言葉に耳を傾けている。


「シルビアとマリーがうちに篭ってアンに教育を受けている間に、ハドレット商会の業績は瞬く間に落ちていって、もはや自力での立て直しは不可能なほどになってしまった。そこに私が資金援助を条件に、ハドレット商会を傘下に収めたという話ね」

「チロル。そこが分からないのよ。だってハドレット商会って私の賠償金として、チロルから莫大な金額を受け取ったばかりよね?」


 元々私に科せられていた賠償金ですら法外な金額だったのに、チロルが支払った金額は更にその金額の数倍のお金だったはずだ。

 たとえ急激に業績が悪化したとしても、こんな短期間で自力で立て直すことすら不可能な事態に陥るかなぁ?


「それにウェイン様もオリビアも、商人としてそれなりの教育は施されているはずなの。それがたった1ヶ月で破産寸前まで追い込まれるなんて、いったいなにがあったの?」

「それに……。オリビア様は私とシルビアに気付いたみたいでしたけど、何も言ってきませんでした。あれも少し不自然に感じます」


 私に続いて、マリーも堪えきれないようにチロルに質問を投げかける。


「賠償金を払い済みのシルビアはまだしも……。異国に売り払ったはずの私が居るのになにも言ってこないのは不自然ではないですか? だって、自分たちの犯した犯行の証人なんですよ? 私は」


 そう。それもおかしいの。

 今まではチロルの屋敷に匿われていたからマリーのことは知られていなかったのでしょうけど、実際に姿を見たのに何も言ってこなかったのはどうしてなの?


「1つずつ質問に答えていくわね。まずは、なぜハドレット商会が急激に傾いてしまったかだけど……」


 アンさんの淹れてくれたお茶を飲みながら、まるでお茶会の時の他愛のない話をするような雰囲気で話し始めるチロル。


「実は私達商人の目から見ると、今回のハドレット商会の凋落は当然の結果なのよ。なぜなら彼らは商人として最も大切な物を捨て去るところを、大勢の前で披露してしまったのだから」

「大勢の前で……っていうと、パーティ会場での振る舞いが原因だっていうこと? あの時の振る舞いで、ウェイン様たちはいったいなにを捨て去ってしまったっていうの?」

「信用よ。ウェイン様は友人知人、取引先の前で自分たちへの信用を盛大に捨ててしまったの」


 信用を捨ててしまった……?

 確かに婚約披露パーティに招待された人たちからしたら、あんなもの見せられたら堪ったものじゃなかったかもしれないけど……。


「私もあの時のウェイン様の行動は不誠実なものだったと思うけど……、けど、たったそれだけで?」

「たったそれだけって言うけどねぇ。商人にとって1番大切なことは、お客様との信頼関係だと私は思っているわ」


 お客さんとの信頼関係。

 それがチロルが最も大切にしていることで、あの晩ウェイン様たちが捨て去ってしまった物……。


「ねぇシルビア。あの晩のことを、第三者の目で見るとどうだったか、改めて考えてみて欲しいの」

「第三者から見て……?」

「元々商会を経営しているハドレット子爵家が、いくら婚約者と言えども、2ヶ月前に商会に入ったばかりのシルビアの不正に気付く事が出来なかったほどのザル経営。更にはその無能さを隠すどころか、大勢の前で大々的に発表してしまう感性のズレ……」

「あっ……」

「家族ぐるみで実の娘に絶縁を突きつける両親。その後すぐに、元婚約者の妹との婚約を発表する厚顔無恥さ。しかも元々は貴女との婚約披露パーティとして用意された場で行なわれたのよ?」


 そうだ。そうなのだ。あの場はあくまで私とウェイン様の婚約披露パーティだったはずなのだ。

 もしも私を糾弾したいだけならあんなパーティを催す必要は全くなかった。なのにウェイン様も私の両親も、あえてあの場で私を糾弾したんだ……。


「何よりも体面を重んじる貴族様たちが、こんな商会と取引しようと思う? 平民の私から見たって、ハドレット商会は信用の置けない商会だなぁって思っちゃったわよ?」

「…………っ」


 チロルの状況の羅列に言葉が出ない……。


 あの時のパーティ会場で、私が感じていた周囲からの視線。

 嘲笑。軽蔑。拒絶。


 あれらは、私にだけ向けられていたものではなかった……?


「それにねシルビア。やっぱりあの2人は失敗しているの」

「え……」

「いくら身内で完全に情報操作してシルビア1人を陥れたとしても、架空の商会なんて作ってしまったら人の目から完全に逃れることは出来ないの」


 先ほどからチロルが強調している『他人の目』。

 ハドレット商会が破産に追い込まれたのは、あの晩商人としての信用を失ったことだけじゃなく、何か他にも理由があるらしい。


「当たり前だけれど、この街にだって組合があって、商人達は常に監視されているのよ? 簡単に架空取引なんて出来るわけがないの。よほど強力なツテでもあれば別なのかもしれないけど~?」


 最後だけ少し冗談めかして語るチロル。

 よほど強力なツテ……。それってまさか、チロルなら出来ちゃうって言ってるの……!?


「自作自演なんてすぐに分かってしまうのよ。だからあの2人も、シルビアを犯罪者に落とすのは諦めたのでしょうね。実際に取調べをされて困るのは、あの2人のほうなのだから」

「そう、よね……。いくら貴族でも、そう簡単に悪事なんて働けるわけがない、のよね……」


 貴族でも王族でも、どんな権力者だって社会のルールを完全に逸脱することは出来ないのだ。

 そんなことをしたら人心は離れ、国が成り立たなくなってしまうのだから。


「だから2人は法的な手段に訴えるのを避けて、招待客たちの前で私を糾弾することで私の罪の既成事実化を図った、っていうこ、と……?」

「う~ん。そこは微妙かな? あの2人は単に、大勢の前で貴女を扱き下ろしたかっただけじゃない?」


 お、大勢の前で私に恥をかかせたかっただけ……?

 そのせいで自分たちが信用を失ってハドレット商会が傾いてしまったのだとしたら、なんとも皮肉な話ね……。


「スカーレット家の当主とハドレット家の当主さえ納得させれば、シルビアの排除には充分だったわけでしょ? それをあんなに大々的にやっちゃったのは、多分合理的な理由からじゃないと思うの」


 チロルの説明を聞くたびに、あの晩繰り広げられた光景の意味が180度変わっていくようだ。

 チロルは本当になんでもないように、世間話でもするような様子で話してくれるけど、聞いているこっちは気が気じゃないよ……!?


「それともう1つ、ハドレット家が落ちぶれた原因があるとすれば、やっぱり貴女の存在が大きいわよね。シルビア」

「え? 私? 私、本当に何もしてないよ……?」

「貴女の15年の人生は、見てくれている人はちゃんと見てくれていたようでね。貴女の人柄を信用している方が沢山いらっしゃったわ。真面目で誠実なシルビアが、不正になんて手を染めるはずがない、ってね?」

「っ……!」


 胸が詰まる。視界が滲む。

 お母様に失望され、お父様に絶縁されたけど。私の事を見てくれている人が、ちゃんといてくれた……!


「それで極めつけは、貴女の賠償金を私に肩代わりさせたことよね。あれのせいで、彼らは一気に信用を無くしてしまったの」

「えっ……!? な、なんで!?」

「これでも私、一端の商人ですしー? ハドレット商会よりも信用されてますからー?」


 冗談っぽく笑って見せるチロル。

 いやいや、チロルってこの国1番の商人でしょ! イーグルハート商会よりも信用されている商会なんてどこにもないからねっ!?


「って言うのは半分冗談で、シルビアも覚えてるでしょ? ウェイン様はパーティ会場で、貴女の不正取引の書類を周囲に見せ付けていた事を」


 そうだ。確かにウェイン様は私に書類を見せつけてくる前に、私の不正の証拠として得意げに周囲の招待客に書類を見せびらかしていた。


「詳細までは気にしなかっただろうけれど、金額っていうのは殊更に目を引くものなのよね。招待客の何名かは、あの時提示されていた不正取引の金額を覚えていたの」

「……えっ!? 招待客が、賠償金の金額を……!」

「そしてウェイン様が私に求めた賠償金、覚えてるわよね? アレ、はっきり言って法外と言って良い額だったと思わない? 私だから払えたけれど、貴女個人に請求する額じゃないわよ、あれは」


 確かに法外な額だった。けれど問題はそこじゃない。

 ウェイン様がチロルに提示した額は、私個人に請求された賠償金の数倍の金額だったことが問題なのだ……!


「私は貴女の賠償金を肩代わりする際に、後腐れないように支払いをちゃんと明文化させておいたの。勿論ウェイン様のサインも入っている、正式な書面よ」

「う、うん。それは私も目の前で見てたよ……」

「私は商人として、信用を大切にしていると言ったわよね? だからあの晩ウェイン様に糾弾されたシルビアをそのまま雇用するわけにはいかないでしょ?」

「……そ、それって!」

「私の元で働く使用人にはなんの瑕疵もないと説明するために、あの時の招待客の何名かに書面を見せて説明したのよ。ほらね? 賠償金の支払いも終わってるでしょ? これでシルビアにはなんの問題もないでしょ? ってね」


 私の賠償金の肩代わり、あれってこの為だったのっ……!?

 即日の支払いと聞いて、ウェイン様は飛びついてしまった。餌に食いつく魚のように……!


「あ~、勘違いしないで欲しいのだけれど、あの時の取引に他意はなかったわよ?」

「ほ、ほんとかなぁ……?」

「あの時私に適正な金額を提示していれば、ウェイン様にもなんの落ち度は無かったの。イーグルハート商会のお金に目が眩み、私を小娘と侮って吹っかけてきたウェイン様が愚かなだけよ」


 賠償金の肩代わりはあくまで私の安全の確保とイーグルハート商会の信用を保つ為のもので、ウェイン様を陥れる意図は決して無かった。

 欲に目が眩んだウェイン様が、勝手に自滅してしまっただけの話……なの?


「……でもチロル。あの時の賠償金は確かに法外な額だったと思うの」


 賠償金の金額を思い出したら、新たな疑問が生まれてしまった。

 なので素直にチロルに疑問をぶつけてみる。


「自作自演の架空取引で実際は損害を出していないはずで、莫大な賠償金も手にしたハドレット商会が、例え信用を無くしたといっても、たった1ヶ月でそこまで経営が傾くとは考えにくいんだけど……?」

「あ~、シルビアならそう考えるでしょうし、実際貴女なら持ち直せたかもしれないわねぇ」


 ね~エルー? とエルを背中を撫でながら、やっぱりチロルは私の疑問に答えてくれる。


「シルビア。前にも言ったと思うけど、人間ってね、合理的な判断だけでは生きていけない生き物なのよ」

「……どういうこと?」

「長年目の上のたんこぶだったシルビアの排除に成功し、愛する人と婚約し、更には莫大なお金が手に入ったのよ? まるで熱に浮かされるように、ウェイン様とオリビア様は贅沢の限りを尽くしたみたいなの」

「ぜ、贅沢って……! 短期間で商会が傾くほどの贅沢って……」

「本来それを嗜める立場にいる両家のご両親は、シルビアの件があったせいで2人に強く出られない。歯止めを失ったハドレット商会は、まるで底に穴が開いた水瓶のようにお金が零れていってしまったみたいねぇ」


 チロルの言葉を聞いて、思わず唾を飲み込んでしまう。

 たった1つの掛け間違い。たった一夜の出来事が、ここまで両家の歯車を狂わせる……。

 私は改めて、商売というものの恐ろしさに身震いする。


 そして、それがさも当然であると、平然と語るチロルの姿にも底知れぬものを感じてしまう……。


「……ハドレット商会が傾いた理由は分かりました。では次はオリビア様が私に気付いても、何も言ってこなかった理由をお聞かせ願えますか?」


 ハドレット商会に起きたこと、ウェイン様に起こった事は大体理解できた。

 次はオリビアの態度を説明して欲しいと、マリーがチロルを問い質す。


「ええ。実はそれも簡単な話なの。2人も知ってると思うけど、この国では奴隷って違法なのよ。奴隷商人との関わりを匂わせるだけでも、国から厳しい追及を受けてしまうでしょうね」

「あ、そう言えば……」

「あの2人がどうやって奴隷商人に渡りを付けたのかは知らないけれど、オリビア様は奴隷商人との取引を人任せにせず、自分自身で行なってしまっているの」


 オリビア本人が奴隷商人と取引していたの……!?

 ウェイン様とオリビアの2人だけの計画なのだから、関わる人数を最小限にしたかったのかもしれないけど……!


「そして奴隷商人たちは、もしもの為に備えて、取引を全て書面化しているものなの。分かるかしら? オリビア様本人が取引した違法な奴隷売買の書面が、奴隷商人たちの手に残っていたということなの」

「お待ちくださいっ! それでは私を保護してくださったチロル様も、違法取引に手を染めてしまった事になるのではないですかっ!?」


 マリーの言葉を聞いてはっとする。

 いくらマリーを助けるためとはいえ、チロルが犯罪者になってしまうなんて、そんなの絶対にダメ!


「安心して。私は法を犯してはいないわ。ま、グレーゾーンとは言えるかもしれないけどね」


 だけど焦る私とマリーに向かって、心配要らないわと微笑むチロル。


「グ、グレーゾーンって?」

「奴隷取引はこの国では違法だけど、他の国では合法の場所も少なくないわ。だから書面上でのマリーの売買契約は、他国で行われたことになっているの。そして購入後すぐに奴隷解放手続きをした事になっているわ」


 た、確かにマリーは、遠い異国の地に売られるところだったのをチロルに助けてもらったと言っていた。そこをチロルに助けてもらったと。

 つまりオリビアはマリーを異国に売り飛ばすという取引をして、その書面がちゃんと残っている? それをチロルは利用して、売却先の異国でマリーを購入したことにした……?


「そして貴女の発見は、実はちゃんと警備隊にも報告してあるの。スカーレット家はシルビアの着服行為の共犯として、貴女の捜索を届け出ていたから」

「マリーのこと、警備隊にもちゃんと報告してあったんだ?」

「勿論よ。マリーにだってご家族が居るし、娘が行方不明のままじゃご心配をおかけしてしまうからね。マリーを保護した翌日には届け出ているわ」


 そっか。大変な目に遭ったのはマリーだって同じなんだ。

 私の両親が私に失望したように、娘のマリーが犯罪の容疑者となって、しかも行方不明と知らされたご家族のご心労も相当なものだよね……。


「私は商売柄、他国に行くのもそれほど珍しくはないし、シルビアを雇った縁も、シルビアの賠償金を肩代わりした件もあるからね。私がマリーを捜索してもさほど不自然じゃないでしょ?」

「ふ、不自然じゃないって言われればそうかもしれないけど……」

「行方不明のマリーが他国で奴隷になっていたところを購入・解放したあとこの国に帰国させて、賠償金問題の重要参考人として身柄を保護してあると報告してあるの」

「……チロル様が、私のために手を尽くしてくださったのは理解できました。ですが……」


 チロルの説明を頭の中で何度も反芻させながら、それでもやっぱり納得いかないと、再びマリーがチロルに疑問を投げかける。


「私の発見と保護を届け出てあったのでしたら、私の捜索願を出していたスカーレット家は、どうして何も言ってこなかったのでしょうか?」

「……それが、スカーレット家には何も言えなかったのよねぇ」


 ひっくり返したエルのお腹をくすぐりながら、少し辟易した様子でチロルが説明を始める。


「だってさ、考えてもみなさいよ。せっかく婚約者様の厚意で、スカーレット家から犯罪者を出さずに済んで、娘の賠償金も支払い済みなのよ? 下手に藪を突けば娘は改めて犯罪者として逮捕されることになるし、賠償金についてもなんらかの査察が入らないとも限らないじゃない?」

「えっ? ならどうして捜索願なんか出して……」

「捜索願を出したのはシルビアを糾弾する前のスカーレット家の当主夫妻よ。けれど恐らく貴女のご両親は薄々違和感を抱き始めていたんでしょうね。だけど状況的に、もう後戻りは出来なくなっていた……」


 あの晩のことを思い出す。


 実の娘である私を家族全員で糾弾し、私の言葉に一切耳を貸さずに一方的に私に勘当を告げたお父様。

 大勢の招待客の前で実の娘を犯罪者として糾弾し、そして追放してしまったお父様は、仮にあとから何かに気付いたとしても、もう取り返しがつかなくなっていた……?


「スカーレット家にとってシルビアの事件は、もう終わったことなのよ。だから掘り返されたくないし、掘り返したくもないの」

「つまりスカーレット家はもう、シルビアの着服疑惑の調査すらしていなかった、というわけですか……」

「一応、マリーを保護しているのが私であるということは、向こうの家には伏せさせてもらっていたけどね。それでも警備隊にはどこからも問い合わせすらなかったそうだからお察しよねー」


 アンさんにお茶のおかわりを頼みながら、呆れたように肩を竦めるチロル。

 あの夜、私が一方的に陥れられたようにしか思えなかったのに。こうしてチロルの話を聞かされると、ウェイン様もオリビアも、お父様もお母様も、あの夜の出来事が原因で破滅してしまっているように思えた。


「ね? これでオリビア様が何も言ってこなかった理由が分かったでしょう?」

「えっ?」

「マリーを雇っているということは、オリビア様自身が交わした違法な取引の証拠を私が持っているかもしれないと、彼女は判断せざるを得ないわけ。姉を冤罪で貶めるはずが、一転して自分が犯罪者として捕まりかねない事態に陥ったの」


 チロルの説明を聞いて、悔しそうにしていたオリビアの姿を思い出す。

 しかもオリビアが行なったのは紛れもなく違法な人身売買の取引。でっちあげた架空取引などとはワケが違う。発覚すれば問答無用で投獄されてもおかしくないほどの重罪なのだ。


「そしてスカーレット家には警備隊から、マリーが無事に発見・保護されたという連絡がされている。捜索願を出しているのはスカーレット家なんだからね」

「えっと、それってつまり……」

「彼女からしたら、私は奴隷購入をしたのではなく、マリーの捜索に協力しただけで、なんの法も犯していないと判断せざるを得ないでしょ? だから自分のように、奴隷取引を理由に私を脅す事は出来ないってね」


 そうだ。私とマリーはチロルに全部説明されているから知ることが出来ているけれど、オリビアには断片的に入ってくる情報で状況を判断することしか出来ないんだ。

 警備隊からマリーの発見を知らされているのに、そのマリーを雇っているチロルが罪に問われていないのだから、チロルが語ってくれたグレーゾーンのことすらオリビアには知る由もなかったんだ。


「オリビアに打つ手は残っていなかった……。だからオリビアはあんなに悔しそうにしていたんだね……」

「結局は自業自得だけどね? 今日あの場でマリーの姿を見た後は、生きた心地がしなかったでしょうねぇ」


 だからあの場の2人には、妙な温度差があったんだ……。

 もしも違法な奴隷契約が発覚すれば、ウェイン様だって全く影響が無いわけじゃないはずだけど、実際に奴隷契約に関わっていなかったウェイン様は危機感が薄かったんだ……。

 奴隷商人と直接やり取りしたオリビアは、言い逃れる余地が全く無い。チロルの言う通り、きっと生きた心地がしなかったに違いない。



 ……一連の説明を受けて、改めて戦慄する。

 ここまでの流れのどこまでがチロルの想定した流れだったのか、私には全く判断がつかない。

 全てが自然の流れのように、チロルは全く自分の手を下していないようにも見えるのに、その自然な流れ全てをチロルが作り出したようにも思えてしまう。

 シルヴェスタ王国随一の大商会と言われているイーグル商会の令嬢、チロル・クラート。

 彼女はただの商人の娘などではなく、彼女自身もまた底知れぬ商人なんだ……。


 ……あれ? でもこの流れっておかしくない?

 チロルは膨大なお金を支払って、手に入れたのは私とマリー、それに潰れかけたハドレット商会だけだなんて、全くリターンが釣り合ってないんじゃ?


「……ねぇチロル。貴女には私もマリーも助けてもらって、心から感謝しているの。でもチロルが今回の騒動で得た物は、支払った莫大なお金に対して、あまりに小さく思えるわ」


 そもそもの話、どうしてチロルはあの日、私に声をかけてきたんだろう……?

 招待されたパーティを途中で退席してまで、着服疑惑のあった私を追いかけてきた理由って、なに?


「それに、パーティ会場から追い出された私を、貴女がすぐに助けてくれた理由って、なんなの……?」

「あはは。その調子よシルビア。貴女も人を疑う事を覚えてきたみたいね」


 私の問いかけに、良く出来ましたと笑うチロル。

 自分が疑われたことを褒めるなんて、やっぱりチロルって変わってるなぁ。


「でも商人としての考え方は、まだまだ甘いと言わせてもらうわ」

「……と言うと?」

「私が今回得たモノは貴女とマリー、そしてハドレット商会よね。貴女達は保護の意味合いが強かったけれど、ハドレット子爵家が経営するハドレット商会を手に入れることが出来たのは、今回支払った対価に充分見合う報酬だと思ってるわよ?」


 ふっふーんと胸を張ってドヤ顔するチロル。

 だけどどういうことだろう? 潰れかけたハドレット家なんかを手に入れて、いったい何の意味が?


「シルビアは忘れちゃってるみたいだけど、クラート家は由緒正しき平民なの。先人の功績のおかげで、家名を名乗ることが許されているだけの、ね」

「いやいや、チロルって全然平民に見えないから」

「爵位ってお金で買うことは出来ないのよ? そして我がクラート家は大変ありがたい事に、自由恋愛主義の家なの。爵位のために娘を貴族に嫁がせようなんて、誰も思ってないんだ」


 爵位はお金で買えない。そしてクラート家の人たちは爵位のために婚姻を結んだりしない……。

 つまりチロルはハドレット商会を手に入れて、ハドレット子爵家の爵位が欲しかったってこと?


「で、でも! クラート家、イーグル商会くらいの大商人であれば、身分なんて関係なくなるんじゃないの?」

「んー、この国のみんながシルビアみたいに合理的に考えられるなら、関係なくなるんだけどねぇ……」


 エルの両脇を抱きかかえて、エルをぷらーんぷらーんと揺らしながら、チロルは説明を続ける。

 そ、それにしても、さっきから何されても大人しくされるがままのエルが可愛すぎるんだけど……!


「家柄が良くなるほど、身分というのは重視されるものなのよ。イーグル商会がどれ程の富を有していても、平民の分際で! って言われればそれで終わり。それが貴族社会なの」


 王国一の大商人であるイーグル商会、イーグルハート商会を持ってしても身分の差は覆せない。

 他ならぬチロルが、そう断言してしまった。


「うちは平民のお客様とも仲良くやっていきたいから、クラート家が爵位を持つのって邪魔なのよね」

「しゃ、爵位が邪魔って……!」

「でも貴族社会で成功するためには身分は必須。ということで、私が自由に扱えるハドレット子爵家は、シルビアが思っている以上にお買い得な買い物だったわけなの」


 爵位はお金で買えないと言いながら、ハドレット家はお買い得だったと言ってしまう矛盾。

 もちろんチロルの中では、なにも矛盾していない発言なんだろうな。


「それにウェイン様もオリビア様も、全くの無能というわけではないしね。あの2人にも自分なりに努力してきた年月があって、そこで培った力がある。適切に扱えば、有用な働きを期待できると思うわ」

「え……?」


 ここまで思い通りにコントロールしてみせたウェイン様とオリビアを、他ならぬチロルが無能ではないと認めているのが意外に思えた。

 ここまで盛大に破滅してしまったあの2人の努力と実力を、チロルこそが正しく評価しているなんて……。


「そして、貴女に声をかけた理由かぁ~……。まぁこれだけ商売っ気を出してしまったら、お客さんを助けたかったから、じゃ納得してもらえないか」


 いや、むしろそこまで商売っ気を出して貰った方が納得できるんだけどさあ。

 でもいくらなんでも、あのパーティの晩にここまで全て読みきって私に声をかけたって言われたら、流石に納得できないよ~。


「ん~、これがシルビアの納得出来る答えかどうかは自信ないけれど……。ひと言で言ってしまえば、私の趣味よ!」

「…………は?」

「厳密に言うと、趣味っていうのもまた違うのかもしれないけれどね。ちょっと説明が難しいの」


 バツが悪そうに、私からふいっと視線を逸らすチロル。

 ここまで様々な疑問にはっきりと回答してくれたチロルにしては、少し歯切れの悪い回答に思えた。


 と思った瞬間、なんだかとても嬉しそうな表情を浮かべたチロルが捲し立ててくる。


「でも貴女に声をかけた私の目に狂いはなかったわ。こんなにも最高の結果が得られるなんて、シルビアには感謝しかないわっ!」

「え、ええ……???」

「貴女はあれほどの目に遭って、家族からも婚約者からも裏切られ、全てを失って、それが悪意によって引き起こされたことだと知ってなお、あの2人を破滅させようとまでは思わなかったんだものっ!」


 困惑する私に構わず、チロルは嬉しそうに語り続ける。

 私があの2人の破滅を願っていなかったって……?


「悔しい! 許せない! 懲らしめてやりたい! あんなに怒りに染まっていたのに、貴女が望んだのは報復ではなくて制裁だったわっ! 貴女は彼らの不幸ではなく、彼らの更生を望んだんだものっ! おかげで誰も不幸にならずに済んだってわけ! もうシルビア様々よねー!」


 チロルの言葉に混乱してしまう。

 それじゃまるで、私がウェイン様とオリビアの破滅を望まなかったから、2人は破滅を免れたみたいじゃ……。


「結果的に私は自由に動かせる貴族家と、優秀な人材をそこそこ手に入れることが出来ちゃったし、私が得たものが小さいなんてとんでもないっ! むしろ予想以上の利益を出せたと思っているくらいよっ!」


 チロルは立ち上がって、エルを両手で高く抱き上げながらくるくると回っている。

 その表情は本当に楽しげで、嘘をついているようには全く思えない。


 なんで屋敷に篭っていただけの私が、チロルに感謝されてるの……? 私のおかげって、なに? 私、着服以上に何もやった覚えが無いんだけど???


 抱きかかえられたエルの呆れたような表情が、なんだかいつまでも印象に残ってしまった。

 チロル・クラート。貴女は本当に、不思議な人……。
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